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第17話:逃げ場と戦場【11月17日】
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自宅前に停車した、アルファードに乗り込む。
大企業の社長でもないのにつくづく好待遇だと思う。
「美桜さん、今日はCM撮影ですよ。地上波です!」
春夏冬さんの声が、朝の車内に響く。
俺は、窓の外を見ながら頷いた。
「……はい」
「緊張してますか?」
「……少しだけ」
「大丈夫です。美桜さんなら、絶対うまくいきますから!」
春夏冬さんは、俺のことを信じてくれている。
ロケの申請ポカ事件より、単なるマネージャーとタレントと言う関係より深くなった。
そういう関係が、ほんとうは良くないことは解っているが、今では姉妹のような気さえしている、ちなみに姉役は…俺だ…あれ、兄かな?
「あと、ファンレターが届いています。」
「……ファンレター?」
「はい、事務所に届いてました。」
俺は、既に事務所で開封された検閲済みのファンレターに目を通す。
「この内容は美桜さんのモチベーションに繋がりますよ。」
中には、丁寧な文字でこう書かれていた。
『寿美桜さんへ
雑誌のグラビア、見ました!本当に涙が出そうになりました。
パステルカラーのワンピースのカットは、あまりに綺麗で、触れたら壊れそうな脆さを感じました。でも、スポーティな衣装で腕を組んだ時の、あの凛とした目の強さ!あれは、並大抵の新人女優が出せる表情じゃないです。
「強くなりたい、でも不安だ」という美桜さんの心の声が、写真から聞こえてくるようでした。私は、美桜さんのその真面目さと、心の奥の強さが大好きです。ずっと応援させてください。』
『美桜さんへ、いつもありがとう!
毎日のお仕事やレッスン、本当にお疲れ様です。
美桜さんの写真を見ると、私ももっと頑張ろうって心から思えます。それは、美桜さんがただ美しいだけじゃなくて、私たちと同じように努力していることが伝わってくるからです。
無理はしないでくださいね。でも、美桜さんの最高の笑顔を見られるのを楽しみにしています。いつでも、私たちは味方です!
P.S. ラベンダーのニット、とっても似合っていました!』
など両手に余る量のファンレターだった。
これは確かに、モチベーションが上がる。笑顔がこぼれる。
今度、”美桜”と真帆にも見せてあげよう。
***
撮影スタジオは、思った以上に静かだった。
スタッフは淡々と準備を進め、俺はメイクと衣装に身を委ねる。
CMは、化粧品ブランドのティーン用新製品。
キャッチコピーは「透明感と芯の強さを持つ、次世代の顔」――そう紹介されていた。
俺に合わせたキャッチコピーなんだな、俺に不祥事が起きたら即発売中止だろうな……やんないよ、不祥事…期待するなよな。
俺は、美桜として、鏡の前に立つ。
ラベンダーのワンピース、自然なメイク、柔らかな髪。
鏡に映るのは、俺が思い描いた理想の美桜だった。
可愛くて、儚くて、でも芯がある。
そんな美桜を、俺は今日も演じる。
「……私、うまくやれてるかな」
「え?何言ってるんですか、美桜さんは完璧ですよ!」
春夏冬さんの声が、背中を押してくれる。
でも、俺は知っている。
この完璧は、俺が演じているものだ。
自分の中に美桜の記憶はない。
だから、俺は――俺の記憶した美桜のイメージだけで、美桜を演じている。
それは、二人分の人生を生きるようなものだ。
だから、疲れる。
普通の撮影の倍、いや、それ以上に。
***
「本番いきまーす!」
監督の声が響く。
俺は、カメラの前に立つ。
「目線、少し下。そう、儚さを意識して」
「笑顔、もう少し柔らかく」
「最後、振り返って一言。“あなたに、届けたい”」
俺は、言われた通りに動く。
振り返り、微笑み、言葉を紡ぐ。
「あなたに、届けたい」
…このセリフが、心の中で――
何故か、あの日、『俺、なんか嫌われるようなことをした?』と詰め寄ってきたツヴァイ-昴-のことを思いださせる。
あのとき、俺は何も言えなかった。
“あなたに、届けたい”
その言葉は、今の俺が美桜としてツヴァイ-昴-に届けることは決してないだろう…
でも、俺はツヴァイ-昴-のためにも、“美桜”をこれからも演じていく。
この身体からいなくなった美桜が、いつか戻ってくるその日まで。
***
撮影が終わったあと、春夏冬さんが缶コーヒーを差し出してくれた。
「お疲れ様でした!すっごく良かったですよ!」
「……ありがとうございます」
「監督も絶賛してました。“この子は、光を纏ってる”って」
「……私じゃないみたいですね」
「何言ってるんですか。美桜さんは、美桜さんですよ」
俺は、缶コーヒーを握りしめた。
その温度が、少しだけ――心を溶かしてくれた気がした。
「このCMいつ放映ですか?」
「どんなに急いでも考査-審査-があるから、早くても1か月半後かな、たぶん来年から流れる感じだと思う。」
「そうですか…」
「でもね、WEBで先行配信する予定だから、来週には人の目に触れるわよ」
「そうなんですね。」
「西田さんが、今日から徹夜だ~って言ってたわよ、陣中見舞い行く?」
「遠慮しときます…」
***
夜、帰宅して鏡を見た。
そこには、美桜の顔をした俺がいた。
でも、少しだけ――その顔が、自分のものに思えた。
「俺は……昴のためにも、美桜を演じる」
そう呟いた声は、少しだけ震えていた。
でも、その震えは、前に進むためのものだった。
***
12月に入ると、俺のスケジュールは一気に別次元へと突入した。CMのWeb先行配信が大きな話題を呼び、須藤さん率いるJCS-統合参謀本部-の戦略が功を奏したのだ。
「おはようございます!美桜さん、今日はテレビ局です!」 春夏冬さんの声に、俺は鏡の前で小さく頷く。昨夜は台本と資料の読み込みでほとんど眠れていない。舌で上唇を舐めてあくびをこらえる癖は、もう無意識になっていた。
最初の一週間は、主にテレビ局関係者への挨拶回りだった。チーフマネージャーの須藤に連れられ、キー局のプロデューサーやディレクターの元を訪れる。
「寿美桜です。よろしくお願いします!」 頭を下げ、完璧な笑顔を張り付ける。そのたびに須藤から「美桜はああいう、『放っておけない透明感』が魅力だ」と売り込まれる。
そして、初めてのテレビ収録-撮りだめ-の日。年明けのバラエティ番組のゲストコーナーだ。
スタジオの熱気、無数の照明、カメラの重々しいレンズ。 「美桜、行くぞ。今日、お前のレッスンが本物か、ただの付け焼刃かがわかる」 須藤の重い言葉に、昴は緊張で身体が震えるのを感じた。
セット裏で、演技指導の工藤から最後のチェックが入る。
「いいか美桜。バラエティは『間(ま)』と『リアクションの大きさ』だ。だが、お前は美桜。『無垢さ』と『知性』を失うな。バカなフリはするな、正直でいろ。ボイスレッスンの腹式呼吸、忘れるな!」
無茶ぶりな指示だと思った。だが“美桜”は知性が高かった、だが控えめだし、優しさと、包容力、神秘さで魅せていた。
本番。俺は美桜を思い出し演じた、それは結果的に工藤の指導を再現した。求められるところで笑い、質問には丁寧に、しかし素直に答える。カメラの切り替わり、司会者のフリ、すべてが秒単位で動く緊張感の中で、俺は美桜の「仮面」を肌に張り付けている感覚だった。
「はい、OK!」
収録が終わると、美桜の汗は尋常ではなかった。だが、スタッフや共演者から「美桜ちゃんは話し方が丁寧で可愛い」「リアクションが素直でいい」と褒められた。
「レッスンは裏切らない」。俺は、この身体に染み込ませた努力が、初めて結果として現れたことに安堵した。しかし、同時に、美桜を演じる自分自身が、ただの機械の部品のように感じ始めていた。
日を追うごとに、年末進行のスケジュールはさらに密度を増した。年明けに発売される人気雑誌数誌の表紙撮影と特集グラビアが集中したのだ。
朝から晩まで、撮影スタジオを梯子する日々。
