15 / 15
再起は走馬灯に導かれ
しおりを挟む
「ぐ……!」
マイクステッキが迫る中、あくまちゃんは腹部を貫いた苦痛に呻きながら過去を走馬灯のように思い出していた。
まだあくまちゃんがスイートデビルノクティスの筆頭ではなく、彼女の親が率いていた頃。あくまちゃんはとある少女の護衛を言いつけられた。
それがみるくだった。
「はあ? なんでオレ様が護衛なんて退屈なことをしなきゃなんねえんだよ! もっと黒蜜が煮えたぎるような刺激的な任務をくれよ、親父!」
反抗的なあくまちゃんの頭に、ごつんとげんこつが落ちた。あくまちゃんは頭を押さえてその場に膝をついた。
「いっでー!」
「みるくはなゆ王家の血を継ぐ大切な存在、その護衛は誉れある任務だ。しっかりやってこい」
黒蜜色の重厚な椅子に腰掛け、黒蜜葉巻を口に黒煙をくゆらせる父親に、あくまちゃんは不服そうにうなずいた。
「くそ、わーったよ! だがこの任務が終わったらあんたらがいつもやってるような任務にオレ様も連れてけよな!」
「約束しよう」
ガッツポーズをし、どたばたと足音を鳴らしながら、出ていった娘の背中を見て、父親はため息をついた。
「……さて、しっかりやれよダルカ。お前はこの俺の自慢の娘、次期スイートデビルノクティス筆頭なんだからな」
扉の先で、あくまちゃんは父親の言葉を聞いていた。
「……バカ親父め」
護衛任務初日。シュガーリウム城の裏庭、甘露の噴水前であくまちゃんは腕を組んでみるくを待っていた。
「……ちっ、来ねえじゃねえかよ。みるくってやつ!」
愚痴りながら、くるくると影糖術で創り出した短剣を回していたその時――。
「あの……あなたが護衛の……?」
小さな声。振り向けば俯きがちなみるくが車椅子で現れた。その下半身は足元まで布で隠されたその膝上には一冊の本が置かれていた。
「そうだ、オレ様があんたの護衛だ。ってか遅えんだよ」
あくまちゃんのぶっきらぼうな物言いにびくっとしたみるくは、その瞳から大粒の涙をこぼした。
「ご、ごめんなさい。私、今こんなだから……」
涙を拭って無理矢理笑みを作ろうとしているみるくから、あくまちゃんはいたたまれなくなって目をそらした。
その姿は触れたら壊れてしまいそうで、あまりにも儚げだった。
「……どうしてんなことになってんだよ。お前も王族なんだろ? オレ様ほど優秀じゃないにしても護衛はついてたはずだ」
「そ、その……」
数日前、両親と外出していたみるくは山道で上から転がり落ちる砂糖岩に襲われた。
護衛たちは身を挺して両親とみるくを守ろうとしたが、落岩の勢いは激しく、それは叶わなかった。
両親は、みるくを守るために彼女に覆い被さった。
――結果として生き残ったのはみるく一人。両親と親しかった護衛を一度に失い、彼女自身も両足を骨折する大怪我を負った。
それを聞いたあくまちゃんは、拳を強く握りしめていた。
「んだよ、それ。めちゃくちゃツラいじゃねえか……!」
あくまちゃんはみるくの頭に手を伸ばし、ポンと優しく置いた。そして牙を覗かせて豪快に笑う。
「だが安心しな! オレ様はとびっきりデキる甘味悪魔だ。お前を怖がらせるもんは全部吹っ飛ばしてやるよ、その心の傷もな」
「ありがとう、その。ダルカさん……?」
「あくまちゃんと呼べ。そっちで通ってんだ、オレ様は」
「わ、わかりました。あくまちゃん……」
ぶっきらぼうな、でも暖かみのある言葉はみるくの胸を力強く打った。
その日からあくまちゃんはみるくに寄り添い、励まし続けた。その甲斐あって、みるくは少しずつだが笑うようになっていった。
「みるく、お前いつも本読んでるよな。なんの本なんだ?」
ある日、みるくの車椅子を押して城の庭を歩いていたあくまちゃんが何の気なしに問いかけた。みるくは口元に微かな笑みを作り、その本をそっと見せた。
「目指せ、スイートアイドル……? みるく、お前アイドルになりたいのか?」
「うん、お父様とお母様も応援してくれてた。難しいかもしれないけど、頑張ってみたいの……」
