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第五話 肉人さん
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新幹線を降り、一時間に一本しか便のない在来線を二本乗り継ぎ、村に向かうバス停に着いた頃にはすでに昼を回っていた。そこでも三十分ほど待ち、やっとバスが到着した。
運賃箱の前でパスモを取り出した僕に、武藤は苦笑しながら小銭を渡してくれた。
「ごめん、後で返すから――」
そう言って顔を上げ、ぎくりとした。
運転手が、深くかぶった制帽の陰から暗い目で凝視していたのだ。
怒っているわけでも不愛想なわけでもなく——言うなれば、観察しているような無機質な眼差しだった。
なんだかぞっとして、僕はとっさに目を逸らす。
こめかみあたりに強い視線を感じながら投入口に硬貨を落とし、中程の座席に座った。
運転手は僕だけでなく、武藤にも視線を馳せていた。しかし武藤はまったく気にした様子なく、僕のすぐ後ろの二人掛けの座席を陣取った。
「出発まであと十分ほどお待ちください」
運転手は車内放送を入れると、すぐに無線機を手に取った。スピーカーマイクに向かって何かボソボソと喋りながら、車内ミラーをじっと見ている。
乗客は僕と武藤の二人しかいない。
(……僕たちを見てるのか?)
そしてきっちり十分後、バスは出発した。
「うわぁ、懐かしー! ぜんぜん変わってねえな!」
車窓から見える風景は、山と田圃ばかりだった。
無邪気にはしゃぐ武藤を後目に、僕はバスの運転手のことが気になってならなかった。やはりミラーでちょくちょくこっちをチェックしているようである。
観光地でもない田舎に僕らのような大学生が来たのだ。警戒されるのも無理ないが、なんだか違和感がぬぐえなかった。
やがて目的のバス停に着いた。
道沿いの草むらに降りた僕たちに、運転手はやはり暗い眼差しを向けていた。
乗客のいないバスはすぐに発車した。
「暑っちぃー」
日陰ひとつないバス停で、武藤はTシャツの胸元を引っ張って風を入れた。
「東京よりましじゃない? 暑いけど息苦しい感じはしないし」
「そうすかぁ? つうか蝉の声やべー。こんなだったっけ?」
ふいに視線を感じて振り向いた。青々とした田んぼの畦道で、三人ばかりの老婆が表情のない顔でこっちを見ていた。
(……なんだ?)
無遠慮な眼差しだった。感じ悪いな、と思ったのが顔に出ていたのか、武藤は苦笑して言った。
「俺らは他所モンすからね。まあ、すぐにじいちゃんが迎えに来てくれますから」
武藤がそう言っていくらも経たないうちに、白い軽バンが畔道を走ってくるのが見えた。
日に焼けた、胡麻塩頭の高齢男性が運転席から降りるなり、「やー、克! 久しぶりだのう!」と相好を崩した。
武藤も懐かしそうに「八年ぶりだよじいちゃん!」と駆け寄った。
「本当に大ッこくなって。誰かと思ったてぇ」
僕はほっと息をついた。武藤の祖父まであのような態度だったらどうしようと思っていたのだ。
「かっちゃんか!」
「かっちゃんじゃねえだけ」
畦道の老婆たちが次々と声を上げながら、おぼつかない足取りでこっちに向かってきた。
僕はぎょっとした。
するとどこに隠れていたのかと思う人数の高齢者がどこぞからわらわらと集まって来て、僕たちはたちどころに囲まれてしまった。
「武藤さんちのお孫さんけ」
「小まかったてがんに、立派な男衆になって!」
「東京の大学、行ってんだと」
「はー、えらいもんだのう」
武藤は後ろ頭を掻きながら、照れくさそうに笑った。
老婆たちは先ほどまでの無表情が一変して、親しみすら感じる笑顔を浮かべている。その豹変ぶりに、思わず唖然としてしまった。
「んで、こん人は誰だね」
一瞬、あたりはしんと静まり返る。
「大学の先輩だよ。生まれも育ちも東京だから田舎ってやつを見てみたいって言ってさぁ」
失礼だろ、と僕は武藤を斜に睨みつけると、「初めまして」と折り目正しく会釈した。
大人しげな子だの、と武藤の祖父はしげしげと僕を見やった。
「こんげ何もねえ所、よう来なさった」
「ゆっくりしてけらっしぇ」
にこにこと愛想の良い言葉を口にしながらも、村人たちはすっと潮が引くように立ち去った。
その場には僕と武藤と武藤の祖父の三人だけがぽつんと残った。
(……皆、何か用があって集まっていたわけじゃないのか?)
