神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。』(RoGD Ch.4)

Verse 1-6

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 一度庭園の階段を降りて小川沿いに歩き、急で不安定な石の階段を上る。雪で滑りやすくなった階段を用心深く上ると、目の前に視界の悪い竹藪が広がった。

「じゃ、貴方はこれをして。」

 暫く竹藪の中を歩いて背後の庭園が全て緑に埋めつくされた頃、理恵は背後をついて歩いていたフィリップ二世へ、プリーツスカートを広げながらくるりと振り返った。

「どうすんだ、これ。」

「目を覆うのよ。」

 そう言われて、フィリップ二世は手元にある黒い手拭いを目元に巻いて解けないようにしっかりと結んだ。刹那、ぶぉんと音が鼻先を掠った。間一髪で後ろに退くと、竹が背中に当たる。

「分かる? [燃料]の流れが。」

 先程までに秘密めいた艶やかな声とは打って変わって、川のせせらぎさえ凍りつかせてしまいそうな冷たく低い声が聞こえてきた。

「いーんや……。だが——」

 すぐに腰を落として臨戦態勢をとる、[シシャ]は訓練程度で命を失う事はない、それがあるからこそ理恵もフィリップ二世も不完全燃焼で終わる事はないだろう。

「やってりゃどうにかなる。」

 手の中にテグス付きのナイフを出現させる。自身の受け答えに、にやり、と理恵が笑った気がした。



 竹を綺麗に割ったような乾いた音が空を伝っていく。

「……?」

 理恵の攻めの手がもう来ないことを確認してフィリップ二世は構えを解いた。目の前の的に集中していたせいで感じ取れなかったが、二人の訓練をじっと見つめている気配がある。

「零? なんでこんなとこにいやがる。」

 手拭の結び目を人差し指で乱暴にほじくって解くと、フィリップ二世は振り返った。流れる自身の黒髪の次に、零がつまらなさそうな顔で竹藪へ寄りかかっていた。昨日着用していた黒いコートはどこへやら、大和男子らしく深緑色の着物と黒い細めのブーツを履いている。

「飯だよ。もう昼食の時間。」

 首を冷やさないように黒いマフラーを巻いていた零はその布をいじりながら竹から身を離した。

「あらやだ、もうそんな時間? ごめんなさい、私手伝いがあるから先に行ってるわ。」

 使っていた薙刀を慣れた手つきで素早く布に収めると、それを零に投げ渡して理恵は竹藪の緑へ溶け込んで消えてしまった。

「特訓はどうだ? 収穫あった?」

 相当な重さのある薙刀を軽々とキャッチした零は、手応えを確かめるように手を結んだり開いたりしていたフィリップ二世に語りかけた。

「いや……。まあ取り敢えず歩こうや。」

 雪の音をサクサクと鳴らしながら竹藪を抜けると、いつの間にやら小さな雪がちらついていた。白銀に飲まれる悠樹邸が眼下に広がるこの光景は、見事としか言いようがない。

「俺がおっさんに……ルプレヒトのおっさんに習ったのが染みつき過ぎてだな。」

 階段を降りながらフィリップ二世は現状を言葉にしてまとめた。帝國にいた頃に士官学校で叩き込まれた諜報術、暗殺術があまりに身に入り過ぎて[燃料]を感知する意味が自身の中でなくなっているのだ。

「気配を察するほうが早過ぎて[燃料]にまで目が行ってないって事?」

「あぁ。必要性がないから[燃料]を感知しようとしない、もとい……その余裕が一切ない。」

 命のやり取りをして余裕のある人間などいない。いや、余裕があるのであれば、その人間は死なないだけかそれともどこか頭のネジが抜けているだけだ。

「フィリップにとって[燃料]の感知は余分な事の一つになってるんだな。」

「もしかして習得しなくてもいい感じか?」

 いや、と零は階段を降りきって振り返る。

「フィリップが感じる気配は生物全てに言える事だ。つまり、[シシャ]と[人間]の見分けがつかない。」

「あぁ、そりゃいまいち面倒だな……。」

 これから近寄ってくる生き物全てを疑って行くのは少々骨が折れる。それならば、早々に感知を習得したほうが今後の健康の為に良いだろう。

「[燃料]の動きってのは見えるのか?」

「そうだな……。頭が引っ張られる感じがする。」

 漸く食事部屋が見えてくると、アルフレッドが肉じゃがの入った食器を運んでいる最中だった。

(頭が引っ張られる感じ、か。)

