つばなれ洋之進

リーフパパ

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第一章

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 北伝馬町に薬種屋を構える佐伯屋は初代佐助から今代の嘉助まで四代を数える老舗で、遠く明国や高麗、長崎出島を通して蘭国とも取引がある。店の間口は五間少しと小じんまりしているが、敷地は商売用の薬種を収める三つの蔵や主人の住まいがある奥に向かって広がっており、そこまでは表通りの喧騒も伝わってこない。
 取引の規模を見れば問屋と名乗るのに相応ふさわしい大店であったが、単に薬種屋と称しているのはひとえに代々の経営者の人柄の謙虚さにあった。
 店の奥にある落ち着いた造りの屋敷の一室で主人の嘉助は帳簿を手に取って眺めていた。中庭に面するように作られた十畳の間には、昼過ぎの柔らかい日の光が障子紙を通して部屋に入ってくる。南向に作られているのでこれから寒くなっていく季節でも暖かく、また夏には常寸より長く伸ばした軒と庭の木の枝が日差しを遮り、年を通じて居心地が良い。
 嘉助は商いが落ち着いている時にはこの部家で一人、烏鷺うろの棋譜でも並べながら寛ぐのが大のお気に入りであったが、今日は昼食ちゅうじきを済ませた後、眉間に皺を寄せて帳簿を繰っていた。
 その前に店の番頭の伝介と手代頭の清吉が不安そうな顔をして膝を揃えて座っている。主人の嘉助から、ここ五年ほどの間に仕入れた薬種の帳簿を持ってこいと言われたのが一刻ほど前で、それから二人して急ぎ蔵の鍵を開け、目当ての帳簿を引っ張り出し、埃を払って持って来たところであった。
 佐伯屋は高麗人参や熊胆ゆうたんといった将軍、大名家が珍重するような物から、センブリやゲンノショウコと言った庶民の薬まで幅広く扱うため、取引の数が多く五年分の帳簿ともなればかなりの量になる。二人掛かりで運び入れ、畳に積み上げられた帳簿を手に取って繰るたびに嘉助の額の皺は深くなっていった。
 「あの、旦那様、一体何をお調べで御座いますか」
 沈黙に耐え切れず清吉が口を開く。八つの歳に小僧としてこの店に奉功に上がり、目端が利くため、十八の時に仲間内でも一番先に手代にあがった。番頭の伝介や嘉助にも可愛がられ仕事の覚えも良く、三十を迎えた今は十人余りの手代を束ねる役を仰せつかっている。
 帳簿の記入と計算に当たっては最後に算盤を使って検算、確認をし、伝介と共に記帳の責任を負う立場にあるので、いきなりの主人の検分に何か手違いでも有ったかと先程から冷や汗しきりであった。
 「いえいえ、ちょっと仕入れの値段の動きが知りたかっただけですよ」
 嘉助は、ぱたりと帳簿を閉じ額の皺を消してほほ笑んだ。
 「忙しいのに余計な手間を取らせて済まなかったね。もういいよ、二人とも。これは暫く此処に置いて行っておくれ」
 ほっとしたような笑みを浮かべた二人が部屋から出て行ったのと入れ替わりに下働きの平助が来て頭を下げた。
 「旦那様、明後日の御来客のことでございますが、お内儀様が・・・」
 言い難そうに言葉を飲み込む。
 「あれは未だ心配しているのかね」
 目の前の平助やお園と共に不逞浪人共に絡まれてから十日ばかりが過ぎようとしていた。その時助けて貰った武家二人に感激し是非、礼を申したいと家に招く使いをだしたのは強請られた次の日だった。本当はそれなりの料理屋で宴を開くつもりだったのだが、それに強固に反対したのは、意外にもその話を傍らで聞いていた姪のお園だった。
 僅かな時間でしたが、あのお二方は形より心がけを大事にされる方とお見受けしました。
一度はお断りになられた礼の席を強引にお受けして頂いたのはこちらの方です。この上はせめて我が家で心を込めてもてなすのが我ら佐伯の家としての礼の表し方ではありませんか。
 活発で物怖じしない娘ではあったが、今までは一度も嘉助の決めたことに面と向かって異存を挟んだ事など無かった。それなのに今回だけは反発したのだ。娘の言う事ながら、理路も通っていて嘉助の妻でお園の母の姉にあたるおりんもその肩を持ったので、嘉助は押し切られてしまった。
 佐伯屋の面子も考えはしたが、あの時の二人の風体を見て、せいぜい何処かの御家人の身内か江戸常府の小藩の藩士だろうと軽く見てしまったせいもある。  
 ところが、せめてもの恰好付けにと番頭に手代と小僧を付け、近所でも評判の羊羹屋の桐箱を持たせて遣いにやったところ、暫くしてから三人とも蒼くなって戻って来た。
 聞いていた住まいを尋ねると立派な門構えのお屋敷で、潜り戸には六尺棒を持った門番が立っており、恐る恐る言上した用件を聞いた後、今、洋之進様は御不在である故、後刻御帰りになられてからお伝えする、お前達は木札を置いて早々に退散せよと睨まれ、ほうほうの体で帰って来たと言うではないか。
 遅ればせながら慌てて武監ぶかんを調べたところ、件の屋敷は幕府五番方の一つ、新番衆に任じられている禄高三百十石、役高二百五十石の旗本、棟木宗助忠保そうすけただやすの屋敷と知れた。武監には当主と正室の名前しか記載されないため、洋之進が当主忠保といかなる繋がりがあるのかまでは分からなかったが、門番の口調や苗字からすれば先ず、父系の御身内だろう。
  それが分かってから妻のおりんは戦々恐々となってしまった。
 「やれやれ、この度は失敗しくじったかもしれませんねえ」
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