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泥棒はぎょっと顔をあげた。
「誰だ?」
リビングを横切って玄関に向かおうとするぼくを、泥棒は手をかかげて制した。
「待て、俺が確認する」
泥棒は玄関に行くと、ドアスコープを覗いた。
「警察じゃねえか!」
えっ、と目を見開くぼくを、泥棒は鋭く睨み付けた。
「お前、警察呼びやがったな……!」
「呼んでません。本当です」
泥棒は忌々しげに舌打ちすると、もう一度ドアスコープを覗いた。
「くそっ。つけられてたのか?」
「匿います。寝室のクローゼットに隠れていてください」
「そう言いながら警察につきだすつもりだろ。信じられるか!」
「ならぼくがクローゼットに隠れますから、あなたがぼくになりすまして警察に対応してください」
泥棒は逡巡したようにぼくとドアを交互に見やった。
ピンポーン、と急かすようにインターホンが鳴った。ぎょっと身じろぎした泥棒に、ぼくは言った。
「ほら、帽子と靴を脱いで渡してください。カバンも。そこにぼくのジャケットがあるからはおって。――じゃあぼくはクローゼットに隠れますから」
そう言いながらポールハンガーにかかったグレーのジャケットを泥棒の背中にはおらせると、「うまくやってください」と背後からそっと耳元に呟いた。
泥棒は意を決したように野球帽とスニーカーを脱ぎ、スポーツバッグと一緒に手渡してきた。
ぼくは泥棒の荷物を抱えて寝室に戻り、ドアを閉めた。
ドアを背に一息ついて、泥棒のスニーカーを見た。おろしたての真新しいものだった。間近で見ても、やっぱりかっこいい。ぼくは靴に興味を持ったことは一度もなかったのだが、なぜか靴を見た瞬間にすごく惹かれたのだった。きっと彼が履いていたからなのだと思う。
背後で玄関ドアが開く音がして、慌ててクローゼットにもぐり込んで内側から扉を閉めた。
その後、すぐに快活な若い男の声がした。
「お忙しい時間に失礼します。○○県警の者です。高木佑介さんですね?」
「はい。そうですが」
泥棒の冷静な声音が後に続く。さすが肝が座っている。ぼくは感嘆の吐息を漏らした。
「恐れ入りますが、奥様の高木結実さんについてお話を伺えませんでしょうか」
泥棒の戸惑ったような沈黙が一瞬あったが、すぐに吐き捨てるようなセリフが聞こえた。
「妻は出ていったんですよ。あんな女、もう知ったこっちゃない」
そうだ。あんな女――もう知ったこっちゃないんだ。
彼の低く通りのよい声音が、このぼくの言うべき言葉を代弁してくれている。まるで彼こそが本物の高木佑介であるように。
こんな状況であるのに、ぼくは嬉しくてひっそりと笑った。
「ご用件はそれだけですか? こっちは用があるので失礼しますよ」
「待ってください。今朝、○○公園近くの繁みの中で高木結実さんの遺体が見つかったのです」
「――なんだって?」
泥棒の無愛想な声は一変した。警察官は冷静に続ける。
「遺体発見前夜に、現場近くの喫茶店でグレーのジャケットを着た男性と口論していたところが目撃されています。ほら、あなたの着ているそのジャケットような色ですよ」
「俺は高木じゃない! 俺は――」
「高木さんでないならあなたは誰ですか? お名前をお伺いできますか?」
泥棒は絶句したようだった。
「携帯電話を押収します」
「持ってねえよ」
「そのズボンのポケットに入ってるのは何ですか?」
「これは俺のじゃない!」
「まあまあ――署でお伺いしますから」
待ってくれ、寝室を調べてくれ、と泥棒のわめきごえが響いた。その声が遠ざかるのを聞きながら、ぼくはクローゼットの中でじっと身をかがめていた。
暗闇で膝を抱えて蹲っているのは、あの彼には似合わない。情けない自分にこそお似合いだ。
でも――とぼくは、彼の真新しいスニーカーをぐっと抱きしめた。そして、心の中で彼の言葉を強く反芻した。
たしかにいつかは捕まってしまうだろう。でもそれは、今ではなくまだ先の話なのだ。その時まで、体をはって生き抜いてやる。彼のように――彼のかわりに、かっこよく生きてみせる。
ぼくはスポーツバッグの中身を確認した。他の家から盗んだのであろう現金や時計、宝飾品などが詰め込まれていた。本物かどうかわからないが免許証まであった。当面なにもしなくともこれだけで暮らしていけそうである。自信と勇気がむくむくとわいてきた。
泥棒のスニーカーを履く。少し大きめだったが、靴紐をぎゅうぎゅうと締めたなら、走ることも跳ぶこともできそうだった。
ぼくは慎重に扉を押し開けてクローゼットから出ると、わずかに開いたドアの隙間からリビングをそっと覗いた。自分と同世代くらいの警察官が二人ばかり残って、部屋を物色している姿が見えた。
そっとドアから離れる。寝室の窓に忍び足で近づくと、カーテンをめくった。
陽光が目をうち、おもわず目を細める。
ぼくはゆっくりとクレセント錠をおろし、窓から外に抜け出した。
