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第一章
参
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もう我慢出来んと一歩踏み出した洋之進の横からしかし、三十郎が先に大声をあげた。
「こら、この馬鹿者ども! 天下の往来で何をしている!」
さっと人垣が割れる。振り返った浪人たちの前に二人が同時に歩みでた。
「何だ貴様たちは!」
真ん中にいた男は三十郎の巨躯を見て一瞬焦ったような声を上げたが、二人の後に続いて出て来る者がいないの確かめると安心したように身構えなおす。
「俺は江戸っ子だ、田舎の馬鹿に名乗る名は持っておらん。それよりお前たちこそ何だ。大方どこかの食い詰め浪人だろうが、一体何をやっておる。強請るなら強請るで、体がぶつかったとか、足を踏まれたとか、もっとましな嘘をついたらどうだ。
口の中に砂が入っただと、田舎者が人の多さに驚いて口を閉じるのも忘れていたんだろうよ。それともお前らの田舎では砂が強請りの常套文句か」
「な、何だと!」
「ここは天下のお江戸、生き馬の目をも抜く。田舎者が呆おっとしていれば、あっという間に口中砂まみれになるぞ。虫が入らんかっただけ未だましだ。江戸見物のお代だと思って有難く頂戴して田舎に帰れ」
わあっ!と見物人が一斉に大声で囃し立てる。江戸の人間は自らを「江戸っ子」と呼び田舎者を事ほど馬鹿にする傾向がある。鰻一匹でさえ江戸の浅草川と深川以外で獲れたもの以外は江戸の鰻ではなく旅をして江戸に来る「田舎者のうなぎ」と蔑んで「旅うなぎ」と呼称するくらいだ。
なまりからして明らかに江戸の者でない、憎らしい横暴者を三十郎が田舎ものと何度もなじるのを聞いて皆は大喜びだった。
「お、おのれ」
浪人達は怒り心頭に達したせいで声も出ないのか、真っ赤になってわなわなと震えている。
洋之進と違って生粋の武士の生まれでは無い三十郎は、幼少の頃町で育ったせいか喧嘩口上は得意中の得意だ。田舎者め、虫でも喰らえ、と連られてあちこちで上がる声を聞きながら改めて変に感心しながらも、洋之進はこりゃあ只では済まんなと覚悟した。だが、強請りだけならともかく数を頼んで若い娘にまで狼藉まで働こうとした男たちを許すつもりはこちらも毛頭ない。
拵え直したばかりの左文字に何かあるのだけは勘弁だが、こいつら相手なら何とかなるだろうと値踏みした。素早く自分の脇差を鞘ごと帯から引き抜くと、替わりに刀袋に入った左文字をねじ込む。刺し子の厚みの分腰がぎゅっと圧迫されるが、息を吐いて押し込むと何とか収まっってくれた。ぶつけさえしなければこれで心配ないだろう。
絡まれていた三人は人垣から助けが現れた時には、ほっとしたように少し体の力を抜いたが、二人だけで五人を相手に威勢の良い啖呵で喧嘩を売りつけだした三十郎と洋之進を見てはらはらしたような顔でこちらを伺っている。
その時、いきなり正面の首領格の男が刀を抜いた。刀身にぎらりと夕日が光って、それを見た人々がどっと後退する。
「ぬ、抜きやがったぞお!」
悲鳴のように上がった声を聞いて更に人の輪が後ろに下がる。
一方、怒りに任せて抜刀した浪人は白刃を恐れて引き下がる町人達を見、手に持つ刃の重みを感じて自信でも取り戻したのか、にやりと凄んでみせた。
「もう許さん。武士を馬鹿にした言葉の数々、身をもって償ってもらおう」
それを聞いて残りの浪人たちも次々に刀を鞘走らせる。
「馬鹿め、この男は雲弘流の免許持ちぞ、怒らせたことをあの世で後悔するが良い」
右隣の総髪の男がせせら笑うように唇をゆがめ、背後の人の輪が息を飲む気配がした。洋之進はじっくりと男を見る。
「どうした、お前たちも抜くが良い。そのくらいは待っていてやるぞ」
左端の髭面の男も威勢よく言い放った。
喧嘩口上としては正しいかも知れぬが此処は江戸市中、主持ちの武士が鯉口三寸切っただけで切腹、お家断絶になってしまい主家にも迷惑がかかる。浪人ならいざ知らずこちらが付き合える訳がない。だが流石は三十郎であった。
「これは驚いた。貴殿は何とあの高名な雲弘流の遣い手であらせられたか、まいった、まいった。我らは二人揃って免許も何も無い、修行半ばのつばなれ者よ。これはいかん、で、だな、どのくらい手加減をしてもらえるのかな」