おどおどと、でもたしかに主張したみるくを見たのはこれが初めてだった。あくまちゃんは目を輝かせ、その肩に手を置く。
真剣な眼差しで真っ向から見つめる。みるくの白い肌は、一瞬にして紅潮した。
「あぅ……」
「いいじゃねえか。やっちまえよ、オレ様が最初のファンになってやらぁ」
「う、うれしい……。あくまちゃんがわたしの事応援してくれるなら、頑張れる気がする」
本を置いて指先を胸の前でもじもじと動かす、みるくの胸には淡い恋心が宿っていた。
(いつか……いつの日か、スイートデビルノクティスを背負うあくまちゃんに相応しいわたしになって……
この想いを伝えたい。それはきっと、どんなアイドル活動よりも勇気がいることだけど――)
それから数年、あくまちゃんスイートデビルノクティスの筆頭を目指して、みるくは足の骨折も治り、アイドルを目指して努力を怠らなかった。だが――。
「おい、親父……どういうことだよ……!」
黒蜜蝋燭の明かりだけが照らすスイートデビルノクティス本部内。あくまちゃんは、父親の胸元を掴んでいた。
「――甘枯らしの風がなゆ国に迫っている。これは、すべての甘味を喰らい尽くす魔象だ。俺たちはなゆ王家、甘天界の天使と連携してこいつを叩く。恐らくはもう戻ってはこれないだろう」
それが初めて確認されたのは数百年前。当時そこにあった甘味のすべてが、一夜にして白灰と化した。人も、動物も、悪魔も天使も。ただ一つの例外もなく。
「ざけんじゃねえぞ……バカ親父……!」
怒りのままに、あくまちゃんは傍にあった椅子を蹴り飛ばした。椅子は窓を割って外へ落ちる。割れた窓から流れ込んできたのは、甘味の香りのない風。
「もう影響が出始めてる。なゆ国にこれ以上接近する前に、手を打つしかねえんだ」
「親父、いつも俺は最強だって言ってたじゃねえか! そんなもん、いつもみてえに笑って吹っ飛ばせよ!」
あくまちゃんは自分の父親が最強だと信じて疑っていなかった。だが、首を振った父親の姿に肩を落とすしかなかった。その頭を大きな手が撫でる。肩を震わせたあくまちゃんの目から落ちた涙が、床を濡らしていた。
「ダルカ、お前は自慢の娘だ。この国を頼んだぞ」
豪快に笑ってマントをはためかせながら。あくまちゃんが割った窓から飛び出した背中。それが、あくまちゃんが最後に見た生きた父の姿だった。
そして先代のスイートデビルノクティスたち。甘天界の天使たち。なゆ姫の父と母が、あらゆる甘味を枯死させる甘枯らしの風に立ち向かった。
――悪魔たちが黒蜜結界の陣を張り、
――天使たちが白蜜障壁を重ねて抗い、
――なゆ姫の父と母が、そこにいた全員の命を燃料にして甘枯らしの風を封じ込めた。
先代たちは砂糖の彫像となり、風に吹かれて消えていった。
なゆ姫、てんしちゃん、あくまちゃんは泣くことしかできなかった。
「……お父様、お母様……!」
「皆様は立派でした。守り抜いたその雄姿を私たちは決して忘れません……!」
「クソ……クソクソッ! バカ親父――ッッ!!!」
あくまちゃんの叫び声だけが甘味を取り戻しつつある空に虚しく響いていた。
あくまちゃんはかつて父親が身につけていたマントを纏い、砂糖になった父の破片を入れた小瓶を握りしめてまだ何の準備もできないままに国を背負って立つことになったなゆ姫の傍に、みるくとてんしちゃんと共に立っていた。
不安そうな民たちを前に、なゆ姫は壇上からマイクを片手に宣言する。
「私たちは、偉大なる先代の皆様を甘枯らしの風という魔象によって喪いました。ですが私は彼らの誇りであったなゆを継いだ、正統なる姫です。至らない点はあるかもしれませんが、どうか皆様の力をお貸しください。先代が守り抜いたこの国を、より良い国にするために――」
民は、その言葉に頷いた。姫を称える声が徐々に広がり始めた。そして、なゆ姫からマイクを受け取ったあくまちゃんが前に出る。
「……親父はいなくなっちまったけど、親父が始めたスイートデビルノクティスは最強だ。オレ様はぜってえ誰にも負けねえ。負けねえ限り、親父の名は、スイートデビルノクティスは最強の名とともに在り続けるッ!
