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第一巻『この幻想が 薔薇色の誇りに なると信じて。』(RoGD Ch.2)
Verse 3-21
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バスカヴィルはかつて皇太子であった。皇族の長男として、異母兄弟とはいえ唯一の弟であるフランシスの兄として、優秀な教育係に恵まれ立派に育った皇太子であった。両親から一心に愛情を注がれ、帝國史上最も民衆から待望された皇太子と言っても過言はなかったかもしれない。婚約者もいた。当時貴族の中で最も可憐だと持て囃された公爵息女、マリアである。なにもかも万事上手く行っていた。弟を、悪魔が襲わなければ。
目の前に滴り落ちているのは血だ。若いながらに、バスカヴィルはそれを悟った。血まみれになった手と、血の滴り落ちる銀食器を持っているフランシスを見て、彼は後ずさる。
「フラン、シス……?」
薄暮色が弟の瞳を包み込んでいた。ゆっくりと首だけでバスカヴィルの方へ振り返った彼の顔は、なんの感情も示さない表情を浮かべている。バスカヴィルは走り出した。重いマントを廊下で脱ぎ捨てて、神官達を押しやって、やっと彼を止めたのはアメジストのマントだった。
「ヴィル!」
その時、若くしてその青年は分家当主の座を頂いていた。クラヴェーリ、それが当主の名前である。海苔色の髪を揺らして、クラヴェーリは脇を駆け抜けようとしたバスカヴィルの腕を掴んだ。
「めっちゃ取り乱してるじゃねぇか!」
美しい黒い髪を振り乱して、バスカヴィルはクラヴェーリを涙を浮かべて見つめる。神官の女が一人、謁見の間で叫び声を上げたのが聞こえた。神官達がそちらへ駆けていく。バスカヴィルはその理由を知っていた。不思議そうなクラヴェーリに、バスカヴィルは首を振る。首を掻き切られた両親の事はもう思い出したくない、そう言わんばかりに。一七七三年、二人が十二歳の冬であった。
* * *
ロビンは目の前にいる若い皇太子の話を聞いて眉間に皺を寄せていた。十五歳の誕生日、バスカヴィルはお付きの神官であるロビンにもう一度決意を口にする。
「僕は皇太子を退位するよ、ロビン。」
三年間、両親の死体が脳裏に焼き付いて離れなかった。三年間、白銀の上にべったりと塗りたくられた両親の血が瞼に焼き付いて離れなかった。夢にも出て何度もうなされた。そんな彼にクラヴェーリが提案したのだ。皇太子もなにもかもやめて、一緒に暮らさないか、と。
「皇太子殿下。貴方が退位なされば、貴方の弟君が皇太子になります。」
知っているよ、とバスカヴィルは微笑んだ。皇太子という地位に未練はない。帝國の政治も治安もさして興味はない。聡明ながらにして欲張りなこの皇太子はその日、只人となった。
* * *
クラヴェーリが所有する小さな屋敷で、バスカヴィルは日々を過ごしていた。宝石箱のように煌めく美しい湖、その向こう側に広がる広大な森。毎日狩りをして、読書をして、その小さな屋敷で彼はなに不自由なく過ごした。そんな平和なある日、クラヴェーリがその戸を叩いた。ゆっくりと扉を開け、バスカヴィルは傷だらけのクラヴェーリを見て驚愕する。
「どうしたんだクラヴェーリ!?」
「権力闘争って奴だぜ……ちょっと中に入れてくれ。」
今にも倒れそうなクラヴェーリに肩を貸して、彼はアメジスト色のマントを剥ぎ取った。白いゆったりとしたシャツの穴から見える痛々しい切り傷を見て、バスカヴィルは持ってきた救急箱から消毒液を取り出す。
「なぁヴィル、オレが分家当主を辞めたら士官学校行かね?」
傷口に薬を塗りたくるバスカヴィルに、息絶え絶えにクラヴェーリはそう言った。バスカヴィルはそんな彼に戸惑いがちな顔を見せる。
「ROZENに入るって?それは無理だよ。十七歳でしか入学出来ないんだろう?僕らはもうそろそろ十六歳だ。一年もないじゃないか。」
すっかり手当の終わった右腕をしげしげと眺めて、クラヴェーリはバスカヴィルに拳を出した。
「なぁに、オレ達天才の手にかかれば、入学試験なんてちょいちょいのちょいだ。」
バスカヴィルは、呆れたような微笑みで拳に答える。その数ヶ月後、クラヴェーリは分家当主の座を追われた。
* * *
寮室に入ると、一人の細身の青年が荷解きをしていた。シャンパンゴールドの髪の毛、透明感のある同色の切れ長の瞳。バスカヴィルが入ってきた事に気付いて、その青年はベッドから腰を上げた。
「ニコライだ。」
差し出されたその腕は酷くしなやかで、まるで芸術品のようである。陶磁器のように滑らかな白い肌は初雪のように美しかった。生憎、バスカヴィルはその肌に触れる事はできない。ニコライと名乗った青年は黒い手袋を嵌めていたからだ。
「バスカヴィルだよ。」
握手に応えた時、ニコライは少し驚いたような顔をする。挨拶を終えて、バスカヴィルはトランクをベッドの上に置いた。
「元皇太子が入学したのは、デマじゃなかった。」
苦笑したバスカヴィルに、ニコライはぎこちない微笑みを浮かべる。皇太子だから特別扱いはしない、ニコライはそう言った。つまりそれはバスカヴィルにとって、同等の人間として扱ってくれるという事であった。
* * *