「あと15分で着替え! 次は真紅のドレスとティアラ!」 「美桜、こっち来て。もっと目力! ほら、年明けに日本中の書店に並ぶんだぞ!」 「このポーズ、腰をクランクインさせて!そう、そのS字ラインをキープだ!」
衣装替えは一日に十数回に及ぶ。繊細なランジェリーのような衣装も増え、スタッフの視線が集中する。俺の羞恥心は、疲労によって麻痺していくしかなかった。
目の前には、チキンと卵のサンドイッチを差し出す春夏冬がいる。彼女もまた、この地獄のようなスケジュールの中で、必死でスケジュール調整や栄養管理をしていた。
「美桜さん、これだけは食べて。もう3時間笑いっぱなしですよ」
「……大丈夫です」
俺の頬の筋肉は痙攣しそうだった。求められるのは「透明感」「儚さ」「純粋な笑顔」。だが、鏡に映る美桜の瞳の奥には、疲労と義務感にまみれた、死んだような男の意識が映っていた。
カメラマンの要求はエスカレートしていく。
「次は『孤独な女王』のイメージ!さっきの笑顔全部捨てて!世界に一人でいる顔を見せて!」 「いいよ、その翳り!最高だ!」
(孤独?ああ、今、俺は、美桜という仮面の奥で、誰よりも孤独だ。)
物理的な痛みより、「自分自身」が消耗していく感覚が恐ろしかった。このまま笑い続けたら、本当に美桜になってしまうのではないか。
夕方、撮影が一段落した瞬間、俺は思わず鏡の前で、舌を出し、上唇を舐めた。もう、あくびをごまかすためではない。
「早く、この撮影が終わってくれ。」
***
春夏冬さんに家まで送って貰うと、ベッドに突っ伏した。
玄関では、桜さんも最近の俺を心配して出迎えてくれた。今月いっぱいだからと言って安心させる…(今月いっぱいとか…)俺の希望が混じってるよな…
明日は、俺の通う高校の文化祭にゲストとして出演だ…
「ゲスト」として? 待て。「生徒」であるはずの美桜が、どうして「ゲスト」なんだ? ゲスト出演するための段取りや裏方の動きを、俺は全く把握していない…
…あれ、俺生徒だよな…あれ…
だめだ、考えられない…”美桜”たすけてー
ガク…
俺は力尽き眠りについた…
大企業の社長でもないのにつくづく好待遇だと思う。
「美桜さん、今日はCM撮影ですよ。地上波です!」
春夏冬さんの声が、朝の車内に響く。
俺は、窓の外を見ながら頷いた。
「……はい」
「緊張してますか?」
「……少しだけ」
「大丈夫です。美桜さんなら、絶対うまくいきますから!」
春夏冬さんは、俺のことを信じてくれている。
ロケの申請ポカ事件より、単なるマネージャーとタレントと言う関係より深くなった。
そういう関係が、ほんとうは良くないことは解っているが、今では姉妹のような気さえしている、ちなみに姉役は…俺だ…あれ、兄かな?
「あと、ファンレターが届いています。」
「……ファンレター?」
「はい、事務所に届いてました。」
俺は、既に事務所で開封された検閲済みのファンレターに目を通す。
「この内容は美桜さんのモチベーションに繋がりますよ。」
中には、丁寧な文字でこう書かれていた。
『寿美桜さんへ
雑誌のグラビア、見ました!本当に涙が出そうになりました。
パステルカラーのワンピースのカットは、あまりに綺麗で、触れたら壊れそうな脆さを感じました。でも、スポーティな衣装で腕を組んだ時の、あの凛とした目の強さ!あれは、並大抵の新人女優が出せる表情じゃないです。
「強くなりたい、でも不安だ」という美桜さんの心の声が、写真から聞こえてくるようでした。私は、美桜さんのその真面目さと、心の奥の強さが大好きです。ずっと応援させてください。』
『美桜さんへ、いつもありがとう!
毎日のお仕事やレッスン、本当にお疲れ様です。
美桜さんの写真を見ると、私ももっと頑張ろうって心から思えます。それは、美桜さんがただ美しいだけじゃなくて、私たちと同じように努力していることが伝わってくるからです。
無理はしないでくださいね。でも、美桜さんの最高の笑顔を見られるのを楽しみにしています。いつでも、私たちは味方です!
