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第23話:喪失【2月15日】
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俺は連続ドラマのロケ地、軽井沢に向かう車内にいた。
到着するまで寝ててください。と春夏冬さんに促され、目を閉じることにした。
昨夜は吉祥寺から、どうやって家に帰ったのか、それすら覚えていない。きっと真帆が連れ帰ってくれたのだろうとは思う。
自分の部屋に朝陽が差し込んでも、気づかなかった。寝ていたわけでもない。
春夏冬さんが迎えに来て、昨日のままの装いで車に乗り込む。春夏冬さんがちょっとだけギョッとした顔をしたような気がする。
こんな状態で、ロケが出来るのか、演技ができるのか…
"美桜"の『頑張って』という最後の言葉だけが、今の俺を動かしている。
【地方ロケ地 長野・軽井沢のホテル併設メイク室】
鏡の前に座る。鏡の中に”美桜”が映っていた。
俺は、涙腺が緩むのを必死に堪える。昨日の全てが夢であって欲しいと何度も願う。しかし、抱きしめられたときの”美桜”の手の力が抜けていく感覚が、すべてが現実だったと訴えている。
メイクアップアーティストの仕事が、美桜の完璧な顔立ちをキャンバスに、「美桜」の仮面を完成させていく。隣ではスタイリストの近田さんが、衣装の最終チェックをしている。
(なんで…俺を残して消えたんだ、”美桜”。俺にとって、お前は失ってはいけない存在だった。今、俺がいるのはお前のためだけだったのに。)半身を失った気がする。いや全てなのだろうか…
近田さんは、俺が終始無言で、微動だにしないことに違和感を覚えているようだが、プロとして完璧に仕上げていく。
「美桜、今日も完璧よ。さあ、頑張って」
【ロケ地・ドラマ撮影現場】
現場は、冬枯れの森を背景にした牧場近くのセット。
美桜の出演するドラマは、春からの連ドラ『双子星(ふたごぼし)』。俺が一人二役で、双子の姉妹「東雲 咲良(しののめ さくら)」と「東雲 美月(しののめ みつき)」を演じている。
主人公は、東京の病院を追われた医師「一ノ瀬 航」。彼は傷心を抱えたまま双子の家が経営する牧場に流れ着く。荒んだ心を、動物と双子の姉妹との触れ合いで癒やしていく。そんな中、双子の姉「咲良」が骨髄性異形成症候群という難病に倒れる。主人公の必死の努力も空しく、姉「咲良」は死亡する。
今日撮影するのは、その最も過酷なシーン。「大切な姉を失い、悲嘆に暮れる妹『美月』」の慟哭の場面だ。
監督は俺に語りかける。「美桜さん、感情を内に秘めて、静かに崩れ落ちるような悲しさを」
「はい…」
演技開始のキューが出る。俺は「美桜」の完璧な笑顔の仮面を被ろうと、顔の筋肉を制御する。しかし、台詞が喉に詰まる。
脳裏に浮かぶのは、雪の井の頭公園で、腕の中で「だいすき」と言って消えていった「美桜」の最後の微笑み。
役の悲しみと、俺自身の悲しみが混濁する。役の求める「静かな悲哀」ではなく、俺自身の嗚咽と、熱い涙が頬を伝う。「美桜の身体」が、その魂の喪失を本能的に拒絶しているかのようだ。
監督は困惑し、NGが続く。「休憩!美桜さん、一度休もう!」
【地方ロケ地・控え室】
「どういうことだ、春夏冬。美桜の管理はどうなっている!」
春夏冬さんの携帯から、須藤チーフからの鬼気迫る声が聞こえる。
春夏冬さんが怒られている。俺のせいで……怒られながらも心配そうに俺を伺っている。原因が掴めないだろう…申し訳ない…
【ホテル】
