5 / 83
第4話『選択と希望』
しおりを挟む
夕方になったということもあって、昼間よりも爽やかな空気になっている。弱くも風が吹いているので、歩いていると気持ちがいい。
「やっぱり、桜海の空気はいいなぁ」
「そう言ってくれると、生まれてからずっと桜海の僕は嬉しいよ」
「ふふっ、引っ越した先に友達がいるのっていいよね。東京には10年間いたしそれなりにけれど、桜海の方が自然いっぱいで空気が美味しいし、何だかのんびりとした雰囲気があって好きだよ。あと、東京よりも早い時間に涼しくなるかな」
「歩いて行くのはキツいけど、海に面しているからね。東京のように高いビルとかもないしね」
「東京ってビルばかりだと思うでしょ? 確かに、都心の方は高層ビルでいっぱいだけれど、あたしが住んでいたところは住宅街で、ちょっと遠くには標高500mくらいの山が見えるんだよ。冬も雪が降る日は少ないけど、30cmくらい積もったときもあったかな」
「へえ……」
僕のイメージしている高層ビルばかりな場所は23区だで、郊外は結構落ち着いた感じなのかな。あと、桜海よりも雪が降るんだ、東京って。桜海なんて10cm積もれば大雪で、明日香や芽依が大喜びだよ。
「段々と懐かしい景色も見えてきた。桜海は10年ぶりだけど、意外と覚えているもんだね」
「10年の間に新しい建物やお店が色々とできたけど、雰囲気はさほど変わっていないかな。ずっと桜海で暮らしているからかもしれないけど」
「ふふっ、一番変わったのは翼や明日香かもしれないね。翼はとってもかっこよくなったし、明日香は胸が大きくなったし……」
あははっ、と咲希は苦笑い。
まあ、10年前はさすがに明日香の胸は平坦だったからな。比べていいかは分からないけれど、咲希より明日香の方が大きそうだ。
「今、あたしよりも明日香の方が大きいって思ったでしょ」
「そ、そうだね。ただ、咲希もそれなりにあるんじゃないかな」
「ははっ、フォローされちゃったよ。あたしも翼の側にずっといれば、明日香のように胸が大きくなったりして」
「僕は胸の神でもないし、胸のパワースポットでもないと思うな」
それに、僕の側にずっといて胸が大きくなるのなら、芽依の胸だって大きくなるはずだと思う。芽依は咲希よりも小さいんじゃないだろうか。まさか、咲希が帰ってきて早々、胸のことを考えるとは思わなかった。
「そういえば、この道順って僕や明日香の通学路だけれど……」
もう明日香の家が見え始めているぞ。ちなみに、彼女の家から100mくらい先に僕の家がある。
「ふふっ、実は翼の家のちょっと先にあたしの新しい家があるんだ。だから、登下校するときは2人の家を通るんだよ。それが凄く嬉しいの」
「へえ、そっか」
僕も明日香も引っ越していないから、咲希にとっては安心できるか。
それから程なくして僕の家を通り過ぎる。高校に通い始めてからはこっちの方向に歩いたことはあまりないけど、小学校と中学校の通学路だったのでよく覚えている。明日香が僕の家で待って、一緒に登校したっけ。
「さっ、ここがあたしの新しい家だよ」
「素敵なお家だね」
以前の家と同じように白い外観が特徴的な一軒家だ。僕の家から3分くらいのところにあるから、前よりもだいぶ近くなったな。
咲希に連れられて僕は彼女の家の中に入る。
「ただいまー」
「お邪魔します」
僕らがそう言うと、すぐに1人の女性が僕達の前に姿を現した。僕と目が合うと彼女は嬉しそうな笑みを見せてくれた。
「おかえり。あら、もしかして、あなた……翼君?」
「はい、おひさしぶりです。ええと……夏希さん」
「久しぶりね。ふふっ、立派にかっこよく成長したのね。それに、若い男の子から名前で呼ばれると、私……ときめいちゃうな」
「もう、お母さんったら……」
咲希は呆れた様子だ。
そう、この女性は咲希のお母さんの夏希さん。10年前は家に遊びに行くと、手作りのお菓子をよく食べさせてくれたっけ。
「夏希さんは……10年前とあまり変わっていませんね」
