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第三章 関係修復
第11話 安心感(下)
「もう……リチェお姉様ってば、異国に来ているとは思えないほど自由なんだから」
屋敷の中に戻りつつ、ティルフィーユはため息をついた。
「バルボラ、今日の夕食なんだけれど、リチェお姉様は酸っぱいものがあまりお好きではないの。メニューには入れないようにしてくれますか」
「畏まりました。献立が決まりましたら奥様にご報告いたしますか」
「そうね、確認するのでお願いします。客室の準備もぬかりなくお願いね」
ティルフィーユが女主人らしく、ゲストを迎えるための段取りを指示している姿を初めて見たキアンは、思いのほかティルフィーユが堂々と仕切るので感心した。
「グントバハロンでもそんな感じだったのか?」
二階にある南向きの大きな居間に場所を移したのち、ソファで隣り合って座るティルフィーユにキアンは問いかけた。
「そんな……とは?」
「堂々と使用人に指示を出して……気を悪くしたらすまないが、少々意外だった」
ティルフィーユは成人しているとはいえ、キアンより九歳も若い十七歳だ。グントバハロン宗家の姫ではあるが、兄弟姉妹の中では末っ子であるし、人の上に立つという経験を積んでいるとは思えなかったのだ。
「ふふっ……姉たちとのままごとの成果かもしれません」
キアンが自分に興味を持って訊いてくれたことが嬉しくて、ティルフィーユは楽しそうな表情を浮かべながら答えた。
「リチェお姉様とは二歳差で歳が近いですけれど、上二人の姉とは十五歳、十八歳も離れています。それでも、小さい頃は姉妹四人で〝女主人ごっこ〟なんてままごとをして遊んでいたんですよ。上二人のお姉様はもう十分な大人だからなのか、子供の私とリチェお姉様にそれはもう、容赦がなくて……きちんと使用人に指示を出せないと女主人として失格よ、と怒られたものです」
「それは……逆に大人気がないと思うのだが」
「そうとも言えますね」
子供の頃の楽しい出来事を思い出したからなのか、ティルフィーユはからからと気持ちよく笑った。
「今度ソイラ様に何かお礼をしないといけませんね。リチェお姉様が二日もお世話になってしまっているし……それに昨日、リチェお姉様と一緒に私の話を聞いてくださったのです」
「ああ……」
キアンは少し俯き、気まずそうに視線を床に落とした。しかしすぐに顔を上げると、ティルフィーユの片手をぎゅっと握る。
「昨晩、君といろいろ話せてよかった。だが、まだ俺が何か勘違いをしたままのことがあるんだ。訊いてもいいか」
「はい、なんでしょうか」
キアンに握られた自分の手を少しばかり恥ずかしい思いで見つめながら、ティルフィーユは頷いた。
「厨房で働かせてもらえないかと……そう願い出たのはなぜなんだ? 俺としては、妻に労働をさせねばならないほど稼ぎが少ないわけではないと思っているのだが」
「あっ……えっと、それは……」
まだ自分たちは、いくつかのボタンを掛け違えたままでいる。そのことを思い出し、ティルフィーユはどう説明したものかと悩んだ。そして、ふとあることに気が付く。自分がキアンたちダミアレア族の文化や価値観などについて知識が乏しいように、キアンもまた、異国であるグントバハロンの文化や価値観についてはきっと疎いのだ。ならば、そこから説明せねばなるまい。
「グントバハロンの国名は、働き者の国という意味です。報酬の多寡や労働時間の長短を問わず、成人した大人ならば何かしらの働きをして誰かの生活を支えること……それが美徳とされます。グントバハロンで言う〝働き〟は、対価を得ることと引き換えに行う、いわゆる〝労働〟とは別の意味も含んでいるのです」
ティルフィーユは故郷エンフェリダクスでの生活を思い出しながら続けた。
新しい法律を作る仕事、武人たちの武具や防具を作る仕事、家畜や作物を育てる仕事、食事を作って提供する仕事。それ以外にも、宗家のように国をまとめる仕事、家の中の一切合切を取り仕切る仕事、他人の子供を預かって育てる仕事、老人たちに憩いの時間を提供すべく楽器演奏をする仕事――グントバハロンでは、どんなことでも誰かの役に立てば「仕事」とみなされ、「働いている」とされる。働いているがゆえに自分ではできないことがあれば、気軽に誰かを頼る。そうして人に頼ることが、その人にとっての「仕事」になる。グントバハロンにおいて「働く」とは、互いの生活を支え合っているという意味でもあるのだ。
