ラストグリーン

桜庭かなめ

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第51話『朝陽はどこかを照らす』

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 8月13日、月曜日。
 昨日はあまり眠ることができなくて、でも何もする気にもなれなかったので時間が経つのがとても遅く感じた。
 そういえば、夜中に幻聴かもしれないけど、女性の甘い声が聞こえたような気がしたことが何度かあった。そのことで、ベッドの上でうっとりとした表情を浮かべる明日香や咲希の肌色たっぷりな姿を思い浮かべてしまい、その度に頭を抱えた。
 陽が昇ったことで、ようやく次の日になったんだと実感できた。バルコニーに出て、朝陽や気持ちいい潮風のおかげか、多少は気持ちも落ち着いた。

「できるだけ早く何とかなればいいな……」

 明日香と常盤さんは部活でもいつも一緒にいるほどの深い仲だ。多分、明日香が作品の制作が楽しいと言っているのは、側に常盤さんがいるからだろう。それはきっと、常盤さんも同じだと思う。
 僕のことがきっかけで2人の仲が悪くなってしまったのだから、僕が2人の側にいる旅行中に何とか仲直りできるようにしたいな。この旅行が終わってしまったら、もしかしたら夏休み中はずっと2人の仲がギクシャクし続けたままになり、2人の作品制作に支障を来たしてしまうかもしれないから。

「といっても、残り2日間でどうするか……」

 思わずため息が出てしまう。少しずつでも、まずは2人から話を聞いていくのが一番なのかな。

「やはり、朝のこの風景は何度も見てもいいなぁ」

「昨日よりも早いのにスッキリとした目覚めだわ」

 気付けば、両隣の部屋の利用者である羽村と松雪先生もバルコニーに出てきていた。旅先では色々なことが起こるな。

「あら、蓮見君に羽村君。おはよう」
「……おはようございます」
「おはようございます、先生。旅行になるといつもよりも早く起きちゃいますよね」
「そうだね。でも、羽村君の場合は夜が遅かったんでしょ?」
「まあ……昨日も陽乃と一緒でしたからね。それなりに遅かったです。今も彼女はぐっすりと眠っていますよ」
「はいはい、幸せで何よりですね。ああもう……若いって羨ましいな! 先生も恋がしたいよおおっ!」

 先生、夏山町の夜明けの海に向かって何を叫んでいるのか。近所にあまり家がないからいいものの。楽しそうに叫んでいる先生は十分に若々しいと思う。
 羽村は昨日も三宅さんと楽しい時間を過ごしていたのか。幸せそうにしているカップルが側にいるだけで何か気持ちが休まる。何か……いいよなぁ。

「蓮見、どうした? ため息なんてついて」
「えっ? ため息なんてついてた?」
「ああ」
「私にも聞こえたよ。はあ……って、はっきりと。何かあったの?」

 無意識にはっきりとため息をついてしまうほど悩んでしまっているのか。羽村も先生も、明日香と常盤さんの異変にいずれは気付くだろうし、今のうちに僕から話しておいた方がいいのかもしれない。

「……2人に話したいことがあるので、僕の部屋に来てください」
「まさか、この旅行を通して気持ちが変わって、先生に告白するの? もしかして、その証人として羽村君に見てもらうとか?」
「もし、それが本当なら、俺は喜んで証人になるぞ。2人なら、清く正しく愛おしく付き合うことができると」
「そういう微笑ましいことならいいんですけど、違うんですよね」
「……分かった。てっきり、私への恋の悩みでため息をついていたんだと思ったんだけどね。先生、残念だけど着替えたら行くね」
「俺もすぐに行くよ」

 きっと、僕が元気ないのを察して先生はあんなことを言ったんだろうな。それがすぐに分かったのか、羽村も先生に話を合わせたのだと思う。
 あと、先生じゃないけれど恋の悩みというのはあながち間違っていないと思う。明日香と咲希の告白についてもずっと考えていたから。
 ――コンコン。
 おっ、意外と早いな。
 部屋の扉を開けると、そこにはワイシャツ姿の羽村とTシャツ姿の松雪先生がいた。

「お邪魔します、蓮見」
「お邪魔するね、蓮見君」
「ええ。いらっしゃい」
「そういえば、一昨日はリビングのソファーで寝たから、昨日初めてベッドで寝たんだよね。気持ち良かったでしょ?」
「ベッド自体は気持ち良かったんですけど、なかなか眠ることができなくて。実はその原因を2人に話したくて、ここに来てもらいました」
「……そういうことね。分かった、さっそく聞かせてくれるかな」 
「はい」

 僕は3人分のコーヒーを淹れて、羽村と松雪先生に昨晩に起こった明日香と常盤さんのことについて簡単に話す。その間、2人は真剣に聞いてくれていた。

「そうか。昨日の夜に、朝霧と常盤の間でそんなことがあったのか。昨日も俺の部屋で陽乃と一緒に過ごしていたから全然気付かなかった」
「羨ましい限りだね、羽村君。私も昨日はお風呂から上がったら、部屋でテレビを観ながら軽くお酒を呑んで結構早い時間に寝ちゃった。だから、私も全然気付かなかったな」