「あらぁ、褒め言葉として受け取っておくわ。引っ越してからも、咲希はずっと翼君のことが好きだったのよ。そんな娘の気持ちが分かる気がするわ。もし、咲希と結婚するつもりなら、将来の咲希の姿ってことで私のことを見に来てくれていいからね」
「……とりあえず、そのお気持ちは心に留めておきますね」
娘の咲希よりもうっとりとした表情を浮かべているな、夏希さん。
「……さっそくあたしの部屋に連れてってあげるね」
「ありがとう、咲希。お邪魔します」
今の夏希さんのことがあってなのか、僕は咲希に手を強く引かれる形で彼女の部屋へと連れて行かれる。
「ここがあたしの部屋だよ」
「いい雰囲気のお部屋だね。広くてゆったりとできそうだ」
僕の部屋よりも広いかもしれない。
引っ越してきて間もないからか、部屋の中はとてもスッキリとした状態になっていた。ベッド、勉強机、タンス、テーブルなど一般的な家具の他はあまりない。シーツや絨毯の色が白やピンク系統で統一されていて女の子らしいなと思う。
「翼、コーヒーと紅茶と緑茶なら出せるけれど何がいい?」
「じゃあ、温かいコーヒーをお願いしてもいいかな。ブラックで」
「うん、分かった。じゃあ、適当にくつろいで待っててね。まあ……翼はしないと思うけれど、タンスの中とかは見ないでね。翼のことは好きだけれど、下着とか見られるのはさすがに恥ずかしいから」
「分かったよ。そこは節度を持ってくつろぐから安心して」
そう言うと、咲希はすぐに普段の爽やかな笑みを浮かべ、
「うん。じゃあ、待っててね。頑張って淹れてくるから」
張り切った様子で部屋を出ていった。コーヒーを淹れることに頑張りが必要なのか疑問だけど。ただ、その頑張りは善意から来ているのは確かだろう。あと、さっきの咲希が、バイトの年上の後輩の女性に似ていた。
テーブルの側にクッションがあったので、僕はそこに腰を下ろした。
芽依はもちろんのこと、明日香の部屋にも時折お邪魔しているし、常盤さんの部屋にも何度か行ったことはあるけれど……何だか、今が一番緊張しているかも。咲希と2人きりで来て、1人で彼女が戻ってくるのを待っているからかな。
「……これ、なんだろう?」
明るい緑色のメモ帳がテーブルの上に置かれている。
見てしまっていいのか分からないけれど、気付けば右手でメモ帳を掴んでいた。下着じゃなくてメモ帳だし……まずそうな内容だったらすぐに閉じてテーブルの上に置けばいいんだ。そんなことを自分自身に念じながら、ゆっくりとメモ帳を開けた。
『高校卒業≒平成最後 までにやりたいこと
・翼や明日香と再会したい
・翼や明日香と遊びたい
・翼に好きだと告白したい。キスしたい。できれば口と口で
・翼と恋人として付き合いたい
(もし、翼や明日香と同じ学校なら)
・文化祭や体育祭を楽しみたい
・一緒に受験勉強したい』
そんなことが、箇条書きの形で書き記されていた。
きっと、故郷である桜海に引っ越すことが決まったことで、やりたいことが次々と思い浮かんだんだろうな。桜海には僕や明日香も住んでいるから、こんなにたくさんあるんだろう。およそ平成最後っていうのは……そうか、遅くとも来年の4月末までに平成という元号が終わるからか。
「……あぁ、見られちゃった」
気付けば、コーヒーやクッキーを乗せたトレーを持った咲希が戻ってきていた。怒った様子は全く無く、むしろ笑みを浮かべているほどだった。
「ごめん、咲希。テーブルの上に置いてあったから、興味本位で見ちゃった」
「翼ならいいよ。それを見られても恥ずかしくないって言ったら嘘になるけれど。嫌じゃないからね。はい、温かいブラックコーヒー。クッキーがあったから持ってきた」
「ありがとう」
僕は咲希のメモ帳を閉じ、そっとテーブルの上に戻した。咲希が淹れてくれたブラックコーヒーを飲む。
「うん、美味しい。きっと、うちのマスターもお客さんに出していいって言ってくれると思うよ」
「ふふっ、そういう風に褒められたのは初めてだよ。ありがとう、翼。あたしはコーヒーは飲めるけれど、砂糖やミルクがないとまだ飲めないな」
「そうなんだ。ちなみに、明日香は最近ようやくカフェオレは飲めるようになった」