P.S. ラベンダーのニット、とっても似合っていました!』
など両手に余る量のファンレターだった。
これは確かに、モチベーションが上がる。笑顔がこぼれる。
今度、”美桜”と真帆にも見せてあげよう。
***
撮影スタジオは、思った以上に静かだった。
スタッフは淡々と準備を進め、俺はメイクと衣装に身を委ねる。
CMは、化粧品ブランドのティーン用新製品。
キャッチコピーは「透明感と芯の強さを持つ、次世代の顔」――そう紹介されていた。
俺に合わせたキャッチコピーなんだな、俺に不祥事が起きたら即発売中止だろうな……やんないよ、不祥事…期待するなよな。
俺は、美桜として、鏡の前に立つ。
ラベンダーのワンピース、自然なメイク、柔らかな髪。
鏡に映るのは、俺が思い描いた理想の美桜だった。
可愛くて、儚くて、でも芯がある。
そんな美桜を、俺は今日も演じる。
「……私、うまくやれてるかな」
「え?何言ってるんですか、美桜さんは完璧ですよ!」
春夏冬さんの声が、背中を押してくれる。
でも、俺は知っている。
この完璧は、俺が演じているものだ。
自分の中に美桜の記憶はない。
だから、俺は――俺の記憶した美桜のイメージだけで、美桜を演じている。
それは、二人分の人生を生きるようなものだ。
だから、疲れる。
普通の撮影の倍、いや、それ以上に。
***
「本番いきまーす!」
監督の声が響く。
俺は、カメラの前に立つ。
「目線、少し下。そう、儚さを意識して」
「笑顔、もう少し柔らかく」
「最後、振り返って一言。“あなたに、届けたい”」
俺は、言われた通りに動く。
振り返り、微笑み、言葉を紡ぐ。
「あなたに、届けたい」
…このセリフが、心の中で――
何故か、あの日、『俺、なんか嫌われるようなことをした?』と詰め寄ってきたツヴァイ-昴-のことを思いださせる。
あのとき、俺は何も言えなかった。
“あなたに、届けたい”
その言葉は、今の俺が美桜としてツヴァイ-昴-に届けることは決してないだろう…
でも、俺はツヴァイ-昴-のためにも、“美桜”をこれからも演じていく。
この身体からいなくなった美桜が、いつか戻ってくるその日まで。
***
撮影が終わったあと、春夏冬さんが缶コーヒーを差し出してくれた。
「お疲れ様でした!すっごく良かったですよ!」
「……ありがとうございます」
「監督も絶賛してました。“この子は、光を纏ってる”って」
「……私じゃないみたいですね」
「何言ってるんですか。美桜さんは、美桜さんですよ」
俺は、缶コーヒーを握りしめた。
その温度が、少しだけ――心を溶かしてくれた気がした。
「このCMいつ放映ですか?」
「どんなに急いでも考査-審査-があるから、早くても1か月半後かな、たぶん来年から流れる感じだと思う。」
「そうですか…」
「でもね、WEBで先行配信する予定だから、来週には人の目に触れるわよ」
「そうなんですね。」
「西田さんが、今日から徹夜だ~って言ってたわよ、陣中見舞い行く?」
「遠慮しときます…」
***
夜、帰宅して鏡を見た。
そこには、美桜の顔をした俺がいた。
でも、少しだけ――その顔が、自分のものに思えた。
「俺は……昴のためにも、美桜を演じる」
そう呟いた声は、少しだけ震えていた。
でも、その震えは、前に進むためのものだった。
***
12月に入ると、俺のスケジュールは一気に別次元へと突入した。CMのWeb先行配信が大きな話題を呼び、須藤さん率いるJCS-統合参謀本部-の戦略が功を奏したのだ。
「おはようございます!美桜さん、今日はテレビ局です!」 春夏冬さんの声に、俺は鏡の前で小さく頷く。昨夜は台本と資料の読み込みでほとんど眠れていない。舌で上唇を舐めてあくびをこらえる癖は、もう無意識になっていた。
最初の一週間は、主にテレビ局関係者への挨拶回りだった。チーフマネージャーの須藤に連れられ、キー局のプロデューサーやディレクターの元を訪れる。
