ハナノカオリ

桜庭かなめ

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Fragrance 6-キオクノカオリ-

第11話『GIFT』

 大きくなった、と言うお父さんの微笑みには寂しさが隠れるように見える。お父さんはどこを見ているんだろう。きっと、今では決して見ることができないものをどうにか見ようとしている。

「隼人と遥香は本当に大きく成長した。隼人は女性に恐怖を抱く体質を克服し、遥香は同性と付き合うことに強い気持ちを持っている。当時の俺よりも……そして、今の俺よりもずっと2人は強い」

 お父さんは、当時は男性だった須藤さんと別れた経験がある。切ない笑顔の理由はそこにあるのかな。きっと、お父さんが私に厳しく言ったのも、私に自分と同じ経験をさせないため。そして、須藤さんと同じ想いを絢ちゃんにさせないため。

「まあ、歩が元恋人だっていうのを知っているから、遥香も俺がどうしてあんな態度を取ってしまったのかも想像付くだろう」
「私と絢ちゃんを、自分と須藤さんに重ねたんだよね」
「……ああ、その通りだ」

 お父さんは明後日の方向を向いて、

「遥香や隼人のような強い気持ちを持っていれば、俺は歩と別れることはなかったのだろうか」

 まるで独り言のように小さな声でそう言った。きっと、お父さんは大学時代の自分と須藤さんを思い出しているんだ。そして、自分に問いかけている。

「歩と別れてから、何度も思う。俺はどうして同性を好きになったのか。好きになったのに、どうして別れる決断をしてしまったのか。そして、歩と別れて、母さんと結婚する道を歩んで正解だったのか。俺はその答えを見つけるために、大学で教鞭を執りながら心理学の研究をすることにしたんだ」

 まさか、心理学を研究する理由にそんな深い理由があったなんて。今まで同じことを訊いても、人の心は面白いからとしか言われなかったから。

「人の心なんて無限大に可能性があって、決まりなんてない。ただ、俺は何かしらの答えを見つけるために人の心を見つめ続けた。それでも、答えは見つからなかった。母さんと結婚して、隼人や遥香が産まれて……それはとても嬉しかった。けれど、それでも俺の抱く疑問は消えなかった」
「それは15年前に、須藤さんが会いに来たから?」
「……それもあるかもしれないな」

 お父さんは誰とも目を合わさずに苦笑いをした。

「俺はあの日の理由を探しながらも、逃げたかったんだよ。母さんと結婚し、子供ができればあの日のようなことにはならないって。でも、そう思うと今度は母さんや子供達に罪悪感を抱くようになった。もちろん、3人をとことん愛することに決めた。まあ、皮肉なことに実際にはイギリスに行って側にいられなくなっているが……」

 今の話を聞くとまるで、お兄ちゃんと私はお父さんの臆病な気持ちから生まれてきたように受け取れる。けれど、

「……臆病な気持ちはあったかもしれないけど、それでも、お母さんのことが好きだったからお兄ちゃんと私が産まれたんでしょう?」

 私の言葉にお父さんは首を横に振ることはない。そのことに少しほっとした。

「もちろん、母さんのことが好きな気持ちもある。けれど、当時は遥香の言う臆病な気持ちの方が勝っていた」
「そんな……」

 お母さんが好きな気持ちがあることは嬉しいけど、それでもショックだった。私は生まれるべくして生まれたような気がしなくて。

「すまないな、遥香。俺はこのことを話して隼人や遥香の心を傷つけたくなくて、大学時代の話はあまり詳しく言わなかったんだ。もちろん、歩のことも」
「じゃあ、もしかして須藤さんが15年間もお父さんと会わなかったのは……」
「……スケジュールが合わないっていうのも本当だけど、結婚してからもヒロくんは私のことで悩んでいることは明白だったからね。ヒロくんが何かしらの答えを見つけるまでは会わないって決めていたの。でも、今回……遥香ちゃんが原田さんと付き合っているかもしれないって言われてね。もしかしたら、これを機にヒロくんの悩みの答えが見つかるかもしれない。私はヒロくんも助けたくて15年ぶりに会いにきたんだよ」
「そうだったんですか……」

