アドルフの微笑

桜庭かなめ

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第29話『会長は撫でられたい。』

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 7月1日、月曜日。
 今年も残り半分。上半期は高校受験や進学、改元とかもあったからかあっという間に過ぎていったな。
 今日から1週間、1学期の期末試験が行なわれる。
 試験はあるけれど、期間中はお昼に終わるのでその点はいいな。この期末試験を乗り越えれば、夏休みも目前と言ってもいいだろう。
 昨日、咲夜の家で腰や背中を痛めるという事態もあったけれど、今日になったら痛みは完全に取れて、期末試験に臨むことができた。数学Ⅰも世界史Aも家庭科もよくできたな。回答欄のズレを含めた見直しもしたけど、大丈夫そうだ。

「颯人君、1日目お疲れ様」
「おう、お疲れさん」

 終礼が終わるとすぐに、咲夜が俺の座っている席までやってくる。明るそうな表情からして、まずまずの手応えがあったという感じだろうか。

「今日の調子はどうだった?」
「どの教科もよくできたと思う。咲夜の方はどうだ?」
「世界史と家庭科はバッチリ! 数学も颯人君達が教えてくれたおかげで、中間よりは手応えがあったよ。赤点はないと思う」
「そうか、それなら良かった」

 赤点になっちまうと、夏休みに特別課題が出たり、教科によっては学校へ補習を受けに行ったりしなきゃいけないみたいだから。そういう事情もあって、中間よりも手応えがあったことが嬉しいのだろう。

「颯人、咲夜。お疲れ様」

 紗衣は落ち着いた笑みを浮かべながら、俺達のところにやってくる。相変わらず彼女がうちの教室に入ってくると、一部の女子から黄色い声が上がる。

「紗衣、お疲れさん」
「お疲れ様、紗衣ちゃん。初日はどうだった?」
「数学と家庭科はよくできたよ。世界史は颯人や麗奈会長に教えてもらったおかげで、平均点くらいは取れそうな感じ。多分、赤点はないと思う。颯人や咲夜ちゃんは?」
「俺はどの教科もよくできたなって思う」
「あたしは世界史と家庭科はバッチリ。数学は紗衣ちゃんや颯人君、会長さんのおかげで赤点はないと思うよ」
「それは良かった」

 2人とも、期末試験はいいスタートを切ることができたようだ。
 気付けば、クラスの中がざわついている。いつも俺がその原因となっているからか、急にざわつくと不安になるな。
 扉の方を見てみると、そこには麗奈先輩の姿が。学校の人気者がうちの教室に来たからざわついていたのか。そういえば、うちの教室に来るのはこれが初めてか。
 当の本人である麗奈先輩は、俺達のことを見つけると優しい笑みを浮かべて、こちらにやってくる。

「みんな、期末試験の初日お疲れ様。ちゃんとできたかな?」
「できました! 苦手な数学も赤点は免れることができそうです!」
「私もよくできました。麗奈会長達のおかげで、世界史も何とかなりました」
「そっか。2人とも、得意じゃない科目も何とかなったようで良かったよ」

 よしよし、と麗奈先輩は咲夜と紗衣の頭を撫でている。とても微笑ましい光景だな。2人のことを羨ましがっている生徒がいる。いいなぁ、という声も聞こえるほど。

「はやちゃんはどうだった?」
「どの教科もよくできました」
「偉いね。じゃあ、ご褒美にはやちゃんの頭も撫でてあげよう」

 そう言って、麗奈先輩は優しい笑みを浮かべながら俺の頭を撫でてくれる。気持ちいいし、麗奈先輩の甘い匂いが香ってくるからか試験の疲れが取れていくな。
 しかし、麗奈先輩が俺の頭を撫でると思わなかったのか、教室にいた生徒は「ええっ」とか「すげえ」という声を上げている。