「寿美桜です。よろしくお願いします!」 頭を下げ、完璧な笑顔を張り付ける。そのたびに須藤から「美桜はああいう、『放っておけない透明感』が魅力だ」と売り込まれる。
そして、初めてのテレビ収録-撮りだめ-の日。年明けのバラエティ番組のゲストコーナーだ。
スタジオの熱気、無数の照明、カメラの重々しいレンズ。 「美桜、行くぞ。今日、お前のレッスンが本物か、ただの付け焼刃かがわかる」 須藤の重い言葉に、昴は緊張で身体が震えるのを感じた。
セット裏で、演技指導の工藤から最後のチェックが入る。
「いいか美桜。バラエティは『間(ま)』と『リアクションの大きさ』だ。だが、お前は美桜。『無垢さ』と『知性』を失うな。バカなフリはするな、正直でいろ。ボイスレッスンの腹式呼吸、忘れるな!」
無茶ぶりな指示だと思った。だが“美桜”は知性が高かった、だが控えめだし、優しさと、包容力、神秘さで魅せていた。
本番。俺は美桜を思い出し演じた、それは結果的に工藤の指導を再現した。求められるところで笑い、質問には丁寧に、しかし素直に答える。カメラの切り替わり、司会者のフリ、すべてが秒単位で動く緊張感の中で、俺は美桜の「仮面」を肌に張り付けている感覚だった。
「はい、OK!」
収録が終わると、美桜の汗は尋常ではなかった。だが、スタッフや共演者から「美桜ちゃんは話し方が丁寧で可愛い」「リアクションが素直でいい」と褒められた。
「レッスンは裏切らない」。俺は、この身体に染み込ませた努力が、初めて結果として現れたことに安堵した。しかし、同時に、美桜を演じる自分自身が、ただの機械の部品のように感じ始めていた。
日を追うごとに、年末進行のスケジュールはさらに密度を増した。年明けに発売される人気雑誌数誌の表紙撮影と特集グラビアが集中したのだ。
朝から晩まで、撮影スタジオを梯子する日々。
「あと15分で着替え! 次は真紅のドレスとティアラ!」 「美桜、こっち来て。もっと目力! ほら、年明けに日本中の書店に並ぶんだぞ!」 「このポーズ、腰をクランクインさせて!そう、そのS字ラインをキープだ!」
衣装替えは一日に十数回に及ぶ。繊細なランジェリーのような衣装も増え、スタッフの視線が集中する。俺の羞恥心は、疲労によって麻痺していくしかなかった。
目の前には、チキンと卵のサンドイッチを差し出す春夏冬がいる。彼女もまた、この地獄のようなスケジュールの中で、必死でスケジュール調整や栄養管理をしていた。
「美桜さん、これだけは食べて。もう3時間笑いっぱなしですよ」
「……大丈夫です」
俺の頬の筋肉は痙攣しそうだった。求められるのは「透明感」「儚さ」「純粋な笑顔」。だが、鏡に映る美桜の瞳の奥には、疲労と義務感にまみれた、死んだような男の意識が映っていた。
カメラマンの要求はエスカレートしていく。
「次は『孤独な女王』のイメージ!さっきの笑顔全部捨てて!世界に一人でいる顔を見せて!」 「いいよ、その翳り!最高だ!」
(孤独?ああ、今、俺は、美桜という仮面の奥で、誰よりも孤独だ。)
物理的な痛みより、「自分自身」が消耗していく感覚が恐ろしかった。このまま笑い続けたら、本当に美桜になってしまうのではないか。
夕方、撮影が一段落した瞬間、俺は思わず鏡の前で、舌を出し、上唇を舐めた。もう、あくびをごまかすためではない。
「早く、この撮影が終わってくれ。」
***
春夏冬さんに家まで送って貰うと、ベッドに突っ伏した。
玄関では、桜さんも最近の俺を心配して出迎えてくれた。今月いっぱいだからと言って安心させる…(今月いっぱいとか…)俺の希望が混じってるよな…
明日は、俺の通う高校の文化祭にゲストとして出演だ…
「ゲスト」として? 待て。「生徒」であるはずの美桜が、どうして「ゲスト」なんだ? ゲスト出演するための段取りや裏方の動きを、俺は全く把握していない…
…あれ、俺生徒だよな…あれ…
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