神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。』(RoGD Ch.4)

Verse 3-5

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 フェリクスとエカチェリーナ二世はまだ別に話す事があるので、と零は温室を追い出された。フェリクスが一人住む屋敷より、何名かのツァーリとその家族が住む屋敷はずっとゴーレムの行き交いが激しい。零はゴーレムが運んでいる書類や物品を流し見しながら、廊下や書庫を貪るように歩いていた。

(……ここは。)

 大分長い時間歩いたところで見つけた、少しだけ開いている木の扉を押す。どことなく見た事があると思えば、映画ではよく使われるセットと殆ど相違なかった。

(ニコライ二世の執務室、だっけ。)

 高い天井まで、壁には一面本という本が並べられていた。その手前には高いところでも手が届くようにきちんと廊下が作ってある。ラテン語からドイツ語からフランス語まで、ニコライ二世がカバー出来た多くの欧州言語の本が棚の中に敷き詰められている。

「うわっ!」

 左の方から本の山が崩れる音がして、零は一歩退いた。先程聞いた話ではニコライ二世は屋敷を長期で空けている筈である。それに、聞こえた声は彼よりもずっと幼い少年の声だった。執務机を回ってその裏を見てみれば、確かに少年が一人、崩れた本の山を立て直そうと必死に本を抱えていた。

「えっと……手伝お……手伝いましょうか?」

 本を抱えたままの少年はか弱い腕で山を抑えながら振り返った。成程、と零は納得いく顔で内心頷く。

「だ、大丈夫です、一人でも……。」

「ですが皇太子殿下、それでは山を直そうにももう手が埋まってますよ。」

 いそいそとアレクセイ皇太子の隣に寄って、零は片膝をついて本の山を押さえた。もう片方の手で先に抜けそうな真ん中の本を向こう側に押しつつ、ゆっくりと一番下の本を床にしっかりとつけた。

「こんなに積んでしまうと倒した時に大変ですよ殿下……。」

「えっ、あっ……。そ、そうですよね。父の蔵書なので、倒したら大変な事に……。」

 アレクセイは直された山を少しだけ崩し、一つの山を二つに分けた。零もまた、隣にあったもう一つの山を二つに分ける。

(これは……医学書? 薬学なのか……。)

 いかにも古そうな革表紙の中には、薬草と見られる植物のスケッチが沢山並び、細かい字で説明が書いてあった。恐らく、今開いているのはラテン語のものだ。

「えっと。悠樹零、でしたよね、お名前。ありがとう御座います。」

「あぁ、はい。お役に立てて嬉しいです。」

 にこっと微笑むと、アレクセイは恥ずかしそうに本で鼻先から下を隠した。

「父から、話は少し聞いています。」

「それは光栄です。」

 少し強張っていた肩を解いて、アレクセイは目を閉じて、ふう、と息を吐く。

「すいません、初対面なのに。突然こうやって現れて助けて貰うと、とある人を思い出してしまって。」

 すぐに本を顔から離し、アレクセイもまたにこりと、清純な微笑みを浮かべた。その顔にはどこか憂いがあり、それがアレクセイの身体年齢よりも大人びた雰囲気を感じさせた。

「姉が今日話してました。エカチェリーナ様とお話なさってたんですね。」

「えぇ、それなり古い仲で……。えっと、アレクセイ殿下は、これは……。」

 近くに置いてあった金木犀の香りがする栞を挟んで、アレクセイは持っていた本を閉じて緑色の絨毯の上に重ねた。

「はい、薬学を齧ってます。ただの好奇心ですけど……抗生物質とかはまだ難しくて、植物そのままで作る薬しか学べてませんが。」

「いや、それでこれだけ分厚い本を読んでるのは素晴らしいかと。全てお父上の蔵書なんですか?」

 ずらりと皇太子を囲む本の中に、先程までアレクセイが読んでいた本が加わる。

「えぇまあ。父もこちらに来てから知った本が多いので、果たして生前から持っていたどうかは……。」

 立ち上がって、アレクセイは尻についた埃を叩いた。膝をつく零を見て、ニコライ二世の執務室を見渡す。

「丁度姉が戻ってきたら昼食にしようと思っていたんですが、もしよろしければ一緒にどうでしょうか?」

 零は少し驚いた顔でアレクセイを見上げると、一度だけ執務室の扉の向こうを見た。恐らく、フェリクスとエカチェリーナ二世の話は暫くかかるだろうし、別にこちらで昼食を摂っても怒られる事はない。