ニコライと同時期に会った男が一人いる。優秀な軍門の家に生まれた、ロベルトという男である。たまたま席のなかった講義で隣に座り、二人は知り合った。強面な割に、ロベルトは少し気さくであった。卑屈な面も多々見られたが、それはきっと彼の人柄なのだろう、とバスカヴィルは信じてやまなかった。
「あの男には付き合わない方がいい。」
バスカヴィルの口にロベルトの名前が登った時、ニコライは決まって不機嫌そうな顔をしてそう警告する。しかしバスカヴィルはロベルトと一緒にいる事をやめようとしなかった。彼は、人を疑う事が下手だった。
* * *
目の前に滴り落ちているのは血だ。若いながらに、バスカヴィルはそれを悟った。血まみれになった手と、血の滴り落ちる銀食器を持っているフランシスを見て、彼は後ずさる。
「フラン、シス……?」
薄暮色が弟の瞳を包み込んでいた。ゆっくりと首だけでバスカヴィルの方へ振り返った彼の顔は、なんの感情も示さない表情を浮かべている。バスカヴィルは走り出した。重いマントを廊下で脱ぎ捨てて、神官達を押しやって、やっと彼を止めたのはアメジストのマントだった。
「ヴィル!」
その時、若くしてその青年は分家当主の座を頂いていた。クラヴェーリ、それが当主の名前である。海苔色の髪を揺らして、クラヴェーリは脇を駆け抜けようとしたバスカヴィルの腕を掴んだ。
「めっちゃ取り乱してるじゃねぇか!」
美しい黒い髪を振り乱して、バスカヴィルはクラヴェーリを涙を浮かべて見つめる。神官の女が一人、謁見の間で叫び声を上げたのが聞こえた。神官達がそちらへ駆けていく。バスカヴィルはその理由を知っていた。不思議そうなクラヴェーリに、バスカヴィルは首を振る。首を掻き切られた両親の事はもう思い出したくない、そう言わんばかりに。一七七三年、二人が十二歳の冬であった。
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ロビンは目の前にいる若い皇太子の話を聞いて眉間に皺を寄せていた。十五歳の誕生日、バスカヴィルはお付きの神官であるロビンにもう一度決意を口にする。
「僕は皇太子を退位するよ、ロビン。」
三年間、両親の死体が脳裏に焼き付いて離れなかった。三年間、白銀の上にべったりと塗りたくられた両親の血が瞼に焼き付いて離れなかった。夢にも出て何度もうなされた。そんな彼にクラヴェーリが提案したのだ。皇太子もなにもかもやめて、一緒に暮らさないか、と。
「皇太子殿下。貴方が退位なされば、貴方の弟君が皇太子になります。」
知っているよ、とバスカヴィルは微笑んだ。皇太子という地位に未練はない。帝國の政治も治安もさして興味はない。聡明ながらにして欲張りなこの皇太子はその日、只人となった。
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「どうしたんだクラヴェーリ!?」
「権力闘争って奴だぜ……ちょっと中に入れてくれ。」
今にも倒れそうなクラヴェーリに肩を貸して、彼はアメジスト色のマントを剥ぎ取った。白いゆったりとしたシャツの穴から見える痛々しい切り傷を見て、バスカヴィルは持ってきた救急箱から消毒液を取り出す。
「なぁヴィル、オレが分家当主を辞めたら士官学校行かね?」
傷口に薬を塗りたくるバスカヴィルに、息絶え絶えにクラヴェーリはそう言った。バスカヴィルはそんな彼に戸惑いがちな顔を見せる。
「ROZENに入るって?それは無理だよ。十七歳でしか入学出来ないんだろう?僕らはもうそろそろ十六歳だ。一年もないじゃないか。」
すっかり手当の終わった右腕をしげしげと眺めて、クラヴェーリはバスカヴィルに拳を出した。
「なぁに、オレ達天才の手にかかれば、入学試験なんてちょいちょいのちょいだ。」
バスカヴィルは、呆れたような微笑みで拳に答える。その数ヶ月後、クラヴェーリは分家当主の座を追われた。
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「ニコライだ。」
差し出されたその腕は酷くしなやかで、まるで芸術品のようである。陶磁器のように滑らかな白い肌は初雪のように美しかった。生憎、バスカヴィルはその肌に触れる事はできない。ニコライと名乗った青年は黒い手袋を嵌めていたからだ。
「バスカヴィルだよ。」
握手に応えた時、ニコライは少し驚いたような顔をする。挨拶を終えて、バスカヴィルはトランクをベッドの上に置いた。
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苦笑したバスカヴィルに、ニコライはぎこちない微笑みを浮かべる。皇太子だから特別扱いはしない、ニコライはそう言った。つまりそれはバスカヴィルにとって、同等の人間として扱ってくれるという事であった。
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「あの男には付き合わない方がいい。」
バスカヴィルの口にロベルトの名前が登った時、ニコライは決まって不機嫌そうな顔をしてそう警告する。しかしバスカヴィルはロベルトと一緒にいる事をやめようとしなかった。彼は、人を疑う事が下手だった。
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