「やっぱり最初はカフェオレだよね。中学生になったときには飲んでいたかなぁ」
咲希は角砂糖を2つ入れて、コーヒーを一口飲んだ。10年前はジュースかせいぜい麦茶だったのに。そんな咲希がコーヒーを飲むなんて。
「今のあたしを見てどんなことを思ってた? こいつ、あんなにたくさんやりたいことあるんだって思った?」
「それもあるけれど、ただ……咲希もコーヒーを飲むようになったんだなって。10年って大きいんだと思ったよ」
「コーヒーの方か。昔は2人と一緒にジュースばっかり飲んでいたもんね」
咲希はクスクスと笑った。大したことではないのに僕と同じことを覚えていることがたまらなく嬉しい。
咲希は例のメモ帳を開いて、さっき僕が見ていたやりたいことリストのページを開いた。
「桜海へ6月から転勤ってお父さんから言われたとき、正直……桜海に戻るか東京に残るかちょっと迷ってた。進路のことを考えたら、東京に住んでいる方が選択肢も多いし。もしかしたら、水泳でインターハイに出られるかもしれないって学校側から言われて。寮はないけれど、学校近くのアパートを紹介してくれるとまで言ってくれて」
「そうだったんだ……」
それだけ、天羽女子も咲希のことを考えてくれていたんだ。高3の6月っていうタイミングを考えたら、首都圏の天羽女子に通い続けた方が選択肢はたくさんあっただろう。
「ただ、咲希はこうして桜海高校の制服を着て、桜海の地にいる。もし、戻る決め手があったのなら……教えてくれないかな」
「……これが理由だよ」
咲希はやりたいことリストを書いたページを開いたまま、僕に見せてくる。
「もしかしたら、バカにして笑う人や、こんなことのために桜海っていう地方の町に帰るのかって怒る人がいるかもしれない。でも、考えてみると、桜海を離れたときから、翼や明日香とやりたいことがあって。それを天羽女子の友達に相談したら、あたしの選んだ道を応援するって言ってくれて。それに、桜海に帰るチャンスが生まれたのは何かの運命かもしれないよって。それで、桜海に帰って……このやりたいことリストを全部達成できるように頑張ろうって決意したの」
「……そうだったんだ。あと、天羽女子で素敵な友達ができたんだね」
「うん。それを言ってくれたのは、例の声楽の凄い子なんだけれどね。中学までの同級生や、その子の通う高校の後輩達も翼への恋を応援してくれて。声楽の凄い子も長い間片想いをしていたんだって」
「へえ……」
だからこそ、咲希の気持ちを分かり、咲希の背中を押すようなアドバイスができたのかもしれない。あと、恋を応援してくれる人達が何人もいるというのは、咲希の人徳なんだろうな。
「高校卒業は分かるけど、平成最後って書いてあるのはどうして? 時期は近いけれど……」
「あたし達は20世紀最後の生まれだし、今年が高校最後で卒業してすぐに平成も終わるから。何か目標を立てるにはいい区切りかなと思って」
「なるほどね」
来年の春に高校卒業だけではなく、平成も終わるということでやりたいことを達成したいとより強く思えるのかもしれない。
「それで、できたことには花丸を付けようってことに決めたの」
「へえ……」
咲希はバッグから筆箱を取り出し、中から赤ペンを取り出す。できたことについては花丸を付けていく。
「2人と再会できたでしょ。遊ぶのは……まだできていないか。翼に告白は……好きだっていう想いは伝えたし、頬にキスもしたし、口と口は……」
すると、咲希の頬は今日一番の赤みが帯びる。視線もちらつかせて。
「口と口では……今はちょっと。したい気持ちはあるけれど、勇気が出ない」
みんなの前で僕の頬にキスをしたのに、僕と2人きりでもキスはできないか。人によって口づけはかなりハードル高いよね。
「でも、キスしたいって思っているくらいに、翼のことは好きだからね!」
「うん、分かったよ」
それでも好きだという気持ちはしっかりと伝えてくる。ブレないな。照れたまま飲み物を飲んでいる姿は懐かしかったりする。それがとても可愛らしくて、10年前には抱くことのなかったドキドキを感じていた。