ホテルに戻った俺は、シャワーを浴び、シャワーの音で嗚咽を隠して泣き崩れる。ロケ地の軽井沢の寒さよりも、心の底の傷が冷たい。
今日、俺は、OKを一つも貰えなかった。
デビューから今日までの俺は、新人とは思えない演技と、それに隠れた察しの良さで、NGを出さない神秘的な魅力と安心感を関係者に与えていたと思う。
でも…もう仮面が被れない…
俺は今日美桜という完璧な存在を壊してしまった。俺の理想の美桜の演技ができない…自責の念が、俺の心を締め付ける。
俺は携帯の電源を切り、春夏冬さんからの連絡を遮断する。俺は美桜の身体に似つかわしくない。"美桜"にもらったピンクのセーターに袖を通し、ふらふらとホテルを抜け出す。
― 春夏冬SIDE(3人称)―
春夏冬は、戸惑いを隠せなかった。一昨日家に送って別れたときの美桜は普通だった。今日のロケも楽しみにしていたはずだ。
なのに、オフ明けの今日、まるで別人のように美桜はなっていた。
何があったのか、マネージャーとして…いや。恩人である美桜を救うためにも、理由を聞かねばならない。
美桜の部屋のドアをノックするが返事がない。しかたなく合鍵で美桜の部屋へと入る。シャワーの音が聞こえていたので。まだ入っているのかと待つが、一向に出てくる気配がない。心配になってドアを開けると美桜の姿はなかった。
目の端に映った、曇った鏡には『春夏冬さん ごめんなさい』と書いてあった。
春夏冬は、頭が真っ白になった。
「なんで、なんで、美桜さん」
震える手でスマホを握り須藤へ連絡する。
須藤は話を聞くと、怒るでもなく「春夏冬、直ぐに美桜を探せ。後はこっちで何とかする。」と言い電話を切った。
春夏冬は、ホテルのフロントに声を掛ける。
2月の軽井沢は東京と比べ気温が約10℃も低い。そんな寒い外へ美桜はセーター姿で出て行ったらしい。
「どっちに向かいましたか」掴みかからんばかりの勢いでフロントに詰め寄ると駅に向かったようだと教えてくれた。
春夏冬は、一瞬途方に暮れるが、博士号を持つ頭脳をフル回転させ、美桜に持たせているAirTagの事を思い出した。スマホを使い美桜の位置を確認する。
地図に表示された位置情報を見ると、線路上を示していた。時刻表を照らし合わせる。19:40発あさま630号 東京行き。美桜はこれに乗った筈だ。
急いでホテルを飛び出すと、アルファードに乗り込みエンジンをかける。
「美桜さん…」春夏冬は、そう呟くと東京へと向かう。
軽井沢を出て、上信越自動車道から関越自動車道を使って、美桜の家まで約2時間。
美桜と同時に移動している以上、美桜の目的地は解らない。東京に向かうなら、実家だろうと思った。少なくとも手掛かりがあるはずだ。
「何があったというの、美桜さん…」問い続けるが答えは出ない。
美桜の、最近の様子を思い起こすが、問題など何もなかった。今日もいつもと同じ笑顔を見せてくれるはずだった。
でも今朝見た美桜はいつもと違った。美桜を見た瞬間に春夏冬は背筋に悪寒が走った。
まるで生気が感じられなかったのだ。あれだけ輝く超新星のようだった美桜が…
***
夜の生活道路を走らせる、美桜を送り迎えするようになり、何度も通った道になる。
美桜は春夏冬の願いの先にある存在だった。
春夏冬は子供のころからアイドルになることを夢見ていた。
輝かしいスポットライトに照らされ、声援を受ける。生きている実感、生を受けた喜びがそこにあると思っていた。
だが、いかんせん才能が無かったと思う。自分が輝くということは、人を感動させ、生きる希望を持たせることだ。それを持っていないことに気づいた。
春夏冬の才能は学問にあった。その分野においては人が羨むほどの才を有した。親の仕事の都合があり、高校からアメリカで生活することになった。アメリカにはスキップ制度もあり、僅かな期間で大学まで卒業してしまった。そのため、学生気分と言うのも味わえなかった。在学中に考えたことで特許も取得し、大手企業からのライセンス収益で若くして富も得てしまう。
そのためこの歳で人生に飽きてしまっていた。そこでふと自分を見つめなおすと、アイドルという夢が残った。
飽いた人生だ。残った夢のために生きようと日本に戻り、自分ではない夢を託せる人と一緒に進もうと考える。
そして、出会ったのが美桜だ。
美桜は不思議な少女だ。自分があって自分が無く。自分の見せ方を知っている。人が求める偶像を余すこと無く映し出す鏡だった。
「とても不思議な少女…」
なんとなしに言葉が零れる。春夏冬の夢を叶えてくれる存在。なんでも相談して欲しいし、なんでも一緒に成し遂げたいと願わずにいられない存在。
こんなことで潰れて欲しくないと春夏冬は思う。
美桜の家に到着するが…美桜の部屋には灯りが点いていなかった。ふと門を見ると寒そうにしている少女がいた。春夏冬と同じように美桜の部屋を見上げている。
春夏冬は、見覚えのある娘だと気付いた。文化祭で美桜を訪ねてきて、一緒に文化祭を周った娘だった。
「真帆?さん」声をかけると、寒そうに白い息を吐き春夏冬に視線を向ける。
「…春夏冬さん?」
「美桜さんはロケで今日は帰りませんよ…」と言いかけたところで、気づく。彼女は、美桜の親友だ。今日の様子の原因を知っているのではないかと。
「そう、ですか…美桜ちゃんは、大丈夫ですか?」ああ、この娘は知ってる…直観だった。
「ごめんなさい、本当のことを言います。今日からロケで軽井沢だったのですが…美桜さんが居なくなってしまったんです」
真帆さんは、表情に影を落とすと…「ああ、そうなんだね…」とつぶやいた。
「もし、理由をお知りなら教えて下さい。私は美桜さんを助けたい。このままだと美桜さんは芸能界にいられなくなる」
真帆は驚きを隠せない顔を見せた。
「そんな…」
「美桜さんが、行く場所に心当たりはありませんか?」
「…たぶん、吉祥寺の、井の頭公園です」しばし考えると、断言した。
「向かいます、真帆さんも乗ってください」春夏冬は即断で井の頭公園に向かう事にした。ここからだと30分掛からない距離だ。青梅街道から五日市街道に入って吉祥寺を目指す。
***
【井の頭公園】
春夏冬と真帆が井の頭公園に到着すると午後22時をまわっていた。
雪が舞い積もり始めた井の頭公園。"美桜"が消えた池のほとり。
ピンクのセーターを着た美桜が、雪の中にただ立ち尽くすのが見える。
やがて、美桜は震える声で、今日のロケでOKが出なかった「大切な人を失った悲しみの台詞」を、雪の降る空に向かって叫び始める。それは、
「咲良お姉ちゃん…。なんで…私を置いていったの……」
真帆の隣で春夏冬は、「これ、ドラマの今日のセリフ…」と呟いている。
「ずっと、一緒だって…言ったじゃない…」
「お姉ちゃんは私の半身なんだよ…」
「今日も、明日も、明後日も一緒に笑い、一緒に夢を見て、いつまでも幸せに…う、うううう」
その演技は、ロケでのどの演技よりも本物だった。なぜなら、美桜がそこで失ったのは、ドラマの姉ではなく、彼が命を懸けて守ると決めた"美桜"の魂そのものだったからだ。
その、雪の降る中での美しすぎる悲劇のヒロインの姿を、真帆と春夏冬が見つめる。
真帆は思わず呟いた。
「あぁ…」
一歩二歩と美桜に近づく。
「あぁ…これはだめだ、これは……今の美桜ちゃんには辛すぎる……」
二人は雪の中の美桜に駆け寄る。
美桜は、二人を見て微笑むと、静かに真っ白な雪の上にゆっくりと崩れ落ちた。
到着するまで寝ててください。と春夏冬さんに促され、目を閉じることにした。
昨夜は吉祥寺から、どうやって家に帰ったのか、それすら覚えていない。きっと真帆が連れ帰ってくれたのだろうとは思う。
自分の部屋に朝陽が差し込んでも、気づかなかった。寝ていたわけでもない。
春夏冬さんが迎えに来て、昨日のままの装いで車に乗り込む。春夏冬さんがちょっとだけギョッとした顔をしたような気がする。
こんな状態で、ロケが出来るのか、演技ができるのか…
"美桜"の『頑張って』という最後の言葉だけが、今の俺を動かしている。
【地方ロケ地 長野・軽井沢のホテル併設メイク室】
鏡の前に座る。鏡の中に”美桜”が映っていた。
俺は、涙腺が緩むのを必死に堪える。昨日の全てが夢であって欲しいと何度も願う。しかし、抱きしめられたときの”美桜”の手の力が抜けていく感覚が、すべてが現実だったと訴えている。
メイクアップアーティストの仕事が、美桜の完璧な顔立ちをキャンバスに、「美桜」の仮面を完成させていく。隣ではスタイリストの近田さんが、衣装の最終チェックをしている。
(なんで…俺を残して消えたんだ、”美桜”。俺にとって、お前は失ってはいけない存在だった。今、俺がいるのはお前のためだけだったのに。)半身を失った気がする。いや全てなのだろうか…
近田さんは、俺が終始無言で、微動だにしないことに違和感を覚えているようだが、プロとして完璧に仕上げていく。
「美桜、今日も完璧よ。さあ、頑張って」
【ロケ地・ドラマ撮影現場】
現場は、冬枯れの森を背景にした牧場近くのセット。
美桜の出演するドラマは、春からの連ドラ『双子星(ふたごぼし)』。俺が一人二役で、双子の姉妹「東雲 咲良(しののめ さくら)」と「東雲 美月(しののめ みつき)」を演じている。
主人公は、東京の病院を追われた医師「一ノ瀬 航」。彼は傷心を抱えたまま双子の家が経営する牧場に流れ着く。荒んだ心を、動物と双子の姉妹との触れ合いで癒やしていく。そんな中、双子の姉「咲良」が骨髄性異形成症候群という難病に倒れる。主人公の必死の努力も空しく、姉「咲良」は死亡する。
今日撮影するのは、その最も過酷なシーン。「大切な姉を失い、悲嘆に暮れる妹『美月』」の慟哭の場面だ。
監督は俺に語りかける。「美桜さん、感情を内に秘めて、静かに崩れ落ちるような悲しさを」
「はい…」
演技開始のキューが出る。俺は「美桜」の完璧な笑顔の仮面を被ろうと、顔の筋肉を制御する。しかし、台詞が喉に詰まる。
脳裏に浮かぶのは、雪の井の頭公園で、腕の中で「だいすき」と言って消えていった「美桜」の最後の微笑み。
役の悲しみと、俺自身の悲しみが混濁する。役の求める「静かな悲哀」ではなく、俺自身の嗚咽と、熱い涙が頬を伝う。「美桜の身体」が、その魂の喪失を本能的に拒絶しているかのようだ。
監督は困惑し、NGが続く。「休憩!美桜さん、一度休もう!」
【地方ロケ地・控え室】
「どういうことだ、春夏冬。美桜の管理はどうなっている!」
春夏冬さんの携帯から、須藤チーフからの鬼気迫る声が聞こえる。
春夏冬さんが怒られている。俺のせいで……怒られながらも心配そうに俺を伺っている。原因が掴めないだろう…申し訳ない…
【ホテル】
ホテルに戻った俺は、シャワーを浴び、シャワーの音で嗚咽を隠して泣き崩れる。ロケ地の軽井沢の寒さよりも、心の底の傷が冷たい。
今日、俺は、OKを一つも貰えなかった。
