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第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。』(RoGD Ch.4)
Verse 1-12
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おっと、と逸叡は背を反らせた。目の前を、ガラス以上に透き通る水が通って戻っていった。
「なんやぁ、清水かぁ。」
くつくつと、再び袖口で口を覆いながら笑うと、逸叡は片手で史興の軍刀を牽制した。いや、軍刀であったもの、と言ったほうが良いだろう。
「真面目に戦え!」
史興は声を張る。逸叡の目の前で弧を描いていた水が、史興の手元に集約された。
「至極真面目や。なあ?咲口はん。」
先から海軍軍刀を握ったままあまり動いていない久志に、逸叡は同意を求める。久志は唾を飲み込んだ。どこか怪我をしたわけでも、[燃料]を操れないわけでもない。だが、どうしても腰が引けてしまう。
「久志、ここは俺に任せて理恵さんの加勢を!」
「でも……!」
先程から史興の攻撃は空を切るだけで、逸叡には布どころか髪にも届いていない。対して、手加減されているとはいえ史興の手は白手袋を切り裂いて薄い切り傷が広がっていた。
(なにか、なにかしないと……。)
久志の問題は一つ、逸叡を坂本隼人と認識している事、ただそれだけである。久志が柄を握る手に力を込めた時、ごっ、と目の前になにかが迫った。
「ごめん!」
遠くからアルフレッドの声が聞こえる。どうやら歳三との戦闘を邪魔した式神を蹴り上げたようで、それが久志の元に直撃したのである。ぐるぐると考え込んでいた久志は、まんまと巻き添えを食らった。
「久志!」
「もーらい。」
史興が助けに走ろうとしたが、その一瞬の隙を逸叡がついた。史興の目先を刀で一閃すると、史興が一瞬だけたじろいた。
「ほんなら一瞬お借りしますわ。」
けたけたと笑いながら、逸叡は式神に埋もれた久志を担ぎ上げた。まだ女学生らしい袴を身に纏う久志は、呻き声をあげるだけで体を動かさない。
「っ待て逸叡!お前——」
目の前から蝋燭の火が消えるように掻き消えた二人の姿に、史興は言葉の行方を失った。
擦ったマッチの香りが鼻腔を侵す。
「マッチってほんま便利やんなぁ。」
次の香りは、少量の煙草の香りだ。この量ならば煙管かなにかだろう、と久志は確信する。再び呻き、背中に走る鈍い痛みから逃げようと地面を転げる。
「あー、やっぱ式神重いんなぁ。じっとしとって。」
ぐらつく頭に語りかけられ久志は瞳を開けた。薄暗い部屋に、蝋燭が一個だけ立てられている。背中に冷え切った手が置かれた。ゆっくりと痛みが和らぎ、久志は漸く肺に沢山の空気を取り入れた。
「まだ痛みます?」
ぐるん、と先よりも勢いよく体を動かすと、まるで芋虫を見る小学生のような体勢で逸叡が見下ろしていた。
「さ、坂本……。」
「おはよう。いうて十数分も眠っておらへんかったけど、流石大佐仕込みやなぁ。」
慌てて上半身を起こし、足で床を滑りながら後退する。腕に蝋燭の置かれた机が、がつん、とぶつかると、久志は驚いてその朱色に塗られた漆を振り返った。
「そんな驚かへんでも、取って食うわけじゃあありまへんし。」
「いや、そんなの分からないし……。」
さいですか、と逸叡はどっかりと地面に座った。そして、隣の畳をぽんぽんと叩く。
「咲口はん、なしてわいのこと攻めへんのか気にのうて。」