「何がどうなっているの?」
「この前、生徒会室に呼び出されたし、それも影響しているんじゃない?」

「生徒会長、すげえ!」
「さすがだ! 生徒会長さんレベルになると、アドルフも手なずけることができるのか!」
「あの白狼、会長さんのペットになったんじゃないか?」

 俺への非難というよりは、麗奈先輩への称賛のコメントの方が多いな。これには麗奈先輩本人はもちろん、咲夜や紗衣も苦笑い。

「色々と言われてるね、はやちゃん」
「……麗奈先輩のおかげで、今はかなりマシな方ですよ」
「そうなんだ。……この後、どうしようか」
「みんなで勉強するなら、3人の家のどこかがいいですね。うちは清田にありますから、3人に往復の電車賃がかかっちゃいますし」
「電車賃、状況によっては痛いときあるよね。紗衣ちゃんは通学定期券があるもんね。では、3人の家のどこかで勉強するとして、まずはお昼ご飯をどこかで食べましょうか」
「じゃあ、私の家に来ない? まだ、うちでは一度も勉強したことないし。あと、実は家に賞味期限が近いパスタが結構あって。3人が食べてくれると助かるな。もちろん、お昼ご飯は私が作るよ」
「いいんですか? 是非、行ってみたいですし、食べてみたいです!」
「そういうことでしたら、私もいただきます」

 咲夜や紗衣もすっかりと行く気になっているな。
 麗奈先輩の家がどんな感じなのか気にならないと言ったら嘘になるし、賞味期限の近いパスタがあるなら、お昼ご飯をごちそうになるのもいいのかな。

「はやちゃんはどうかな? まあ、明奈ちゃんの家がとても近いから、彼女と会っちゃう確率もゼロじゃないけど」
「もしそうなったら、あたし達で颯人君のことを守りましょうよ」
「そうだね、咲夜」
「……ありがとう、2人とも。まあ、叶と会ってしまったらそのときに考えましょう。では、俺も先輩のご厚意に甘えさせてもらいます」
「うん! じゃあ、家でお昼ご飯を食べて、その後に試験勉強することに決定だね!」

 麗奈先輩、とても嬉しそうだ。俺が友達になっていいと言ったときと同じくらいに素敵な笑顔を浮かべている。好きな人が自分の家に来るからかな。
 それから、俺達は学校を後にして、麗奈先輩の家へと向かう。
 ただ、1年生は誰も明日の試験科目の教科書やノート、プリントを持っていないので、途中で俺の家に寄った。ちょっと回り道にはなるけれど、そう遠くないところに自分の家が会って良かったなと思った。
 勉強に必要なものを持って、咲夜達と再び麗奈先輩の家に向かって歩き始める。
 俺の卒業した第一中学校を通り過ぎたあたりから、叶や彼女の取り巻き達がいるのかどうか周囲を伺ってしまう。俺がそんな様子だからか、咲夜や紗衣も真剣な様子で周りを見てくれた。
 ただ、実際に俺をいじめてきた人達と出会ったり、見かけたりすることもなく、俺達は無事に麗奈先輩の家に到着した。
 グレーの落ち着いた外観が特徴的で、大きさは周りの家と比べて1.5倍から2倍くらいだろうか。門から家の玄関まで石畳の道があり、その両側には手入れされた青々とした芝生が広がっている。

「ここが私の家だよ」
「おおっ……立派ですね。お金持ちって感じがします」
「咲夜の言う通りだね。周りの家と比べても立派ですね」
「ふふっ、ありがとう。さあ、中に入って」

 咲夜、紗衣、俺は麗奈先輩に連れられる形で彼女の家にお邪魔することに。
 家の中の雰囲気は広さを除けば、自分の家と意外と変わりない。ただ、ゆったりとした空間だからか、初めて来たにも関わらず気持ちはさっそく落ち着く。
 麗奈先輩の案内で俺達はリビングへと通される。

「お父さんは仕事で、お母さんは学生時代の友人の家に遊びに行ってるの。お姉ちゃんも今日は夕方まで大学の講義があって。お昼ご飯を作るから、出来上がるまで3人はソファーにでも座ってゆっくりとくつろいでね。私はその前に着替えてきちゃおうかな」

 そう言うと、麗奈先輩はリビングから姿を消す。
 ここは麗奈先輩の言う通りにしよう、ということで咲夜と紗衣は大きなソファーに隣同士で座り、俺はその近くにある1人掛けのソファーに腰を下ろした。

「本当に落ち着いていて綺麗なリビングだね。あと、ソファーの座り心地がとてもいい。3教科も試験があって、20分以上歩いたからか眠くなってきた」
「ははっ、お昼ご飯ができたらちゃんと起こすから、眠たかったら寝ていいからね」
「うん、そうする」

