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うろこ道

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第六章 地上調査

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✳︎✳︎✳︎

 あたりはすっかり夜の闇に沈んでいた。
 マグライトで周辺を照らしながら、身を隠せそうな場所を探す。
 やはりけものの気配はしなかった。虫の声は至るところで響いているというのに。
 夜行性の生き物が活発に餌を探し回る時間帯なはずだ。どうしてこんなにも生物がいないんだ――。
 不穏な予感に冷たい汗が背を伝う。だが、それ以上に怯えることなく進めるありがたさの方が大きく――渥美は考えるのをやめた。ものすごく、疲れていたのだ。
 寛人もうつろな視線を足元に落とし、やっと脚を進めている。
 あてどもなく歩き続け、体力ばかりが削られてゆくようだった。この森に、一夜を過ごせるようなところなんてあるのだろうか。無駄なことをしているのではないか。そんな不安が脳裏に過る。
(……腹へったな)
 そう言えば朝、完全食バーを食べたっきりだった。
(河野さんに食え食えって言われて、食欲もねえのに無理に食ったんだよな……)
 ふいに心細さに襲われた。大人たちの存在が、どんなに大きかったか。
 同じような道中だというのに、今はこんなにも怖い。不安に押しつぶされそうになる。――自分がしっかりしなきゃならないのに。
 その時、ふいに足に何かが引っ掛かって、つまずいた。身体の重みを支え切れずに、倒れるように膝をつく。
 渥美、と寛人がぎょっとしたように声をあげた。
「大丈夫、転んだだけだ」
 もうこのまま身を投げ出して寝てしまいたい。一瞬、そんな思いがよぎったが、渾身の力で立ち上がり、マグライトで足元を照らした。地面には蔦が網目状に広く蔓延はびこっていた。このせいでつまずいたのだ。
 蔦の上には大小の白く丸いものが幾つかかたまって落ちていた。よくよく見ると、それは周囲のいたるところに点在していた。大きいものは握りこぶし大ほどもある。
「……なんだこれ。卵か?」
 呟いて、さっと血の気が引いた。これが卵なら、ここは何かの巣ではないか。
「いや、これは零余子むかごじゃないかな」
「むかご?」
「芋類や百合とかの根元に生える珠芽しゅがだよ。食べられるんだ」
 寛人は球体の一つを持ち上げた。それは蔓から生えていて、繋がっているかたまり全部が持ち上がった。
 生き物の卵じゃない。渥美は安堵の息を吐いた。
零余子むかごは栄養も豊富なんだよ。鉄分やカリウム、マグネシウムなんかが豊富に含まれているし、食物繊維も摂取することができる」
 へえ、と渥美は白い塊を一ついでみた。最悪、こんなものでも食べてしのがなければならない。
「栄養価の高い零余子がこんなにたくさんあるのに……どうしてこんなに閑散としてるんだろう。零余子を餌にする生き物や、それを狙う肉食獣がいてもおかしくないのに」
 寛人は心もとなげに呟いた。
 あえて考えないようにしていたことを言い当てられ、渥美はひやりとした。
「……ほら、高尾山はそうゆう生態系なんじゃねえの。虫類が優位なさ」
「猿はいるのに?」
 じっと見上げてきた寛人から、渥美は思わず目を逸らす。
「考えたってしょうがないだろ。肉食獣がいないなら運が良かったって喜んでおこうぜ。ほら、進むぞ」
 渥美は寛人の背嚢を押した。
 寛人は不安げな眼差しで渥美を一瞥し、先を急ぐように足を速めた。
 寛人の言いたいことはわかってる。
 この森はおかしい。早く離れるべきだ。
 頭の中でしきりに警鐘が鳴っている。登山道を逸れ、森に入った時からずっと。
 だが、どこに逃げろというのか。
 登山道にはきっとあの猿が待ちかまえている。どんなに嫌な雰囲気であろうと、ここはとりあえずは危険がないのだ。