座れ、という事なのだろう。久志は戸惑いがちに視線を漂わせると、ゆっくりと、逸叡が叩いた場所より少し離れた所に座った。
「素直やないなあ、ええけど。」
「君は前から人を勘違いさせる事ばかりしてくるからね。」
そのおかげで何度史興を不機嫌にさせたか数え切れなかった。面白がって、逸叡は肩を震わせて笑った。
「そんな事言うとりますけど……まぁええわ。で?なしてわいに刀を振らんのか、教えてくれはりまへんか。」
喋るたびに、逸叡の口からゆるゆると煙が立ち上る。その行く先は闇だ。久志は目でそれを追いかけて、見えそうで見えない天井を見上げた。
「だって……、僕は君を敵だと思いたくない。」
膝を抱えて、久志はただただ虚空を見る。記憶は消せないし、消したくない。それゆえに、逸叡が坂本勇人として自らに接してきた日々を否定する事 など、到底無理であった。
「せやけど、佐藤は矢桐の事攻撃したやろ。島田はんも躊躇いなく。」
「そりゃ、島田は君の態度でいっつもストレス抱えてたし、柏葉閣下に関しては、僕らはさして関係ないし会った事なんてなかったじゃないか。でも僕にとって君は……。」
久志は言葉にしなかった。仲間か、それとも同じような命運を辿った同類か、親友以上恋人未満か、それともまた別の絆か。彼に判断はつかなかった。しかし、逸叡はそれで得心が行ったようだ。妙に真面目な声で、ふぅん、と下り調で鼻を鳴らすと、暫く黙っていた。
「……せや。咲口はんの技、見せてもろても構わへんやろか?」
そう逸叡が再びそのお喋りな口を開いたのは、蝋がだらだら盆の上に流れ落ち始めた頃だった。
「僕の技?……あぁ、竹伊は炎、みたいな。」
「せやせや。出来へんわけないんやろ?」
帰宅から夕食時まで、アルフレッドが根気強く四人を指導した賜物を見たいらしい。久志はむず痒そうな顔で、いつの間にか当たり前のように二人の間に置いてあった海軍軍刀を手に取った。
「でも……僕はあんまりこれ好きじゃなくて。」
「へぇ?それまたなんで。」
豪華な黄金の細工を撫で、久志はため息を吐く。
「だって、全然男らしくないんだもの。」
「せやなぁ。咲口はんそもそも男らしくあらへんしなぁ。」
危うく鞘に入ったままの軍刀で殴るところであった。史興に、可愛い、とか、綺麗、とか称されるのはまだ照れ臭いが、それでも博人や勇斗の男らしさを見ると、同じ軍人として少しコンプレックスであった。逸叡も逸叡で、身体に全く筋肉らしさを感じさせないが骨ばった手や浮き上がる喉仏は軍人とはまた違った、奥ゆかしい男らしさがあった。
「……。坂本、もしかして身長伸びた?」
座高を見て、久志は悟る。いつもなら久志と同じくらいの目線にある顔が、今はぐっと上にあった。
「気のせいちゃいますか?」
「いや、君がそう言う時は絶対伸びてるから。」
どうやら久志の体が女であるから、ではないらしい。久志は長々とため息を吐いた。
「で、見せてくれへんのか見せてくれるんかはっきりしてくれはります?」
「君って関西弁使うわりには随分と物言いがはっきりしてるよね。……まあ、そんなに催促してくるなら今回だけ特別ね。」
同じく煙の立ちゆく先を見ていた逸叡は、久志が出した答えににっこりと笑った。久志は膝の上に乗せていた軍刀を手に取り、刀身が僅かに見えるくらいに抜いた。
(……あぁ。)
桜色の輝いた刀身が、まるで鞘から溢れるように、ぶわり、と花弁になって音もなく破裂した。花弁は僅かに薄桃色の光を纏いながら、蝋燭以上に輝きながら辺りに舞う。手の甲に落ちた花弁をしげしげと見つめると、思った通りの桜の花弁の形がそこにうずくまっていた。
