モンキー骨董屋

さる

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武器

余波

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事件からしばらくして、
世間の視線は、爆発そのものから――
布川義雄という人物へと移っていった。

社内メール。
録音データ。
匿名掲示板に投下された、断片的な証言。

「お前は無能だ」
「代わりはいくらでもいる」
「人格の問題だ」

それらは、
一人の上司の“指導”として処理されてきた言葉だった。

だが、
中川みどりの名前が報道されるにつれ、
それらは別の意味を帯び始める。

――長期にわたるパワーハラスメント
――人格否定の常習
――複数の部下が休職、退職

メディアは、
一斉に布川を叩いた。

生きていれば、
確実に社会的に裁かれていたであろう男。

だが彼は、
すでに死んでいる。

だからこそ、
非難は“行き場”を失った。


矛先は、
残された親類へと向かう。

親戚だというだけで、
名前を晒され、
関係を問い詰められる。

「同類じゃないのか」
「知ってて黙ってたんだろう」

自宅に届く無言電話。
郵便受けに投げ込まれる紙切れ。
ネットに書き込まれる、根拠のない断定。

誰もが、
正義の側に立っているつもりだった。

だが、
その正義は――
とても静かに、人を追い詰めていった。

数か月後、
小さな記事が、
片隅に掲載される。

――布川家の親族の一人が、
 精神的な不調を理由に死亡。

詳細は、書かれなかった。
書く必要がない、という判断だった。

それが“自ら命を絶った”ことを、
読む側は、察するだけでよかった。


誰かが言った。

「因果応報だ」

誰かが、
頷いた。

だが、
本当に報われた者が、
この連鎖の中に一人でもいたのか。

答えは、
どこにも示されない。

ただ、
一つの事件が引き起こした波紋は、
家族でも、加害者でも、被害者でもない人間を
次々と飲み込んでいった。

そして――
それを遠くから眺める者たちが、
静かに次の“順番”を待っている。

そんな気配だけが、
社会の底に、澱のように溜まり続けていた。






部屋は暗かった。
灯りは落とされ、カーテンも閉め切られている。

唯一の光源は、
壁に掛けられたテレビの画面だけだった。

ニュース番組が、
淡々と原稿を読み上げている。

〈――布川義雄氏のパワーハラスメント体質が次々と明るみに出ています〉
〈――社内証言によれば、人格否定とも取れる発言が日常的に――〉

画面には、
モザイクのかかった資料映像。
匿名の声。
煽るようなテロップ。

ブルーノは、
部屋の奥の椅子に腰掛けたまま、
身じろぎひとつせずそれを見ていた。

顔の半分だけが、
テレビの光に照らされる。

〈――残された親類への誹謗中傷も深刻化しており――〉
〈――精神的な負担から、命を絶ったとみられる親族も――〉

その瞬間、
ブルーノの口元が、
わずかに吊り上がる。

笑い声は出ない。
息も乱れない。

ただ、
不敵な笑み。

まるで、
予定されていた展開を
一つずつ確認しているようだった。

「……綺麗だ」

誰に聞かせるでもなく、
そう呟く。

「個人が壊れて、
 家族が壊れて、
 周囲まで壊れていく」

ニュースキャスターの声が、
部屋に反響する。

「正義」という言葉が、
画面の端に踊る。

ブルーノは、
その文字を見つめながら、
ゆっくりと指を組んだ。

「誰も手を汚したくないのに、
 結果だけは欲しがる」

笑みが、
ほんの少し深くなる。

テレビの光が、
彼の瞳に反射する。

そこには、
罪悪感も、躊躇もない。

あるのはただ、
社会という装置が、
 思った通りに回っていることへの満足だけだった。

画面が、
次のニュースへと切り替わる。

ブルーノは、
それでもしばらく、
暗闇の中で動かなかった。

まるで――
次の“報せ”が流れるのを、
静かに待っているかのように。



テレビの音量が、わずかに下げられる。

暗い部屋に残るのは、
ニュースの切れ端のような言葉と、
画面の残光だけだった。

ブルーノは、
リモコンを置き、
しばらく黙っていた。

――ブルーノ。
それは、今の名前だ。
正規の段取りなど踏んでいない。
仮名を掲げ、
全てを捨て、
"孤立"から得られる生き甲斐を、
正義のナイフを忍ばせる。




本当の名は、
青野 武(あおの・たけし)。

その名を呼ぶ人間は、
もうどこにもいない。

彼は、
ふと視線を落とす。

テーブルの隅に、
裏返しに伏せられた写真立てがあった。
割れてはいない。
だが、表に向けられることもない。

そこに写っているのは、
かつての妻。

働き者で、
「大丈夫」が口癖だった女。

青野は、
彼女が無理をしていることに
気づいていなかったわけではない。

だが、
止めなかった。

止める言葉を、
選ばなかった。

過労。
その三文字で片付けられた死。

会社は謝罪し、
制度を見直し、
数年後には何事もなかったかのように回り続けた。

個人だけが、
確実に失われた。

「……同じだ」

青野は、
小さく呟く。

「名前を変えても、
 構造は変わらない」

テレビの中では、
布川義雄の名前が、
もう“過去の人間”として処理されている。

加害者は死に、
責任は分散され、
社会は次の話題へ進む。

青野の口元に、
またあの笑みが浮かぶ。

だがそれは、
先ほどの不敵さとは少し違っていた。

怒りでも、
悲しみでもない。

確信に近いもの。

「救われなかった人間は、
 自分で終わらせるしかない」

そう信じることでしか、
自分が前に進めなかった男の顔。

青野武は、
ブルーノとして生きることを選んだ。

それは逃避ではなく、
役割だった。

社会が見て見ぬふりをする“限界”を、
形にする役。

彼は再び、
テレビの電源を落とす。

闇が、
完全に部屋を支配する。

その中で、
青野は静かに目を閉じた。

――次に壊れるのは、
どこだ。

その問いだけが、
胸の奥で、
温度を持たずに灯っていた。



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