 僕の予想通り、羽村と先生は気付いていなかったか。ということは三宅さんもそうかな。夜もエアコンを点けて窓は閉めていただろうし。2人とも大きな声を挙げていたときがあったけど。

「そういえば、さすがの羽村も興奮はしないんだな。常盤さんが明日香に告白してキスまでしたのに」
「それで朝霧と恋人同士になったら興奮して、ひどければ鼻血も出しているだろうけど、実際はフラれた上に喧嘩だ。そんな状況で興奮はできないだろう。いや、キスシーンを妄想することは容易いが絶対にしない。……しないように心がけている」
「な、なるほど」

 そういうことはしっかりと考えるんだな、羽村は。これまでの彼を振り返ると、見境なく百合妄想をしていたから。

「明日香ちゃんも美波ちゃんも、それぞれショックを受けているのね。ただ、2人ともそれぞれ咲希ちゃん、鈴音ちゃんに相談できて良かったと思う」
「ええ。1人でも本音を話せる人がいて良かったと思います」
「うん。ただ、2人の関係や、旅行中なのも考えたら……この残り2日の間で2人を仲直りすることができれば一番いいかな」
「俺も先生と同じ意見です。2人は夏休み中、主に部活で一緒に過ごしています。コンクールに提出するための作品は個人で作っていますけど、喧嘩していることで制作活動に影響を及ぼしてしまうかもしれません。そう考えたら、一日でも早く仲直りした方がいいでしょう。こうは言いたくありませんが……喧嘩の原因に蓮見が大きく関わっているので、蓮見も一緒にいる旅行中に何とかできればいいのかなと」

 羽村と松雪先生はこの旅行中に2人を仲直りさせるのが一番いいと思っているのか。僕が原因とも言っていいくらいだから、羽村の言うようにこの旅行中に仲直りできれば何よりだと思っている。

「ちなみに、相談された咲希ちゃんと鈴音ちゃんは何か言ってた?」
「とりあえず、2人の様子を見守って、何か相談されたときにはしっかりと話を聞くつもりでいるようです」
「そっか。相談された身としてはそう考えるよね……」
「先生、俺達に何かできることってあるでしょうか。……多分、蓮見はそれも考えていたからあまり眠れなかったんだろうけど」
「……ああ。でも、考えれば考えるほど分からなくなっていくよ」

 分かっているのは、一日でも早く明日香と常盤さんが仲直りできればいいなと思っていることだ。

「蓮見」
「うん?」
「朝霧と有村のことをどう思っているんだ?」

 真剣な表情で羽村から問われたその言葉に、心臓の鼓動が重く、そして痛く響いた。
 明日香と咲希のことをどう思っているか。そんなこと訊かれるまでもない。

「大好きだよ。明日香のことも、咲希のことも」

 ただ、誰かにはっきりと自分の想いを口にしたことはなかったので、凄く照れくさかった。明日香も、咲希も、羽村も、三宅さんも、鈴音さんも……告白したときにこういう想いを抱いていたのだろうか。

「そうだよな。蓮見の口から2人への想いをしっかりと聞きたかったんだ。焦るかもしれないけど、しっかりと考えた方がいい。あと、リスクのない決断なんてないってことも頭に入れておけ。厳しいことを言うけど、なかなか決断しないという選択をしたことで、こういった事態になってしまったんじゃないか?」
「羽村君、蓮見君も……」
「常盤の言うこともある程度は頷けますからね。蓮見、きっと朝霧と有村は、蓮見がどんな決断をしても受け入れる覚悟ができているだろう。だから、2人は蓮見に告白するという決断をしたんだと思っているよ。2人のことをもっと信頼してもいいんじゃないか? そして、次は蓮見……お前の番だ」

 すると、羽村は手を僕の肩にそっと乗せた。

「……いつでも遠慮なく相談してくれ。蓮見達が陽乃と俺のことで支えてくれたように、今度は俺達が蓮見達のことを支える番だ。とりあえず、俺は2人が仲直りできる方法を考えてみる。あと、あまり眠れなかったそうだから、今日はあまり無理しない方がいい。じゃあ、また後で」

 羽村は僕の部屋を出ていった。扉の閉まる音がやけに切なく胸に響く。

「蓮見君……」
「……羽村の言う通りです。僕だけです。何も決断もできなければ、覚悟さえも持つことができていないのは」

 僕は今まで明日香や咲希のことを信頼できていなかった。明日香や咲希は僕のことを信頼してくれているのに。それが分かったことが何よりも辛いことだった。大好きな気持ちを捨てた方がいいんじゃないかと思うほどに。
 すると、松雪先生は僕のことをぎゅっと抱きしめてきた。

「羽村君の言うように、蓮見君はみんなの支えになっているよ。先生だって、蓮見君がいて楽しい毎日を送ることができているんだよ。ただ、蓮見君はもっと支えられるってことをしてもいいんじゃないかな。きっと……大丈夫だから」

 先生のその言葉に心を揺さぶられた感覚になり、思わず涙が出そうになった。でも、決して涙を流すことはしなかったのであった。
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