「リチェお姉様も、毎日ではありませんが機織り工房に行って美しい布を織る仕事をしています。同時に、宗家で唯一の未婚の姫となりましたから、宗家の使用人たちをとりまとめる仕事もしています。宗家当主のお母様がすべきことでもありますが、お母様には政治の仕事が多く、家のことまでは手が回りません。実家の切り盛りについては、今は長男のルドお兄様とリチェお姉様が担っているそうです。私がいた頃は、多少手分けもできていたんですけれど」
「ティルがいなくなったから宗家内の仕事が増えたわ」と、苦情とも言えるベアトリーチェの愚痴が手紙に書かれていたことは記憶に新しい。癇癪持ちで話も長くなりやすいベアトリーチェだが、やはりティルフィーユの姉なのだ。二年長く生きている分だけ、彼女の方がしっかりしていると思う。
「ですから、その……私は対価を得るような労働がしたい、というつもりではなくて……あの、ストーラー家の女主人としての務めも果たしますが、ほかにできる仕事が……作業があるならしたくて……」
「そういうことなんだな。グントバハロン国民の仕事への考え方をまったく知らなかったから……その……ティルの希望を一方的に突っぱねてすまなかった」
昨日から数えてもう何度目になるかわからないキアンの謝罪に、ティルフィーユはおろおろと首を横に振った。
「い、いいえっ……私こそ、グントバハロンでの価値観がここでは通じないのだと……ここはもう母国ではないのだという認識が足りていませんでした」
「そこまで言わなくていい。認識不足は俺も同じだ。だが、どうして厨房なんだ?」
「えっと、グントバハロンにいた頃の職場が厨房というか……食堂だったので」
「食堂?」
「はい。国立中央軍事教練場の食堂です」
「待て、なんだその物騒な名前の職場は」
「え?」
キアンの眉間に皺が寄り、眉がつり上がる。しかしティルフィーユはきょとんとした表情を浮かべた。
「新人さんから熟練者さんまで、様々な武人の方が訓練される施設ですが……」
「そこの食堂の厨房でティルは働いていたのか」
「はい。といっても、見てのとおり腕力は全然ないので……鍋やフライパンを持って調理することはほとんどなくて、ジャガイモ二百個皮むきとか、タマネギ三百個皮むき、それとみじん切りとか、そうした下準備が主でした。食事時は表に出て皿の上げ下げとか、テーブル拭きとかもしていましたけれど」
「その食堂を利用するのは、当然グントバハロンの武人たちなんだよな?」
「はい、そうです」
(なるほど……)
このちんまりとした可憐なティルフィーユが、どうしてこんなにも体格差のある自分を恐れないのか。ベアトリーチェのように目線も合わせずに怯えるのが普通だろうに、なぜ少しも怖がる素振りがないのか。その疑問の答えは、そんな物騒な場所で働いていて飽きるほどに武人たちを見ていたから、なのだろう。
ダミアレア族のミリ族といえば、戦闘に特化した一族だ。デシエトロン国に長くいたので、デシエトロン周辺でミリ族の強さはそこそこ有名のはずだ。しかし、それを上回るほどに有名な強さを誇るのが、グントバハロンの武人たちだ。
グントバハロンは長い歴史を持っていながらも、自ら他国を攻めたことはない。しかし、自国に攻め入ってきた国は片っ端から追い返している。その昔、デシエトロンの国力が史上最大とも言える頃に領土拡大を狙ってグントバハロンを攻めたことがあったらしいが、ミリ族を上回る強さと練度のグントバハロン軍にしっかりと痛い目を見させられたらしい。かの国の武人たちは同盟国に戦力として貸し出されることもあり、その強さは本当に折り紙付きなのだ。
そんな武人たちを近くで見続けていたのなら、体格差があろうが無表情であろうが、ティルフィーユにとってはなんら恐れる理由にならなかったのだろう。
「武人たちのことは怖くないのか」
「はい。皆さん声が大きくて、あまり上品な会話はされませんけれど……でも怖くはありません。怖いのは……そうですね、オールベーサ街道にいた山賊たちは怖かったです」
