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ぼくは絶望していた。
ダブルベッドにもぐりこんで布団を頭からかぶり、声を殺して泣いていた。
愛する妻とひどい別れかたをしたのだ。
未練たらたらだった。妻がいつも寝ていた右側のスペースで、妻の枕に顔を埋めて嗚咽をこらえた。妻のかおり、ぬくもり――もう、二度と感じることができないのだ。
その時だった。ピンポーン、とインターホンが鳴った。
こんな真っ昼間に誰だろう。会社には体調不良の連絡をいれておいた。心配してわざわざ見舞いに来るような同僚はいない。
ならば、訪問販売のたぐいだろうか。
ぼくは顔を上げかけたが、すぐに枕につっぷした。誰でもかまいやしない。ぼくは誰にも会いたくないのだ。
ふたたび悲しみに沈みかけたとき、もう一度インターホンがなった。ぼくはやはり無視をした。すると、玄関のほうからかちゃかちゃと金属音が響いた。ぎょっとするやいなや、二三分で音はやみ、ドアの開く音が聞こえた。
(泥棒だ!)
とっさにがばっと跳ね起きた。しかし、すぐに力尽きたようにぐんにゃりとベッドに横たわる。
もう失って困るものは何もないのだ。
好きに持っていくがいいさと投げやりな気持ちで枕に顔を伏せ、小さく溜め息をついた。
リビングからはすぐにがたがたと物色する音が聞こえてきた。しばらくじっと耳をすませていたが、どうも気になってしまい、ぼくはやっとベッドからおりた。寝室のドアをそっと開いて、リビングを覗く。
スポーツバッグを肩がけし、野球帽を目深に被った男が、リビングチェストの引き出しを手際よく下から開けていた。その慣れた手つきは職人芸のような美しさがあり、思わず見入ってしまった。
男は土足だった。すぐに逃げられるようにだろうか。海外ブランドの高そうなスニーカーは、泥棒のすらりと長い脚にとてもよく似合っていた。
じっと眺めていると、視線を感じたのか泥棒が振り向いた。
「あの、よかったら何でも持っていっていいですよ」
黙って見ていたことが決まり悪くて、ぼくは寝室のドアを大きく開いて姿を現した。
ぽかんとこっちを見ていた泥棒は、ぱっと踵を返した。豹のようなしなやかな身のこなしだった。
「待ってください、ぼくはもう死のうと思ってるんです。だからもう何も必要ないんです。なのでよかったら、なんでもお持ち帰りください。……ただ、お金になりそうなものはほとんどないのですが」
「そんなこと言って通報する気じゃねえだろうな」
泥棒は警戒したようにぼくを見据えた。野球帽の影からのぞいた目は鷹のように鋭く、ゾクリとした。平坦平穏なぼくの人生の中で関わったことのないタイプの男だ。
「通報なんてしません。宅電は玄関近くの廊下だし、携帯電話は……ほら、あなたのそばのテーブルの上にありますし」
泥棒はテーブルにちらと目を馳せると、ぼくの携帯電話をさっと自分の尻ポケットに入れた。
「たしかにろくなもんがねえな」
「……妻にめぼしいものはすべて持っていかれたんです」
「あんたが死ぬつもりってのはその奥さんが原因かい」
ぼくはうつむいた。図星だった。
「ふん。くだらねえ。情けないったらねえな。金も女も愉快に生きるすべのひとつにすぎねえのによ」
泥棒はあざけるように嗤うと、手にしていたどこかの観光地の土産品を飾り棚に放った。男が家から出ていく気配を感じてぼくは焦った。もっと彼と話していたかった。なんとか引きとめたくて、頭をフル回転させる。
「……そのお金は他人の汗水流したお金でしょう? 良心はとがめないのですか?」
非難しているように聞こえただろうか。一瞬ヒヤッとしたが、泥棒は気分を害した様子もなく、にやっと笑って見せた。
「俺だって汗水流して稼いでるぜ? こうやってな。俺はな、このピッキングの腕を使い、リスクを負いながらも毎日毎日体をはって生き抜いているんだ」
「でも捕まってしまうかもしれないのですよ?」
「いつかは捕まっちまうかもしれねえが、それは先の話だろ。それまでは効率よく金を稼ぎ、金も時間も自分の好きなように使う。人生なんて一回こっきりなんだから思いのままに生きなきゃもったいないからな。そもそも捕まったって窃盗なら十年以下の懲役か五十万円以下の罰金だ。殺人みてえに何十年もぶちこまれるわけじゃねえんだからたいしたリスクでもねえよ」
本当にそのとおりだ――ぼくはそう思った。
不謹慎ながら、泥棒にたいして憧れのような思いを抱きはじめていた。ぼくが彼のような男なら、妻も出て行きはしなかっただろうに。
その時だった。
ピンポーン、とインターホンが鳴った。
ダブルベッドにもぐりこんで布団を頭からかぶり、声を殺して泣いていた。
愛する妻とひどい別れかたをしたのだ。
未練たらたらだった。妻がいつも寝ていた右側のスペースで、妻の枕に顔を埋めて嗚咽をこらえた。妻のかおり、ぬくもり――もう、二度と感じることができないのだ。
その時だった。ピンポーン、とインターホンが鳴った。
こんな真っ昼間に誰だろう。会社には体調不良の連絡をいれておいた。心配してわざわざ見舞いに来るような同僚はいない。
ならば、訪問販売のたぐいだろうか。
ぼくは顔を上げかけたが、すぐに枕につっぷした。誰でもかまいやしない。ぼくは誰にも会いたくないのだ。
ふたたび悲しみに沈みかけたとき、もう一度インターホンがなった。ぼくはやはり無視をした。すると、玄関のほうからかちゃかちゃと金属音が響いた。ぎょっとするやいなや、二三分で音はやみ、ドアの開く音が聞こえた。
(泥棒だ!)