このオレ様が、今この瞬間からスイートデビルノクティス筆頭のあくまちゃんだ!」
力強い宣言に、民たちは励まされて一気に盛り上がりを見せた。立場を継承したなゆ姫とてんしちゃん、あくまちゃんは上に立つ者が民の前で泣いてはならないと、必死にこらえていた。
――その日の夜。あくまちゃんは父親が使っていた本部の寝室で夜を過ごした。懐かしい香りに、自然と涙が溢れて出てきた。
「バカ親父ぃ……!」
寝室の扉が静かに開かれた。そこにいたのはみるくで、あくまちゃんは慌てて涙を拭い、起き上がった。
「……オレ様になんか用かよ」
「どうして……どうして泣いてたのを隠すの?」
「何言ってんだ、オレ様は筆頭だぞ? 泣くわけ――」
その言葉を遮って、みるくはあくまちゃんの肩に手を置いた。それはいつかの日と逆の構図で戸惑いを隠せないあくまちゃんに、みるくは言葉を続ける。
「わたしが大切なものすべてを失って泣いてたとき、あくまちゃんは私の涙を否定しなかった」
「……」
「あくまちゃんだって、泣いていいんだよ! 泣いて、わんわん泣いて――そうやって前に進むの! あくまちゃんがあのとき、私の心の支えになってくれたように、今度は私があくまちゃんの心を支える番!」
にっこりと微笑んだみるくを前に、あくまちゃんの目からぼろぼろと涙がこぼれた。
「う……ああ……っ! あああああぁぁぁぁ……っ! 親父が、親父がもういないなんて……いやだあ……っ!」
自分の頬に触れて、それを確かめた瞬間、あくまちゃんは子どもに帰ったように泣き出して、震えていた。その背中に、優しく手を回してくれたみるくの腕の中で、日が沈んでもずっと泣き叫んでていた――。
◇ ◆ ◇
「そうだ……! 優しいお前が、こんなことやるはずがねえ……!」
走馬灯のように巡った記憶が、あくまちゃんを再起させた。
――マイクステッキを甘魔力を込めた左腕で受け止め、押し返して立ち上がる。その勢いのまま、みるくの身体を弾き飛ばしたり
懐から取り出した、黒蜜が入った小瓶を傾けて傷口に垂らすと、黒い煙を上げて傷が癒えていく。
「くくっ、初撃でオレ様の心臓でもぶちぬいてりゃ仕留められたのによ。はっきりと分かったぜ! お前が闇なゆに抗ってるってなあ!」
「……うるさい……!」
黒い蜜血を吐き捨て、拳を鳴らしたあくかまちゃんがみるくへと力強く脚を踏み出し、空気を震わせながら迫る。
みるくは揺れる瞳でマイクステッキを構え、マイクステッキから風弾を連射するがそのすべてを拳で打ち抜いていた。
気が付けば、あくまちゃんはみるくの眼の前にいた。乾いた音が響く――あくまちゃんが、みるくの頬を叩いていた。
目を見開いたみるくが叫ぶ。
「なんのつもり……!?」
「オレ様がお前を必ず戻してやる! だから待ってろよ、みるく――ッ!」
みるくの身体に、黒い模様が浮かぶ。その背に禍々しく黒い翼を生やして、鎌へと変化したマイクステッキを手に空高く飛び上がる。
「――その言葉、叶わないって教えてあげる!」
黒蜜翼をはためかせ、みるくを追うあくまちゃん。その翼が放つ甘魔力は、夜空を焦がすように輝きながらみるくこ闇なゆの魔力とと真正面からぶつかった。
――甘魔力と闇魔力の空そのものを引き裂く衝突。黒蜜の濃黒と、闇なゆの呪詛じみた黒重なって何よりも深い黒を生みだしていく。
振動が大気ごと甘味の粒子を震わせ、びりびりと空間そのものが裂けるような悲鳴を上げた――。
