ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第07話 高飛車な操言士と修了試験

3.呉服屋つむぎ(中)

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(仕方ないか。操言士という存在は、自分とは違う何か遠いもの……私もそう思ってたし。それにやっぱり、人から話を聞いただけじゃ理解しきれないものね)

 背後に紅雷とユルゲンの気配を感じながら、紀更は階段を上る。
 一階が店になっているこの自宅は、二階に家族の居住スペースがある。ダイニングにあたる部屋に案内し、四人掛けのテーブルの椅子に二人を座らせて、紀更は台所でお湯を沸かし始めた。

「お前の外面の良さはなんなんだ。楊とミケルの時とは大違いじゃないか」
「だって紀更様のお母様ですよ! きちんと挨拶するに決まってるじゃないですか!」
「そうかよ」

 台所を動き回る紀更の背後で、紅雷とユルゲンが言い合う。その会話が聞こえて、紀更はくすくすと笑った。

「仲良しですねえ。毎日一緒にいるから、家族みたいになってきてるんですかね」
「家族じゃない」
「家族じゃないです、紀更様!」

 ユルゲンと紅雷は同時に否定する。その重なり具合がまた絶妙で笑ってしまい、紀更はお茶の入ったカップを差し出す手が震えてしまった。

「今日はこれからお仕事ですか」
「いいえ~。さっき王都に帰ってきたんですよ、紀更様」
「え、さっき? 朝なのに?」

 椅子を引いて腰を下ろしながら紀更は問うた。

「夜通し、王都の外の怪魔を退治してたんだ」
「よ、夜通し!?」
「怪魔は夜に出るからな。どうやらいつもより出現数が多いみたいで、退治依頼がわんさかあった」
「おかげで稼げてますけどね~。あ、でも、聞いてください紀更様! あたし、紀更様の操言の力じゃないとだめみたいです」
「だめ? だめって、どういうこと?」

 紀更が尋ねると、紅雷ではなくユルゲンが答えた。

「退治に出る前に王都の操言士に操言の加護を付与してもらったんだ。どうもそれが身体に合わなかったみたいだな」
「なんか、ずっともやもや、うにゅうにゅする感じなんですよ!」
「うにゅ? 紅雷、どこか身体の具合が悪いってこと?」
「うーんと……具体的にどこが悪いってことはないんですけど、紀更様の操言の力みたいにあったかくてやさしくて、身体にぴたっと合う感じじゃなくて、それがすっごく違和感でなんかもぞもぞしてるんです。服を前後裏表逆に着ている感じというか」

 まだその違和感が残っているのか、紅雷は眉間に皺を寄せて苦しいような苦いような表情を浮かべた。

「言従士は自分の操言士以外の操言士の力と相性が悪いのか? 俺にはよくわからんが、それでずっとぶつくさ言っててな。依頼も終わったし、紀更の顔を拝めば少しは落ち着くかと思って連れてきたんだ」

 ユルゲンはそう言って、出されたお茶で喉を潤した。

「ありがとうございます、ユルゲンさん。紅雷のこと、気にかけてくれて」

 一人でいる方がきっと気楽だろうに、紅雷を放り出さずに一緒にいて、おまけにこうして気遣ってくれることに紀更は感謝した。

「あの、紀更様。もしよければ、あたし、ちょっと寝てもいいですか。紀更様の匂いを嗅いでたら安心して眠たくなってきました」
「え、い、いいけど……どうしよう、客間の用意とか何もしてないから」
「ここで大丈夫です!」

 紅雷は椅子から立ち上がると、しゅぽんと音を立ててミズイヌの姿に変化した。そして腹を床に付けて前足の間に顔を置き、伏せの姿勢になる。

「紅雷、そこで寝るつもり!? 床だけど!」
「平気です! ミズイヌ型なら全然気にならないので」

 桜色の毛のミズイヌ型になっても普通に喋れる紅雷は、やけに得意げに答えた。

「じゃあ、ちょっと待って」

 紀更は椅子から立つと、床に伏せった紅雷に近付いてかがみ、その頭に手を置いた。

【紅雷の全身に溜まった疲労よ、ゆっくりととけて消えなさい】

 それは、効果の出る正しい言葉なのかはわからない。しかし、ポーレンヌで王黎が最美にそうしていたように、紀更も己の言従士の紅雷を労わってあげたくて、紅雷の疲れがなくなるようにと操言の力を使った。

「ふ、あぁ~……あったかいぃ~」

 己の操言士から癒しの加護をもらった紅雷は、気持ちよさそうに目を細めた。そしてそのまま本当に寝始めてしまったようだった。

「床だけど、本当にいいのかしら」

 ミズイヌ型のメヒュラで、今まさにミズイヌ型になっているとはいえ、客人を床に寝かせていることを紀更は申し訳なく思う。メヒュラが身近にいない人生だったので、動物型状態のメヒュラをどう扱うのが正解なのか、紀更にはわからなかった。

「本人がいいと言うなら大丈夫だろ。気にするな」

 ここ数日、紅雷と共に過ごしている中で彼女がそうやってミズイヌ型で眠っている姿を見てきたユルゲンは平然と言った。

「そうですね」

 すっかり静かになった紅雷の寝顔を見下ろしながら、紀更は再び椅子に座った。

「両親に祈聖石巡礼の旅の話をしたのか」

 おもむろにユルゲンが話し出す。紀更は二度三度瞬きをしてから合点がいった。

「はい。一から十まですべてではないですけど……。一年前の私がそうだったように、両親は操言士について詳しくはわかっていなくて、それほど深く、理解はしてもらえませんでしたが」
「でも亡くなった弟は操言の力があったんだろ?」
「そうですが、俊はまだ小さくて、操言院との関わりも少なかったんです。たまに母が操言院に連れていっていた程度で」
「そうか。じゃあ、まあ……仕方ないな」

 ユルゲンが言わんとしていること。それは、祈聖石巡礼の旅がどういうものなのか、その旅の過程で得られた様々な経験がどういう意味を持つのか、そしてその旅を共にした仲間がどのような存在なのか、紀更の両親は紀更と同じようには感じてくれない、ということだ。

「もしも俊が生きていて、私は操言士じゃなくて……私ぐらいの年齢になった俊が『王都の外を旅して、そこで傭兵や言従士と出会って仲間になったよ』なんて話をしてきたら、たぶん、私も母と同じ反応をすると思います」
「その旅は安全なのか、変なことに巻き込まれていないのか、そもそもそいつらは信用できる奴らか……とまあ、そんなところか。当事者でないとわからないことだよな、そういうことは」

 ユルゲンが理解を示すと紀更は小さく頷いた。

「特に、ここマルーデッカ地区には傭兵もメヒュラもほとんどいません。親がやっている自営業を継ぐのが自然で、親元を離れて生活する子供の方が珍しいですから。王都の外を旅する話なんて、まるで昨日見た夢の話でもしているかのように、あまり現実味がないんです。だから、あの……ごめんなさい、母が……」

 紀更がしょぼくれた声で謝ると、ユルゲンは首を横に振った。

「いや、不審がられるのは慣れてる。傭兵が多いメルゲントはともかく、傭兵に馴染みのない都市部じゃ、俺みたいな人間は怪しまれて当然だろう」

 母沙織のユルゲンを見る目は、不審者を見るそれと同じだった。
 今でこそ紀更は慣れたが、王都の一般市民である母にとっては、ユルゲンの見た目も放つ雰囲気もかなり異質だ。男性の中でも背は高い方で、筋肉質な体付きはがっしりとしている。騎士の制服でも着ていれば頼りがいのある騎士だとありがたく思われるだろうが、そうではない。三白眼の目付きは鋭く声は低く、特に女性からしたら、ユルゲンの存在は彼が何かをしているわけでなくとも恐れを抱くものだろう。

「でも」

 しかし、ユルゲンは旅を共にした仲間だ。不審者でも荒くれ者でもない。そう事前に話していたにもかかわらず、母の態度は友好的なそれではなかった。紀更はそのことを残念に、そして申し訳なく思ったが、ユルゲンは穏やかに言った。

「俺は気にしてない。だから紀更も気にするな。君がそんな風に気に病むことの方が、むしろ落ち着かねぇ」
「あ、はい……ごめんなさい」

 自分用に淹れたお茶を飲んで、紀更は気持ちをなでつけた。
 ユルゲンは見た目で感じる雰囲気とは違って、おおらかで寛大だ。小さなことは気にしないが人の気持ちを蔑ろにすることはなく、他者への気遣いは忘れない。寄りかかっても決して揺らぐことのない大樹のような、安定した頼もしさがある。

(なんか、変な感じだわ)

 こうして自宅の食卓でユルゲンと向かい合っている状況に、紀更は妙に緊張してきた。紅雷もいるのでユルゲンと二人きりというわけではないのだが、いかんせん足元の紅雷はミズイヌ型で、しかもすやすやと寝ている。どうも「一人」とカウントしにくくて、この空間にはいま、自分とユルゲンの二人だけのような気がしてしまう。

「あの、ユルゲンさん」
「ん?」
「えっと……その」

 場の沈黙を破ろうとしてユルゲンを呼んでみたが、言葉が続かない。夜の就寝前などはいくらでもあれこれ考えているのに、いざ本人を目の前にすると言ってもいいのか、訊いてもいいのか、答えてくれるのか、話してくれるのか、ぐるぐると気掛かりばかり生じて口が動かない。
 そんな紀更の胸中を知ってか知らずか、ユルゲンは青い瞳でじっと紀更を眺めた。その瞳を見つめ返せなくて、紀更はカップの中のお茶の水面に視線を落とす。
 すると、何かを言いかけた紀更を問いただすこともなく、ユルゲンはゆっくりと話しかけた。

「操言院はどうだ? 修了試験はもうすぐだったよな」
「あ、はい……えっと、五日後です」
「王黎はちゃんと教えてくれてるのか」
「いえ……あ、いえ……そうですね……たまに来てくれます」
「たまに? そんなんで平気なのか」
「えっと、王黎師匠はたまにしか来ないんですが、王黎師匠の取り計らいで、教育部のアンヘルさんと国内部の雛菊さんという二人の操言士が個別指導をしてくれてるんです」
「へえ。どんな操言士なんだ?」

 ユルゲンが話題を掘り下げてくれるので、紀更は少しずつ饒舌になってきた。
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