 今の所、理恵との特訓でそのような感覚に駆られた事はなかった。先は長い事を実感して長々とため息を吐いて、フィリップ二世は縁側でショートブーツを脱ぐ。

「特訓してたんだって?」

「あぁ。まだまだだ。」

 食事並べを零にバトンタッチして、アルフレッドはフィリップ二世の隣に腰掛けた。先程まではスノードームの中にあるような小ぶりの雪が降っていたが、フィリップ二世が屋根の中に入った頃にはぼたん雪が蛍のようにふわふわと地面に降り積もり始めていた。

「戦闘は問題ないから焦らなくてもいいんじゃないかなあ。」

「理恵にも言われたんだけどよ、俺そんなに焦ってるように見えるか。」

 ねだったのか、それとも勝手に押し付けられたのか、アルフレッドは手に持っていたきゅうりの漬物をばりぼりと齧りながらアルフレッドは頷く。

「フィリップともあろう者が眉間に皺を寄せてるからね。」

 額を指差されて、フィリップ二世はフェイクレザーをはめたままの手で力が入り過ぎた額を撫でる。

「まあフィリップは今までずっと命のやり取りばっかりしてたから、すぐに、とは言わないけど。気を張り過ぎるとぷつんと行くからね。」

「成程なぁ。」

 ルプレヒトほどとは言わないが、かすかに寄った皺を伸ばしながらフィリップ二世は再び長々とため息をはいた。

「ご飯の用意が出来たよ。」

 部屋からひょっこりと顔を出してきた継子の言葉で、二人の会話は終わった。



 昼食の食休みを終えて、フィリップ二世は再び理恵と共に竹藪へ向かっていった。零は休みに入った畑の土をスコップでほじくり返しながら、二人の姿が消えていくのを見守った。

「フィリップが感知出来ないのはさ。」

 と、熱々の緑茶を黒い急須に入れて持ってきたアルフレッドに話しかけた。こぽぽ、というお湯の流れる湿った音が雪景色に追加された。

「[人間]の頃の勘を頼り過ぎてる?」

「新しい能力が付加されてる事に気付いてないんだよな。」

 湯呑みを渡されながら、零はふんふんと頷く。

(まあ今の時点で感知が出来たら逆に面倒だからいいんだけどさ。)

 半眼になりながら、白銀の中に落ちた血痕のような赤い椿を見つめる。牡丹雪の重みに耐えられず、一輪が、ぼとん、と雪の中に落ちていった。

「……そういえば、武家のお家って椿植えるのご法度じゃなかったっけ?」

「え? あぁ、俺の家、別にもう武家じゃないし。」

 椿はこちらに来た理恵が十数年前に勝手に植えていったものだ。実際は、椿が根元から手折れて落ちて行くのが首が落ちるのに似ているという事で武家の庭ではあまり好まれない花だ。

「まあ確かに、理恵の薙刀に入ってる椿はそういう意味で入ってるんだが。」

「へぇ。」

 他愛のない会話にアルフレッドは束の間の平和を感じた。零が戻ってきてから数十年、第二次世界大戦の事後処理や天界での書類仕事で、彼と会って世間話をする事も殆どなかったのだ。

「静かだね。」

 雪の落ちる音さえ聞こえそうな静けさに、零は瞳を閉じた。ため息の声が周囲に響く。

「嵐の前の静けさだ。」
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