「綺麗やんなぁ。」
ぽつりと、それは至極当然のように溢れ出た言葉だった、ふわふわと暗闇の中を無限に漂う桜の花弁は、人々を夢現へと誘う夜桜を思わせた。
どのくらいの時間そうしていたのか。月の光も差さぬ暗闇の中で、二人は暫く花弁が落ちる様を見つめていた。全てが落ちきった後には、再び蝋燭の弱々しい光だけが部屋の中を照らした。
「ええもん見してもろたお返しや。これあーげる。」
中指から抜き取ったなにかを、逸叡は親指と人差し指でつまんで久志に差し出した。怪訝そうに眉をひそめた。それは金色の輪だった。手を差し出すと、ころん、と中に転がっていく。
「これは……。」
「あんさんが嵌めたらあかんのやで。すぐに飲まれてまうさかいな。外まで持っていきいや。」
言うや否や、ぱりん、とその輪は崩れた。途端に、久志の肩に鈍い重みがのしかかる。
「あぁ、急いだらええ、式神つけるさかい。はよ合流せんと。」
袖の中から人型の白い紙を取り出すと、逸叡はその頭に息を吹きかけた。見る見るうちに逸叡の指先を離れ、それは顔を白い紙で覆い尽くした直衣姿の男に姿を変えた。
「はよしいや。すぐ壊れるで。」
戸惑っていた久志は指環であったものを握って慌てて立ち上がった。式神に案内されるがままに、いつの間にか隙間の空いていた扉に向かう。
「……坂本。」
扉を押し開ける前に、久志は振り返った。
「僕達は、もう戦わないよね。」
立ち上がっていた逸叡は、久志を見なかった。
「……。そうさなぁ。」
煙管から立ちのぼる煙の先を、ただ夢現と見つめているだけであった。
慌ただしい足音を聞いて、全員が振り返った。式神に連れられて、久志が息を切らして走ってくる。到着するや否や、全員から労りの声を、史興からは心配性の声を聞いて、久志はうんうんと頷く。零達の一行も合流したようで、その中に姿が見受けられた。一通り言葉を交わすと、目の前の巨大な木の門が奥の方へ軋みながら開いた。
「お待ちしておりました、皆々様方。」
正座をする女性が一人、深々と頭を下げる。黒い髪が、肩を越してその脚に落ちていった。
「斎宮、葵と申します。以後お見知り置きを。」
紹介がある間にも、彼女の背後にある丸い鏡に、びしびし、と無数の亀裂が走っていく。
「斎宮様、その後ろの鏡は——」
「皆々様をお帰しする前に、一つお話が御座います。」
みしみし、と地面が揺れる。その場にいる全員が、確信する、この揺れは、帝國で感じたあの揺れと同じである。鼓動のような、世界を崩壊へ誘う揺れだ。
「その指環について、貴方様は如何ほどにご存知でしょうか。」
葵の仄暗く藍色の瞳が、零の赤い虹彩のある瞳を真っ直ぐに見つめた。
「特に。俺の創った世界を破壊する為の道具としか。」
「左様ですか。」
残念そうに目を伏せ、葵は中腰になって全員に背を向けた。玉串を掲げ、鏡に映す。
「零様。その指環がもたらすは、破壊ではなく破滅に御座います。ゆめゆめお忘れなきよう。」
鏡の割れる音と地響きの音が、葵の声を掻き消し始める。
「一度の敗北も許されませぬ故。」
* * *
雪がちらついていた。びくりと体を震わせて起き上がる。
「先輩!やっと起きた!!」
どうやら看病されていたらしい。勇斗は久志の顔を見て、心底嬉しそうに洋室から駆け出していった。右手の筋肉が疲れきっている。見れば、ずっと拳を握り続けていたようだった。
「久志!大丈夫か!? 痛いところはないか?」
どかどかと余裕もなく入ってきた史興は、久志の開かれた手の中を見つめた。
「久志、それは……?」
「これ、坂本から貰った奴……。」