「な、何!」
何とも人を食ったような三十郎の言葉に男は一旦収まりかけた顔を再び朱に染め上げたが、三十郎は構わずに台詞をまわす。
「お前たち、垢じみた格好をしていても刀を売るのは我慢したようだな、殊勝なものだ褒めてやる。だが俺達は酒代欲しさにとうの昔に刀を売り飛ばして、鞘の中身は竹光よ。いくら抜くのを待っていてくれても時間の無駄だぞ」
洋之進の隣の友はさらにこれ見よがしにぽんぽんと柄を叩いてみせる。
浪人達の後ろでやり取りを聞いていた男や娘、下男の三人はどんな顔をして良いのやら、目を白黒させているが、刀を抜いた浪人達も怒っていいのやら呆れたらいいのやら顔をチラチラと見合わせて戸惑っている。
それにしてもこの男の喧嘩口上は見事だ。闘う前から相手は怒り、気を紛らわされて初手は思う通りに動けまい。喧嘩の売り方だけは十分免許皆伝だ。
もう少し聞いていたい気もしたが、痺れを切らしたか呆れ果てたか最初に刀を抜いて八相の構えを取っていた男が、いきなり奇声のような掛け声を上げて三十郎目がけ飛び込んできた。
目を血走らせ歯を食い縛って体に余計な力が入り過ぎているのが傍目にもわかる。
それを見て慌てたように動こうとした右側の二人の浪人に洋之進も跳びかかった。
端の男が一瞬出遅れたのを見て、隣の男が振りかぶった剣の柄を左手で持つ脇差で払い除けざま右拳で腹に当て身を入れる。くたっとなった体をそのまま端の奴目がけて突き飛ばした。
吹き飛んで来た味方を斬りそうになり袈裟懸けに振り降ろそうとした刀を男は何とか止めたが、避ける暇無くぶつかったきた体が絡んでたたらを踏む。慌てて邪魔な味方の体を払いのけると再び刀を振り上げたがその間に洋之進は悠々と男の懐に潜り込んでいた。体が触れんばかりに間合いを詰められてまたもや刀を振り下ろせず、顔を歪めて何やら喚きながら離れようとする浪人の首筋に手刀をずむ、と入れる。
白目を剥いてくたくたと崩れ落ちるのを放って、手助けが要るかと振り返って見ると、最後の一人が三十郎の豪快な払い腰で地響きを立てて通りに叩き付けられるところだった。
ぱっと舞い上がった砂煙が風で流されてゆく先の地面では雲弘流の免許持ちがくの字に体を折って倒れている。
「ふん」
ぱんぱんと付いてもいない両掌の埃を三十郎が払うと、どおっ、とどよめきが起こった。
「こら、この馬鹿者ども! 天下の往来で何をしている!」
さっと人垣が割れる。振り返った浪人たちの前に二人が同時に歩みでた。
「何だ貴様たちは!」
真ん中にいた男は三十郎の巨躯を見て一瞬焦ったような声を上げたが、二人の後に続いて出て来る者がいないの確かめると安心したように身構えなおす。
「俺は江戸っ子だ、田舎の馬鹿に名乗る名は持っておらん。それよりお前たちこそ何だ。大方どこかの食い詰め浪人だろうが、一体何をやっておる。強請るなら強請るで、体がぶつかったとか、足を踏まれたとか、もっとましな嘘をついたらどうだ。
口の中に砂が入っただと、田舎者が人の多さに驚いて口を閉じるのも忘れていたんだろうよ。それともお前らの田舎では砂が強請りの常套文句か」
「な、何だと!」
「ここは天下のお江戸、生き馬の目をも抜く。田舎者が呆おっとしていれば、あっという間に口中砂まみれになるぞ。虫が入らんかっただけ未だましだ。江戸見物のお代だと思って有難く頂戴して田舎に帰れ」
わあっ!と見物人が一斉に大声で囃し立てる。江戸の人間は自らを「江戸っ子」と呼び田舎者を事ほど馬鹿にする傾向がある。鰻一匹でさえ江戸の浅草川と深川以外で獲れたもの以外は江戸の鰻ではなく旅をして江戸に来る「田舎者のうなぎ」と蔑んで「旅うなぎ」と呼称するくらいだ。
なまりからして明らかに江戸の者でない、憎らしい横暴者を三十郎が田舎ものと何度もなじるのを聞いて皆は大喜びだった。
「お、おのれ」
浪人達は怒り心頭に達したせいで声も出ないのか、真っ赤になってわなわなと震えている。
洋之進と違って生粋の武士の生まれでは無い三十郎は、幼少の頃町で育ったせいか喧嘩口上は得意中の得意だ。田舎者め、虫でも喰らえ、と連られてあちこちで上がる声を聞きながら改めて変に感心しながらも、洋之進はこりゃあ只では済まんなと覚悟した。だが、強請りだけならともかく数を頼んで若い娘にまで狼藉まで働こうとした男たちを許すつもりはこちらも毛頭ない。
拵え直したばかりの左文字に何かあるのだけは勘弁だが、こいつら相手なら何とかなるだろうと値踏みした。素早く自分の脇差を鞘ごと帯から引き抜くと、替わりに刀袋に入った左文字をねじ込む。刺し子の厚みの分腰がぎゅっと圧迫されるが、息を吐いて押し込むと何とか収まっってくれた。ぶつけさえしなければこれで心配ないだろう。
絡まれていた三人は人垣から助けが現れた時には、ほっとしたように少し体の力を抜いたが、二人だけで五人を相手に威勢の良い啖呵で喧嘩を売りつけだした三十郎と洋之進を見てはらはらしたような顔でこちらを伺っている。
その時、いきなり正面の首領格の男が刀を抜いた。刀身にぎらりと夕日が光って、それを見た人々がどっと後退する。
「ぬ、抜きやがったぞお!」
悲鳴のように上がった声を聞いて更に人の輪が後ろに下がる。
一方、怒りに任せて抜刀した浪人は白刃を恐れて引き下がる町人達を見、手に持つ刃の重みを感じて自信でも取り戻したのか、にやりと凄んでみせた。
「もう許さん。武士を馬鹿にした言葉の数々、身をもって償ってもらおう」
それを聞いて残りの浪人たちも次々に刀を鞘走らせる。
「馬鹿め、この男は雲弘流の免許持ちぞ、怒らせたことをあの世で後悔するが良い」
右隣の総髪の男がせせら笑うように唇をゆがめ、背後の人の輪が息を飲む気配がした。洋之進はじっくりと男を見る。
「どうした、お前たちも抜くが良い。そのくらいは待っていてやるぞ」
左端の髭面の男も威勢よく言い放った。
喧嘩口上としては正しいかも知れぬが此処は江戸市中、主持ちの武士が鯉口三寸切っただけで切腹、お家断絶になってしまい主家にも迷惑がかかる。浪人ならいざ知らずこちらが付き合える訳がない。だが流石は三十郎であった。
「これは驚いた。貴殿は何とあの高名な雲弘流の遣い手であらせられたか、まいった、まいった。我らは二人揃って免許も何も無い、修行半ばのつばなれ者よ。これはいかん、で、だな、どのくらい手加減をしてもらえるのかな」
「な、何!」
何とも人を食ったような三十郎の言葉に男は一旦収まりかけた顔を再び朱に染め上げたが、三十郎は構わずに台詞をまわす。
「お前たち、垢じみた格好をしていても刀を売るのは我慢したようだな、殊勝なものだ褒めてやる。だが俺達は酒代欲しさにとうの昔に刀を売り飛ばして、鞘の中身は竹光よ。いくら抜くのを待っていてくれても時間の無駄だぞ」
洋之進の隣の友はさらにこれ見よがしにぽんぽんと柄を叩いてみせる。
浪人達の後ろでやり取りを聞いていた男や娘、下男の三人はどんな顔をして良いのやら、目を白黒させているが、刀を抜いた浪人達も怒っていいのやら呆れたらいいのやら顔をチラチラと見合わせて戸惑っている。
それにしてもこの男の喧嘩口上は見事だ。闘う前から相手は怒り、気を紛らわされて初手は思う通りに動けまい。喧嘩の売り方だけは十分免許皆伝だ。
もう少し聞いていたい気もしたが、痺れを切らしたか呆れ果てたか最初に刀を抜いて八相の構えを取っていた男が、いきなり奇声のような掛け声を上げて三十郎目がけ飛び込んできた。
目を血走らせ歯を食い縛って体に余計な力が入り過ぎているのが傍目にもわかる。
それを見て慌てたように動こうとした右側の二人の浪人に洋之進も跳びかかった。
端の男が一瞬出遅れたのを見て、隣の男が振りかぶった剣の柄を左手で持つ脇差で払い除けざま右拳で腹に当て身を入れる。くたっとなった体をそのまま端の奴目がけて突き飛ばした。
吹き飛んで来た味方を斬りそうになり袈裟懸けに振り降ろそうとした刀を男は何とか止めたが、避ける暇無くぶつかったきた体が絡んでたたらを踏む。慌てて邪魔な味方の体を払いのけると再び刀を振り上げたがその間に洋之進は悠々と男の懐に潜り込んでいた。体が触れんばかりに間合いを詰められてまたもや刀を振り下ろせず、顔を歪めて何やら喚きながら離れようとする浪人の首筋に手刀をずむ、と入れる。
白目を剥いてくたくたと崩れ落ちるのを放って、手助けが要るかと振り返って見ると、最後の一人が三十郎の豪快な払い腰で地響きを立てて通りに叩き付けられるところだった。
ぱっと舞い上がった砂煙が風で流されてゆく先の地面では雲弘流の免許持ちがくの字に体を折って倒れている。
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