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元王女と元盗賊
しおりを挟むヒースリールは言語翻訳の能力をもらったことでザガンと意思疎通できるようになり、彼の事情を聞いた。
ザガンの服と体は彼女の常識で言えば汚いどころではなく、神殿の一室、特に彼女たちが生活する部屋にこのまま置くのは躊躇われたが、事情もわからなければ対応もできない。いや、それよりも彼女は女神とこの汚い男に何があったかに死ぬほど興味があった。
本当なら湯を浴びせて服を着替えさせたい気持ちを堪え、ザガンを椅子に座らせてお茶を出し、話を促すと生気を失った男はぽつぽつと語り出した。
出身の村。猟師の生活。副業の盗賊。そして全てが崩壊した今日の出来事。
彼女はザガンが盗賊をしていたと聞いた時にやや不安になったが、今の状態では暴れたりできるとは思えないと考え直した。それよりも気になることがあった。
「待って!あの御方の御名を伺えたの?」
「え……あ、ああ……」
「もう一度言って」
「エーレイン……」
「間違いないわね?」
「ああ……」
「エーレイン様……2人ともちゃんと覚えたわね?」
「はい、お姉さま!」
「女神様の御名、しっかりと胸に刻みました!」
妹たちは興奮しながら首肯する。
神に名前を伺うなど畏れ多すぎる2人にとって感激の極みだったのだろう。
ヒースリールも興奮しているが、それは2人とは別の所にある。
(私が知る神話や伝説では聞いたことのない名前だわ……似た名前も思いつかない……私が知らないだけで記録に残ってる可能性はあるけど、もしもなかったら……?)
彼女は雲をつかむような神の調査がほんの少し前進したと感じた。
その思考を続けていたいが、目の前の問題から解決することにした。
「貴方は救済院で暮らしてもらおうと思います。ひとまずはそちらで一晩ゆっくりなさってください。構いませんか?」
「俺は……俺はどうしたら……うぅぅ……」
ザガンは両手で顔を押さえてうなだれた。
その様子を見てヒースリールは確信した。この男は心が死んでいる。放っておけば食事も摂らず本当に死んでゆくだろう。
(彼を立ち直らせろと命じられてないけど、3日後に様子を見に来られたエーレイン様に死んだと報告できるはずがないわ。嫌でも立ち直ってもらうわよ。でも、どうすればいいの?ただ慰めて解決するとは思えないけど……)
彼女が悩んでいると隣のエリーゼが恐る恐る言った。
「お姉さま、私がこの方とお話してもよろしいですか?」
「え?」
「私も話したいです。お姉さま一人で悩まないでください」
ベルミールも心配そうに言った。
また一人でなんでも片付けようとしている自分を反省し、同時に思った。
(ここは2人に任せて私は翻訳の力であれを調べようかしら……)
ヒースリールは女神から与えられた言語翻訳の力で今すぐ確かめたいことがあり、妹たちにザガンを任せようか考える。ヒースリールも妹たちも多少の魔術が使える。平民であるこの男が狂気に駆られても撃退する力はあり、部屋の外に護衛も控えている。少し席を外しても問題ないだろうと判断した。
「そうね……2人とも彼を少しの間お願いできる?私は神殿の書庫に用事があるの」
「はい!」
「お任せください!」
姉の役に立ちたい2人は力強く言った。
彼女は部屋を出る前に男を振り返ったが、今にも消え去りそうなほど虚ろで生命感がなかった。
自分も妹たちが処刑されていたらこうなっていただろうと思った。
ザガンは会話こそできていたが心はそこになかった。
彼の思考はほとんどがある空想に費やされていた。あの日、兄弟が行商人に出会った日、彼を殺さず村で介抱する空想だ。行商人は数日で回復し、少額のお礼と無数の感謝の言葉を残して故郷に帰ってゆく。それから兄弟は辛くも平凡な猟仕事に精を出し、盗賊などと無縁の生活を送る。ザガンはあまり容姿の良くない村の女と結婚し、数年遅れて弟も似たような女を娶る。互いにブサイクな嫁だなと笑い合い、途中から「そこまで言うか」と喧嘩になるが翌日になれば仲直りする。やがて子供ができ、猟を教えるようになり、歳を取って孫の顔を見る。
そんな空想に逃げ込み、現実から目を反らしていた。
自分たちが殺した旅人や商人たち。死体だらけの村。首だけになった弟。
全部夢だった。そうに違いない。
虚しい空想の世界に住もうとする彼の耳に声が聞こえた。
「私たちも何もかも失いました」
小さな少女が語りかけていた。
「お父様とお母様が目の前で殺されました。だからといってあなたも同じとは言いません」
「私もです。あなたの辛さはわかりませんし、あなたを救ったり導けるほど偉い人間でもありません」
隣に座る少女も言葉を紡ぐ。
幼い少女にはありえない教養や知性を感じ、まるで貴族や王族のようだと彼は思った。
「でも私たちは同じ御方によって助けられました。その事にはきっと意味があるんです」
「そうです。生きて一緒に意味を探しましょう」
心が死んでいる男に真剣に語りかける少女たち。
ザガンは空想を中断し、自分がどこにいるのかを考え始める。
(ここはどこだ……転移……そうだ……魔女と一緒に転移してきた……魔女……この子らは女神と呼んでた……神……?神が俺を助けるわけがない……俺は何のために……)
ザガンの思考は未だ混沌とし、濁流のようにうねって渦を巻く。
彼が答えを出すには時間と気力がまだ不十分だった。
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