マイクステッキが迫る中、あくまちゃんは腹部を貫いた苦痛に呻きながら過去を走馬灯のように思い出していた。
まだあくまちゃんがスイートデビルノクティスの筆頭ではなく、彼女の親が率いていた頃。あくまちゃんはとある少女の護衛を言いつけられた。
それがみるくだった。
「はあ? なんでオレ様が護衛なんて退屈なことをしなきゃなんねえんだよ! もっと黒蜜が煮えたぎるような刺激的な任務をくれよ、親父!」
反抗的なあくまちゃんの頭に、ごつんとげんこつが落ちた。あくまちゃんは頭を押さえてその場に膝をついた。
「いっでー!」
「みるくはなゆ王家の血を継ぐ大切な存在、その護衛は誉れある任務だ。しっかりやってこい」
黒蜜色の重厚な椅子に腰掛け、黒蜜葉巻を口に黒煙をくゆらせる父親に、あくまちゃんは不服そうにうなずいた。
「くそ、わーったよ! だがこの任務が終わったらあんたらがいつもやってるような任務にオレ様も連れてけよな!」
「約束しよう」
ガッツポーズをし、どたばたと足音を鳴らしながら、出ていった娘の背中を見て、父親はため息をついた。
「……さて、しっかりやれよダルカ。お前はこの俺の自慢の娘、次期スイートデビルノクティス筆頭なんだからな」
扉の先で、あくまちゃんは父親の言葉を聞いていた。
「……バカ親父め」
護衛任務初日。シュガーリウム城の裏庭、甘露の噴水前であくまちゃんは腕を組んでみるくを待っていた。
「……ちっ、来ねえじゃねえかよ。みるくってやつ!」
愚痴りながら、くるくると影糖術で創り出した短剣を回していたその時――。
「あの……あなたが護衛の……?」
小さな声。振り向けば俯きがちなみるくが車椅子で現れた。その下半身は足元まで布で隠されたその膝上には一冊の本が置かれていた。
「そうだ、オレ様があんたの護衛だ。ってか遅えんだよ」
あくまちゃんのぶっきらぼうな物言いにびくっとしたみるくは、その瞳から大粒の涙をこぼした。
「ご、ごめんなさい。私、今こんなだから……」
涙を拭って無理矢理笑みを作ろうとしているみるくから、あくまちゃんはいたたまれなくなって目をそらした。
その姿は触れたら壊れてしまいそうで、あまりにも儚げだった。
「……どうしてんなことになってんだよ。お前も王族なんだろ? オレ様ほど優秀じゃないにしても護衛はついてたはずだ」
「そ、その……」
数日前、両親と外出していたみるくは山道で上から転がり落ちる砂糖岩に襲われた。
護衛たちは身を挺して両親とみるくを守ろうとしたが、落岩の勢いは激しく、それは叶わなかった。
両親は、みるくを守るために彼女に覆い被さった。
――結果として生き残ったのはみるく一人。両親と親しかった護衛を一度に失い、彼女自身も両足を骨折する大怪我を負った。
それを聞いたあくまちゃんは、拳を強く握りしめていた。
「んだよ、それ。めちゃくちゃツラいじゃねえか……!」
あくまちゃんはみるくの頭に手を伸ばし、ポンと優しく置いた。そして牙を覗かせて豪快に笑う。
「だが安心しな! オレ様はとびっきりデキる甘味悪魔だ。お前を怖がらせるもんは全部吹っ飛ばしてやるよ、その心の傷もな」
「ありがとう、その。ダルカさん……?」
「あくまちゃんと呼べ。そっちで通ってんだ、オレ様は」
「わ、わかりました。あくまちゃん……」
ぶっきらぼうな、でも暖かみのある言葉はみるくの胸を力強く打った。
その日からあくまちゃんはみるくに寄り添い、励まし続けた。その甲斐あって、みるくは少しずつだが笑うようになっていった。
