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襲撃

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「あの魔石、やっぱりアレかな?」

 魔石を持った同僚が去ってしばらくすると門番の片割れが相棒に聞いた。
 相手はこくりと頷く。

「司祭様の懐に。いつも通りだろ」
「そうか。意外と変わらないものだな」

 その声にはいくらかの安堵が含まれていた。
 神殿の最高権力者である教皇が神の一柱によって罷免されるという前代未聞の事態を聞いて神殿関係者は自分たちの信仰と生活が崩壊するのではと危惧した。しかしその一柱によって救済された3姉妹の王族が入門することで彼らの権威はなんとか保たれた。
 それでも贅沢と汚職にどっぷりと浸かっている者は3姉妹が汚れた神殿勢力を一掃するのではないかと不安になり、逆にそれを期待する少数の改革派もいた。だが、3姉妹は今のところ神殿の運営や人事に口をはさんでいない。門番の2人は司祭と同じく神殿の甘い汁を吸う立場におり、現状が変わるのを好ましく思っていなかった。

(今の生活は手放したくない。あいつに会えなくなるからな。)

 門番は通い詰めている娼婦を思い浮かべる。
 顔はそこそこだが美しい声の持ち主で、彼はその歌に聞き惚れていた。彼女に歌手を目指してみないかと本気で勧めており、資金も出す気だ。そのためにも収入が減るのは歓迎できない。
 彼のような門番でさえ汚職に染まり、それが当たり前になっていることは神殿の腐敗が深刻であることの証明であり、ヒースリールが神殿改革を早々に諦めた理由でもあった。

「このまま何も起きないと良いが……ん?」

 門番は足元をうろつく一匹の鼠を見た。
 食料を荒らす害獣であり、見つけたら処分するのが常識だ。彼は槍の穂先でその胴体を貫くと遠くへ投げ捨てた。

「ふん」

 この街から一匹の害獣が消えた。
 彼が小さな満足を覚えたのも束の間、もう1匹が現れて神殿の門を入ろうとする。

「クソ。今日は多いな」
「確かに。こっちにもいるぞ」

 2人の門番は互いに3匹を殺し、鼠の異様な多さを不思議に思う。
 彼らの耳に悲鳴が聞こえた。悲鳴の種類はすぐに増える。

「なんだ!?」
「おい、あれを見ろ!!」

 門番の一人が遠くを指さす。
 そこでは白い地面が徐々に茶色に塗り替わり、人々が逃げ出している。
 ぞぞ、ぞぞぞぞぞぞ。小さな足音が無数に生まれ、茶色の地面と思っていたものは鼠の大群だと彼らはようやく認識した。その群れは神殿の方へ向かってきている。

「おい!来るぞ!」
「どうなってるんだ!し、障壁を使うぞ!」

 たかが鼠。それでも百や二百ではない大群となれば手数が足りない。
 彼らは神殿に設置されている障壁の魔法具を作動させた。半透明の膜のようなものが門の周囲に展開され、鼠たちはその障壁に侵攻を阻まれた。壁には別種の防衛用魔法具が仕込まれており、こちらも問題ない。

「ははは!鼠ごときが破れるものか!」
「だが、どうして急に湧いてきた?おかしいぞ。すぐ本部に連絡を……」

 連絡を取ろうとした瞬間、2人の前で障壁がバチバチと輝いて何かを押し止めた。
 空中で静止しているのは鉄柱と表現していい巨大な棍棒だった。

「なんだ!?」

 2人が見えない速度で飛来した棍棒を障壁が止めた。
 そう理解する前に2本目が同じ速度で飛来する。今度も障壁が押し留めたがジジジジッと何かが焼けるような音がした。障壁を阻害する魔法具が棍棒に仕込まれているなど門番たちの思慮にはない。彼らを守っていた障壁が2つの魔法具によって破壊され、鼠たちが流れ込んだ。

「うわあああっ!」
「ひいいいっ!」

 足元から駆け上がる鼠たちは鎧の隙間から2人を齧り、顔や耳を食いちぎってゆく。
 槍で応戦する甲斐もむなしく大量の鼠が神殿内に殺到した。

「ほ、本部に救援を!」

 門番の一人はそれなりに職務熱心だった。
 通信用の魔法具を手に取り、それに呼びかけようとしたがその頭を巨大な棍棒が粉砕する。

「へ?」

 もう一人は間の抜けた声を上げ、棍棒を投擲した持ち主を見た。
 身長の高い彼が見上げた巨漢の男はバケツのような兜をかぶり、上半身は鋼のような筋肉がむき出しになっている。兜の隙間から真っ赤な目が見え、それは彼を見下ろした。

「ギアアアアアアアッ!」

 野獣のような咆哮。
 もう一本の棍棒が振り下ろされる直前、彼はあの娼婦の歌が聞きたいと思った。




(最後の任務よ。頑張ってね、タッカー)

 ナーシャは建物の最上階から神殿の騒動を見ながら思った。鼠と巨漢の狂戦士。後者はかつてタッカーと呼ばれた男だ。
 彼女の予想通り、ガルド帝国は女神の救済を受けた神子へ更なる干渉を行うように彼女に命じた。そしてタッカーという諜報員をここで使い潰すようにと。
 彼女は帝国が開発した魔法薬をタッカーの飲み物に混ぜて自我を喪失させ、彼女の言う通りに動く人形にした。それから大量の強化薬と数種類の魔法具を使ってタッカーの肉体を限界まで高めた。それと引き換えに彼の寿命は長くて半日となったが、その短時間なら歴史上の名だたる勇者たちと肩を並べる最高の狂戦士が出来上がった。

(鼠たちも元気にやっているようだし……あらら。さすがは神殿御付きの神官戦士と魔術師たち。鼠が炎を嫌がるのにもう気付いたわね。全滅するのは時間の問題。でも、攪乱は上手くいってるわ)

 彼女は炎で鼠を焼き払う神官たちを見て満足する。
 神殿内を暴れまわっている鼠たちは手近な生き物に噛みついてはすぐに叩き潰されていた。しかし、その数は多く、神官や武装した者たちは散らばった鼠を始末することに忙しい。その間にタッカーは女神がいるであろう部屋めがけて突き進んでいる。
 ナーシャが得意とする魔術は生物の精神操作や傀儡化。人間ならば数人が限界だが、小動物ならば数百匹の単位で操ることができる。ただし、相手の知能が低いため命令できるのはごく単純な事しかない。どこかの建物に潜入しろ。特定の姿をしている生き物を見つけ出せ。襲い掛かれ。その程度だ。
 ナーシャはロザリア王国首都の地下水路に住む鼠たちを操作し、およその建物と内部構造を把握していた。調査できないのは鼠一匹入れない清潔な建物や魔法による防御をしている建物。タッカーの魔眼はナーシャが大まかな情報を改めた上で足りない部分を補完したり精査する役目を担っていた。

(神殿はいろんな意味で鼠一匹入れないから強引に押し込ませてもらったけど……変ね。むこうの建物は地下から排水溝を這い上がってくる鼠たちがいるはず。何かあったの?)

 ナーシャは神殿の全体を見渡し、鼠が少ない区域がある事に気づいた。

(これじゃあ手の空いてる神官たちがあの神子たちを救出してしまうわ。できればタッカーを無駄死にさせたくないんだけど……)

 彼女は鼠たちの生命反応を感じるべく意識を集中させた。
 個々の位置や状態がはっきりと感知できるわけではないが、ぼんやりと掴むことはできる。ナーシャの脳内で数百の気配が動き回り、そしてある場所に飛び込んでゆく鼠たちが消滅していた。

(ここは神殿の入浴場のあたり?排水口が小さすぎて人間なんて入れないから弱めの結界しか置かれてないはずよね?鼠でも数匹の犠牲で突破できるはずなのに。神子たちが入門して防犯対策が変わったか、それとも神子たち自身が何かを施した?気になるけど、私が確認しに行くのはまずいし……)

 彼女は好奇心を覚えたが諦めるしかなかった。
 相手は調査系の魔術を使えば反撃して大怪我をさせてくる存在。明確な敵意を持って接近すればどんな反撃が待っているかわかったものではない。

(この作戦はただの威力偵察。相手が強力な防衛手段を持っているとわかっただけでも儲けものと思うべきね)

 ナーシャは溜息を洩らし、神殿にいるであろう脅威的な存在に警戒心を高めた。

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