上 下
60 / 136
第二部 一章

第四話 猫が稽古をつける

しおりを挟む
「よろしくお願いします」
「……」

 無言だった。
 ミーミルはもう一度、挨拶してみる。

「よろしくお願いします?」
「よ、よろ、しく、お願いします!」

 パークスの部下が叫ぶ。
 声がジェイド家専用の練習所内に響き渡る。

「アベル殿」
「何でしょうか。パークス様」
「どうしてあんな事になってしまっているのですか」

 パークスは震える指でミーミルを指差す。
 そこにはいつも通りに裸同然のミーミルがいた。

「これにはとても深い訳がありまして」


 スパァン!


 アベルの言葉を遮るかのように、破裂音が鳴り響く。
 パークスの部下が持っていた木刀が斬り飛ばされた音だ。

「動きが固い! もっと機敏に!」

 ミーミルが檄を飛ばすが、それどころではない。
 伝説の英雄の身体のラインやら、目の前でたわわに揺れるものやら、木刀で木刀を切断する現象やらが同時にパークスの部下を襲っていた。

「はい……」

 そう返すのが精いっぱいだ。

「パークス様、訳をお話しましょう」

 エーギルがパークスに話しかける。
 その顔には邪悪な笑みが浮かんでいた。
 それに気づいているのはアベルだけである。

「剣皇様が生きていた頃は、あれが普通だったのです。遥か昔の話ですので、文化や技術に大きな違いがあるのは当然であります」
「し、しかし、さすがにアレは」

「じゃあ次!」
「は、はい!」

 パークスの部下がミーミルに近づいていく。
 その視線はミーミルにおっぱいに極限まで集中していた。

「あれは問題なのでは?」
「何の問題がありますか? 剣皇様は、昔ながらの方法で剣術訓練を行い。我々は、それに従っているだけです」
「た、しかにそうですが」


 スパァン!


 また破裂音と共に木刀の破片が宙に舞った。

「全然動けてない! 固まりすぎ!」
「はい……」
「次! ……全く。パークスの部隊はどうなってんだ」

 ミーミルは木刀で肩を叩きながら呟く。
 アベルやエーギルの部隊より遥かに動きが悪かった。
 ミーミルの前に来ると、木刀を持ったまま完全に固まってしまう。

 パークスは確か人に打ち込めないと言っていた。
 もしかしたらパークスの部下も、打ち込めない人間で固まっているのかもしれない。

「パークス!」
「えっ?」

「ちょっと来てくれ!」
「えっ!?」

 パークスはエーギルを見る。
 エーギルは笑みを浮かべたまま頷くと、木刀を差し出してきた。
 パークスは木刀を受け取ると、ミーミルの前まで進んだ。

 だが、まともにミーミルに顔を合わせられない。
 視界に入れられない。
 そんなパークスを見て、ミーミルはため息をつく。

「パークス、お前がそんなだからダメなのだ」
「は、はい」

「しっかりこっちを見るのだ」
「はいっ……!」

 パークスはミーミルを見る。

「――」

 頭の先からつま先まで痺れるような衝撃が走る。
 目の前で見ると、より強烈だった。
 部下が固まるのも仕方ない。

「パークス、顔が真っ赤だぞ? 体調が悪いのか?」
「いえ。問題はありません」

 パークスは木刀を構えると、ミーミルの顔に視線を集中させた。

 出来る限り下は見ない。
 ミーミルの顔をじっと見る。
 今までちゃんと見られなかったのだが、はっきりと顔を見る。


 剣皇は美しかった。


 整った目鼻立ちに、黒く輝く長い髪。
 まるで黄金のような金色の瞳を見ていると、吸い込まれるような感覚に陥る。
 猫の耳は、パークスの方向へ向き、僅かな音も逃さぬようにぴくぴくと動いていた。

「何かさらに顔が赤くなってきてないか」
「大丈夫です!」

「なら、打ち込んでみろ。こっちからは攻撃しないから」
「そんな、恐れ多い……」

「この場所では誰もが平等だ。上下関係なんか無い。気にせず打ち込め」
「万が一、怪我でも負わせてしまったら、申し訳が立ちません」

「気にするな。木刀如きでは痣もできんよ」
「前もそう言われましたが……にわかには……」

「えーい、うじうじしない! さっさと打ち込め! 皇帝命令!」

 ミーミルの初めての皇帝命令は『自分に打ち込め』だった。
 もう少し特別な事で使いたかった気もするが、まあいいだろう。

 ミーミルはそう思った。

「で、で、で、でやああああああ」

 剣を振りかぶると、パークスは目を閉じて、ミーミルに突っ込む。
 真っ暗な視界の中で、パークスはミーミルがいると思われる場所に剣を振り下ろした。

 だが、その剣は途中で止まる。
 腕が動かせない。

 パークスは目を開いた。

 目の前に剣皇がいた。
 本当に目の前である。

 いつの間にここまで接近されたのか、パークスにはさっぱり分からなかった。

「こらー、目をつぶってたら絶対当たらないだろ?」

 ミーミルは瞬時に距離を詰め、振り下ろそうとした瞬間の手を抑えたのだ。

「はい、一本」

 ミーミルは木刀の柄で、パークスの脇を軽くつつく。

「そんなんじゃ部下も育たないっしょ? ちゃんと隊長が手本見せないと」

 ミーミルはパークスの顔を覗き込みながら諭す。
 だがパークスはそれどころではなかった。

 腕を掴まれ、息を感じる程の距離。
 皇族御用達石鹸の香りがパークスの鼻をくすぐった。
 あと一センチでも近づけば、ミーミルの胸に自分の胸が触れる。

 何もかもが恐れ多すぎる。
 パークスは目を閉じながら頷くだけで限界だった。
 誰かの「羨ましい」という言葉すら耳に入らない程に、一杯一杯だ。

「はい、じゃあもう一回」

 ミーミルはパークスを放す。
 支えを失ったパークスは、どっと地面に座り込んだ。

「あ、あれ? もしかしてさっきの柄、効いてた?」

 自分のチート腕力だと、軽くやったつもりでも強く入っていた可能性はある。
 ミーミルは心配になってパークスの前にしゃがみ込む。

「だ、だいじょうぶで」

 パークスは顔を上げる。
 そこにはしゃがみ込んだミーミルの美しい顔と、存在感を増した胸と、強調された股間が


 意識は、そこで途絶えた。




 のちにパークスは部下に、そう語ったという。
しおりを挟む

処理中です...