「みるく、お前いつも本読んでるよな。なんの本なんだ?」
ある日、みるくの車椅子を押して城の庭を歩いていたあくまちゃんが何の気なしに問いかけた。みるくは口元に微かな笑みを作り、その本をそっと見せた。
「目指せ、スイートアイドル……? みるく、お前アイドルになりたいのか?」
「うん、お父様とお母様も応援してくれてた。難しいかもしれないけど、頑張ってみたいの……」
おどおどと、でもたしかに主張したみるくを見たのはこれが初めてだった。あくまちゃんは目を輝かせ、その肩に手を置く。
真剣な眼差しで真っ向から見つめる。みるくの白い肌は、一瞬にして紅潮した。
「あぅ……」
「いいじゃねえか。やっちまえよ、オレ様が最初のファンになってやらぁ」
「う、うれしい……。あくまちゃんがわたしの事応援してくれるなら、頑張れる気がする」
本を置いて指先を胸の前でもじもじと動かす、みるくの胸には淡い恋心が宿っていた。
(いつか……いつの日か、スイートデビルノクティスを背負うあくまちゃんに相応しいわたしになって……
この想いを伝えたい。それはきっと、どんなアイドル活動よりも勇気がいることだけど――)
それから数年、あくまちゃんスイートデビルノクティスの筆頭を目指して、みるくは足の骨折も治り、アイドルを目指して努力を怠らなかった。だが――。
「おい、親父……どういうことだよ……!」
黒蜜蝋燭の明かりだけが照らすスイートデビルノクティス本部内。あくまちゃんは、父親の胸元を掴んでいた。
「――甘枯らしの風がなゆ国に迫っている。これは、すべての甘味を喰らい尽くす魔象だ。俺たちはなゆ王家、甘天界の天使と連携してこいつを叩く。恐らくはもう戻ってはこれないだろう」
それが初めて確認されたのは数百年前。当時そこにあった甘味のすべてが、一夜にして白灰と化した。人も、動物も、悪魔も天使も。ただ一つの例外もなく。
「ざけんじゃねえぞ……バカ親父……!」
怒りのままに、あくまちゃんは傍にあった椅子を蹴り飛ばした。椅子は窓を割って外へ落ちる。割れた窓から流れ込んできたのは、甘味の香りのない風。
「もう影響が出始めてる。なゆ国にこれ以上接近する前に、手を打つしかねえんだ」
「親父、いつも俺は最強だって言ってたじゃねえか! そんなもん、いつもみてえに笑って吹っ飛ばせよ!」
あくまちゃんは自分の父親が最強だと信じて疑っていなかった。だが、首を振った父親の姿に肩を落とすしかなかった。その頭を大きな手が撫でる。肩を震わせたあくまちゃんの目から落ちた涙が、床を濡らしていた。
「ダルカ、お前は自慢の娘だ。この国を頼んだぞ」
豪快に笑ってマントをはためかせながら。あくまちゃんが割った窓から飛び出した背中。それが、あくまちゃんが最後に見た生きた父の姿だった。
そして先代のスイートデビルノクティスたち。甘天界の天使たち。なゆ姫の父と母が、あらゆる甘味を枯死させる甘枯らしの風に立ち向かった。
――悪魔たちが黒蜜結界の陣を張り、
――天使たちが白蜜障壁を重ねて抗い、
――なゆ姫の父と母が、そこにいた全員の命を燃料にして甘枯らしの風を封じ込めた。
先代たちは砂糖の彫像となり、風に吹かれて消えていった。
なゆ姫、てんしちゃん、あくまちゃんは泣くことしかできなかった。
「……お父様、お母様……!」
「皆様は立派でした。守り抜いたその雄姿を私たちは決して忘れません……!」
「クソ……クソクソッ! バカ親父――ッッ!!!」
あくまちゃんの叫び声だけが甘味を取り戻しつつある空に虚しく響いていた。