「転入初日だけれど、桜海に帰ってきてどうかな」
「思った以上に楽しいよ。翼や明日香と同じクラスだし、美波や羽村君とも仲良くなれたしね。これなら卒業まで楽しく学校生活を送れそう」
「それなら良かったよ。僕も咲希が戻ってきて、今まで以上に楽しい学校生活を送ることができそうな気がしてるよ」
「……これからよろしくね、翼」
「うん、よろしくね」
文化祭や体育祭、球技大会もまだ先だし……残り10ヶ月だけど、咲希と楽しい高校生活を送ることができそうだ。受験が待っているけどね。そんなことを思いながら、僕はコーヒーを飲むのであった。
「やっぱり、桜海の空気はいいなぁ」
「そう言ってくれると、生まれてからずっと桜海の僕は嬉しいよ」
「ふふっ、引っ越した先に友達がいるのっていいよね。東京には10年間いたしそれなりにけれど、桜海の方が自然いっぱいで空気が美味しいし、何だかのんびりとした雰囲気があって好きだよ。あと、東京よりも早い時間に涼しくなるかな」
「歩いて行くのはキツいけど、海に面しているからね。東京のように高いビルとかもないしね」
「東京ってビルばかりだと思うでしょ? 確かに、都心の方は高層ビルでいっぱいだけれど、あたしが住んでいたところは住宅街で、ちょっと遠くには標高500mくらいの山が見えるんだよ。冬も雪が降る日は少ないけど、30cmくらい積もったときもあったかな」
「へえ……」
僕のイメージしている高層ビルばかりな場所は23区だで、郊外は結構落ち着いた感じなのかな。あと、桜海よりも雪が降るんだ、東京って。桜海なんて10cm積もれば大雪で、明日香や芽依が大喜びだよ。
「段々と懐かしい景色も見えてきた。桜海は10年ぶりだけど、意外と覚えているもんだね」
「10年の間に新しい建物やお店が色々とできたけど、雰囲気はさほど変わっていないかな。ずっと桜海で暮らしているからかもしれないけど」
「ふふっ、一番変わったのは翼や明日香かもしれないね。翼はとってもかっこよくなったし、明日香は胸が大きくなったし……」
あははっ、と咲希は苦笑い。
まあ、10年前はさすがに明日香の胸は平坦だったからな。比べていいかは分からないけれど、咲希より明日香の方が大きそうだ。
「今、あたしよりも明日香の方が大きいって思ったでしょ」
「そ、そうだね。ただ、咲希もそれなりにあるんじゃないかな」
「ははっ、フォローされちゃったよ。あたしも翼の側にずっといれば、明日香のように胸が大きくなったりして」
「僕は胸の神でもないし、胸のパワースポットでもないと思うな」
それに、僕の側にずっといて胸が大きくなるのなら、芽依の胸だって大きくなるはずだと思う。芽依は咲希よりも小さいんじゃないだろうか。まさか、咲希が帰ってきて早々、胸のことを考えるとは思わなかった。
「そういえば、この道順って僕や明日香の通学路だけれど……」
もう明日香の家が見え始めているぞ。ちなみに、彼女の家から100mくらい先に僕の家がある。
「ふふっ、実は翼の家のちょっと先にあたしの新しい家があるんだ。だから、登下校するときは2人の家を通るんだよ。それが凄く嬉しいの」
「へえ、そっか」
僕も明日香も引っ越していないから、咲希にとっては安心できるか。
それから程なくして僕の家を通り過ぎる。高校に通い始めてからはこっちの方向に歩いたことはあまりないけど、小学校と中学校の通学路だったのでよく覚えている。明日香が僕の家で待って、一緒に登校したっけ。
「さっ、ここがあたしの新しい家だよ」
「素敵なお家だね」
以前の家と同じように白い外観が特徴的な一軒家だ。僕の家から3分くらいのところにあるから、前よりもだいぶ近くなったな。
咲希に連れられて僕は彼女の家の中に入る。
「ただいまー」
「お邪魔します」
僕らがそう言うと、すぐに1人の女性が僕達の前に姿を現した。僕と目が合うと彼女は嬉しそうな笑みを見せてくれた。
「おかえり。あら、もしかして、あなた……翼君?」
「はい、おひさしぶりです。ええと……夏希さん」
「久しぶりね。ふふっ、立派にかっこよく成長したのね。それに、若い男の子から名前で呼ばれると、私……ときめいちゃうな」