デビューから今日までの俺は、新人とは思えない演技と、それに隠れた察しの良さで、NGを出さない神秘的な魅力と安心感を関係者に与えていたと思う。
でも…もう仮面が被れない…
俺は今日美桜という完璧な存在を壊してしまった。俺の理想の美桜の演技ができない…自責の念が、俺の心を締め付ける。
俺は携帯の電源を切り、春夏冬さんからの連絡を遮断する。俺は美桜の身体に似つかわしくない。"美桜"にもらったピンクのセーターに袖を通し、ふらふらとホテルを抜け出す。
― 春夏冬SIDE(3人称)―
春夏冬は、戸惑いを隠せなかった。一昨日家に送って別れたときの美桜は普通だった。今日のロケも楽しみにしていたはずだ。
なのに、オフ明けの今日、まるで別人のように美桜はなっていた。
何があったのか、マネージャーとして…いや。恩人である美桜を救うためにも、理由を聞かねばならない。
美桜の部屋のドアをノックするが返事がない。しかたなく合鍵で美桜の部屋へと入る。シャワーの音が聞こえていたので。まだ入っているのかと待つが、一向に出てくる気配がない。心配になってドアを開けると美桜の姿はなかった。
目の端に映った、曇った鏡には『春夏冬さん ごめんなさい』と書いてあった。
春夏冬は、頭が真っ白になった。
「なんで、なんで、美桜さん」
震える手でスマホを握り須藤へ連絡する。
須藤は話を聞くと、怒るでもなく「春夏冬、直ぐに美桜を探せ。後はこっちで何とかする。」と言い電話を切った。
春夏冬は、ホテルのフロントに声を掛ける。
2月の軽井沢は東京と比べ気温が約10℃も低い。そんな寒い外へ美桜はセーター姿で出て行ったらしい。
「どっちに向かいましたか」掴みかからんばかりの勢いでフロントに詰め寄ると駅に向かったようだと教えてくれた。
春夏冬は、一瞬途方に暮れるが、博士号を持つ頭脳をフル回転させ、美桜に持たせているAirTagの事を思い出した。スマホを使い美桜の位置を確認する。
地図に表示された位置情報を見ると、線路上を示していた。時刻表を照らし合わせる。19:40発あさま630号 東京行き。美桜はこれに乗った筈だ。
急いでホテルを飛び出すと、アルファードに乗り込みエンジンをかける。
「美桜さん…」春夏冬は、そう呟くと東京へと向かう。
軽井沢を出て、上信越自動車道から関越自動車道を使って、美桜の家まで約2時間。
美桜と同時に移動している以上、美桜の目的地は解らない。東京に向かうなら、実家だろうと思った。少なくとも手掛かりがあるはずだ。
「何があったというの、美桜さん…」問い続けるが答えは出ない。
美桜の、最近の様子を思い起こすが、問題など何もなかった。今日もいつもと同じ笑顔を見せてくれるはずだった。
でも今朝見た美桜はいつもと違った。美桜を見た瞬間に春夏冬は背筋に悪寒が走った。
まるで生気が感じられなかったのだ。あれだけ輝く超新星のようだった美桜が…
***
夜の生活道路を走らせる、美桜を送り迎えするようになり、何度も通った道になる。
美桜は春夏冬の願いの先にある存在だった。
春夏冬は子供のころからアイドルになることを夢見ていた。
輝かしいスポットライトに照らされ、声援を受ける。生きている実感、生を受けた喜びがそこにあると思っていた。
だが、いかんせん才能が無かったと思う。自分が輝くということは、人を感動させ、生きる希望を持たせることだ。それを持っていないことに気づいた。