 そう言って、咲夜は紗衣に寄り掛かっている。それも紗衣は落ち着いた笑みを絶やさない。本当に2人は仲が良くなったんだなと思う。
 それから程なくして、スカートにノースリーブのVネックのカットソー姿の麗奈先輩が姿を現した。この前もそうだったけれど、私服姿の麗奈先輩も可愛らしいな。当然、咲夜も麗奈先輩を絶賛し、スマホで写真を撮っていた。
 キッチンに行くと、麗奈先輩はエプロン姿になり、4人分の昼食を作り始めた。
 明日の試験科目に英語表現があるから、お昼ご飯ができるまでの間に英単語の復習をしようかと思ったけど、料理をする麗奈先輩の姿を思わず見てしまう。それは咲夜や紗衣も一緒のようだった。先輩もたまにこちらを見ると、その度に可愛らしく笑っていた。
 やがて、美味しそうな匂いがしてくる。腹も減ってきたし、勉強するのはお昼ご飯を食べてからでいいか。

「はーい、みんなー。お昼ご飯ができたよ。食卓の方に来てくださーい」

 麗奈先輩の言う通り、俺達は食卓に向かう。
 ソファーの座った場所もあってか、咲夜と紗衣が隣同士に座り、俺は食卓を挟んで紗衣と向かい合うようにして座った。
 俺達がそれぞれ椅子に座ると、麗奈先輩はナポリタンとコンソメ仕立ての野菜スープを食卓に運んできてくれる。どちらもとても美味しそうだ。
 麗奈先輩は麦茶を各人の前に置くと、俺の左隣の椅子に座った。

「冷蔵庫の中にあった食材を見て、ナポリタンと野菜スープを作ってみました」
「とっても美味しそうですね!」
「いい匂いもして、綺麗に盛りつけられているので、お店に来たみたいです」
「紗衣の言うとおりだな。あと、いい匂いがしているので、もうお腹がペコペコです」
「ふふっ、じゃあ、さっそくいただこうか。いただきます!」
『いただきまーす』

 咲夜と紗衣はさっそくナポリタンの方を食べている。2人とも美味しそうに食べているけれど、特に咲夜は幸せそうだ。
 俺はまず野菜スープを一口いただく。

「スープ美味しいですね。夏でも温かいものを食べると気分が落ち着きますね」
「ありがとう。ナポリタンの方はどうかな。はやちゃんのお口に合えばいいんだけど」
「ナポリタンは結構好きですよ。では、いただきますね」

 ベーコンやピーマン、たまねぎなども食べられるようにパスタを巻き、それを口の中に入れる。

「……うん、とっても美味しいですよ」
「美味しいよね、颯人君! 美味しすぎてフォークが止まりません!」
「ふふっ、箸が止まらないっていうのは聞いたことがあるけど。でも、2人が言うようにとても美味しいです」
「みんなにそう言ってもらえて良かった。えっと、その……」

 すると、麗奈先輩はもじもじしながら俺の方をチラチラと見てくる。少しだけ、俺に頭を傾けてきて。あぁ、そういうことか。
 俺はハンカチで手を拭いて、麗奈先輩の頭を優しく撫でる。

「美味しい料理を作ってくれてありがとうございます。あと、麗奈先輩も今日の期末試験お疲れ様でした」
「……えへへっ、ありがとう。はやちゃんに私の作ったご飯を美味しいって言ってもらえて、頭まで撫でてもらえて。私、凄く幸せだよ」

 麗奈先輩は頬に赤みは帯びているけれど、今の言葉が本当であることを示すかのようにとても幸せそうな笑みを浮かべている。あと、先輩の頭を撫でているからか、ナポリタンやスープの匂いがする中で彼女の甘い匂いも香ってきて。それもあってか、彼女と目が合うとドキッとしてしまう。咲夜と紗衣のいる前だし、ちょっと恥ずかしいな。
 ちなみに、咲夜と紗衣はというと、咲夜は食事の手を止め、頬を赤らめながら俺達のことをじっと見ている。紗衣は食事をしつつも、俺達のことをチラチラと見ている。

「さ、さあ、麗奈先輩もお昼ご飯を食べましょう。冷めちゃいますよ」
「そうだね。いただきまーす」

 麗奈先輩はナポリタンを一口食べる。笑顔で美味しいと言うその姿はとても可愛らしい。
 そういえば、4人でこうして一緒に食事をするのはこれが初めてか。それもあってか、結構楽しい時間になったのであった。
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