「もう、お母さんったら……」
咲希は呆れた様子だ。
そう、この女性は咲希のお母さんの夏希さん。10年前は家に遊びに行くと、手作りのお菓子をよく食べさせてくれたっけ。
「夏希さんは……10年前とあまり変わっていませんね」
「あらぁ、褒め言葉として受け取っておくわ。引っ越してからも、咲希はずっと翼君のことが好きだったのよ。そんな娘の気持ちが分かる気がするわ。もし、咲希と結婚するつもりなら、将来の咲希の姿ってことで私のことを見に来てくれていいからね」
「……とりあえず、そのお気持ちは心に留めておきますね」
娘の咲希よりもうっとりとした表情を浮かべているな、夏希さん。
「……さっそくあたしの部屋に連れてってあげるね」
「ありがとう、咲希。お邪魔します」
今の夏希さんのことがあってなのか、僕は咲希に手を強く引かれる形で彼女の部屋へと連れて行かれる。
「ここがあたしの部屋だよ」
「いい雰囲気のお部屋だね。広くてゆったりとできそうだ」
僕の部屋よりも広いかもしれない。
引っ越してきて間もないからか、部屋の中はとてもスッキリとした状態になっていた。ベッド、勉強机、タンス、テーブルなど一般的な家具の他はあまりない。シーツや絨毯の色が白やピンク系統で統一されていて女の子らしいなと思う。
「翼、コーヒーと紅茶と緑茶なら出せるけれど何がいい?」
「じゃあ、温かいコーヒーをお願いしてもいいかな。ブラックで」
「うん、分かった。じゃあ、適当にくつろいで待っててね。まあ……翼はしないと思うけれど、タンスの中とかは見ないでね。翼のことは好きだけれど、下着とか見られるのはさすがに恥ずかしいから」
「分かったよ。そこは節度を持ってくつろぐから安心して」
そう言うと、咲希はすぐに普段の爽やかな笑みを浮かべ、
「うん。じゃあ、待っててね。頑張って淹れてくるから」
張り切った様子で部屋を出ていった。コーヒーを淹れることに頑張りが必要なのか疑問だけど。ただ、その頑張りは善意から来ているのは確かだろう。あと、さっきの咲希が、バイトの年上の後輩の女性に似ていた。
テーブルの側にクッションがあったので、僕はそこに腰を下ろした。
芽依はもちろんのこと、明日香の部屋にも時折お邪魔しているし、常盤さんの部屋にも何度か行ったことはあるけれど……何だか、今が一番緊張しているかも。咲希と2人きりで来て、1人で彼女が戻ってくるのを待っているからかな。
「……これ、なんだろう?」
明るい緑色のメモ帳がテーブルの上に置かれている。
見てしまっていいのか分からないけれど、気付けば右手でメモ帳を掴んでいた。下着じゃなくてメモ帳だし……まずそうな内容だったらすぐに閉じてテーブルの上に置けばいいんだ。そんなことを自分自身に念じながら、ゆっくりとメモ帳を開けた。
『高校卒業≒平成最後 までにやりたいこと
・翼や明日香と再会したい
・翼や明日香と遊びたい
・翼に好きだと告白したい。キスしたい。できれば口と口で
・翼と恋人として付き合いたい
(もし、翼や明日香と同じ学校なら)
・文化祭や体育祭を楽しみたい
・一緒に受験勉強したい』
そんなことが、箇条書きの形で書き記されていた。
きっと、故郷である桜海に引っ越すことが決まったことで、やりたいことが次々と思い浮かんだんだろうな。桜海には僕や明日香も住んでいるから、こんなにたくさんあるんだろう。およそ平成最後っていうのは……そうか、遅くとも来年の4月末までに平成という元号が終わるからか。
「……あぁ、見られちゃった」
気付けば、コーヒーやクッキーを乗せたトレーを持った咲希が戻ってきていた。怒った様子は全く無く、むしろ笑みを浮かべているほどだった。
「ごめん、咲希。テーブルの上に置いてあったから、興味本位で見ちゃった」
「翼ならいいよ。それを見られても恥ずかしくないって言ったら嘘になるけれど。嫌じゃないからね。はい、温かいブラックコーヒー。クッキーがあったから持ってきた」
「ありがとう」
僕は咲希のメモ帳を閉じ、そっとテーブルの上に戻した。咲希が淹れてくれたブラックコーヒーを飲む。