あくまちゃんはかつて父親が身につけていたマントを纏い、砂糖になった父の破片を入れた小瓶を握りしめてまだ何の準備もできないままに国を背負って立つことになったなゆ姫の傍に、みるくとてんしちゃんと共に立っていた。
不安そうな民たちを前に、なゆ姫は壇上からマイクを片手に宣言する。
「私たちは、偉大なる先代の皆様を甘枯らしの風という魔象によって喪いました。ですが私は彼らの誇りであったなゆを継いだ、正統なる姫です。至らない点はあるかもしれませんが、どうか皆様の力をお貸しください。先代が守り抜いたこの国を、より良い国にするために――」
民は、その言葉に頷いた。姫を称える声が徐々に広がり始めた。そして、なゆ姫からマイクを受け取ったあくまちゃんが前に出る。
「……親父はいなくなっちまったけど、親父が始めたスイートデビルノクティスは最強だ。オレ様はぜってえ誰にも負けねえ。負けねえ限り、親父の名は、スイートデビルノクティスは最強の名とともに在り続けるッ!
このオレ様が、今この瞬間からスイートデビルノクティス筆頭のあくまちゃんだ!」
力強い宣言に、民たちは励まされて一気に盛り上がりを見せた。立場を継承したなゆ姫とてんしちゃん、あくまちゃんは上に立つ者が民の前で泣いてはならないと、必死にこらえていた。
――その日の夜。あくまちゃんは父親が使っていた本部の寝室で夜を過ごした。懐かしい香りに、自然と涙が溢れて出てきた。
「バカ親父ぃ……!」
寝室の扉が静かに開かれた。そこにいたのはみるくで、あくまちゃんは慌てて涙を拭い、起き上がった。
「……オレ様になんか用かよ」
「どうして……どうして泣いてたのを隠すの?」
「何言ってんだ、オレ様は筆頭だぞ? 泣くわけ――」
その言葉を遮って、みるくはあくまちゃんの肩に手を置いた。それはいつかの日と逆の構図で戸惑いを隠せないあくまちゃんに、みるくは言葉を続ける。
「わたしが大切なものすべてを失って泣いてたとき、あくまちゃんは私の涙を否定しなかった」
「……」
「あくまちゃんだって、泣いていいんだよ! 泣いて、わんわん泣いて――そうやって前に進むの! あくまちゃんがあのとき、私の心の支えになってくれたように、今度は私があくまちゃんの心を支える番!」
にっこりと微笑んだみるくを前に、あくまちゃんの目からぼろぼろと涙がこぼれた。
「う……ああ……っ! あああああぁぁぁぁ……っ! 親父が、親父がもういないなんて……いやだあ……っ!」
自分の頬に触れて、それを確かめた瞬間、あくまちゃんは子どもに帰ったように泣き出して、震えていた。その背中に、優しく手を回してくれたみるくの腕の中で、日が沈んでもずっと泣き叫んでていた――。
◇ ◆ ◇
「そうだ……! 優しいお前が、こんなことやるはずがねえ……!」
走馬灯のように巡った記憶が、あくまちゃんを再起させた。
――マイクステッキを甘魔力を込めた左腕で受け止め、押し返して立ち上がる。その勢いのまま、みるくの身体を弾き飛ばしたり
懐から取り出した、黒蜜が入った小瓶を傾けて傷口に垂らすと、黒い煙を上げて傷が癒えていく。
「くくっ、初撃でオレ様の心臓でもぶちぬいてりゃ仕留められたのによ。はっきりと分かったぜ! お前が闇なゆに抗ってるってなあ!」
「……うるさい……!」
黒い蜜血を吐き捨て、拳を鳴らしたあくかまちゃんがみるくへと力強く脚を踏み出し、空気を震わせながら迫る。
