神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第一巻『この幻想が 薔薇色の誇りに なると信じて。』(RoGD Ch.2)

Verse 2-6

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 日曜日、アルフレッドの診察を終えたフィリップは、レイとともに談話室のベランダで涼んでいた。談話室の中では生徒達が思い思いの時間を過ごしている。

「俺とジャンは敵対者……というか、俺がジャンを売り飛ばしたんだけどよ。」

 おもむろに口を開いたと思えば、フィリップはそんな事を話し始めた。というのも、レイが先程二人の異常なまでに濃い仲が少し気になると漏らしたからである。

「売り飛ば……?」

 オレンジジュースの入ったグラスの縁をなぞると、美しい均一の音色がフィリップの指先から生まれた。遠くにある初夏の森が、風によってざわめく。フィリップは自嘲気味に笑った。

「お前、フランスの聖女ジャンヌ・ダルクは知ってるだろ? ジャンはそれの兄で……妹の代わりに戦場に行ったんだ。生きたまま火炙りにされたのもあいつだ。そんでもって、その火炙りの根本的な原因が俺だ。」

「ひでぇな。」

 だろ、とフィリップは鼻で笑う。

「でも俺はそうしなきゃ生きていけなかった。ブルゴーニュ公国の王として、俺は人間一人の命と引き換えに多くの農民を守るほうを選んだわけだ。……正直恨まれてるもんだと思ったけどよぉ、あいつ案外最初は嫌悪感剥き出しだったくせに少したったらすっかりケロッとしてやがんの。内心腹立つわぁありゃ。とんだ自己犠牲野郎だ、妹が火炙りにならなかっただけいいと思ってやがる。ハラハラしたこっちが馬鹿みたいだぜ。」

 また一層強い風が吹き、レイとフィリップの髪を揺らした。

「ま、そういう関係だ。もっと知りたい事がありゃフランス史でも勉強してくれ。」

「あぁ、その内な。」

 レイは手の中でグラスを弄んで、ゆっくりとため息を吐いた。そして、一度低く低くゆっくりとフィリップに尋ねる。

「なぁ、ヨハンとは、何の関係もないよな?」

 白ワインをあおったフィリップは、一度美味そうに息を吐くとレイに向き直った。

「ないね。そもそも俺あいつの事あんま好きじゃないんだわ。お前を紹介される前にたまたまジャンといた時に会ったけどよ。……なんか分かんねぇけど俺ヨハンの事はあんま好きじゃねぇんだ。分かんねぇけど。直感的ななんかだよ、近寄りたくねぇ。あの存在自体に。」



「おやすみ。」

 アルフレッドはベッドの中で読んでいた医学書を脇のテーブルに置いてランプを消した。涼しい夜風が窓から入ってくるのを、暗い部屋で感じる。暫しの沈黙の後、レイは重々しい口調でアルフレッドに投げかけた。

「なぁ、アルフレッドは、昔ヨハンと何かあったのか?」

 布団の中で動いていたアルフレッドは、動きを止める。眼鏡をすっかり外し忘れていたのに気付いて、彼は眼鏡を取りながら深いため息を吐いた。落ち着いた橙色の髪の毛を搔き上げながら、アルフレッドは困惑した口調で言う。

「否定はしないよ。でも、彼についての言及は僕は避けたいかな。」

 レイは口を噤んだ。夜風で舞うカーテンの音だけが暫く部屋に響いている。

「おやすみ、レイ。」

 アルフレッドは、もう一度だけそう言った。会話を無理矢理終わらせるように。

 * * *

 それは夏の休暇に入る前の出来事であった。恐らく、レイの記憶には一生残り続ける事件の一つであろう。

「それじゃあまた後で。」

「遅くならないうちに帰ってこいよ。」

 昼食を終えてレイとアルフレッドは別れた。レイはこれ以降講義はなかったが、アルフレッドの一日はまだまだ終わらないらしい。日はすっかり高く昇っていた。日差しを避ける為にノート一冊を頭の上に掲げ、レイは教員棟のエントランスに駆け込んだ。教員棟とは、士官学校で講義を開いている軍人達が支度をしたり休憩をしたりする建物である。

「おっと、今日は一段と暑いね。」

 駆け込んで早々、レイはだれかの体に盛大に体当たりした。よく聞いた事のある声が頭上から聴こえてくる。艶やかな黒い髪を揺らして朗らかな笑みを浮かべるその軍人は、ゆっくりとレイの体勢を立て直させた。