はっとして、久志は慌てて近くにあった小物用の小皿を引き寄せ、そのバラバラになった黄金を一粒残らず手から払った。
「零さんに渡さないとな。」
「そうだね……。」
外で小鳥が鳴いている。デジタル時計は、寄せ鍋を食べた次の日の朝を示したまま、変わらぬ感覚で時を刻んでいた。
「なんやぁ、清水かぁ。」
くつくつと、再び袖口で口を覆いながら笑うと、逸叡は片手で史興の軍刀を牽制した。いや、軍刀であったもの、と言ったほうが良いだろう。
「真面目に戦え!」
史興は声を張る。逸叡の目の前で弧を描いていた水が、史興の手元に集約された。
「至極真面目や。なあ?咲口はん。」
先から海軍軍刀を握ったままあまり動いていない久志に、逸叡は同意を求める。久志は唾を飲み込んだ。どこか怪我をしたわけでも、[燃料]を操れないわけでもない。だが、どうしても腰が引けてしまう。
「久志、ここは俺に任せて理恵さんの加勢を!」
「でも……!」
先程から史興の攻撃は空を切るだけで、逸叡には布どころか髪にも届いていない。対して、手加減されているとはいえ史興の手は白手袋を切り裂いて薄い切り傷が広がっていた。
(なにか、なにかしないと……。)
久志の問題は一つ、逸叡を坂本隼人と認識している事、ただそれだけである。久志が柄を握る手に力を込めた時、ごっ、と目の前になにかが迫った。
「ごめん!」
遠くからアルフレッドの声が聞こえる。どうやら歳三との戦闘を邪魔した式神を蹴り上げたようで、それが久志の元に直撃したのである。ぐるぐると考え込んでいた久志は、まんまと巻き添えを食らった。
「久志!」
「もーらい。」
史興が助けに走ろうとしたが、その一瞬の隙を逸叡がついた。史興の目先を刀で一閃すると、史興が一瞬だけたじろいた。
「ほんなら一瞬お借りしますわ。」
けたけたと笑いながら、逸叡は式神に埋もれた久志を担ぎ上げた。まだ女学生らしい袴を身に纏う久志は、呻き声をあげるだけで体を動かさない。
「っ待て逸叡!お前——」
目の前から蝋燭の火が消えるように掻き消えた二人の姿に、史興は言葉の行方を失った。
擦ったマッチの香りが鼻腔を侵す。
「マッチってほんま便利やんなぁ。」
次の香りは、少量の煙草の香りだ。この量ならば煙管かなにかだろう、と久志は確信する。再び呻き、背中に走る鈍い痛みから逃げようと地面を転げる。
「あー、やっぱ式神重いんなぁ。じっとしとって。」
ぐらつく頭に語りかけられ久志は瞳を開けた。薄暗い部屋に、蝋燭が一個だけ立てられている。背中に冷え切った手が置かれた。ゆっくりと痛みが和らぎ、久志は漸く肺に沢山の空気を取り入れた。
「まだ痛みます?」
ぐるん、と先よりも勢いよく体を動かすと、まるで芋虫を見る小学生のような体勢で逸叡が見下ろしていた。
「さ、坂本……。」
「おはよう。いうて十数分も眠っておらへんかったけど、流石大佐仕込みやなぁ。」
慌てて上半身を起こし、足で床を滑りながら後退する。腕に蝋燭の置かれた机が、がつん、とぶつかると、久志は驚いてその朱色に塗られた漆を振り返った。
「そんな驚かへんでも、取って食うわけじゃあありまへんし。」
「いや、そんなの分からないし……。」
さいですか、と逸叡はどっかりと地面に座った。そして、隣の畳をぽんぽんと叩く。
「咲口はん、なしてわいのこと攻めへんのか気にのうて。」
座れ、という事なのだろう。久志は戸惑いがちに視線を漂わせると、ゆっくりと、逸叡が叩いた場所より少し離れた所に座った。
「素直やないなあ、ええけど。」
「君は前から人を勘違いさせる事ばかりしてくるからね。」