数日前のことを思い出し、ティルフィーユは俯いた。
「武家の父が言っていました。本当に悪い男は女子供を一方的に利用したり、簡単にねじ伏せたりする。自分にそれができると知っていて、それをすることがとても理不尽だと自覚していながらも罪の意識はなく、最初からそうするつもりで近付いてくる。単なる見た目ではなく、言動や滲み出る雰囲気の中にそうした悪意をいち早く感じ取ってすぐに逃げなさい。そういう男たちこそ怖くて危険な存在なのだから、と」
自分を取り囲んだ山賊たち。彼らの表情も声も近付き方も、すべてがティルフィーユを獲物扱いしていた。彼らの一挙手一投足すべてに悪意が滲み出ていた。だから一目見ただけで、彼らのことは怖いと思った。
「そうです、キアン様。あの時助けに来てくださって、本当にありがとうございました」
「いや、当然のことをしたまでだ」
「でも、どうして私があそこにいるとわかったんですか?」
「スフ族に占ってもらったんだ」
「まあっ……スフ族の占術はそんなこともわかるのですね。ダミアレア族について、まだまだ知らないことが多いです。いつかまた、テコ族のダヤナさんをお招きしたいです」
「好きにするといい。そうだ、俺の方こそ、先日マヌ族の族長チャダの対応を代わりにしてもらったようで助かった」
それから二人は、これまで話せなかったのが嘘のようにあれもこれも、と思いつくままに話した。
そして夕日が沈む頃、ベアトリーチェがストーラーの屋敷を訪れた。ソイラの案内によるマルドレーゼ観光を目いっぱい楽しんだようで、夕餉の席でベアトリーチェのおしゃべりは止まらなかった。それは夕食後も続き、ティルフィーユは自室でベアトリーチェの話をうんと聞いた。キアンとのわだかまりが解けたこともしっかりと伝え、あらためてベアトリーチェが来てくれたことを感謝した。ソイラだけでなくベアトリーチェも話を聞いてくれたからこそ、ティルフィーユはキアンと話す勇気を出せたのだ。
久しぶりの長いおしゃべりのあと、ベアトリーチェは客室へ、ティルフィーユは寝室へ向かった。そしてその日もキアンに抱きしめられながら、ティルフィーユはあたたかな気持ちで眠りにつくのだった。
屋敷の中に戻りつつ、ティルフィーユはため息をついた。
「バルボラ、今日の夕食なんだけれど、リチェお姉様は酸っぱいものがあまりお好きではないの。メニューには入れないようにしてくれますか」
「畏まりました。献立が決まりましたら奥様にご報告いたしますか」
「そうね、確認するのでお願いします。客室の準備もぬかりなくお願いね」
ティルフィーユが女主人らしく、ゲストを迎えるための段取りを指示している姿を初めて見たキアンは、思いのほかティルフィーユが堂々と仕切るので感心した。
「グントバハロンでもそんな感じだったのか?」
二階にある南向きの大きな居間に場所を移したのち、ソファで隣り合って座るティルフィーユにキアンは問いかけた。
「そんな……とは?」
「堂々と使用人に指示を出して……気を悪くしたらすまないが、少々意外だった」
ティルフィーユは成人しているとはいえ、キアンより九歳も若い十七歳だ。グントバハロン宗家の姫ではあるが、兄弟姉妹の中では末っ子であるし、人の上に立つという経験を積んでいるとは思えなかったのだ。
「ふふっ……姉たちとのままごとの成果かもしれません」
キアンが自分に興味を持って訊いてくれたことが嬉しくて、ティルフィーユは楽しそうな表情を浮かべながら答えた。
「リチェお姉様とは二歳差で歳が近いですけれど、上二人の姉とは十五歳、十八歳も離れています。それでも、小さい頃は姉妹四人で〝女主人ごっこ〟なんてままごとをして遊んでいたんですよ。上二人のお姉様はもう十分な大人だからなのか、子供の私とリチェお姉様にそれはもう、容赦がなくて……きちんと使用人に指示を出せないと女主人として失格よ、と怒られたものです」
「それは……逆に大人気がないと思うのだが」
「そうとも言えますね」
子供の頃の楽しい出来事を思い出したからなのか、ティルフィーユはからからと気持ちよく笑った。
「今度ソイラ様に何かお礼をしないといけませんね。リチェお姉様が二日もお世話になってしまっているし……それに昨日、リチェお姉様と一緒に私の話を聞いてくださったのです」