では何のために。
(僕たちを見張るため……?)
怪しい余所者の正体が武藤の祖父の身内と知って解散したのだろうか。
それにしても、村人たちはどうしてこのタイミングで僕たちがこの村に来るとわかっていたのだろう。
その時、ふと脳裏によぎった。——バスの運転手の無線。あれは運行状況の確認などではなく、見慣れぬ若者二人が向かっていると村に連絡していたのではないだろうか。
(……考えすぎか? でも、もしそうなら。よほど余所者を警戒する何かがこの村にあるのか……?)
レシートの裏に描いた落書きが脳裏に浮かんだ。
弛んだ顔に、手足の生えた化け物。
——肉人さん。
「車、早よ乗らっしぇ。暑っちいすけ」
考えに没頭していた僕は、はっと我に返った。
武藤の祖父が助手席のドアを開けていた。
促されるまま乗りこむと、武藤も勝手に後部座席のドアを開けた。
後部座席には土に汚れた工具や農作業用具、脚立なんかが山のように積んであり、武藤はそれを当たり前のように押しのけながら席に収まった。
軽バンの車内は土の臭いがし、クーラーがガンガン効いていて寒いくらいだった。
「突然、来るってぇんでたまげたてぇ。何し来たんだや」
武藤は「実はさ」と後部座席から身を乗り出した。
「虫獲りに来たんだよ。クワガタとかカブトムシとか、東京にはぜんぜんいないからさあ 」
「そんがん、一杯こと捕れっども。 だども、でかいなりして男が虫取りかや」
「実は小遣い稼ぎなんだ。都会じゃさ、高値で売れるんだよ」
「はーぁ、そら豪気だのう」
武藤の祖父は驚いたような呆れたような声をだした。
父ちゃんと母ちゃんには内緒な、と武藤はいたずらっぽく笑ってみせた。
上手い言い訳だと思った。これなら山に入っても怪しまれずに済む。
「売れたらじいちゃんとばあちゃんに東京の土産、買って送ってやるよ!」
「本当だけ。そら楽しみにしとくかのう」
武藤の祖父は笑った。
*
バス停から十分もしないところに、武藤の祖父母の家はあった。
昔ながらの古民家を予想していたが、今どき珍しくない二階建て住宅だった。
「ばあちゃん、久しぶりー!」
遠慮なくドアを開けた武藤を出迎えたのは、小柄なおばあさんだった。いかにも優しげな目元がどことなく武藤に似ている。
「待ってたてぇ、かっちゃん。大っこくなって」
涙ぐむお祖母さんに、武藤ももらい泣きしたのか涙をにじませた。
「間宮です。よろしくお願いします。これ、つまらないものですが――」
すかさず手みやげを差し出した僕の周到さに、武藤はなんだか驚いていた。常識だと思うのだが。
「まあまあわざわざ。ささ、上がらっしぇ」
お祖母さんが言い終わる前に、武藤は框にあがり、ずかずかと慣れた様子で廊下を進んで行った。
「ばあちゃん、バナナと焼酎ある? あとバケツとハケも!」
「何し使うんだや」
「樹液作んの。俺たち虫取りに来たんだよ。今から木に塗ってこようと思ってさぁ」
本当にクワガタ採りに来たのかというテンションである。
それにしても八年ぶりなのになんの遠慮もない武藤に、祖父母のいない僕は唖然とするのだった。
「――どこ行くがん?」
僕はぎくりと立ちすくむ。玄関を出るなり、軽バンを車庫に入れ終えたお祖父さんと鉢合わせしたのだ。
武藤はにこにこしながらバナナ臭い疑似樹液の入ったバケツを持ち上げた。
「今から罠しかけてくるんだよ」
お祖父さんは「そうか」と呟くように言うと、武藤を鋭く見据えた。
「あそこには近づいちゃならんで」
「分かってるよ。ガキの頃から何度も聞いてるし」
お祖父さんはまだ何か言いたげに武藤を見つめていたが、やがて表情を緩め、息を吐いた。
久々に会った孫にいつまでも厳しい顔は保てないらしい。天真爛漫な武藤の前では、赤の他人の僕ですらつい気が緩んでしまうので気持ちはよくわかった。
「早よ帰ってこいや。ばあちゃんが御馳走支度して待ってるすけな」
はーいと武藤は調子のいい返事をする。僕はなんだか罪悪感を覚えた。
運賃箱の前でパスモを取り出した僕に、武藤は苦笑しながら小銭を渡してくれた。
「ごめん、後で返すから――」
そう言って顔を上げ、ぎくりとした。
運転手が、深くかぶった制帽の陰から暗い目で凝視していたのだ。
怒っているわけでも不愛想なわけでもなく——言うなれば、観察しているような無機質な眼差しだった。
なんだかぞっとして、僕はとっさに目を逸らす。
こめかみあたりに強い視線を感じながら投入口に硬貨を落とし、中程の座席に座った。
運転手は僕だけでなく、武藤にも視線を馳せていた。しかし武藤はまったく気にした様子なく、僕のすぐ後ろの二人掛けの座席を陣取った。
「出発まであと十分ほどお待ちください」
運転手は車内放送を入れると、すぐに無線機を手に取った。スピーカーマイクに向かって何かボソボソと喋りながら、車内ミラーをじっと見ている。
乗客は僕と武藤の二人しかいない。
(……僕たちを見てるのか?)