そのおかげで何度史興を不機嫌にさせたか数え切れなかった。面白がって、逸叡は肩を震わせて笑った。
「そんな事言うとりますけど……まぁええわ。で?なしてわいに刀を振らんのか、教えてくれはりまへんか。」
喋るたびに、逸叡の口からゆるゆると煙が立ち上る。その行く先は闇だ。久志は目でそれを追いかけて、見えそうで見えない天井を見上げた。
「だって……、僕は君を敵だと思いたくない。」
膝を抱えて、久志はただただ虚空を見る。記憶は消せないし、消したくない。それゆえに、逸叡が坂本勇人として自らに接してきた日々を否定する事 など、到底無理であった。
「せやけど、佐藤は矢桐の事攻撃したやろ。島田はんも躊躇いなく。」
「そりゃ、島田は君の態度でいっつもストレス抱えてたし、柏葉閣下に関しては、僕らはさして関係ないし会った事なんてなかったじゃないか。でも僕にとって君は……。」
久志は言葉にしなかった。仲間か、それとも同じような命運を辿った同類か、親友以上恋人未満か、それともまた別の絆か。彼に判断はつかなかった。しかし、逸叡はそれで得心が行ったようだ。妙に真面目な声で、ふぅん、と下り調で鼻を鳴らすと、暫く黙っていた。
「……せや。咲口はんの技、見せてもろても構わへんやろか?」
そう逸叡が再びそのお喋りな口を開いたのは、蝋がだらだら盆の上に流れ落ち始めた頃だった。
「僕の技?……あぁ、竹伊は炎、みたいな。」
「せやせや。出来へんわけないんやろ?」
帰宅から夕食時まで、アルフレッドが根気強く四人を指導した賜物を見たいらしい。久志はむず痒そうな顔で、いつの間にか当たり前のように二人の間に置いてあった海軍軍刀を手に取った。
「でも……僕はあんまりこれ好きじゃなくて。」
「へぇ?それまたなんで。」
豪華な黄金の細工を撫で、久志はため息を吐く。
「だって、全然男らしくないんだもの。」
「せやなぁ。咲口はんそもそも男らしくあらへんしなぁ。」
危うく鞘に入ったままの軍刀で殴るところであった。史興に、可愛い、とか、綺麗、とか称されるのはまだ照れ臭いが、それでも博人や勇斗の男らしさを見ると、同じ軍人として少しコンプレックスであった。逸叡も逸叡で、身体に全く筋肉らしさを感じさせないが骨ばった手や浮き上がる喉仏は軍人とはまた違った、奥ゆかしい男らしさがあった。
「……。坂本、もしかして身長伸びた?」
座高を見て、久志は悟る。いつもなら久志と同じくらいの目線にある顔が、今はぐっと上にあった。
「気のせいちゃいますか?」
「いや、君がそう言う時は絶対伸びてるから。」
どうやら久志の体が女であるから、ではないらしい。久志は長々とため息を吐いた。
「で、見せてくれへんのか見せてくれるんかはっきりしてくれはります?」
「君って関西弁使うわりには随分と物言いがはっきりしてるよね。……まあ、そんなに催促してくるなら今回だけ特別ね。」
同じく煙の立ちゆく先を見ていた逸叡は、久志が出した答えににっこりと笑った。久志は膝の上に乗せていた軍刀を手に取り、刀身が僅かに見えるくらいに抜いた。
(……あぁ。)
桜色の輝いた刀身が、まるで鞘から溢れるように、ぶわり、と花弁になって音もなく破裂した。花弁は僅かに薄桃色の光を纏いながら、蝋燭以上に輝きながら辺りに舞う。手の甲に落ちた花弁をしげしげと見つめると、思った通りの桜の花弁の形がそこにうずくまっていた。
「綺麗やんなぁ。」
ぽつりと、それは至極当然のように溢れ出た言葉だった、ふわふわと暗闇の中を無限に漂う桜の花弁は、人々を夢現へと誘う夜桜を思わせた。
