神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第一巻『この幻想が 薔薇色の誇りに なると信じて。』(RoGD Ch.2)

Verse 2-25

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 牢獄の中に一人の黒い青年がやってくる。僅かに溢れる日の光が青年の姿を映し出した。艶のある黒い髪が夏の暑い風に揺れて、冷えたアイスブルーの瞳は目の前でだらしなく頭を垂れているレイに向けられていた。

「よう。」

 小さくフィリップが言うと、レイの垂れた手が僅かに動く。見事に鍵を蹴り壊して、フィリップは獄の中へ入っていった。レイの前に屈んで、フィリップはその顔を覗き込む。何度か脱出に成功しているようで、その顔にはまだ血の気がある。

「興味本位で来てみたらよ、俺の次はお前かよ。」

 怪訝そうに視線をフィリップの方にやると、フィリップはレイの鼻先に銀色のピンを出した。なにも言わずに立ち上がり、フィリップはレイの手首についている錠の鍵を軽々と外す。倒れかけたレイを抱えて、フィリップは肩に彼を担いだ。

「俺みたいなのが友達なのに感謝すんだな。」

 レイの体重は軽かった。当たり前である、三日間なにも食べていないその体が軽くならないわけがない。胸の上にあるレイの唇が微かに動いた。掠れた声がフィリップの耳に届く。

「フィリップも……こんな講義を?」

「おうよ、四年の後期にな。」

 にやりと笑って見せたフィリップの顔を見て、レイも力なく微笑んだ。昼間であるにも関わらず薄暗い森の中を、フィリップはまるで鳥のように枝から枝へ飛び移る。そうして見えてきたのは、レイの寮室の窓だった。窓ガラスを叩くと、講義帰りのアルフレッドがショルダーバッグを掛けたまま窓を開けて出迎える。

「凄い所から来たね!?」

「つべこべ言わずに部屋に入れろや。」

 アルフレッドが答える前にフィリップはずかずかと部屋に入っていった。

「レイは?」

 ベッドにレイをそっと横たえて、フィリップは洗面所で手を洗い始める。

「まぁ衰弱はしてるけど大丈夫じゃねぇか? 治してやれよ、軍医志望なんだろ。」

「当たり前だよ……。」

 クローゼットから救急箱を取り出して、いつものように鞭打ち傷や火傷の手当てをしながらアルフレッドはため息をついた。フィリップが手を拭きながら戻ってくると、レイはすっかり手当てされながら寝息を立てている。

「僕達が試験受かったらこの制度廃止すべきだよね。」

 深刻そうに眼鏡を上げたアルフレッドに、フィリップは肩を竦めた。

「無理じゃねぇか? 今年も元帥志望はいねぇんだろ。」

 もう一度重々しいため息をついて、アルフレッドは頭を振る。フィリップはすたすたと窓へ歩み寄り、その窓枠に足を乗せた。後ろを振り返り、レイを見守るアルフレッドの背中にフィリップは声をかける。

「なぁアルフレッド……。やっぱなんでもねぇや、レイの事ちゃんと診てやれよ。」

 アルフレッドが振り返った時には、既にフィリップは森の中であった。枝から枝へ、木から木へ、フィリップは飛び移る。特別必修科目で最も逸脱した講義を受けるのは将軍志望だけではない。中佐志望、つまり諜報隊長志望はあらゆる場所から機密情報を抜き取り、それを指定教官に渡す事が単位認定の基準である。フィリップは腕に自信があった。しかし、その内容を見て心を揺らがない程強くはない。眼下に崖がある。木の上から、崖の下の湖をじっと見つめている。フィリップは全てを知った。この講義を通して、近しい者達の重い過去も、前世も、隠しおおせたい真実も。全て頭に叩き入れてここまで来た。

「アルフレッド、レイは……。」

 風が一層強く舞う。緑色の木の葉が散り、湖が波を立てた。枝の上に座り込んで、肘をつく。レイの幼少期の過去は未だ彼は手にした事はなかったが、士官学校の中でレイの身に起きた事は全て知ってしまった。

「レイは……鳥籠から逃げようとしてんだな。」

 * * *

 五年次には実質的に休暇はなかった。家に戻る者はごく少数で、だれもが授与試験の為に勉強し始める時期である。寮室にこもり、図書館にこもり、自習室にこもり、必死に鉛筆を動かしていた。バスカヴィルも、この年ばかりは屋敷に帰る事なかった。おぼつかない足取りで元帥室で向かう途中で、なにもない廊下で躓いて転びかける。

「閣下!」

 その右腕をロベルトが掴んだ。体を支えて、ロベルトは憔悴しきったバスカヴィルの顔を覗き込む。

「閣下、俺がやります。」

 肩を支えようとしたロベルトの手を、バスカヴィルは払いのけた。まるで銃声のような破裂音が廊下に響く。ロベルトは目を見開いた。瞠目した瞳を、バスカヴィルは冷めた目で見返す。

「私が、いつ、お前にやらせると?お前には絶対にやらせないぞ、ロベルト!」

 息絶え絶えに言い放ち、バスカヴィルはロベルトの懲りずに伸びてくる腕を振り払った。怒りに任せて大股で歩き、準備室の扉を開け放つ。中ではパーシヴァルとニコライが額を突き合わせていた。音に驚き、二人は立ち上がる。

「元帥閣下!」

 思わずよろめいたところを、ロベルトがすかさず支えた。立っている二人に、バスカヴィルは手を挙げて応える。

「お見苦しいところを……どうぞ座って下さい。」

 ロベルトとニコライに支えられて、バスカヴィルもまたソファーに座る。お湯を持ってくる、とニコライはキッチンへ姿を消した。バスカヴィルは深いため息をつく。この頃、食事は喉を通らず一日に腹を埋めるのは紅茶一杯、書類はタイプミスだらけ、講義に現れてもたまに手が止まる、など多くの話が三人の耳には入っていた。口火を切ったのはパーシヴァルである。

「ヴィル、貴方は休んだ方がいい。後はロベルトに——」

「嫌です。」

 頭を抱えてバスカヴィルは頭を振った。湯の入ったコップを持ってきたニコライは、そんな彼を見て鋭く一言言う。

「ヴィル。」

 咎めるような視線に、バスカヴィルは動きを止めた。一度だけロベルトを見て、バスカヴィルは疲れたように息を吐いた。

「……分かったよ。」

 ニコライとパーシヴァルは目配せした。

 * * *
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