「もう今日は講義はないのかな?」

「親……元帥閣下。」

 呆れたような声を上げたレイに、バスカヴィルは続ける。

「もしよかったら私の部屋でお茶でも飲むかい? 私も丁度これから暇なんだ。」

「は、はぁ。よろしければご一緒させてください。」



 バスカヴィルの準備室に入るのは初めてであった。大抵、用事があっても部屋の外で会話をするからだ。それが息子であっても、彼は決して例外を許さなかった。かといって、レイ自身は別に彼の部屋に興味はない。たまたま入れただけ幸運だと思うくらいである。

「紅茶はダージリンしかないけど、レイはダージリンが好きだからいいかな?」

「構いません。」

 窓からさんさんと日差しが差し込むのを見て、バスカヴィルは絹のレースカーテンを素早く閉めた。ダージリンも勿論、缶で密閉した茶葉を使って淹れる。蓋を開けた瞬間に、部屋にダージリンの高い香りが舞った。既に沸かされた湯がティーポットの中に注がれていく音が部屋を満たし、レイは肩の力を抜いて書斎机の向かいにあったソファーに座る。

「お茶菓子は? この間のパーシヴァルの差し入れでクッキーと……そうだ、ケーキがあったな。レイの好きなモンブランがあるよ。」

 冷蔵庫を開ける音を聞いて、レイは居たたまれなくなりソファーから立ち上がった。簡易的なキッチンの中で、といっても普通の一軒家と比べれば大分立派なものであったが、バスカヴィルがせかせかと動いている。

「何か、手伝うか……?」

 キッチンタイマーの音が台所に響くと、バスカヴィルは紅茶ポットを手に取った。既に温められたティーカップに、高い位置からなみなみと紅茶を注いでいく。

「いいよ、ソファーに座ってなさい。学校生活はどうだい? 何か不自由なところは?」

 まるで家族のようであった。いや、実際家族ではあるのだが、学校内でバスカヴィルが彼を息子として扱う事は全くといっていい程なかったのである。レイは久しく感じていなかった父の思い遣りを感じてキッチンから身を引いた。

「そういえば、寮生活が始まってなかなか話してなかったね。元気かな?」

 バスカヴィルが運んできた盆の上には、二つのティーカップとベリータルト、モンブランが並んでいた。

「まあ、元気じゃない事はない。」

「曖昧だね。お友達は? 新しい友達は出来た?」

 モンブランの栗をつついて落としたレイは肩を竦める。

「まぁ、フィリップとか……アルフレッドとか。」

「フィリップ? ロベルトが手を焼いていると聞くけど……。アルフレッドはとても優秀な子だね。私は医学に関してさっぱりだけど、彼の説明はとても分かりやすいよ。」

 角砂糖を三個投入して、レイはティースプーンで中身を掻き混ぜた。バスカヴィルは紅茶を濃いめに出す人間であったが、レイに合わせて少し薄くなっている。

「そういえば、そろそろ初めの方の試験結果も分かる頃かな?」

「どうせ全部知ってんだろ……。」

 力任せにモンブランにフォークを入れて、レイは観念したように肩を落とす。聡明な父を持つと息子は苦労するものであった。特に、同じ道を進もうとするレイに関しては。

「悪くない出来だと思うし、後半の試験の結果も楽しみだね。」

 教師の顔をしたバスカヴィルは、音もなく紅茶を啜る。黒い髪が頬にかかる様、足を組んでティーカップを持ち上げる様、どの一挙動を取っても、この男はまるで古代ギリシアの大理石像のように見事なまでの出来であった。

「そうだ、レイには浮いた話はないのかな?」

「なんで男だけの士官学校入ってる間に浮いた話なんか発生させなきゃいけないんだよ……。」

 冗談だよ、とバスカヴィルは朗らかに言ったが、レイの耳には非常に真面目な話に聞こえたのである。半眼になってレイはモンブランを掻き込んだ。バスカヴィルの息子とは思えないほどの荒々しさである。



 長らく話し込んで、気付けば空は橙から藍に色を変えようとしていた。レイはバスカヴィルに別れを告げて、夕方の敷地内を歩いていく。殆ど人影はなく、監督員が道を歩いているだけであった。いくら夏とはいえ、この時間の山中は酷く肌に堪える。レイが足早に石畳を歩いていると、後ろから肩を叩かれた。アルフレッドだろうか、とレイは振り向こうとした瞬間、頭に強い衝撃を受けてその場に倒れ伏す。辛うじて視界に入ったのは、士官生制服の複数のブーツであった。
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