【完結】二人はさよならを知らない

シラハセ カヤ

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夜の静寂の中、彰は天井を見つめていた。

腕の中には、規則正しい寝息を立てる
沙耶子の体温がある。

彼女の髪が枕に広がり、
かすかにシャンプーの香りが漂った。

───どこまで堕ちるつもりなんだろうな。

自嘲気味に笑いながら、
彰は沙耶子の肩にそっと毛布を掛ける。

目を閉じて眠る彼女の顔は穏やかで、
まるで何の迷いもないように見えた。

だが、そんなはずがない。

二人とも、今夜犯した罪の重さを分かっている。

なのに、彰は彼女を拒めなかった。
沙耶子が彰を求める限り、彼はそれに応えてしまう。

沙耶子の指が、無意識のうちに
彰のシャツの裾を握る。

その小さな仕草に、彼の胸が痛んだ。

───どうすればいい?

考えがまとまらないまま、彰は目を閉じた。







朝、薄明かりの中で彰が目を覚ますと、
沙耶子はまだ眠っていた。

寝顔を見ていると、
昨夜の出来事がまるで夢のように思える。

だが、腕の中にあるこの温もりが、
それが現実だったことを証明していた。

起こした方がいいのか、
それともそっとしておくべきか……。

そう迷っていると、沙耶子が微かに身じろぎした。

「……ん」
薄く目を開け、ぼんやりと彰を見つめる。

まだ夢の中にいるようなその表情に、
不意に彰の喉が詰まった。

「おはよう」

そう声をかけると、
沙耶子はゆっくりと瞬きをして、
次第に自分の置かれた状況を理解していく。

彼の腕の中にいることを自覚したのか、
小さく息を呑んだ。

「……おはよう」

囁くような声。

沙耶子の視線は、彰の顔を探るように彷徨っていた。

二人は、もう戻れないところまで来てしまった。

それを理解しながらも、
彰は沙耶子から目を逸らせなかった。








朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。

微かに聞こえる車の音、
鳥のさえずり、遠くで響く踏切の警報音。

日常が、確かにここに流れている。

───なのに、沙耶子の世界は、
昨夜から止まったままだった。

ぼんやりと天井を見つめながら、
体に残る微かな熱を意識する。

彰の温もり。指の感触。吐息。

どれも消えてしまうのが惜しいくらい、
確かなものだった。

隣を見ると、彰はすでに起きていた。

ベッドの端に腰掛け、煙草を指に挟んだまま、
まだ火はつけていない。

「……沙耶子」

低く名前を呼ばれ、彼女はゆっくりと体を起こす。

肩にかかっていたシーツがずり落ち、
慌てて引き寄せた。

「……帰って来たこと、後悔してるんとちゃうん」

聞きたいような、聞きたくないような問いだった。

彰の瞳には、どこか不安げな色が滲んでいる。
そんな顔を、彼がするのを見たことがなかった。

「するわけないやんか」

沙耶子は首を振る。

「彰が好き、ずっと、ずっと好きやった
 だから、今は……すごく満たされてる」

彰の手が伸びてきて、沙耶子の頬にそっと触れた。

その指先が優しくて、切なくて、
胸が締めつけられる。

「でも……」

沙耶子は、そっとその手を取る。

「やからこそ、これで終わりにする」

彰の目が揺れた。

「……なんで」

「満たされちゃったから」

沙耶子は微笑む。

「ずっと消えなかった気持ちに、答えもらえた、
 私の初恋は、確かにここにあったって、
 そう思えるようになった」

彰は、何かを言おうと口を開きかけるが、
それを飲み込んだ。

沙耶子の決意を悟ったのかもしれない。

「……私、今の彼氏と結婚すんねん」

そう告げた瞬間、胸が少しだけ痛んだ。
けれど、ちゃんと前を向かなければいけない。
そんな意思を感じるように、目を合わせないまま
軽く口角を上げた。

「…好きなん?」

そんな当然のことを、聞いてしまうほどに
戸惑っていた。

「うん」

沙耶子は迷わず頷いた。

「たぶん、彰とは違う種類の好き、
 でも、ずっと一緒にいたいと思う、
 私の人生には、あの人が必要やって思う」

彰は、ゆっくりと煙草を灰皿に置いた。

そして、ふっと小さく笑う。

「そっか」
その声には、どこか安堵が混じっていた。

沙耶子が選んだ道を、
彰はちゃんと認めてくれたのだろう。

「彰、ありがとう」

沙耶子は、もう一度微笑む。

「私の初恋になってくれて、
 ちゃんと、終わらせてくれて」

彰は何も言わず、ただ沙耶子の髪を優しく撫でた。

それが、最後の温もりだった。





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