つばなれ洋之進

リーフパパ

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第一章

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「おや、そなたは佐伯屋の姪御ではないか。確かお園と申したな」
  「はい、お久しゅう御座います。棟木様も立花様も、あの節は誠にお世話になりました。有難う御座いました」
  銚子を三方に戻すと折り目正しく両手を畳について二人に腰を折った。襟元の襦袢と島田髷の間から白い項がちらりと覗く。  
  洋之進はそこから慌てて視線を離すと杯をぐいと一気に干した。酒が変な所に入りかけて危うくせそうになるのを誤魔化しながら答えた。
  「ごほん。棟木の家は兄上が継いだ故、それがしは単なる部屋住みよ。少禄旗本の冷や飯食いでは大したものは食べれんからなあ。台所の隅で文字通り冷たい飯に薄い汁をかけて沢庵を齧るのも珍しくない。目刺があればまだ上等な方よ」
  「まあ、お旗本のお家ではもっと豪勢なお食事を毎日お召し上がりになっているのかと思っておりました」
 「大名家やそれに近い数千石獲りの家ならさもあろうな。だが一汁三菜を家中で食せるのはせめて千石獲り以上ではないか。我が屋敷では当主ただ一人、己れなどは夕餉の時刻を過ぎて家に帰れば飯すら残っておらん時もある」
 「え、そんな時は如何なされるのですか」
 「仕方が無いからたらふく水でも飲んで寝てしまう」
 「まあ、本当で御座いますか」
  「これ、お園。お前はまたしても余計な事を」
  嘉助が慌てて止めに入るが、あれやこれやでもう気息奄々の有様だ。
  「申し訳御座いません、これが何としてもお顔を拝見して御礼申し上げたいと駄々をこねるものでして。三方を持って参るだけならばと許した次第でして」
  手の甲で額を拭いながら困った顔で言いつけた。
  「御礼を申し上げたならお前はもう下がっていなさい」
  「ですが叔父上、まだささもこのように残っておりますが」
  お園は両手で銚子を持って軽く揺すって見せながら小首を傾げた。その動きに合せて、様々な花柄をあしらった薄紅色の友禅の袖がさやさやと動き、慎ましやかに微笑むさまはまるで匂い立つ一輪の花のようだった。
  「まあまあ、佐伯屋。我らは一向に構わんぞ。それにこのような麗人に杯を注いで貰えば銚子の中身も天上の美酒に変わろうと言うものよ。洋之進もまんざらでは無さそうだ」
  三十郎が割り込んできた。飲み始めたばかりなのにもう酔漢の様なことを言うが茶屋の酌婦や仲居ならいざ知らず、いくら町人とは言え佐伯屋ほどの家の娘に頼む言葉では無い。
  「おい三十郎、ここは茶屋でも船宿でも無いのだぞ。ましてやお園殿はまだ輿入れ前の娘御、佐伯屋に対して無礼と言うものだ」
  やんわりと諭したつもりだったが当の娘は構わずに言った。
  「そのようなお気遣いは無用で御座ります、棟木様。私などで宜しければ喜んで酌にお使い下さいませ」
  「あはは、佐伯屋、洋之進の言うとおりだがお前の姪御も乗り気の様だ、今一度頼めんか。それにこの男はとんだ朴念仁でな。今まで隣に浮世絵の美人が座ろうが犬が座ろうが気にも留めんかったのだが、何故か姪御殿はよく見ておいでのようだ。それに美酒は美人に注いでもらってこそのもの、これが俺に対するこの前の礼だと思ってくれんか」
  「これは・・・勿体無いお言葉で御座いますが、お園は躾が行き届いておりません。失礼をつかまつるやも知れませんが、それをお許し頂けるのでしたら座の余興の一つと思ってお使い下さいませ」
  最早諦めたように肩をすくめる叔父を見て、悪戯っぽく首をすくめながらお園は二人の杯に酒を満たした。
  「それにしても朝晩は少し冷えるようになりまして御座います」
  気を取り直したように始まった語らいは、当り障りの無い天候の話から市井の噂話へ、更には洋之進や三十郎の簡単な身の周りにまで及ぶのに時間は掛からなかった。
  嘉助は商人らしく如才ない話し振りであったし、洋之進も三十郎も話し好きの方ではあったが何よりお園が聞き上手なのが原因だった。話の流れや場の雰囲気を読み、的確な合いの手や感想、質問を挟み、時に驚き、時に笑い、時に感心してみせ、宴を大いに盛り上げた。
  三十郎などは途中からわざとお園が関心を示しそうな話題を選んでいたくらいだった。
  また酒も料理も薦め上手で、話が一息ついた時を巧く捉えて杯や皿を満たしてくれるので半刻もするうちにすっかり二人は寛いだ気分になった。
  「それにしても美味い菜ばかりだな。これも何処にでも有りそうな一品だが実に上品に味が染みておる」
  お園が取り分けた里芋と蒟蒻の煮物を嬉しそうに味わいながら三十郎が言う。
  「型も煮崩れておらんし、色薄い割には出汁の味もしっかり染みていて照りも良い。そこらの煮売り屋の物とは違うな。さすが佐伯屋は良い料理番を抱えているな」
  洋之進も感心して頷くとお園が嬉しそうに頭を下げた。
  「この様な品をお褒め頂き有難う御座います。お口に合いまして光栄で御座います」
  「これ、お園」
  もうこれで何度目になるか分からぬくらいの言葉を嘉助が口にする。少しの間に何となくやつれた様に見えるのは気のせいであろうか。
  「でも叔父上、お褒め頂いたのなら御礼を申し上げませんと」
  そのやりとりを聞いて洋之進はひょっと思いついて尋ねる。
  「この菜はそなたが作ったのかな」
  「はい、お気に召して頂けましたら嬉しく存じます」
 もう諦めたような口調で佐伯屋が口を開く。
  「これは幼い頃から包丁事や手習い事等、手先を動かす事に興味を示す娘で御座いまして、小さい頃から板場に出入りしては料理の真似事などをしておりました。私も子供のままごと遊びと思い特に咎めなかったので何時の間にやら料理番から手ほどきを受けておりました。そのせいもあって、誇って良いのやら恥なのやら今ではそれなりの腕になりまして御座います」
  「まあ、私の包丁は恥で御座いますか」
  お園が機嫌を損ねたようにふくれたが、佐伯屋の言葉にも訳が有る。包丁や針が達者な女は普通の家では重宝されるものだが、武家や裕福な町人の家では専用の料理番や飯炊きを置いているのが当たり前だし、針仕事は奥方の女中か新造の腰元の仕事だ。
  それなりの格の家で家人が包丁や針を能《よ》く扱うと聞こえれば、料理番や腰元を雇う余裕も無いのかと馬鹿にもされかねないのだ。
  「これ程の包丁仕事が出来る者はそう居るまい、誇っても良いのではないか。我らも何時もは半分煮崩れてただ濃いだけの味の菜しか食べぬからな、うむ美味い」
  洋之進はほくほくの里芋を口の中で噛み、転がしながら笑み、頷く。それを見て嬉しそうにお園が酒を注ぎながら言う。
  「棟木様はどちらかと言うと上方の味付けがお好みなのでは御座いませんか」
  ほう、と洋之進はお園の顔を見た。確かに、江戸生まれの江戸育ちだが何故か味の好みは出汁の利いた薄味が好みなのだ。
  「判るのか」
  「私は京の料理屋で働いておりました者を真似て包丁を扱うようになりましたので、味付けが上方風なので御座います。それをお気に召されるのならばそうなのか、と」
  「いや恐れ入った。そなたが言われる通り、何故か好みがそうなのだ。家でも市中でも料理が濃い塩味で困ることが多々ある」
  「それはお気の毒にございます。我が家では昆布と鰹の出汁を使いますが、昆布は北前船で蝦夷地より運ばれると聞き及びます。鰹節も昆布ほどでは御座いませんが安くはありません。
 市中の煮売り屋で扱うには高値こうじきで御座いましょうから、出汁は使ってもせいぜい煮干しまで、そこに醤油か味噌での味付けとなれば濃い塩味にもなりましょう。後はせいぜい味醂を使うくらい。味付けに砂糖を使う店も増えていると聞きますが、高価なればたっぷり使うのも控えられましょうし」
  面白い娘だ。料理の味付けから蝦夷地や北前船の話が出て来るとは思わなかった。そこへ嘉助が商人らしい知識を披露する。
  「我が家は薬種屋で御座いますから砂糖も自由に使う事ができますが、市中の店や家ではまだまだ難しいのではありませんか。昔に比べればだいぶん値がこなれてまいりましたが、それでも白砂糖なれば一斤がさよう、銀四~五もんめは致しますゆえ
  「高いとは聞いていたが結構するものだな」
  職人の中で給金が高いと言われる大工でも一日働いて手取りは銀三~五匁だ。
 対して白砂糖は匙一杯が五~六文する計算になる。丼一杯十六文の蕎麦の出汁にそうそう使える値段では無い。
  「白砂糖は、で御座いますよ立花様。料理や菓子に使うきび糖はもっと安う御座います。  白砂糖は先の寛政年間にこの日の本でも作られるようになりましたが、まだまだ量が少なく蘭国から出島を通して入って来る方が多う御座います。手前どもの初代がこの店を開いた頃など白砂糖を甘味として求めるのは余程の高貴な方のみで、今でも市井では食べるより薬として扱われております」
  「滋養強壮や産後の肥立ちに良いとされておったな。昔御祖父上様から砂糖一舐めで病人の床離れが一日早くなると聞いた覚えがあるような」
  曖昧な記憶を探って洋之進も話に加わる。
  「何れにしても味を気に入って頂けまして嬉しゅう御座います。実はこちらのはぜの甘露煮も家で味付けを致しました。おひとつ如何で御座いますか」
  差し出された美麗な有田焼の大鉢には程良い大きさの鯊が行儀よく煮付けられて並んでいた。上に載せられた木の芽の緑が鮮やかに目に入る。
  「何と美味そうな照りと匂いだ。しかしこの菜には砂糖をいか程使うておるのだ」
  言葉こそ殊勝だったが遠慮は何処へやらの三十郎、問いかけながらもう二匹ほど、口の中に放り込んでいる。
  「ご安心を、これは味醂ときび糖しか甘味を使っておりませんのでお安く仕上がっております」
  三十郎が逞しい顎でばりばりと鯊を豪快にかみ砕く様を見て、お園は袂で口許を隠しながら笑い声を上げた。洋之進も続けて鯊を味わう。過ぎない上品な甘辛さの中に生姜の香りが立ち、山椒のピリッとした香味が際立つ。これ一つで何杯も酒がいけそうだと思った心の内を読んだかのように、すかさずお園が銚子を取り上げる。
  差出した杯に酒を満たしてくれるお園を見ながら洋之進は満ち足りた気分になっていた。  
 
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