どのくらいの時間そうしていたのか。月の光も差さぬ暗闇の中で、二人は暫く花弁が落ちる様を見つめていた。全てが落ちきった後には、再び蝋燭の弱々しい光だけが部屋の中を照らした。
「ええもん見してもろたお返しや。これあーげる。」
中指から抜き取ったなにかを、逸叡は親指と人差し指でつまんで久志に差し出した。怪訝そうに眉をひそめた。それは金色の輪だった。手を差し出すと、ころん、と中に転がっていく。
「これは……。」
「あんさんが嵌めたらあかんのやで。すぐに飲まれてまうさかいな。外まで持っていきいや。」
言うや否や、ぱりん、とその輪は崩れた。途端に、久志の肩に鈍い重みがのしかかる。
「あぁ、急いだらええ、式神つけるさかい。はよ合流せんと。」
袖の中から人型の白い紙を取り出すと、逸叡はその頭に息を吹きかけた。見る見るうちに逸叡の指先を離れ、それは顔を白い紙で覆い尽くした直衣姿の男に姿を変えた。
「はよしいや。すぐ壊れるで。」
戸惑っていた久志は指環であったものを握って慌てて立ち上がった。式神に案内されるがままに、いつの間にか隙間の空いていた扉に向かう。
「……坂本。」
扉を押し開ける前に、久志は振り返った。
「僕達は、もう戦わないよね。」
立ち上がっていた逸叡は、久志を見なかった。
「……。そうさなぁ。」
煙管から立ちのぼる煙の先を、ただ夢現と見つめているだけであった。
慌ただしい足音を聞いて、全員が振り返った。式神に連れられて、久志が息を切らして走ってくる。到着するや否や、全員から労りの声を、史興からは心配性の声を聞いて、久志はうんうんと頷く。零達の一行も合流したようで、その中に姿が見受けられた。一通り言葉を交わすと、目の前の巨大な木の門が奥の方へ軋みながら開いた。
「お待ちしておりました、皆々様方。」
正座をする女性が一人、深々と頭を下げる。黒い髪が、肩を越してその脚に落ちていった。
「斎宮、葵と申します。以後お見知り置きを。」
紹介がある間にも、彼女の背後にある丸い鏡に、びしびし、と無数の亀裂が走っていく。
「斎宮様、その後ろの鏡は——」
「皆々様をお帰しする前に、一つお話が御座います。」
みしみし、と地面が揺れる。その場にいる全員が、確信する、この揺れは、帝國で感じたあの揺れと同じである。鼓動のような、世界を崩壊へ誘う揺れだ。
「その指環について、貴方様は如何ほどにご存知でしょうか。」
葵の仄暗く藍色の瞳が、零の赤い虹彩のある瞳を真っ直ぐに見つめた。
「特に。俺の創った世界を破壊する為の道具としか。」
「左様ですか。」
残念そうに目を伏せ、葵は中腰になって全員に背を向けた。玉串を掲げ、鏡に映す。
「零様。その指環がもたらすは、破壊ではなく破滅に御座います。ゆめゆめお忘れなきよう。」
鏡の割れる音と地響きの音が、葵の声を掻き消し始める。
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雪がちらついていた。びくりと体を震わせて起き上がる。
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どうやら看病されていたらしい。勇斗は久志の顔を見て、心底嬉しそうに洋室から駆け出していった。右手の筋肉が疲れきっている。見れば、ずっと拳を握り続けていたようだった。
「久志!大丈夫か!? 痛いところはないか?」
どかどかと余裕もなく入ってきた史興は、久志の開かれた手の中を見つめた。
「久志、それは……?」
「これ、坂本から貰った奴……。」
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