とっさにがばっと跳ね起きた。しかし、すぐに力尽きたようにぐんにゃりとベッドに横たわる。
もう失って困るものは何もないのだ。
好きに持っていくがいいさと投げやりな気持ちで枕に顔を伏せ、小さく溜め息をついた。
リビングからはすぐにがたがたと物色する音が聞こえてきた。しばらくじっと耳をすませていたが、どうも気になってしまい、ぼくはやっとベッドからおりた。寝室のドアをそっと開いて、リビングを覗く。
スポーツバッグを肩がけし、野球帽を目深に被った男が、リビングチェストの引き出しを手際よく下から開けていた。その慣れた手つきは職人芸のような美しさがあり、思わず見入ってしまった。
男は土足だった。すぐに逃げられるようにだろうか。海外ブランドの高そうなスニーカーは、泥棒のすらりと長い脚にとてもよく似合っていた。
じっと眺めていると、視線を感じたのか泥棒が振り向いた。
「あの、よかったら何でも持っていっていいですよ」
黙って見ていたことが決まり悪くて、ぼくは寝室のドアを大きく開いて姿を現した。
ぽかんとこっちを見ていた泥棒は、ぱっと踵を返した。豹のようなしなやかな身のこなしだった。
「待ってください、ぼくはもう死のうと思ってるんです。だからもう何も必要ないんです。なのでよかったら、なんでもお持ち帰りください。……ただ、お金になりそうなものはほとんどないのですが」
「そんなこと言って通報する気じゃねえだろうな」
泥棒は警戒したようにぼくを見据えた。野球帽の影からのぞいた目は鷹のように鋭く、ゾクリとした。平坦平穏なぼくの人生の中で関わったことのないタイプの男だ。
「通報なんてしません。宅電は玄関近くの廊下だし、携帯電話は……ほら、あなたのそばのテーブルの上にありますし」
泥棒はテーブルにちらと目を馳せると、ぼくの携帯電話をさっと自分の尻ポケットに入れた。
「たしかにろくなもんがねえな」
「……妻にめぼしいものはすべて持っていかれたんです」
「あんたが死ぬつもりってのはその奥さんが原因かい」
ぼくはうつむいた。図星だった。
「ふん。くだらねえ。情けないったらねえな。金も女も愉快に生きるすべのひとつにすぎねえのによ」
泥棒はあざけるように嗤うと、手にしていたどこかの観光地の土産品を飾り棚に放った。男が家から出ていく気配を感じてぼくは焦った。もっと彼と話していたかった。なんとか引きとめたくて、頭をフル回転させる。
「……そのお金は他人の汗水流したお金でしょう? 良心はとがめないのですか?」
非難しているように聞こえただろうか。一瞬ヒヤッとしたが、泥棒は気分を害した様子もなく、にやっと笑って見せた。
「俺だって汗水流して稼いでるぜ? こうやってな。俺はな、このピッキングの腕を使い、リスクを負いながらも毎日毎日体をはって生き抜いているんだ」
「でも捕まってしまうかもしれないのですよ?」
「いつかは捕まっちまうかもしれねえが、それは先の話だろ。それまでは効率よく金を稼ぎ、金も時間も自分の好きなように使う。人生なんて一回こっきりなんだから思いのままに生きなきゃもったいないからな。そもそも捕まったって窃盗なら十年以下の懲役か五十万円以下の罰金だ。殺人みてえに何十年もぶちこまれるわけじゃねえんだからたいしたリスクでもねえよ」
本当にそのとおりだ――ぼくはそう思った。
不謹慎ながら、泥棒にたいして憧れのような思いを抱きはじめていた。ぼくが彼のような男なら、妻も出て行きはしなかっただろうに。
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