みるくは揺れる瞳でマイクステッキを構え、マイクステッキから風弾を連射するがそのすべてを拳で打ち抜いていた。
気が付けば、あくまちゃんはみるくの眼の前にいた。乾いた音が響く――あくまちゃんが、みるくの頬を叩いていた。
目を見開いたみるくが叫ぶ。
「なんのつもり……!?」
「オレ様がお前を必ず戻してやる! だから待ってろよ、みるく――ッ!」
みるくの身体に、黒い模様が浮かぶ。その背に禍々しく黒い翼を生やして、鎌へと変化したマイクステッキを手に空高く飛び上がる。
「――その言葉、叶わないって教えてあげる!」
黒蜜翼をはためかせ、みるくを追うあくまちゃん。その翼が放つ甘魔力は、夜空を焦がすように輝きながらみるくこ闇なゆの魔力とと真正面からぶつかった。
――甘魔力と闇魔力の空そのものを引き裂く衝突。黒蜜の濃黒と、闇なゆの呪詛じみた黒重なって何よりも深い黒を生みだしていく。
振動が大気ごと甘味の粒子を震わせ、びりびりと空間そのものが裂けるような悲鳴を上げた――。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
『辺境伯一家の領地繁栄記』序章:【動物スキル?】を持った辺境伯長男の場合
鈴白理人
ファンタジー
北の辺境で雨漏りと格闘中のアーサーは、貧乏領主の長男にして未来の次期辺境伯。
国民には【スキルツリー】という加護があるけれど、鑑定料は銀貨五枚。そんな贅沢、うちには無理。
でも最近──猫が雨漏りポイントを教えてくれたり、鳥やミミズとも会話が成立してる気がする。
これってもしかして【動物スキル?】
笑って働く貧乏大家族と一緒に、雨漏り屋敷から始まる、のんびりほのぼの領地改革物語!
悪役女王アウラの休日 ~処刑した女王が名君だったかもなんて、もう遅い~
オレンジ方解石
ファンタジー
恋人に裏切られ、嘘の噂を立てられ、契約も打ち切られた二十七歳の派遣社員、雨井桜子。
世界に絶望した彼女は、むかし読んだ少女漫画『聖なる乙女の祈りの伝説』の悪役女王アウラと魂が入れ替わる。
アウラは二年後に処刑されるキャラ。
桜子は処刑を回避して、今度こそ幸せになろうと奮闘するが、その時は迫りーーーー
エメラインの結婚紋
サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢エメラインと侯爵ブッチャーの婚儀にて結婚紋が光った。この国では結婚をすると重婚などを防ぐために結婚紋が刻まれるのだ。それが婚儀で光るということは重婚の証だと人々は騒ぐ。ブッチャーに夫は誰だと問われたエメラインは「夫は三十分後に来る」と言う。さら問い詰められて結婚の経緯を語るエメラインだったが、手を上げられそうになる。その時、駆けつけたのは一団を率いたこの国の第一王子ライオネスだった――
公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌
招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」
毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。
彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。
そして…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる