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第4章 将来の夢
4. 向き合う強さ
しおりを挟む「南条!」
名前を呼ぶと同時に、美術室の扉を勢いよく開けた。
中には、見慣れない数の生徒たちの姿があった。部活中だったことを、すっかり忘れていたのだ。
イーゼルが並び、絵の具の匂いが満ちている空間は、普段の静かな場所とはまるで違っていた。賑やかで、ざわついていて、けれどどこかよそよそしい。俺が知っている〝美術室〟とは、別の場所のように思えた。
「……」
南条は立ち上がり、こちらを一瞥する。その表情には、いつも以上の戸惑いと、わずかな苛立ちが浮かんでいた。
隣には綾瀬の姿。絵筆を持ったまま、俺の顔を見ていた彼女の視線は、次第に冷えたものへと変わっていく。その変化を、俺は見なかったことにした。
無言のまま美術室を出てきた南条は、俺の腕を軽く掴んで渡り廊下に連れ出した。そこに出ると、声のトーンが変わる。
「……部活中に来るなよ」
低く絞られた声だった。責められて当然なのに、俺は気の利いた言葉も出せず、情けなく首をすくめた。
「ご、ごめん。ただ……どうしても今、伝えたかったんだ」
うつむいたまま言葉を探し、深く息を吸ってから、真正面を見た。
そして、意を決して言葉を発する。
「俺の言葉なんか、軽く聞こえるかもしれない。でも、それでも伝えたくて来たんだ。俺は……お前の夢、応援したい。心から、そう思ってる。お前が望む未来がやってくると、俺は信じてるんだ」
言い終わったあと静寂が降りた。廊下の窓から差し込む夕方の光が、床に長く影を落とす。空気がやけに静かで、自分の呼吸の音だけが胸に響いた。
「……部活の邪魔してごめん、ほんとそれだけだから。じゃあな」
「……」
踵を返そうとした瞬間、制服の袖を引っ張られた。さっきと同じように、南条が俺の腕を掴んでいる。
「……え?」
振り向くと、彼は真剣な目でこちらを見ていた。普段なら絶対にしないような表情。それが新鮮で、驚きが隠せない。
「……南条?」
「……僕も帰る。だから、ちょっと待ってて」
そう言って南条は、ほんの一瞬だけ目を伏せると、美術室の中へと戻っていった。
その背中はどこか急いでいて、でも丁寧で、何かを背負っているようにも見える。
しばらく渡り廊下で待ち続けていた。
やがて、美術室から戻ってきた彼は、鞄を手に提げて戻ってくる。
「帰ろう」
「……いいの? 部活」
「……いい」
言葉は少ないけれど、その声には明らかな意思があるように思う。
ふたり並んで歩く帰り道。南条の手にはうっすらと絵の具のような跡がついていて、頑なだったはずの彼の横顔が、どこか柔らかく見えた。
「なんかさ、お前の絵って……あったかいよな。だから、本気で応援したいと思ってる」
ぽつりとこぼすと、南条は小さく息を吐いた。否定も肯定もせず、ただ歩く歩幅をほんのすこしだけ、俺に合わせる。
並んだ影が、道に長く伸びていく。すこしずつ秋が近づくのを感じた。
「俺はね、サッカー部だったんだ。最後の試合、ベンチ入りすらできなくて早期引退したんだけど。夢は、サッカー選手だった」
「……うん」
「でも、高校の部活ですらベンチ入りできないとか。もうムリじゃん? 才能なしじゃん? だから、夢なんてない。将来、どうなってもいいと思ってる」
南条を前にして、初めて本音が漏れた。
両手を高く上げて身体を伸ばし、嘲笑を浮かべる。
「……」
こんな重たい話を聞きながら、南條は何も言わずに、まっすぐ前を見ていた。
「ごめんな、突然重くて」
「……そんな卑屈にならなくてもいいのに」
「……ん?」
「夢は叶わないかもしれないけど、サッカーを頑張った事実は、否定しない方がいい」
どこか、大人びて見えた。
南条はいっさいこちらを見ない。
でも言葉はどこまでもまっすぐで、淡々としているけれど、強さがある気がした。
それがなんだか嬉しくて、すこし頬が緩む。
「ありがと、なんか元気出た」
「……うん」
静かな空気が流れていく。
初めて南条と過ごした下校時間は、なんとなく特別な時間のように思えた。
「僕……こんなふうに、誰かと一緒に帰るの、初めてかも」
ふと、南条が呟くように言った。
軽くて消えそうな声。だけど、込められた気持ちの重さは、何にも代えられないように感じる。
「……ならさ、帰れるとき……これからも一緒に帰らね?」
冗談めかして返すと、彼は肩をすくめた。
ほんのすこしだけ、笑っていた。その笑顔が、なんだか嬉しい。
「部活あるし、無理」
横顔を見つめていると、南条が小さくそう呟く。
「……でも、こういうのも、悪くない」
それに対して俺は、あえて何も言わなかった。
ただその言葉の余韻を、胸の奥で何度も繰り返す。
すこしだけうつむいて、南条に見られないように、こっそりと笑った。
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