完
「誰だ?」
リビングを横切って玄関に向かおうとするぼくを、泥棒は手をかかげて制した。
「待て、俺が確認する」
泥棒は玄関に行くと、ドアスコープを覗いた。
「警察じゃねえか!」
えっ、と目を見開くぼくを、泥棒は鋭く睨み付けた。
「お前、警察呼びやがったな……!」
「呼んでません。本当です」
泥棒は忌々しげに舌打ちすると、もう一度ドアスコープを覗いた。
「くそっ。つけられてたのか?」
「匿います。寝室のクローゼットに隠れていてください」
「そう言いながら警察につきだすつもりだろ。信じられるか!」
「ならぼくがクローゼットに隠れますから、あなたがぼくになりすまして警察に対応してください」
泥棒は逡巡したようにぼくとドアを交互に見やった。
ピンポーン、と急かすようにインターホンが鳴った。ぎょっと身じろぎした泥棒に、ぼくは言った。
「ほら、帽子と靴を脱いで渡してください。カバンも。そこにぼくのジャケットがあるからはおって。――じゃあぼくはクローゼットに隠れますから」
そう言いながらポールハンガーにかかったグレーのジャケットを泥棒の背中にはおらせると、「うまくやってください」と背後からそっと耳元に呟いた。
泥棒は意を決したように野球帽とスニーカーを脱ぎ、スポーツバッグと一緒に手渡してきた。
ぼくは泥棒の荷物を抱えて寝室に戻り、ドアを閉めた。
ドアを背に一息ついて、泥棒のスニーカーを見た。おろしたての真新しいものだった。間近で見ても、やっぱりかっこいい。ぼくは靴に興味を持ったことは一度もなかったのだが、なぜか靴を見た瞬間にすごく惹かれたのだった。きっと彼が履いていたからなのだと思う。
背後で玄関ドアが開く音がして、慌ててクローゼットにもぐり込んで内側から扉を閉めた。
その後、すぐに快活な若い男の声がした。
「お忙しい時間に失礼します。○○県警の者です。高木佑介さんですね?」
「はい。そうですが」
泥棒の冷静な声音が後に続く。さすが肝が座っている。ぼくは感嘆の吐息を漏らした。
「恐れ入りますが、奥様の高木結実さんについてお話を伺えませんでしょうか」
泥棒の戸惑ったような沈黙が一瞬あったが、すぐに吐き捨てるようなセリフが聞こえた。
「妻は出ていったんですよ。あんな女、もう知ったこっちゃない」
そうだ。あんな女――もう知ったこっちゃないんだ。
彼の低く通りのよい声音が、このぼくの言うべき言葉を代弁してくれている。まるで彼こそが本物の高木佑介であるように。
こんな状況であるのに、ぼくは嬉しくてひっそりと笑った。
「ご用件はそれだけですか? こっちは用があるので失礼しますよ」
「待ってください。今朝、○○公園近くの繁みの中で高木結実さんの遺体が見つかったのです」
「――なんだって?」
泥棒の無愛想な声は一変した。警察官は冷静に続ける。
「遺体発見前夜に、現場近くの喫茶店でグレーのジャケットを着た男性と口論していたところが目撃されています。ほら、あなたの着ているそのジャケットような色ですよ」
「俺は高木じゃない! 俺は――」
「高木さんでないならあなたは誰ですか? お名前をお伺いできますか?」
泥棒は絶句したようだった。
「携帯電話を押収します」
「持ってねえよ」
「そのズボンのポケットに入ってるのは何ですか?」
「これは俺のじゃない!」
「まあまあ――署でお伺いしますから」
待ってくれ、寝室を調べてくれ、と泥棒のわめきごえが響いた。その声が遠ざかるのを聞きながら、ぼくはクローゼットの中でじっと身をかがめていた。
暗闇で膝を抱えて蹲っているのは、あの彼には似合わない。情けない自分にこそお似合いだ。
でも――とぼくは、彼の真新しいスニーカーをぐっと抱きしめた。そして、心の中で彼の言葉を強く反芻した。
たしかにいつかは捕まってしまうだろう。でもそれは、今ではなくまだ先の話なのだ。その時まで、体をはって生き抜いてやる。彼のように――彼のかわりに、かっこよく生きてみせる。
ぼくはスポーツバッグの中身を確認した。他の家から盗んだのであろう現金や時計、宝飾品などが詰め込まれていた。本物かどうかわからないが免許証まであった。当面なにもしなくともこれだけで暮らしていけそうである。自信と勇気がむくむくとわいてきた。
泥棒のスニーカーを履く。少し大きめだったが、靴紐をぎゅうぎゅうと締めたなら、走ることも跳ぶこともできそうだった。
ぼくは慎重に扉を押し開けてクローゼットから出ると、わずかに開いたドアの隙間からリビングをそっと覗いた。自分と同世代くらいの警察官が二人ばかり残って、部屋を物色している姿が見えた。
そっとドアから離れる。寝室の窓に忍び足で近づくと、カーテンをめくった。
陽光が目をうち、おもわず目を細める。
ぼくはゆっくりとクレセント錠をおろし、窓から外に抜け出した。
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