「そう、ですね。よろしければご一緒しますよ。」

「良かった! 色々聞きたいお話が沢山あるんです! 行きましょう、行きましょう!」

 立ち上がるや否やアレクセイは零の手を握って、本の山もそのままに執務室から引っ張り出した。アナスタシアの私室までの道中、アレクセイは父から伝え聞いたらしい話から生まれた様々な疑問を零に投げかけた。神の仕事はどうだの、日本はどんな場所なのかとか、プロイセン王国での活躍ぶりについてとか、取り敢えず零はその質問に逐一生真面目に答えた。

「殿下、殿下。ここなのでは?」

 そのままアナスタシアの部屋であろう扉をすり抜けてしまい、零は慌てて引っ張られていた腕を逆に引っ張った。

「あっそうですすみません! お話に夢中になっちゃってて……。多分もう散歩からは帰っているので、テニスか射撃か乗馬をしていなければこの部屋で休んでいると思うのですが……。」

 何度かノックをしてみるが、返事はない。しんとしていて、部屋からの物音の一切は聞こえない。

「お、おかしいな。姉さんは散歩の後は大抵部屋なんですけど……。」

「散歩の後に行く場所はありますか?」

 白い扉には、Анастасияと掘られた金色のプレートが下がっている。顔がくっきり映るまでピカピカに磨き上げられたプレートをなぞって、零はアレクセイを見下ろした。

「あっ、そういえばたまにシャワーを浴びて、ます、けど……。」

 アウトドアなアナスタシアの事である。きっと犬との散歩一つとっても、かなりの運動量に違いない。シャワーも当然浴びるだろう。しかし、だからといってシャワーの出待ちをするわけにもいかない。

「殿下、食堂に参りましょう。」

「えっ、シャワー室に行かないんですか?」

 いやいや、と零は流石に頭を振った。確かに零は女性やその体に興味はないが、だからと言って淑女の、しかも皇帝の娘の風呂上がりなど目に入れれば一体どこから大目玉を食らうかたまったものではなかった。

「殿下、姉上様も一人の女性ですので……俺は家族じゃないので……お聞き分けを……。」

「わ、分かりました……。」

 申し訳なさそうに頭を下げるアレクセイに安堵の息を密かに吐いて、零は背を向けた。歩き出そうと足を浮かせたところで、ふと手に温もりのあるなにかが触れた。アレクセイの方を振り返ってみれば、気恥ずかしそうに頬を染めて俯く皇太子が、一瞬だけ伸ばした手を胸の上で抑えている。

「すみません! つい癖で。」

 一体どのような癖なのか、零は尋ねてみようとしてやめた。もう一度アレクセイに背を向けて、手を数度結んだり開いたりして見せた。

「構わないんですか……?」

「手を繋ぐくらいお安い御用ですよ。」

 にこりと微笑んでみせると、アレクセイは途端に顔を輝かせて零の手を握った。彼の手はその少年のままの体の通りでとても小さい。

「いつもお父上はこうやって?」

「えっ!? いえ。父も、やってはくれますが……。」

 俯いて、アレクセイは小さく唸る。しかし、黙ってそれを見守っていた零に気付いたのか、すぐに顔を明るくして上を向いた。

「ほら、早く食堂に行きましょう! もしかしたらもう姉上は待ってるかもしれませんし。」

 零の前に出て、アレクセイはぐいぐいとその腕を引っ張る。返事をする間も無く、二人はニコライ二世の書斎を後にした。
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