 渥美は、ずいぶん先へと行ってしまった寛人の背中を見やり、ふと、その足元に目を馳せた。地面には零余子の蔓が絨毯のように張り巡らされている。蔓は先に行くほど密度濃く集約し、まるで蜘蛛の巣のようだった。そしてその中心には、まるでご馳走が盛られているかのごとく零余子がびっしりとっていた。
(まるで、罠のような――)
 その時、先を進む寛人の足元が、不意にたわんだ。
「ゆ――柚木‼︎ とまれ!」
 寛人は驚いたように後退あとずさった。地面が一瞬にして陥没し、寛人は蔓ごと地中に吸い込まれていった。
「柚木!!」
 渥美は駆け出し、陥没穴の縁に屈みこんだ。
 マグライトで穴の底を照らし――絶句する。
 広く深い穴の内部には、まだら模様もようの巨大な植物がひしめいていた。ぱっくりと開いた袋状の捕虫嚢の中で茶褐色の液体がぬらぬらと光っている。
(ウツボカズラだ)
 食虫植物である。その捕虫嚢の一つに寛人はいた。粘度の高い消化液に絡めとられ、ほとんど身動きが取れないようだった。
「熱いっ……」
 寛人の悲鳴に、渥美は我に返った。
「お――落ち着け、大丈夫だ。今、出してやるからな!」
 渥美はマグライトを咥え、丈夫そうな木の幹にロープをくくって穴の下に垂らした。
 蔦を足掛かりにロープを伝い、底に降り立つ。見上げると、頭上にはいくつもの袋状の花被が垂れ下がっていた。
 寛人の落ちた捕虫嚢にナイフを突き立てると、花被は容易に破れた。切れ目から大量の粘液と共に寛人が糸を引いて落ち、湿った音を立てて地面に叩きつけられた。
 消化液の飛沫がいくつも渥美の腕に飛んだ。その焼けるような痛みにぞっとする。寛人は、これに全身浸かってしまったのだ。
 寛人は身をかがめてうずくまり、身じろぎ一つしなかった。
 渥美はひざまずき、マグライトで寛人を照らした。全身、粘液でびっしょりと濡れそぼり、あらわになった皮膚のいたるところに沢山の水脹れができていた。服も焦げたように黒ずみ、嫌なにおいを発している。
 あまりの状態に、震えが込み上げた。
 渥美は背嚢から水筒を出し、寛人の顔に水をそそいだ。手拭いにも水を含ませ、剥き出しの肌を拭き清めてゆく。
(この程度の水じゃ、全然足りねえ……)
 せめて消化液を吸った服を脱がそうと裾に手を掛けたが、粘質の液のせいで皮膚と服はぴったりとくっつき、剥がれなかった。
 渥美は寛人の背嚢からロープを取り出した。ぐったりと横たわる寛人を背中に担ぎ上げる。河野のやっていた背負い運搬結びを見よう見まねで真似し、ロープで自分と寛人をくくりつけた。
「しっかりつかまってろよ」
 寛人はかすかに頷いたようだったが、肩に回された腕に力はほとんど入っていなかった。
 渥美はロープにつかまると、落とし穴をよじ登った。
 地上に出ると、ロープをほどいて寛人を地面に横たえた。その身体は小刻みに震えている。
(薬、薬は――)
 渥美は寛人の背嚢をあさり、救急バッグを取り出した。
「……抗生物質はもうないよ。斎藤さんにあげたので最後だ」
 振り向くと、寛人がうっすら目を開けていた。
「痛み止めは⁉︎」
 ないよ、と寛人は力なく目を瞑った。
 救急バッグの中には、日焼け止めの錠剤しか残っていなかった。
 渥美は歯を食いしばり、寛人を見下ろした。
(こいつは――)
 他人にばっかり与えて。自分が必要なときにないなんて。
 浅い呼吸が徐々に寝息となっていくのに気づき、渥美は寛人の肩をゆすった。
「おい、寝るなよ! こんな森のど真ん中で……!」
 完全に意識を失った寛人の口元に手をかざす。弱々しいが規則正しい呼吸を手のひらに感じた。
 渥美は震える唇を噛みしめた。
(……俺のせいだ)
 寛人は危険に気づいていた。なのに、そのまま進めと言ったのは自分だ。自分が、捕虫嚢に突き落としたようなものだ。
 渥美は寛人の上半身をそっと持ち上げ、自分の背中にもたれさせた。
「水場を探してやるからな。消化液を落としたら、楽になるから」
 だからもう少し頑張ってくれ――。
 渥美は祈る思いで立ち上がると、暗く深い森を進んで行った。
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