 さすがに須藤さんは分かっていたんだ。お父さんの心の奥底にあるものが。きっと、お母さんももちろんお父さんの悩んでいることに気付いていると思う。だからこそ、お母さんも須藤さんのことに関する話は一切しなかった。
 そんな状態が続いていたけれど、私と絢ちゃんが付き合うことによって、20年以上前に止まってしまった歯車が動き始めたんだ。

「でも、一つ、答えは子供達のおかげで見つかったよ」
「……そうみたいね。私と別れてから、そんな笑顔を見たことはなかったもの」

 須藤さんの爽やかな笑みを見る限り、お父さんは本当に答えを見つけることができたみたい。お兄ちゃんや私のおかげで見つかった答えって何だろう。

「ああ。隼人と遥香が好きな人と一緒にいる姿を見て、ようやく俺は母さんと結婚して、隼人と遥香という子供達を授かることができて本当に良かったと思った。確かにその始まりは歩と別れるという悲しいことだが、俺はこの道を歩んで良かったんだと心から思えるようになった。隼人と遥香は俺にそんな答えを与えてくれたのさ」

 そう言うお父さんの笑みは落ち着いていたけれど、ここまで爽やかな笑顔は今までに見たことがなかった。今まで抱いていた疑問が晴れた何よりの証拠だと思う。

「ただ、こんなにもずっと疑問に抱いていたってことは、それだけ歩のことが好きだったんだろうな。歩と別れた後もずっと」
「……止めてよ。私は今だって独り身だし、そんなことを言われたらヒロくんに惚れちゃいそうだから」

 須藤さんの頬を赤みが増していくあたり、今の言葉はあながち嘘ではないみたい。もしかしたら、お父さんと同じように須藤さんも別れてからもずっと恋心を抱き続けていたのかな。本当に好きだからこそ、お父さんを悩まさないために15年間も会わなかったんだと思う。

「でも、ヒロくんの言うとおり、隼人君と遥香ちゃんは素敵なことを教えてくれたね。私の方も何だか次のステージに行けそうな気がする」
「……次のステージ、か。俺も踏み出せそうな気がしてきた。まさか、子供達からこんなに大切なことを教えてもらうとは。まだまだ子供と思っていたが、本当に大きくなった」

 ようやく、お父さんの笑みが父親らしい温かみのあるものになった。お母さんもとても嬉しそうだった。もしかしたら、こんなお父さんを見るのはお父さんと出会ったとき以来なのかもしれない。

「……そうだ。ちょうどいいじゃないか」
「どうかしたの? お父さん」
「来月に予約したホテル、奈央ちゃんと原田さんと一緒にいけばいいじゃないか。これでちょうど4人だ」
「あぁ、そうだな」
「それ、最高かも!」

 お兄ちゃんと私は納得だけど、事情が把握できていない絢ちゃんと奈央ちゃんは困惑している様子。

「ど、どういうことなの? 隼人」
「説明してくれると有り難いんだけど、遥香」
「毎年夏に家族4人で旅行に行くんだけど、今年は予約をした後にお父さんに仕事が入っちゃって、お父さんとお母さんは行かないことになったの。それで、誰か2人を誘おうってことになっていたんだよ」
「それで、私と奈央さんが誘われたわけだね」

 状況が分かったことで、ようやく笑みを浮かべる絢ちゃんと奈央ちゃん。2人と一緒に行けると最高なんだけどなぁ。

「その旅行って8月に入ってから? 7月中はインターハイに出場するから練習で忙しくなるんだけれど」
「うちの旅行はいつも8月だよ。今回もそうだよね?」
「ああ、そうだ。もし、大丈夫なら一緒に行ってくれると嬉しい」
「そうですか。では、お言葉に甘えて」

 どうやら、絢ちゃんは大丈夫そう。
 まさか、夏休みに絢ちゃんと一緒に旅行に行けることになるとは思わなかった。今年の夏休みはいつも以上に楽しいものになりそう。今からワクワクな気持ちになる。

「……何だか、今からもう家族が2人増えた感じだ」
「そうね」

 お父さんもお母さんも気が早い気がするけれど、絢ちゃんと奈央ちゃんが家族、か。そうなれるといいな。ううん、もうなっているのかも。
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