神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。』(RoGD Ch.4)

Verse 2-38

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 もじもじと、零はジークフリートのいる休憩室の扉を開いた。

「似合ってるじゃないか!」

「こんな服着るの久し振りだよ……!変じゃ、ないかな。」

 タキシードを着た零は、いつもよりもきっちりと髪の毛をセットしていた。ネクタイやジャケットの裾をいじりながら、ジークフリートに近寄る。

「大丈夫だ。ネクタイも曲がってないし……靴に埃もない。完璧だぞ。」

 頬を軽く叩いて、ジークフリートは自信無さげな零に微笑んだ。

「僕はおかしくないか?襟の折り目とか。」

「ジークはなにもしなくても完璧だよ。」

 一度零の柔らかく赤い唇を奪って、ジークフリートは彼の手を引いて休憩室を出る。既にダンサー達がドレスアップして控えていた。

「オケはジークと指揮者さんだけなんだっけ?」

「あぁ。オケコンサートなら首席奏者全員とかになるんだが、今回はバレエだからな。」

 ふーん、と零は少し頭が混乱したままなのか興味なさそうに返した。ジークフリートはその柳腰に腕を回した。

「さ、胸を張ってくれとは言わないが肩は開いててくれ。」

 そしてすぐ横にあった耳元に唇を寄せて、そっと囁く。

「僕のミューズ。」

 零が振り返る間もなく、観衆が待機するダンスホールの扉が向こう側に開かれ、薄暗かった廊下に一気に光が差し込む。観衆の中にはダンサーや楽団員の家族だけではなく、多くのスポンサーもいた。恥をかかせるわけにはいかない、と零はジークフリートに押されるままに前を向いて歩き出した。人前に出て、堂々としているのは得意分野だ。嫌というほどにバスカヴィルの陰で教わってきた。拍手と口笛の嵐の中を歩き、ホールの全貌を見下ろせる室内バルコニーへの階段を登る。全員が登りきると、零は少し隣に目をやった。並んでいるのは、マイクを持つ学院長とその夫、振付師、オデット・オディール役のくぐいと王子役のダンサー、そして指揮者の夫妻。その次が最後のジークフリートである。大トリとは、と零は少し冷や汗をかいてジークフリートの顔を瞳だけ動かして覗いた。流石に場数をこなしているだけあって、ジークフリートはいつもの貴公子の顔で立っていた。しゃんとしなければ、と零はジークフリートの隣で心持ち背を伸ばす。院長の前口上が始まった。多くの体によって音が遮られ、零の耳にはよく届かない。

(なにも喋らないとはいえ緊張する……。)

 影に隠れた左手でジークフリートのタキシードの裾をつまむと、ジークフリートは前を見たまま零の腰を二度ほど叩いた。マイクが受け渡されていくのを静かに待ちながら、零はただただ過ぎる時を待つ。真隣でついに指揮者のスピーチが終わった。ジークフリートにマイクが渡ったのを見て、手に汗を握る。観衆の拍手が鳴り止むと、ジークフリートはマイクを口に寄せた。

「本日は、セレモニーの為にお集まりいただき有難うございます。」

 礼を言って、マイクを少しだけ離した。大衆の頭が上がるのを待つ。

「再びこの楽団に招待され。新旧含めたメンバー達と共に、彼の指揮の下で白鳥の湖を演奏する事が出来る事を心から喜びました。皆様もご存知の通り、先日は痛ましい事件がありましたが、多くの心添えのおかげでこのように、セレモニーで皆様に顔を見せる事が出来て、安心しております。」

 ジークフリートがはにかむと、聴衆も少しだけ笑った。咳払いをして、至極冷静な顔に戻る。

「また、日本有数の名門バレエ学校の本年のプリンシパルが演ずる第一公演のコンマスを務められる事を誇りに思います。この度の白鳥の湖は、僕の中で初めて、真正面からオデット・オディール、そしてジークフリート王子と彼らの愛に向き合った苦難の連続でした。まだこれからも、産みの苦しみは続くと思います。ですが――」

 ちらり、と孔雀青の視線が、一瞬だけ隣ですました顔で立つ零に注がれる。

「ですが、以前と違い、今はやり遂げられる事を確信しています。」

 唾を飲み込む。先の視線に気付いて、零がジークフリートの横顔を見た。

「今回僕が弾くヴァイオリンソロは、白鳥の湖の顔と言えるチャイコフスキーのあのテーマは、いつ、いかなる苦しみの時も僕の隣にいてくれた彼に。僕のミューズに捧げます。」