そしてきっちり十分後、バスは出発した。
「うわぁ、懐かしー! ぜんぜん変わってねえな!」
車窓から見える風景は、山と田圃ばかりだった。
無邪気にはしゃぐ武藤を後目に、僕はバスの運転手のことが気になってならなかった。やはりミラーでちょくちょくこっちをチェックしているようである。
観光地でもない田舎に僕らのような大学生が来たのだ。警戒されるのも無理ないが、なんだか違和感がぬぐえなかった。
やがて目的のバス停に着いた。
道沿いの草むらに降りた僕たちに、運転手はやはり暗い眼差しを向けていた。
乗客のいないバスはすぐに発車した。
「暑っちぃー」
日陰ひとつないバス停で、武藤はTシャツの胸元を引っ張って風を入れた。
「東京よりましじゃない? 暑いけど息苦しい感じはしないし」
「そうすかぁ? つうか蝉の声やべー。こんなだったっけ?」
ふいに視線を感じて振り向いた。青々とした田んぼの畦道で、三人ばかりの老婆が表情のない顔でこっちを見ていた。
(……なんだ?)
無遠慮な眼差しだった。感じ悪いな、と思ったのが顔に出ていたのか、武藤は苦笑して言った。
「俺らは他所モンすからね。まあ、すぐにじいちゃんが迎えに来てくれますから」
武藤がそう言っていくらも経たないうちに、白い軽バンが畔道を走ってくるのが見えた。
日に焼けた、胡麻塩頭の高齢男性が運転席から降りるなり、「やー、克! 久しぶりだのう!」と相好を崩した。
武藤も懐かしそうに「八年ぶりだよじいちゃん!」と駆け寄った。
「本当に大ッこくなって。誰かと思ったてぇ」
僕はほっと息をついた。武藤の祖父まであのような態度だったらどうしようと思っていたのだ。
「かっちゃんか!」
「かっちゃんじゃねえだけ」
畦道の老婆たちが次々と声を上げながら、おぼつかない足取りでこっちに向かってきた。
僕はぎょっとした。
するとどこに隠れていたのかと思う人数の高齢者がどこぞからわらわらと集まって来て、僕たちはたちどころに囲まれてしまった。
「武藤さんちのお孫さんけ」
「小まかったてがんに、立派な男衆になって!」
「東京の大学、行ってんだと」
「はー、えらいもんだのう」
武藤は後ろ頭を掻きながら、照れくさそうに笑った。
老婆たちは先ほどまでの無表情が一変して、親しみすら感じる笑顔を浮かべている。その豹変ぶりに、思わず唖然としてしまった。
「んで、こん人は誰だね」
一瞬、あたりはしんと静まり返る。
「大学の先輩だよ。生まれも育ちも東京だから田舎ってやつを見てみたいって言ってさぁ」
失礼だろ、と僕は武藤を斜に睨みつけると、「初めまして」と折り目正しく会釈した。
大人しげな子だの、と武藤の祖父はしげしげと僕を見やった。
「こんげ何もねえ所、よう来なさった」
「ゆっくりしてけらっしぇ」
にこにこと愛想の良い言葉を口にしながらも、村人たちはすっと潮が引くように立ち去った。
その場には僕と武藤と武藤の祖父の三人だけがぽつんと残った。
(……皆、何か用があって集まっていたわけじゃないのか?)
