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第四話 呪詛箱
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後日、報酬を取りに来るようイスルギから連絡があった。
大学の帰りに池袋の事務所に寄ると、イスルギは「やあ、ご苦労様」と僕に報酬の茶封筒を渡した。
封筒の中身をその場で確認し、鞄に突っ込んでそのまま出て行こうとすると――待ちたまえと声を掛けられた。
「何ですか?」
しれっと見返した僕に、イスルギは呆れたような顔をした。
「君は本当に肝が据わってるなあ。ふてぶてしいというか――箱の中身を入れ替えただろう」
答えずにいると、イスルギは「バレないとでも思ったのかね」と鋭く僕を見据えた。
「一体、あれはなんだ?」
「効いたでしょう。元の中身よりずっと」
僕は報酬の入った茶封筒を鞄から出し、差し出した。
「これは返します」
「いや、それは取っておきたまえ。先方さんの話によると、かなり効果はあったそうだ」
それよりだ、とイスルギは表情を厳しくした。
「あんな凶悪なものをどこで手に入れた?」
「そっちこそ、戦没者の遺品なんてどうやって手に入れたんです」
僕はイスルギを真正面から見返した。
「ああ。インターネットオークションで売られていたものを買い集めたんだよ。簡単に手に入る。国のために命を懸けた軍人の遺品で端金を得ようなどという、ろくでもない輩はいくらでもいるからな」
「それを利用するあなただって、そいつらと同類でしょう」
そう言ったとたん、喉から熱いものが込み上げた。涙が溢れて頬を伝ってゆく。
(涙……?)
僕はぎょっとした。イスルギも驚いたようだった。
「泣いているのか? まだ同調がとけないかね? ……まあそれも仕方のないことか。彼らの感情は、現代人には計り知れない深淵を覗くようのものだからな」
イスルギはソファーから立ち上がると、奥の部屋から箱ティッシュを持ってきて僕に差し出した。僕はそれに目もくれず、イスルギを睨みつけた。
「なぜ戦没者の遺品なんですか。呪物に使う目的なら、もっと適切なものがあったはずだ」
イスルギは箱ティッシュを引っ込めると、ガラステーブルに置いてソファーに座りなおした。
「——君はお守りを毎年新調しなきゃいけない訳を知っているかな?」
「……効果が一年だからでしょう?」
違うな、とイスルギは言った。
「物は古ければ古いほど力を持つからだ。一般的には効果が弱くなるからと言われているが、実は危険だからなんだよ。器物百年を経て化して精霊を得とも言うだろう。聞いたことはないかな」
イスルギは僕の返事を待たずして続けた。
「戦後、もうすぐ八十年になる。英霊の魂が成仏しようと、物に宿った想いはそのまま残り続け、年月を経て熟成され、より強力な呪物となるんだ。そういった呪物に更に人工的に手を加え、利用するに適した方向づけをしたものを蠱物と呼ぶ」
「方向付け……?」
「そう。例えば、犬神なんかはそうだな」
イスルギは一度僕に視線を馳せた。
「犬神とはな、西日本に広く分布する蠱術のひとつだ。その製法は、犬を生きたまま首だけ出して地に埋め、餌を与えず飢えさせておき、首を切り落とす。術者は、その飢餓渇望を呪詛に用いる。今回君たちにしてもらった行為は、それと同じ意味合いを持つ。靖国神社という彼らの求めてやまぬものを目の前にちらつかせ、その渇望を増強させる処置だ。なぜ行けぬ、なぜ届かぬ。あとわずかの距離なのに――そのフラストレーションは想いを凶からしむる方に向かわせる。そう、呪詛に適切な方向に増強するのだよ」
血を吐くほどの、どうしようもなく請い願う想いがよみがえり、呼吸が速まった。再び涙が溢れ——歯を食いしばって嗚咽をこらえる僕を、イスルギは暗い眼差しでじっと見つめた。