 ほんの一瞬の出来事だった。マイクを下ろしたと同時に、ジークフリートは零の腰からするりと腕を抜いて、零の空いていた右手を持ち上げて、その甲に、紳士的なキスを落とした。



 浮ついたオーケストラの団員達に紹介された後、零は恥ずかしさのあまり逃げるようにホールの隅っこへ行って休んでいた。その恥じらいは決してそれは零の尊厳を傷つけるものではなく、嬉しさくる恥ずかしさだと零は分かっていた。

(ずるい~~っ!![#「!!」は縦中横])

 天井を仰いで顔を両手で覆う。今、ジークフリートは団員達やスポンサーに囲まれてシャンパン片手に歓談を楽しんでいた。

(……自分に自信が持てたらなあ。)

 嬉しいと同時に、人に囲まれても壁の華を決め込む事なくコミュニケーションできるジークフリートが羨ましく、眩しかった。零は自分に自信がないわけではない。しかし、このようなパーティの場では別である。

「はぁ。」

 ジークフリートは強要をしない。だからこそ、零を無理矢理社交の人間関係の前に引き摺り出して横に侍らせ、必要以上に見せびらかす事もしないのだ。

「あの。」

 壁の出っ張りに体を押し付けて、背筋の凝りをほぐしていると、隣に音もなく女子が立っていた。手にはマスカットジュースが入ったらしきグラスが置かれている。

「えっと、貴方は……。」

 くぐいです、と小さな声で挨拶をする。膝丈のエンパイアラインドレスの裾を持ち上げて、一度頭を下げる。

「くぐいさん……って今回の主役の。」

「はい。」

 にっこりと微笑まれて、零は狼狽えつつ頭を下げた。

「ジークならあっちにいますよ。」

 どっと笑いが溢れた集団を指差すと、くぐいはすぐに首を横に振った。

「いえ、私は貴方に用があったんです。」

「え、俺ですか……。」

 再び、くぐいは頷いて微笑んだ。手持ち無沙汰の零は、両手の指を絡めながら彼女のシニョンを飾り立てる白と黒の羽コサージュを見つめる。

「その、ジークフリートさんとはどのようなご関係なんですか?」

 直球に聞かれて、零は口から蛙が踏み潰されたような声が出かけた。少したじろぎ、先ほど指し示したジークフリートの囲われる集団へ目をやる。

「言えないようなご関係なんですか?」

「あ、いや、えっと……。」

 詰め寄られて、零は両手を前に出して少しだけ仰け反る。

(そういえば、この子ジークの事好きなのか。)

 左から靴音が寄ってきて、零は半歩下がって背筋を伸ばす。シャンパングラスを持ちながら歩み寄ってきたジークフリートが横に立つ。

「零、どうした?」

 なんの恥じらいもなく腰に手を回し、ジークフリートはくぐいを見ていた零の顔を覗く。

「えっと、俺とジークの関係を聞かれてて。」

「それだけ?」

 悪戯っぽく笑うジークフリートに、零は素直に頷いた。微笑みがすっと消える。

(そんなの教えてやればいいじゃないか。)

 覗いていた顔が、零の背後にある円形のテーブルに移された。シャンパングラスが置かれる音がする。

(でもこの子お前の事好きなんでしょ?)

 見上げた零の顔に映ったのは、知ってる、と言わんばかりに伏せられた瞳と強気な高貴さをたたえる弓なりのブロンドの眉だった。

「僕と彼は長年の友達で、恋人同士だ。」

 残酷だ、と零は眉を寄せてくぐいの視線から顔を逸らす。

「それで、他に何か?」

 歓談の疲れを癒すように、ジークフリートは視線をくぐいに注いだまま零の黒髪に鼻と唇を寄せる。

「い、いえ。……別に。」

 くぐいはそのまま半歩後ろに下がると、くるりと振り返って併設された庭のパーティテントへ走っていった。その背中を見送って、零はジークフリートを見上げる。

「良かったの……か?」

「あぁ。」

 パーティテントの方を見つめたまま、ジークフリートは零の腰を更に抱き寄せる。

「……さあ、僕と一緒にいよう。また変に話を振られたら困るからな。」

 一度、愛しそうに零の黒髪に頬擦りして、ジークフリートは先程の団員達の囲いに連れていった。

 * * *
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