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木から落ちてきたのは?

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 ――ドシン!



 と重たい音を鳴らして、少し離れたところにある木の上から、黒い何かが落ちてきた。



「なになになに?」



 私は動揺して一歩後ずさる。そこへ、



「そうそう、人魚伝説そのろくがまだだったね」とチェルヒェが呑気に口を開いた。



 ――そんなん、今はどうでもいいわ!



 私は内心でツッコミを入れはしたものの、今はとにかく、木から落ちてきた黒い物体がもぞもぞ動いていていて気が抜けない。私は無言に彼の言葉を無視したのだが、しかしチェルヒェはお構いなしで言葉を続ける。



「人魚伝説そのろく、喋らない人魚を殺すと国は滅びる」




 チェルヒェがこう呑気に話すうちにも、黒い何かはやっと木から落ちた衝撃が和らいだのか、ようやく立ち上がりはじめている。そして――。



 ――ヒュン



 風を切る音が聞こえたかと思うと、またチェルヒェが私の目の前で弓矢を捕まえていた。



「そして人魚伝説そのごでも言ったけど、人魚の肉を食べれば不老不死になるなんて伝説があるせいで、皆、喉から出るほどに君の死肉が欲しいんだよねぇ。あーあ、だから命が惜しければ喋らない方が無難だって言ったのにさあ。自覚してよね」



 そうチェルヒェは非難の口調で私に言った。



 私はチェルヒェと初めて会ったときの会話を思い出し、「あれはそう言う意味だったのか」と納得した。のだが、



 ――それもっとはやく教えて欲しかったんだけどぉ‼‼



 と内心でスクリーム。



 その間にも黒い影は、弓矢で私を仕留めるのは無理と判断したのか、次の段階へ作戦を変更しはじめていた。腰のあたりから、すらりとした長細い何かを引き出して、体の前に構えている。月の光を反射して、一筋の光のように見えるそれは――見とれるほどにとても綺麗なものだったが、恐らくは――剣なのだろうな、と容易に予測がついた。きっとそれで私を切り殺すつもりなのでしょうね……。



 ――っ……!



 私はその細くも鋭利な輝きを目の当たりにして、徐々に、そしてようやく、自分の命が狙われているという状況を現実のものとして飲み込めてきた。と、同時に思考は白んでパニックの叫びが脳内にこだまする。が、声は喉の奥に閉じ込められ、掠れた吐息が漏れるばかり。逃げたくても、足はすくんで体は全く動けない。

 渇きはじめた喉を潤すように私は唾液を大きくごくりと飲み込み、徐々に速まる心臓と呼吸の音を全身で感じることしか出来なくなってしまった。



 そして、剣を構えた影は、私に向かって一直線に走ってくる。



 ――タッ、タッ、タッ、タッ、タ……



 私は思わず両目をギュッとつぶり身を縮こませる。



 ――タッ、タッ、タッ、タッ、タ……



 しかし芝生を踏みつけ走る足音は、思ったよりゆったりとしたテンポで迫り来る。



 ――ん……あれ?



 私は恐る恐る薄目を開いた。月に照らされるその陰はゆっくりゆっくり迫ってきていた。襲来者・暗殺者というイメージがあった影であったが、そのスピードはそのイメージから大いにかけ離れたものである。この人さっき木から落ちてたし、もしかして、ドジな人なの?



 そう思うと、私の緊張の糸は少し緩んで、私は少し落ち着きを取り戻しはじめた。呼吸や心臓の音も急流を脱したように緩やかになる。



 しかし、身が固まってしまった私は、パニックに白んだ思考こそ、その霧は晴れてはきたが、見開いた両目でその影の姿を凝視し、観察することしかできない。迫る影は、月明かりで姿を確認できる距離にまで近づいてきていた。



 そして、月明かりに照らされたその影の正体が、顔の凹凸が、しっかと見えた時――私はとても驚いてしまった。



 何故なら、なんと! その影は少女だったのだ! 年のころ十六くらいのティーンエイジャー。目鼻立ちが整った可愛らしい女の子。……あっ、転んだ。



 ――もしかしたら、私でも逃げられるかも。



 影の正体がドジな少女だと分かった途端、先ほどまで鉛のように動かなかった足が一気に軽くなる。と同時に、チェルヒェが私の手を引っ張って走り出す。



 しかしその進行方向は――!



 ――えええ!! 池?



 真っすぐ池の方に走っていくではないか。



 ――どういうつもり?



 この私の内心の混乱を読んだのか、チェルヒェが突然アッハハと笑い出した。私も、緊張の緒が切れたせいか、なんだかつられて笑い出してしまう。



 夜の庭でお手てを繋いだ二人の男女が笑いながら池に向かって走り出すなんて、こんなの傍から見れば完全なるキチガイにちがいない。けれど、あまりの非日常さに私もだんだん愉快になってきてしまったのだ。



 ――もうどうにでもなれ!



 アッハハと思いっきり笑いながら、私達は池の中へとダイブする――。
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