「ああ……」
キアンは少し俯き、気まずそうに視線を床に落とした。しかしすぐに顔を上げると、ティルフィーユの片手をぎゅっと握る。
「昨晩、君といろいろ話せてよかった。だが、まだ俺が何か勘違いをしたままのことがあるんだ。訊いてもいいか」
「はい、なんでしょうか」
キアンに握られた自分の手を少しばかり恥ずかしい思いで見つめながら、ティルフィーユは頷いた。
「厨房で働かせてもらえないかと……そう願い出たのはなぜなんだ? 俺としては、妻に労働をさせねばならないほど稼ぎが少ないわけではないと思っているのだが」
「あっ……えっと、それは……」
まだ自分たちは、いくつかのボタンを掛け違えたままでいる。そのことを思い出し、ティルフィーユはどう説明したものかと悩んだ。そして、ふとあることに気が付く。自分がキアンたちダミアレア族の文化や価値観などについて知識が乏しいように、キアンもまた、異国であるグントバハロンの文化や価値観についてはきっと疎いのだ。ならば、そこから説明せねばなるまい。
「グントバハロンの国名は、働き者の国という意味です。報酬の多寡や労働時間の長短を問わず、成人した大人ならば何かしらの働きをして誰かの生活を支えること……それが美徳とされます。グントバハロンで言う〝働き〟は、対価を得ることと引き換えに行う、いわゆる〝労働〟とは別の意味も含んでいるのです」
ティルフィーユは故郷エンフェリダクスでの生活を思い出しながら続けた。
新しい法律を作る仕事、武人たちの武具や防具を作る仕事、家畜や作物を育てる仕事、食事を作って提供する仕事。それ以外にも、宗家のように国をまとめる仕事、家の中の一切合切を取り仕切る仕事、他人の子供を預かって育てる仕事、老人たちに憩いの時間を提供すべく楽器演奏をする仕事――グントバハロンでは、どんなことでも誰かの役に立てば「仕事」とみなされ、「働いている」とされる。働いているがゆえに自分ではできないことがあれば、気軽に誰かを頼る。そうして人に頼ることが、その人にとっての「仕事」になる。グントバハロンにおいて「働く」とは、互いの生活を支え合っているという意味でもあるのだ。
「リチェお姉様も、毎日ではありませんが機織り工房に行って美しい布を織る仕事をしています。同時に、宗家で唯一の未婚の姫となりましたから、宗家の使用人たちをとりまとめる仕事もしています。宗家当主のお母様がすべきことでもありますが、お母様には政治の仕事が多く、家のことまでは手が回りません。実家の切り盛りについては、今は長男のルドお兄様とリチェお姉様が担っているそうです。私がいた頃は、多少手分けもできていたんですけれど」
「ティルがいなくなったから宗家内の仕事が増えたわ」と、苦情とも言えるベアトリーチェの愚痴が手紙に書かれていたことは記憶に新しい。癇癪持ちで話も長くなりやすいベアトリーチェだが、やはりティルフィーユの姉なのだ。二年長く生きている分だけ、彼女の方がしっかりしていると思う。
「ですから、その……私は対価を得るような労働がしたい、というつもりではなくて……あの、ストーラー家の女主人としての務めも果たしますが、ほかにできる仕事が……作業があるならしたくて……」
「そういうことなんだな。グントバハロン国民の仕事への考え方をまったく知らなかったから……その……ティルの希望を一方的に突っぱねてすまなかった」
昨日から数えてもう何度目になるかわからないキアンの謝罪に、ティルフィーユはおろおろと首を横に振った。
「い、いいえっ……私こそ、グントバハロンでの価値観がここでは通じないのだと……ここはもう母国ではないのだという認識が足りていませんでした」
「そこまで言わなくていい。認識不足は俺も同じだ。だが、どうして厨房なんだ?」
「えっと、グントバハロンにいた頃の職場が厨房というか……食堂だったので」
「食堂?」
「はい。国立中央軍事教練場の食堂です」
「待て、なんだその物騒な名前の職場は」
「え?」
キアンの眉間に皺が寄り、眉がつり上がる。しかしティルフィーユはきょとんとした表情を浮かべた。
「新人さんから熟練者さんまで、様々な武人の方が訓練される施設ですが……」
「そこの食堂の厨房でティルは働いていたのか」
「はい。といっても、見てのとおり腕力は全然ないので……鍋やフライパンを持って調理することはほとんどなくて、ジャガイモ二百個皮むきとか、タマネギ三百個皮むき、それとみじん切りとか、そうした下準備が主でした。食事時は表に出て皿の上げ下げとか、テーブル拭きとかもしていましたけれど」
「その食堂を利用するのは、当然グントバハロンの武人たちなんだよな?」
「はい、そうです」
(なるほど……)
このちんまりとした可憐なティルフィーユが、どうしてこんなにも体格差のある自分を恐れないのか。ベアトリーチェのように目線も合わせずに怯えるのが普通だろうに、なぜ少しも怖がる素振りがないのか。その疑問の答えは、そんな物騒な場所で働いていて飽きるほどに武人たちを見ていたから、なのだろう。
ダミアレア族のミリ族といえば、戦闘に特化した一族だ。デシエトロン国に長くいたので、デシエトロン周辺でミリ族の強さはそこそこ有名のはずだ。しかし、それを上回るほどに有名な強さを誇るのが、グントバハロンの武人たちだ。
グントバハロンは長い歴史を持っていながらも、自ら他国を攻めたことはない。しかし、自国に攻め入ってきた国は片っ端から追い返している。その昔、デシエトロンの国力が史上最大とも言える頃に領土拡大を狙ってグントバハロンを攻めたことがあったらしいが、ミリ族を上回る強さと練度のグントバハロン軍にしっかりと痛い目を見させられたらしい。かの国の武人たちは同盟国に戦力として貸し出されることもあり、その強さは本当に折り紙付きなのだ。
そんな武人たちを近くで見続けていたのなら、体格差があろうが無表情であろうが、ティルフィーユにとってはなんら恐れる理由にならなかったのだろう。
「武人たちのことは怖くないのか」
「はい。皆さん声が大きくて、あまり上品な会話はされませんけれど……でも怖くはありません。怖いのは……そうですね、オールベーサ街道にいた山賊たちは怖かったです」
数日前のことを思い出し、ティルフィーユは俯いた。
「武家の父が言っていました。本当に悪い男は女子供を一方的に利用したり、簡単にねじ伏せたりする。自分にそれができると知っていて、それをすることがとても理不尽だと自覚していながらも罪の意識はなく、最初からそうするつもりで近付いてくる。単なる見た目ではなく、言動や滲み出る雰囲気の中にそうした悪意をいち早く感じ取ってすぐに逃げなさい。そういう男たちこそ怖くて危険な存在なのだから、と」
自分を取り囲んだ山賊たち。彼らの表情も声も近付き方も、すべてがティルフィーユを獲物扱いしていた。彼らの一挙手一投足すべてに悪意が滲み出ていた。だから一目見ただけで、彼らのことは怖いと思った。
「そうです、キアン様。あの時助けに来てくださって、本当にありがとうございました」
「いや、当然のことをしたまでだ」
「でも、どうして私があそこにいるとわかったんですか?」
「スフ族に占ってもらったんだ」
「まあっ……スフ族の占術はそんなこともわかるのですね。ダミアレア族について、まだまだ知らないことが多いです。いつかまた、テコ族のダヤナさんをお招きしたいです」
「好きにするといい。そうだ、俺の方こそ、先日マヌ族の族長チャダの対応を代わりにしてもらったようで助かった」
それから二人は、これまで話せなかったのが嘘のようにあれもこれも、と思いつくままに話した。
そして夕日が沈む頃、ベアトリーチェがストーラーの屋敷を訪れた。ソイラの案内によるマルドレーゼ観光を目いっぱい楽しんだようで、夕餉の席でベアトリーチェのおしゃべりは止まらなかった。それは夕食後も続き、ティルフィーユは自室でベアトリーチェの話をうんと聞いた。キアンとのわだかまりが解けたこともしっかりと伝え、あらためてベアトリーチェが来てくれたことを感謝した。ソイラだけでなくベアトリーチェも話を聞いてくれたからこそ、ティルフィーユはキアンと話す勇気を出せたのだ。
久しぶりの長いおしゃべりのあと、ベアトリーチェは客室へ、ティルフィーユは寝室へ向かった。そしてその日もキアンに抱きしめられながら、ティルフィーユはあたたかな気持ちで眠りにつくのだった。
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