春夏冬の才能は学問にあった。その分野においては人が羨むほどの才を有した。親の仕事の都合があり、高校からアメリカで生活することになった。アメリカにはスキップ制度もあり、僅かな期間で大学まで卒業してしまった。そのため、学生気分と言うのも味わえなかった。在学中に考えたことで特許も取得し、大手企業からのライセンス収益で若くして富も得てしまう。
そのためこの歳で人生に飽きてしまっていた。そこでふと自分を見つめなおすと、アイドルという夢が残った。
飽いた人生だ。残った夢のために生きようと日本に戻り、自分ではない夢を託せる人と一緒に進もうと考える。
そして、出会ったのが美桜だ。
美桜は不思議な少女だ。自分があって自分が無く。自分の見せ方を知っている。人が求める偶像を余すこと無く映し出す鏡だった。
「とても不思議な少女…」
なんとなしに言葉が零れる。春夏冬の夢を叶えてくれる存在。なんでも相談して欲しいし、なんでも一緒に成し遂げたいと願わずにいられない存在。
こんなことで潰れて欲しくないと春夏冬は思う。
美桜の家に到着するが…美桜の部屋には灯りが点いていなかった。ふと門を見ると寒そうにしている少女がいた。春夏冬と同じように美桜の部屋を見上げている。
春夏冬は、見覚えのある娘だと気付いた。文化祭で美桜を訪ねてきて、一緒に文化祭を周った娘だった。
「真帆?さん」声をかけると、寒そうに白い息を吐き春夏冬に視線を向ける。
「…春夏冬さん?」
「美桜さんはロケで今日は帰りませんよ…」と言いかけたところで、気づく。彼女は、美桜の親友だ。今日の様子の原因を知っているのではないかと。
「そう、ですか…美桜ちゃんは、大丈夫ですか?」ああ、この娘は知ってる…直観だった。
「ごめんなさい、本当のことを言います。今日からロケで軽井沢だったのですが…美桜さんが居なくなってしまったんです」
真帆さんは、表情に影を落とすと…「ああ、そうなんだね…」とつぶやいた。
「もし、理由をお知りなら教えて下さい。私は美桜さんを助けたい。このままだと美桜さんは芸能界にいられなくなる」
真帆は驚きを隠せない顔を見せた。
「そんな…」
「美桜さんが、行く場所に心当たりはありませんか?」
「…たぶん、吉祥寺の、井の頭公園です」しばし考えると、断言した。
「向かいます、真帆さんも乗ってください」春夏冬は即断で井の頭公園に向かう事にした。ここからだと30分掛からない距離だ。青梅街道から五日市街道に入って吉祥寺を目指す。
***
【井の頭公園】
春夏冬と真帆が井の頭公園に到着すると午後22時をまわっていた。
雪が舞い積もり始めた井の頭公園。"美桜"が消えた池のほとり。
ピンクのセーターを着た美桜が、雪の中にただ立ち尽くすのが見える。
やがて、美桜は震える声で、今日のロケでOKが出なかった「大切な人を失った悲しみの台詞」を、雪の降る空に向かって叫び始める。それは、
「咲良お姉ちゃん…。なんで…私を置いていったの……」
真帆の隣で春夏冬は、「これ、ドラマの今日のセリフ…」と呟いている。
「ずっと、一緒だって…言ったじゃない…」
「お姉ちゃんは私の半身なんだよ…」
「今日も、明日も、明後日も一緒に笑い、一緒に夢を見て、いつまでも幸せに…う、うううう」
その演技は、ロケでのどの演技よりも本物だった。なぜなら、美桜がそこで失ったのは、ドラマの姉ではなく、彼が命を懸けて守ると決めた"美桜"の魂そのものだったからだ。
その、雪の降る中での美しすぎる悲劇のヒロインの姿を、真帆と春夏冬が見つめる。
真帆は思わず呟いた。
「あぁ…」
一歩二歩と美桜に近づく。
「あぁ…これはだめだ、これは……今の美桜ちゃんには辛すぎる……」
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