放課後の君は、まだ遠い。

海月いおり

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最終章 光と空の先

3. お互いの光

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 卒業式まで、あと数日。
 教室の時計がゆっくりと午後を刻む頃、俺は小さく伸びをして、立ち上がった。
 ふと窓の外を見ると、校舎裏のあの場所に、誰かの影が見えた。
 ……南条だった。
 俺は鞄を持って、急いで教室を出る。
 廊下には春の匂いが満ちていて、遠くから部活の音が聞こえてきた。
 もうすぐ、すべてが終わる。そんな気配に包まれながら、足は自然と、あの場所へと向かっていた。

 校舎裏には、爽やかな風が吹いていた。
 南条はスケッチブックを胸に抱え、壁にもたれかかるようにして、空を見上げている。
「……待った?」
 声をかけると、南条は振り返って、目を細める。
 それだけで心臓が跳ねた。
「全然。むしろ、空を見上げる時間が取れてよかった」
「空?」
「うん。僕の大好きな、空」
 そう言って笑うその顔が、何よりも眩しい。
 南条は俺のことを〝光〟っていうけれど、俺から見れば、南条も〝光〟だ。
 ただ、恥ずかしくて言えないけれど。
 俺は、ゆっくりとその隣に並んだ。
 ふたりで壁にもたれながら、並んで空を見る。春の陽射しが、柔らかく頬を撫でていく。
「……白浜くんに、見て欲しい」
「ん?」
 そう呟いた南条は、持っていたスケッチブックをゆっくりと開いた。
 そこに現れた、1枚の絵。
 完成されているようで、どこか眩しさを覚える絵だった。
「この前から、白浜くんの絵を描いてただろう」
 南条はスケッチブックを立てて、絵を俺に向けてくれる。
 それは、笑顔の俺だった。
 思わず息をのむくらい、眩しく、嬉しそうに。誰かと話している時の、無防備な笑顔だった。
「……これ、俺、だよな?」
「うん」
 南条の声は、どこか照れていて、それでも真剣だった。
「俺、こんなにキラキラしてる?」
「うん。いつも言ってるじゃん。白浜くんは〝光〟だって」
 喉の奥が、ぎゅっとなる。
 絵の中の俺は、誰よりも楽しそうで、でも、それを見つめていた南条の視線まで、絵の中に溢れているようだった。
「……すげぇな」
「ありがとう。でも……ほんとうにすごいのは、白浜くんだよ」
 そっと視線が合う。
 その時、南条の手が、俺の頬にそっと触れた。
 指先が触れた場所だけ、春みたいに温かくて、甘くて、溶けそうになる。
「……触れてもいい?」
 囁くように言うその低い声が、すべてを撃ち抜いてくる。
「……もう触れてるし。確認しなくて、いいよ」
 次の瞬間、唇が重なった。
 とても静かに、でも確かに、お互いを確かめるみたいに。
 胸が痛くなるほど優しくて、どこまでも深い。
 唇が離れたとき、南条は目を伏せて、小さく呟いた。
「……この瞬間が、終わらなきゃいいのにって、思っちゃう」
「それ、俺も同じ」
 そう言って、もう一度、今度は俺の方からキスをした。
 世界が、ふたりだけのものになる。
 春の匂いと、陽のあたたかさと、重なった手のぬくもりと。
 全部が混じりあって、甘くて、どうしようもなく幸せだった。
 重なった唇が離れると、俺たちの間にふわりと余白ができる。
 南条は、すこしうつむいたまま、頬を染めていた。
 その表情が、どうしようもなく愛しくて。俺は、そっと手を伸ばして、南条の髪に触れた。
「……柔らかいな」
「……白浜くんの手は、温かい」
 控えめにそう返す声が、どこかくすぐったそうに揺れている。
 俺は、彼の顔をのぞき込むようにして、冗談まじりに言った。
「ていうか、南条……顔、真っ赤」
「うるさい……」
 ぷいと目を逸らしたその横顔が、また好きだと思った。
 ——ほんと、好きだ。
 その気持ちは、もうどうにもならないほどに。
 俺は、そっと身体を寄せた。
 南条は驚いたように目を開けたけれど、逃げようとはしなかった。
 むしろ、ほんのすこしだけ、こちらへ身を傾けるようにしてくれる。
 制服の袖が触れ合って、指先が重なって、頬と頬が、そっと寄り添って——
「……好きだよ、陽生」
 耳元で囁くと、南条の肩がぴくりと揺れる。
「……また、そんなこと……」
「だって、ほんとうだもん」
「……ずるい」
「何が?」
「白浜くんに〝好き〟って言われたら……もう、抗えない」
 ぽつりとこぼしたその声が、あまりにも優しくて、胸が強く締めつけられた。
 俺は両手を伸ばし、南条の身体に抱き着く。
 ぎゅっと、優しく、けれど絶対に離さないと誓うようだった。
「抗う必要なんてなくない? てか大人しく、俺に守られてみる?」
「……言ったな、それ。背は僕の方が大きいけど」
「言った。絶対に嘘じゃない。身長は……関係ないっ!」
 俺は南条の胸元に、そっと顔を埋める。
 耳の横にかかる髪がふわっとかすれて、身体がかすかに震えた。
 ——これが、俺の好きな人。
 触れて、抱いて、確かめて、ようやく手にしたぬくもりを、もう絶対に離したくなかった。

 しばらくそうしていた、誰もいない校舎裏。
 ただ、俺たちの呼吸と心音がだけが、春の空気に溶けていく。
「……あの絵、持って帰っていい?」
 ぽつりと尋ねると、南条は顔を上げて、目を丸くした。
「……え?」
「だめ?」
「いや、いいけど……なんか、恥ずかしい」
「家に飾る」
「やめて、それこそ恥ずかしい」
「……4月から、ひとり暮らしなんだ。寂しいからさ、南条が描いた絵、そばに置いておきたい。だから……その時、飾りに来てよ」
 ふと、南条が目を瞬かせた。
 そして、すこしだけ笑って、ゆっくり頷く。
「……うん、わかった。飾りに行く」
「うぉ、やった!!」
 俺は喜びのあまり、心の中でガッツポーズをする。
 南条は優しく笑い続けていた。

 未来のことなんて、まだわからない。
 でも、こうして〝一緒にいられる〟誰かがいるだけで、世界はすこしだけ優しく見える。
 笑顔を浮かべた南条は、何よりも美しかった。

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