では何のために。
(僕たちを見張るため……?)
怪しい余所者の正体が武藤の祖父の身内と知って解散したのだろうか。
それにしても、村人たちはどうしてこのタイミングで僕たちがこの村に来るとわかっていたのだろう。
その時、ふと脳裏によぎった。——バスの運転手の無線。あれは運行状況の確認などではなく、見慣れぬ若者二人が向かっていると村に連絡していたのではないだろうか。
(……考えすぎか? でも、もしそうなら。よほど余所者を警戒する何かがこの村にあるのか……?)
レシートの裏に描いた落書きが脳裏に浮かんだ。
弛んだ顔に、手足の生えた化け物。
——肉人さん。
「車、早よ乗らっしぇ。暑っちいすけ」
考えに没頭していた僕は、はっと我に返った。
武藤の祖父が助手席のドアを開けていた。
促されるまま乗りこむと、武藤も勝手に後部座席のドアを開けた。
後部座席には土に汚れた工具や農作業用具、脚立なんかが山のように積んであり、武藤はそれを当たり前のように押しのけながら席に収まった。
軽バンの車内は土の臭いがし、クーラーがガンガン効いていて寒いくらいだった。
「突然、来るってぇんでたまげたてぇ。何し来たんだや」
武藤は「実はさ」と後部座席から身を乗り出した。
「虫獲りに来たんだよ。クワガタとかカブトムシとか、東京にはぜんぜんいないからさあ 」
「そんがん、一杯こと捕れっども。 だども、でかいなりして男が虫取りかや」
「実は小遣い稼ぎなんだ。都会じゃさ、高値で売れるんだよ」
「はーぁ、そら豪気だのう」
武藤の祖父は驚いたような呆れたような声をだした。
父ちゃんと母ちゃんには内緒な、と武藤はいたずらっぽく笑ってみせた。
上手い言い訳だと思った。これなら山に入っても怪しまれずに済む。
「売れたらじいちゃんとばあちゃんに東京の土産、買って送ってやるよ!」
「本当だけ。そら楽しみにしとくかのう」
武藤の祖父は笑った。
*
バス停から十分もしないところに、武藤の祖父母の家はあった。
昔ながらの古民家を予想していたが、今どき珍しくない二階建て住宅だった。
「ばあちゃん、久しぶりー!」
遠慮なくドアを開けた武藤を出迎えたのは、小柄なおばあさんだった。いかにも優しげな目元がどことなく武藤に似ている。
「待ってたてぇ、かっちゃん。大っこくなって」
涙ぐむお祖母さんに、武藤ももらい泣きしたのか涙をにじませた。
「間宮です。よろしくお願いします。これ、つまらないものですが――」
すかさず手みやげを差し出した僕の周到さに、武藤はなんだか驚いていた。常識だと思うのだが。
「まあまあわざわざ。ささ、上がらっしぇ」
お祖母さんが言い終わる前に、武藤は框にあがり、ずかずかと慣れた様子で廊下を進んで行った。
「ばあちゃん、バナナと焼酎ある? あとバケツとハケも!」
「何し使うんだや」
「樹液作んの。俺たち虫取りに来たんだよ。今から木に塗ってこようと思ってさぁ」
本当にクワガタ採りに来たのかというテンションである。
それにしても八年ぶりなのになんの遠慮もない武藤に、祖父母のいない僕は唖然とするのだった。
「――どこ行くがん?」
僕はぎくりと立ちすくむ。玄関を出るなり、軽バンを車庫に入れ終えたお祖父さんと鉢合わせしたのだ。
武藤はにこにこしながらバナナ臭い疑似樹液の入ったバケツを持ち上げた。
「今から罠しかけてくるんだよ」
お祖父さんは「そうか」と呟くように言うと、武藤を鋭く見据えた。
「あそこには近づいちゃならんで」
「分かってるよ。ガキの頃から何度も聞いてるし」
お祖父さんはまだ何か言いたげに武藤を見つめていたが、やがて表情を緩め、息を吐いた。
久々に会った孫にいつまでも厳しい顔は保てないらしい。天真爛漫な武藤の前では、赤の他人の僕ですらつい気が緩んでしまうので気持ちはよくわかった。
「早よ帰ってこいや。ばあちゃんが御馳走支度して待ってるすけな」
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