「そう。彼らの日本を思う気持ちは並々ならぬものだ。漫然と現代を生きている我々にはとうてい生み出せない強さだ。強い想いはそれだけで呪となる。良いものも、悪いものも」
「それを利用するなんて……!! あなたは人でなしだ、許されると思ってるんですか!?」
声を荒げた僕を、イスルギは「あのな」と見据えた。
「すでに遺骨自体はご家族のもとに送られ、御魂は祖国に殉じられた尊い英霊として靖国神社に祀られているんだ。ご本人はご冥福の中にいるんだよ。だからこれは、ただの物に染みついた残滓のようなものなんだ。利用して何が悪い?」
「でも……!!」
「でも何だ? 君は物にまでいちいち同情する質なのかね?」
僕は言葉を詰まらせる。
——でも僕は、想いが身体ばかりに宿るわけでないことを知っている。体を荼毘に伏したって、その恨みは消えやしないことをわかっているのだ。
「……ところで、呪いは成就したのだがな。その後、依頼主は失踪したそうだ。会社も家庭も放ってね」
イスルギは——君のせいだよ、と言った。
「君が中身をすり替えたせいだ。しかもよりによって……あんなものを入れるなんて。君は物に張り付いていたに過ぎない思いに同情し、生きている人間を壊したんだ。そのご家族の人生までもね」
しかし人を呪わば穴二つとはよく言ったものだな——イスルギは険しい顔で呟くと、僕に視線を寄越した。
「——で、もう一度聞くが。あれは一体なんだね? あわよくば回収したかったが依頼主はそれを持ったまま行方をくらましてな、確認できずだ。あのようなものを君は他にも所持しているのか? 君のような常人にはあれは扱いきれないだろう。まず身の危険が大きすぎる。私たちが引き取ってもかまわないよ。もちろんお礼は十分にするから」
イスルギは急き立てるように言葉を重ねた。
返事すらしない僕を、ふんと不機嫌そうに睥睨する。
「まあ、扱いきれないとも言えないか。あれほど強力な呪物を背負わされながら、運び手たちに限っては不思議と何も影響がなかったようだ。何かに守られたのか……」
僕は思わずイスルギを見返した。まさかのカップ酒が効いたのだろうか。
あのセミロングの女性にも、その後に運んだ人物にも害はなかったのだ——僕は心底安堵して、こっそりと吐息をはいた。
「とりあえず、あんなものをぽんとどこぞから持ってくるなんて、君がただのお金に困った大学生でないことは今回でよくわかったよ」
イスルギはむっつりと睨むように僕を見据えている。
ただの貧困学生ですよ——僕はそう答え、俯き加減に目を逸らした。
大学の帰りに池袋の事務所に寄ると、イスルギは「やあ、ご苦労様」と僕に報酬の茶封筒を渡した。
封筒の中身をその場で確認し、鞄に突っ込んでそのまま出て行こうとすると――待ちたまえと声を掛けられた。
「何ですか?」
しれっと見返した僕に、イスルギは呆れたような顔をした。
「君は本当に肝が据わってるなあ。ふてぶてしいというか――箱の中身を入れ替えただろう」
答えずにいると、イスルギは「バレないとでも思ったのかね」と鋭く僕を見据えた。
「一体、あれはなんだ?」
「効いたでしょう。元の中身よりずっと」
僕は報酬の入った茶封筒を鞄から出し、差し出した。
「これは返します」
「いや、それは取っておきたまえ。先方さんの話によると、かなり効果はあったそうだ」
それよりだ、とイスルギは表情を厳しくした。
「あんな凶悪なものをどこで手に入れた?」
「そっちこそ、戦没者の遺品なんてどうやって手に入れたんです」
僕はイスルギを真正面から見返した。
「ああ。インターネットオークションで売られていたものを買い集めたんだよ。簡単に手に入る。国のために命を懸けた軍人の遺品で端金を得ようなどという、ろくでもない輩はいくらでもいるからな」
「それを利用するあなただって、そいつらと同類でしょう」
そう言ったとたん、喉から熱いものが込み上げた。涙が溢れて頬を伝ってゆく。
(涙……?)