「うん、美味しい。きっと、うちのマスターもお客さんに出していいって言ってくれると思うよ」
「ふふっ、そういう風に褒められたのは初めてだよ。ありがとう、翼。あたしはコーヒーは飲めるけれど、砂糖やミルクがないとまだ飲めないな」
「そうなんだ。ちなみに、明日香は最近ようやくカフェオレは飲めるようになった」
「やっぱり最初はカフェオレだよね。中学生になったときには飲んでいたかなぁ」
咲希は角砂糖を2つ入れて、コーヒーを一口飲んだ。10年前はジュースかせいぜい麦茶だったのに。そんな咲希がコーヒーを飲むなんて。
「今のあたしを見てどんなことを思ってた? こいつ、あんなにたくさんやりたいことあるんだって思った?」
「それもあるけれど、ただ……咲希もコーヒーを飲むようになったんだなって。10年って大きいんだと思ったよ」
「コーヒーの方か。昔は2人と一緒にジュースばっかり飲んでいたもんね」
咲希はクスクスと笑った。大したことではないのに僕と同じことを覚えていることがたまらなく嬉しい。
咲希は例のメモ帳を開いて、さっき僕が見ていたやりたいことリストのページを開いた。
「桜海へ6月から転勤ってお父さんから言われたとき、正直……桜海に戻るか東京に残るかちょっと迷ってた。進路のことを考えたら、東京に住んでいる方が選択肢も多いし。もしかしたら、水泳でインターハイに出られるかもしれないって学校側から言われて。寮はないけれど、学校近くのアパートを紹介してくれるとまで言ってくれて」
「そうだったんだ……」
それだけ、天羽女子も咲希のことを考えてくれていたんだ。高3の6月っていうタイミングを考えたら、首都圏の天羽女子に通い続けた方が選択肢はたくさんあっただろう。
「ただ、咲希はこうして桜海高校の制服を着て、桜海の地にいる。もし、戻る決め手があったのなら……教えてくれないかな」
「……これが理由だよ」
咲希はやりたいことリストを書いたページを開いたまま、僕に見せてくる。
「もしかしたら、バカにして笑う人や、こんなことのために桜海っていう地方の町に帰るのかって怒る人がいるかもしれない。でも、考えてみると、桜海を離れたときから、翼や明日香とやりたいことがあって。それを天羽女子の友達に相談したら、あたしの選んだ道を応援するって言ってくれて。それに、桜海に帰るチャンスが生まれたのは何かの運命かもしれないよって。それで、桜海に帰って……このやりたいことリストを全部達成できるように頑張ろうって決意したの」
「……そうだったんだ。あと、天羽女子で素敵な友達ができたんだね」
「うん。それを言ってくれたのは、例の声楽の凄い子なんだけれどね。中学までの同級生や、その子の通う高校の後輩達も翼への恋を応援してくれて。声楽の凄い子も長い間片想いをしていたんだって」
「へえ……」
だからこそ、咲希の気持ちを分かり、咲希の背中を押すようなアドバイスができたのかもしれない。あと、恋を応援してくれる人達が何人もいるというのは、咲希の人徳なんだろうな。
「高校卒業は分かるけど、平成最後って書いてあるのはどうして? 時期は近いけれど……」
「あたし達は20世紀最後の生まれだし、今年が高校最後で卒業してすぐに平成も終わるから。何か目標を立てるにはいい区切りかなと思って」
「なるほどね」
来年の春に高校卒業だけではなく、平成も終わるということでやりたいことを達成したいとより強く思えるのかもしれない。
「それで、できたことには花丸を付けようってことに決めたの」
「へえ……」
咲希はバッグから筆箱を取り出し、中から赤ペンを取り出す。できたことについては花丸を付けていく。
「2人と再会できたでしょ。遊ぶのは……まだできていないか。翼に告白は……好きだっていう想いは伝えたし、頬にキスもしたし、口と口は……」
すると、咲希の頬は今日一番の赤みが帯びる。視線もちらつかせて。
「口と口では……今はちょっと。したい気持ちはあるけれど、勇気が出ない」
みんなの前で僕の頬にキスをしたのに、僕と2人きりでもキスはできないか。人によって口づけはかなりハードル高いよね。
