そして、もう一度

瀬名よしき

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第1章

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 勇という漢字には、読み方が複数ある。けれど、優は、なぜか確信を持っていた。「海道勇」の「勇」は「いさむ」と呼ぶのだと――。
 突然のことで、頭の中はパニック状態だ。だが、この廻り合わせに浸る間もなく、面接は開始される。
「人事担当の松井です。こちらはプロジェクトマネージャーの海道」
「海道です」
「四木優です。どうぞよろしくお願いいたします」
 思考回路が寸断して真っ白になってしまった頭を、どうにか面接モードへと切り替えてゆく。
 面接官の分も資料を印刷してあったが、二人の手元には、提出済の履歴書や職務経歴書があった。人事の松井が、それらを見ながら、ひとつひとつ優に質問を投げかけてくる。
 海道は喋らず、時折資料に目を落とすが、じっとこちらを見つめてくるので、優は落ち着かなかった。
「緊張しているのかな?」
 松井の言葉に、ついうっかり「はい!」と正直に答えてしまう。松井は笑って、「取って食ったりはしないから安心していいよ。肩の力を抜いて、深呼吸深呼吸」と言ってくれた。言われた通りに深呼吸すると、ずっと黙っていた海道が穏やかな笑みを浮かべる。目尻に寄った皺がすごくセクシーだと優は思った。気づけば、視線が吸い込まれるように海道を向いている。きっと会社の中でも目立つ存在なのだろう。
 松井のおかげもあって、そこからはスムーズに質疑応答を進めることができた。面接前に、「こんな質問をされたらこう回答する」と、あらかじめ暗記していたものもあったが、それらに頼らず、今の自分の言葉でこたえることができたように思う。そして、ついにこの質問がきてしまった。
「弊社で働きたいと思った理由は何ですか?」
 この質問に対する回答も、もちろんあらかじめ準備していた。それも、他の質問よりも念入りに。ネットでも色々調べたし、何度も口に出して、答える練習までした。
 けれど、それらの回答はほとんど頭の中から、吹き飛んでいってしまった。思い出そうとしても、頭の中に鍵がかかったように言葉が出てこない。
 海道の視線が、今までより一層深く、真剣味を帯びている。
 気づけば、自分で考えるよりも先に、言葉が零れ出していた。
「僕にはずっと逢いたいと思っている人がいて……この先、逢えるのかどうかもわからない人なんですけど……」
「「……」」
 松井と海道が目を見開くのが見える。二人にとっては、きっと意味をなさない言葉だろうと思った。だが、優は溢れる言葉を抑えることができなかった。 
「逢うことはかなわなくても、いつかその人が自分の作ったものに手を触れてくれたらいいなと思っているんです。今の会社は、クライアントがすでに固定されているようなもので、新規での参入はほとんどありません。でも、御社であれば、市場への影響も大きく、参入幅も広い。だから、僕の願いをいつか実現できるんじゃないかと思ったんです」
 少しでも「いさむ君」に近づきたい。ずっとそんな想いを抱えていた自分の願いを、自分が働く意味と重ね合わせて、ようやく言葉にできたような気がした。
 目の前にいるのが、ずっと自分の探していた「いさむ君」なのかどうなのか。それは誰にもわからない。正解を告げてくれる人など、どこにもいないからだ。けれど、もしこの会社に転職することができたら、いつかこの人に、自分の作ったものを見てもらえるのだろうか。そんな淡い期待をも抱きたくなってしまう。
 だが、きっとこの面接は落とされてしまうだろうと優は思った。こんな「転職理由」を告げた者など、日本中どこを探してもいないだろう。面接の場で、ふさわしいといえる回答ではなかった。
 そこから先は、「この会社に入社したら具体的に何をしたいか?」という話題に移った。プログラマの仕事という観点で、優はいくつか受け答えをした。気持ちの切り替えはうまくいっていたと思う。
 面接時間は三十分の予定だったが、気づけば大きく過ぎており、もうすぐ一時間が経とうとしていた。松井がちらりと時計を見て言った。
「私からは以上ですが、海道君からは何かある?」
「そうですね……」海道は考える素振りを見せたあと、「四木さんが、プログラマとして大切にしていることは何ですか?」と問いかけてきた。
 海道からのはじめての質問に、優は心が躍るのを感じた。けれど、事前に準備していた回答集のなかに、その質問に対する回答は存在しない。つまり、今、この場で考えなくてはいけないということだ。
 そのとき、公園で聞こえたあの声が甦ってきた。大胆かつ繊細に――いさむ君の言った言葉だ。
「大胆かつ繊細に実行することかなと思います。プログラマという仕事は、時には思い切りも必要ですが、それは無謀なことをするという意味ではなくて、細かく張り巡らされたコードにきちんと目を向けたうえで実行することが大事なんじゃないかと僕は思っているんです。僕自身も、これで本当に大丈夫なのかと何度も恐怖を覚えたことがあります。でも、ひとつひとつを確かに組み立てていけば、それが少しずつ自信に繋がっていく――もちろん、自分の力を過信してはいけませんが、それでも、プログラムが育てば自分自身も育ってゆくんじゃないかと――プログラムと僕は、ある意味一心同体だと僕は思っています」
「なるほど」
 海道の言葉は短かったが、どこか優しい響きを含んでいた。緊張していた自分のために優しさをくれたのかもしれないが、それでも今は、海道の声を聞けることが嬉しかった。
 松井が海道と頷き合うのが見える。面接終了の合図のようだ。
「それでは、本日の面接はこれで終了になります。結果は後日通知しますので、お待ちください」
「はい。本日はありがとうございました」
 この面接で通過できなければ、この二人と再び会うことはかなわないだろう。優は深々と頭を下げて礼を言った。
 会議室を出ると、松井と海道が二人揃ってエレベーターホールまで案内してくれた。下の階へ行くエレベーターに乗り、もう一度、「ありがとうございました」と頭を下げる。松井と海道も頭を下げて、自分を見送ってくれた。エレベーターの扉が閉まり、優はようやく頭を上げる。緊張がほどけたからなのか、「いさむ君」かもしれない人に逢えたからなのか。理由もよくわからないのに、涙が溢れてとまらなかった。
 二日後、面接の結果が届いた。優はそのメールを十回以上も見直した。だが、何度見ても、『二次面接のご案内』と書かれてある。信じられないことに、一次面接を通過してしまったのだ。しかも、二次面接は実質最終面接である。次の面接で万が一にも通過することがあれば、内定が決まるのだ。
 そのメールが届いて一時間も経たないうちに、小山からメッセージが届いた。
『一次面接の通過、おめでとうございます! これは本当にすごいことですよ。二次面接が最終になりますので、引き続き頑張ってくださいね!』
『ありがとうございます。頑張ります!』
 優は二次面接の詳細が書かれたメールに視線を落とす。面接官は、事業部長の川辺という人がひとりで担当してくれるらしい。一次面接を担当してくれた松井や海道は、二次面接の場にはいないようだ。海道に逢えないのは残念だが、もし内定をもらえたら、逢える可能性は格段に上がる。優は高揚する気持ちを落ち着かせながら、面接の準備をはじめた。
 息を吐く間もなく、三日後に二次面接は執り行われた。二次面接の場に訪れた面接官――川辺は、事業部長ということもあり、風格のある男性だった。人事部の松井と同年代だろうか。一対一なので緊張はしたが、頭の中はクリアで、とにかく内定をもらいたい気持ちで胸はいっぱいだった。
 川辺はこの会社がどんな会社であるのか、現在どんなプロジェクトが走っているのか、会社の雰囲気や組織など、まるで入社式で話されるような内容を話してくれた。これまでの面接とは大きく異なり、優に対する質問は最小限に留められており、川辺が説明してくれたことに対して、質問があれば優が喋る、という形式で面接は進んだ。「この会社に入りたいと思った理由」も質問はされなかった。
 一次面接で質問されたことを、再度、質問されることがない。きっと、松井もしくは海道が川辺に内容を共有しているのだろう。適度に無駄を省く社風なのかもしれない。
 面接というよりは説明会のようだ。優がそんなことを考えていると、川辺が笑みを浮かべて言った。
「松井も海道も君がいいと言っていてね。あの二人の言うことに間違いはないし、私も君と話していて、ぜひ弊社に来てほしいと思った。だから、内定を出すつもりで話させてもらったよ」
「……」
 驚きのあまり絶句してしまう。内定、という言葉が聞こえたような気がしたが、気のせいだろうか。信じられない気持ちで茫然としていると、川辺が笑みを深めた。
「正式な通知は後日になるが、内定だと思っていていいよ」
 自分の聞き間違いではない。まだ正式なものではないけれど、今この場所で、自分は内定をもらったのだ。
「ホントですか?! ありがとうございます!」
 優は思わずその場に立ち上がり、深々と頭を下げる。川辺はゆっくりと腰を上げて、会議机を回り込み、優の隣に立った。そしてポンと肩を叩かれる。
「そんなに喜んでもらえるとは、こちらも嬉しいよ。うちは大変だけど、頑張ってね。君の活躍を楽しみにしているよ」
「はい! ありがとうございます! 頑張ります!」
 再度、深く頭を下げる。まさかこんな最高な形で内定をもらえるとは。夢より素敵な現実に、優は感謝の気持ちでいっぱいになった。
 無事に面接を終えて、エレベーターで一階へと降りる。エレベーターホールを抜けて、出口へ向かう途中。優は目の前を歩いてくる男性に目が釘付けになった。海道だ。海道の左手には鞄がある。外出先から戻ってきたところなのかもしれない。話しかけるべきかどうか迷っていると、海道と目が合った。慌てて会釈すると、海道が近づいてくる。
「最終面接が終わったところですか?」
「は、はい! あの、先日は本当にありがとうございました!」
 深く頭を下げる。すると、すっと海道の手が伸びてきて、引き寄せられた。思わず胸が跳ね上がる。いったい何が起きたのかと顔を上げると、台車で荷物を運ぶ人がちょうど自分の真横を通り過ぎて行った。出口に近い場所なので、海道が気を遣って道を空けようとしたのだ。「す、すみません!」と優が声を上げると、「いや」と海道が短くこたえる。
 海道の手が離れていき、自然と目が合う形になった。並んで立ったことがなかったので気がつかなかったが、海道は随分と背が高い。少なくとも、自分より十五センチ近く高そうだ。そんなことを考えていると、海道は何かを考えるような素振りをみせて、静かな声で問いかけてきた。
「……四木さん。以前、私とどこかで会ったことありませんか?」
 突然の問いかけに、面接のとき以上に胸の音がうるさく鳴り響く。もし海道が、自分の探している「いさむ君」ならば、少なくとも現世では逢っていない。しかしそんなことを告げたら、海道は驚いてしまうだろう。いや、変な奴だと思われてドン引きされてしまうかもしれない。けれど、どうしても「会ったことはない」という嘘は吐くことができなかった。
「わ、わからないです……」
「そうですか……変なことを訊いてしまってすみません。面接お疲れ様でした」
「は、はい、あの……ありがとうございました」
 互いに軽く一礼する。優はその場から動くことができず、エレベーターホールへ歩く海道の後姿を見つめた。ビルのエントランスはそれなりに人が多い。すぐにでも人混みに紛れてしまいそうだが、海道は一際よく目立つ。海道のスタイルの良さもあるのだろうが、他の人とは群を抜いて背が高いからなのだろう。
 このままここに立ち尽くしていても、他の人の迷惑になる。優は海道に背を向けて出口へ歩き出す。歩いている途中で、子どもの声が聞こえてきた。
『いさむ君より身長高くなったよ! すごいでしょ!』
『女子の方が男子より成長が早いからだよ! すぐ追い越すからな! ゆうがびっくりするくらい高くなってやる!』
 一次面接の日。公園で聞いたのと同じ声だ。前世退行でもしない限り、聞こえなかった声が、急に聞こえるようになった。これは、何かが変わりはじめている予兆なのだろうか。
 変化は怖い。けれど今は、目の前に降りてきた“内定”という新たな希望(旅路)を、進んでいこうと思えた。
 翌日には正式に内定の通知が入り、小山もすごく喜んでくれた。電話で入社までの流れを確認する声も、お互いに弾んでいる。
 そしてようやく、優は両親に転職の話をすることにした。心配かけまいと、転職活動をしていることは話していなかったのだが、内定をもらったという話をすると、両親は揃って安堵した表情を浮かべた。今の会社で、毎日帰りが遅く疲労困憊となっていた自分を心配してくれていたらしい。転職する会社名を告げたときの両親の顔は、とても面白かった。まさか、業界最大手の会社に転職が決まるとは思ってもみなかったのだろう。ここまで驚いた両親の顔を見たのははじめてかもしれない。
 内定が決まって気持ちは浮かれていたが、今の会社に退職願を提出する頃合いになると気分は沈んだ。色々あったとはいえ、約二年もお世話になった会社だ。大学を卒業したばかりの、右も左もわからない自分を育ててくれたのはこの会社である。まるで裏切りを働いているような心持ちになるが、小山からの励ましやアドバイスを受け、心の中を整理し、無事に退職願が受理されるところまで持っていくことができた。
 残された数少ない同期と離れるのは寂しかったが、落ち着いたらまた飲みにでも行こう、と約束を交わし合う。引継ぎ資料も漏れなく作成し、自分が抜けても問題ない状態を作ってから、優は退職した。
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