【完結】二人はさよならを知らない

シラハセ カヤ

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心の中ではまだモヤモヤとしたものが渦巻いている。
どうして、あんなに動揺したのか。
どうして、彰はあんなにも当然のように
「違う」と言ったのか。

考えても答えが出るわけではない。

とりあえず、お茶でも飲も……

そう思いながら、ふと母の姿を探すと、
居間の隅で帳簿を広げているのが目に入った。

香典の整理をしているのだろう。

「お茶、飲む?」
沙耶子が声をかけると、母は手を止めて顔を上げた。

「あんたが飲むなら、ついでにお願い」
「はいはい」

沙耶子は台所に戻り、湯呑みにお茶を注いで、
母の向かいに座る。

帳簿には、葬儀で受け取った香典の額と
名前が細かく書かれていた。
沙耶子も少し手伝おうかと思ったが、
母は「自分でやるからええ」と首を振る。

「しかし、さっきはびっくりしたなあ」

母が不意に言った。

「何が?」

「何がって……あんたと彰のことや、
 近所の人に夫婦と間違えられるなんて
 みんなしてなあ、ほんま」

「……それね」

沙耶子は苦笑いして湯呑みを手に取る。

「あんたが東京に行ってから、
 ろくに顔も合わせてないのに、
 まさかそんな風に言われるとはねえ」

母はお茶をすすりながら、ふっと笑った。

「まあでも、昔からあんたは彰になついとったし」
「……まあね」

沙耶子はぼんやりと湯呑みの中の茶葉を見つめた。
そのまま少し迷った後、何気ないふりをして聞く。

「……ねえ、お母さん」
「ん?」

「彰は、なんで結婚したん?」

母は、お茶を口に運びかけた手を止めた。
そして、しばらく黙った後、ぽつりと言った。

「好きやったんやろうけど……たぶん、
 誰かを求めることに慣れてなかったんやと思う」

「……誰かを求めることに慣れてなかった?」
「うん」

母はそれ以上、何も言わなかった。

沙耶子はその言葉の意味を考える。
───誰かを求めることに、慣れてなかった。

「ひとの話おらんとこで勝手にすんな」
いつからそこにいたのか、
戸を開けて彰が入って来る。
「え、別にええやないの、昔のことやん」

彰は、結婚するほど好きになったのに、
誰かを求めることができなかった……?

それはどういうことなのか。
答えは出ないまま、沙耶子の心に引っかかる。

彰のことは、昔から誰よりも
近くで見てきたつもりだった。
だけど本当は、何も知らなかったのかもしれない。

沙耶子は、湯呑みの中でゆらゆらと揺れる茶葉を
見つめながら、静かに息を吐いた。




東京に戻ってからの日々は、忙しなく過ぎていった。

仕事に追われ、友人と会い、
彼氏と過ごしながらも、心のどこかに
ずっと引っかかっているものがあった。

「たぶん、誰かを求めることに
 慣れてなかったんやと思う」

母の言葉。

それが何を意味するのか、
考えても考えてもわからなかった。

答えを知っているのは、本人しかいない。
でも、それを聞いたところで、私に何ができる?

何を知りたい?
何を望んでいる?

……そうやって、ずっと踏み出せずにいた。
けれど、四十九日が近づくにつれ、
焦りのような感情が芽生えてきた。

───このまま、聞かずに終わらせてもいいの?

スマホの連絡先を開くと
彰の名前がそこにある。

葬儀の帰り際、母に
「連絡先、交換しとき」と言われて、
ぎこちなく交換したものだった。

でも、それ以来、一度も連絡していない。
彰からも、何もなかった。

タバコの煙の向こうで見た、あの横顔を思い出す。
深く考え込むような、遠い目をしていた。

……今なら、まだ間に合う

そう思った瞬間、
気づけば沙耶子の指は通話ボタンを押していた。

コール音が鳴る。

─── 1回、2回、3回。

出ないかも……

そう思いかけたとき、
「……もしもし?」

低く、聞き慣れた声が耳に届いた。
一瞬、喉が詰まる。

「……あ、彰?」
「おう」

相変わらず、素っ気ない返事。

だけど、その声を聞いただけで、
胸の奥がじんわりと熱くなる。

「……急にごめん、今大丈夫?」
「ああ、ちょうど休憩中や」

どうやら、仕事の合間らしい。

「そっか……」
ここで躊躇ったらまた言えなくなる。

意を決して、沙耶子は言葉を紡いだ。

「この前、母さんが言ってたことなんやけど……」
「ん?」

「“誰かを求めることに慣れてなかった”って
 どういうこと?」
電話の向こうで、一瞬の沈黙。

沙耶子は息を詰めた。

やっぱり、聞かないほうがよかった……?

けれど、今度は短いものではなかった。

考えてる? それとも……言いたくない?

じわじわと不安が押し寄せる。
そのとき、ふっと彰が息を吐いた。

「……話すと、長なるで」
「聞かせて」

迷いなく、そう言った。

聞きたい。
知りたい。

たとえ、それが何であれ。
電話越しに、微かに彰の笑う気配がした。

「……ほんま、お前は昔からしつこいな」
「うるさい」

軽く言い返しながらも、沙耶子の胸は高鳴っていた。

これが、何かの答えに繋がるのかもしれない。
そう思いながら、沙耶子は静かに息をのんだ。





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