「でも、キスしたいって思っているくらいに、翼のことは好きだからね!」
「うん、分かったよ」
それでも好きだという気持ちはしっかりと伝えてくる。ブレないな。照れたまま飲み物を飲んでいる姿は懐かしかったりする。それがとても可愛らしくて、10年前には抱くことのなかったドキドキを感じていた。
「転入初日だけれど、桜海に帰ってきてどうかな」
「思った以上に楽しいよ。翼や明日香と同じクラスだし、美波や羽村君とも仲良くなれたしね。これなら卒業まで楽しく学校生活を送れそう」
「それなら良かったよ。僕も咲希が戻ってきて、今まで以上に楽しい学校生活を送ることができそうな気がしてるよ」
「……これからよろしくね、翼」
「うん、よろしくね」
文化祭や体育祭、球技大会もまだ先だし……残り10ヶ月だけど、咲希と楽しい高校生活を送ることができそうだ。受験が待っているけどね。そんなことを思いながら、僕はコーヒーを飲むのであった。
0
あなたにおすすめの小説
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
まずはお嫁さんからお願いします。
桜庭かなめ
恋愛
高校3年生の長瀬和真のクラスには、有栖川優奈という女子生徒がいる。優奈は成績優秀で容姿端麗、温厚な性格と誰にでも敬語で話すことから、学年や性別を問わず人気を集めている。和真は優奈とはこの2年間で挨拶や、バイト先のドーナッツ屋で接客する程度の関わりだった。
4月の終わり頃。バイト中に店舗の入口前の掃除をしているとき、和真は老齢の男性のスマホを見つける。その男性は優奈の祖父であり、日本有数の企業グループである有栖川グループの会長・有栖川総一郎だった。
総一郎は自分のスマホを見つけてくれた和真をとても気に入り、孫娘の優奈とクラスメイトであること、優奈も和真も18歳であることから優奈との結婚を申し出る。
いきなりの結婚打診に和真は困惑する。ただ、有栖川家の説得や、優奈が和真の印象が良く「結婚していい」「いつかは両親や祖父母のような好き合える夫婦になりたい」と思っていることを知り、和真は結婚を受け入れる。
デート、学校生活、新居での2人での新婚生活などを経て、和真と優奈の距離が近づいていく。交際なしで結婚した高校生の男女が、好き合える夫婦になるまでの温かくて甘いラブコメディ!
※特別編6が完結しました!(2025.11.25)
※小説家になろうとカクヨムでも公開しています。
※お気に入り登録、感想をお待ちしております。
あの日、幼稚園児を助けたけど、歳の差があり過ぎてその子が俺の運命の人になるなんて気付くはずがない。
NOV
恋愛
俺の名前は鎌田亮二、18歳の普通の高校3年生だ。
中学1年の夏休みに俺は小さい頃から片思いをしている幼馴染や友人達と遊園地に遊びに来ていた。
しかし俺の目の前で大きなぬいぐるみを持った女の子が泣いていたので俺は迷子だと思いその子に声をかける。そして流れで俺は女の子の手を引きながら案内所まで連れて行く事になった。
助けた女の子の名前は『カナちゃん』といって、とても可愛らしい女の子だ。
無事に両親にカナちゃんを引き合わす事ができた俺は安心して友人達の所へ戻ろうとしたが、別れ間際にカナちゃんが俺の太ももに抱き着いてきた。そしてカナちゃんは大切なぬいぐるみを俺にくれたんだ。
だから俺もお返しに小学生の頃からリュックにつけている小さなペンギンのぬいぐるみを外してカナちゃんに手渡した。
この時、お互いの名前を忘れないようにぬいぐるみの呼び名を『カナちゃん』『りょうくん』と呼ぶ約束をして別れるのだった。
この時の俺はカナちゃんとはたまたま出会い、そしてたまたま助けただけで、もう二度とカナちゃんと会う事は無いだろうと思っていたんだ。だから当然、カナちゃんの事を運命の人だなんて思うはずもない。それにカナちゃんの初恋の相手が俺でずっと想ってくれていたなんて考えたことも無かった……
7歳差の恋、共に大人へと成長していく二人に奇跡は起こるのか?