僕はぎょっとした。イスルギも驚いたようだった。
「泣いているのか? まだ同調がとけないかね? ……まあそれも仕方のないことか。彼らの感情は、現代人には計り知れない深淵を覗くようのものだからな」
イスルギはソファーから立ち上がると、奥の部屋から箱ティッシュを持ってきて僕に差し出した。僕はそれに目もくれず、イスルギを睨みつけた。
「なぜ戦没者の遺品なんですか。呪物に使う目的なら、もっと適切なものがあったはずだ」
イスルギは箱ティッシュを引っ込めると、ガラステーブルに置いてソファーに座りなおした。
「——君はお守りを毎年新調しなきゃいけない訳を知っているかな?」
「……効果が一年だからでしょう?」
違うな、とイスルギは言った。
「物は古ければ古いほど力を持つからだ。一般的には効果が弱くなるからと言われているが、実は危険だからなんだよ。器物百年を経て化して精霊を得とも言うだろう。聞いたことはないかな」
イスルギは僕の返事を待たずして続けた。
「戦後、もうすぐ八十年になる。英霊の魂が成仏しようと、物に宿った想いはそのまま残り続け、年月を経て熟成され、より強力な呪物となるんだ。そういった呪物に更に人工的に手を加え、利用するに適した方向づけをしたものを蠱物と呼ぶ」
「方向付け……?」
「そう。例えば、犬神なんかはそうだな」
イスルギは一度僕に視線を馳せた。
「犬神とはな、西日本に広く分布する蠱術のひとつだ。その製法は、犬を生きたまま首だけ出して地に埋め、餌を与えず飢えさせておき、首を切り落とす。術者は、その飢餓渇望を呪詛に用いる。今回君たちにしてもらった行為は、それと同じ意味合いを持つ。靖国神社という彼らの求めてやまぬものを目の前にちらつかせ、その渇望を増強させる処置だ。なぜ行けぬ、なぜ届かぬ。あとわずかの距離なのに――そのフラストレーションは想いを凶からしむる方に向かわせる。そう、呪詛に適切な方向に増強するのだよ」
血を吐くほどの、どうしようもなく請い願う想いがよみがえり、呼吸が速まった。再び涙が溢れ——歯を食いしばって嗚咽をこらえる僕を、イスルギは暗い眼差しでじっと見つめた。
「そう。彼らの日本を思う気持ちは並々ならぬものだ。漫然と現代を生きている我々にはとうてい生み出せない強さだ。強い想いはそれだけで呪となる。良いものも、悪いものも」
「それを利用するなんて……!! あなたは人でなしだ、許されると思ってるんですか!?」
声を荒げた僕を、イスルギは「あのな」と見据えた。
「すでに遺骨自体はご家族のもとに送られ、御魂は祖国に殉じられた尊い英霊として靖国神社に祀られているんだ。ご本人はご冥福の中にいるんだよ。だからこれは、ただの物に染みついた残滓のようなものなんだ。利用して何が悪い?」
「でも……!!」
「でも何だ? 君は物にまでいちいち同情する質なのかね?」
僕は言葉を詰まらせる。
——でも僕は、想いが身体ばかりに宿るわけでないことを知っている。体を荼毘に伏したって、その恨みは消えやしないことをわかっているのだ。
「……ところで、呪いは成就したのだがな。その後、依頼主は失踪したそうだ。会社も家庭も放ってね」
イスルギは——君のせいだよ、と言った。
「君が中身をすり替えたせいだ。しかもよりによって……あんなものを入れるなんて。君は物に張り付いていたに過ぎない思いに同情し、生きている人間を壊したんだ。そのご家族の人生までもね」
しかし人を呪わば穴二つとはよく言ったものだな——イスルギは険しい顔で呟くと、僕に視線を寄越した。
「——で、もう一度聞くが。あれは一体なんだね? あわよくば回収したかったが依頼主はそれを持ったまま行方をくらましてな、確認できずだ。あのようなものを君は他にも所持しているのか? 君のような常人にはあれは扱いきれないだろう。まず身の危険が大きすぎる。私たちが引き取ってもかまわないよ。もちろんお礼は十分にするから」
イスルギは急き立てるように言葉を重ねた。
返事すらしない僕を、ふんと不機嫌そうに睥睨する。
「まあ、扱いきれないとも言えないか。あれほど強力な呪物を背負わされながら、運び手たちに限っては不思議と何も影響がなかったようだ。何かに守られたのか……」
僕は思わずイスルギを見返した。まさかのカップ酒が効いたのだろうか。
あのセミロングの女性にも、その後に運んだ人物にも害はなかったのだ——僕は心底安堵して、こっそりと吐息をはいた。
「とりあえず、あんなものをぽんとどこぞから持ってくるなんて、君がただのお金に困った大学生でないことは今回でよくわかったよ」
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