NOVがおおくりする『タイムリープ&純愛作品第三弾(三部作完結編)』今ここに感動のラブストーリーが始まる。
※この作品だけを読まれても普通に面白いです。
関連小説【初恋の先生と結婚する為に幼稚園児からやり直すことになった俺】
【幼馴染の彼に好きって伝える為、幼稚園児からやり直す私】
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
罰ゲームから始まった、五人のヒロインと僕の隣の物語
ノン・タロー
恋愛
高校2年の夏……友達同士で行った小テストの点を競う勝負に負けた僕、御堂 彼方(みどう かなた)は、罰ゲームとしてクラスで人気のある女子・風原 亜希(かざはら あき)に告白する。
だが亜希は、彼方が特に好みでもなく、それをあっさりと振る。
それで終わるはずだった――なのに。
ひょんな事情で、彼方は亜希と共に"同居”することに。
さらに新しく出来た、甘えん坊な義妹・由奈(ゆな)。
そして教室では静かに恋を仕掛けてくる寡黙なクラス委員長の柊 澪(ひいらぎ みお)、特に接点の無かった早乙女 瀬玲奈(さおとめ せれな)、おまけに生徒会長の如月(きさらぎ)先輩まで現れて、彼方の周囲は急速に騒がしくなっていく。
由奈は「お兄ちゃん!」と懐き、澪は「一緒に帰らない……?」と静かに距離を詰める。
一方の瀬玲奈は友達感覚で、如月先輩は不器用ながらも接してくる。
そんな中、亜希は「別に好きじゃないし」と言いながら、彼方が誰かと仲良くするたびに心がざわついていく。
罰ゲームから始まった関係は、日常の中で少しずつ形を変えていく。
ツンデレな同居人、甘えたがりな義妹、寡黙な同クラ女子、恋愛に不器用な生徒会長、ギャル気質な同クラ女子……。
そして、無自覚に優しい彼方が、彼女たちの心を少しずつほどいていく。
これは、恋と居場所と感情の距離をめぐる、ちょっと不器用で、でも確かな青春の物語。
小さい頃「お嫁さんになる!」と妹系の幼馴染みに言われて、彼女は今もその気でいる!
竜ヶ崎彰
恋愛
「いい加減大人の階段上ってくれ!!」
俺、天道涼太には1つ年下の可愛い幼馴染みがいる。
彼女の名前は下野ルカ。
幼少の頃から俺にベッタリでかつては将来"俺のお嫁さんになる!"なんて事も言っていた。
俺ももう高校生になったと同時にルカは中学3年生。
だけど、ルカはまだ俺のお嫁さんになる!と言っている!
堅物真面目少年と妹系ゆるふわ天然少女による拗らせ系ラブコメ開幕!!
S級ハッカーの俺がSNSで炎上する完璧ヒロインを助けたら、俺にだけめちゃくちゃ甘えてくる秘密の関係になったんだが…
senko
恋愛
「一緒に、しよ?」完璧ヒロインが俺にだけベタ甘えしてくる。
地味高校生の俺は裏ではS級ハッカー。炎上するクラスの完璧ヒロインを救ったら、秘密のイチャラブ共闘関係が始まってしまった!リアルではただのモブなのに…。
クラスの隅でPCを触るだけが生きがいの陰キャプログラマー、黒瀬和人。
彼にとってクラスの中心で太陽のように笑う完璧ヒロイン・天野光は決して交わることのない別世界の住人だった。
しかしある日、和人は光を襲う匿名の「裏アカウント」を発見してしまう。
悪意に満ちた誹謗中傷で完璧な彼女がひとり涙を流していることを知り彼は決意する。
――正体を隠したまま彼女を救い出す、と。
謎の天才ハッカー『null』として光に接触した和人。
ネットでは唯一頼れる相棒として彼女に甘えられる一方、現実では目も合わせられないただのクラスメイト。
この秘密の二重生活はもどかしくて、だけど最高に甘い。
陰キャ男子と完璧ヒロインの秘密の二重生活ラブコメ、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる