霧開けて、明暗

小島秋人

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三人目の嬢

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  三人目の嬢

 両性愛の有利を吹聴して回ろうと言う気概も無いが、自身の性格には合致した性の在り様とは自負している。人好きが高じた結果と言っても良いのだろう、『人と関わりを持つ事が人にとっての欣びである』と言う言葉が北欧神の箴言に記されているらしいが座右の銘にしたいと思う程だ。

 即物的な利点が有った事だけは確かだ、二人目の男との雑談の内に其れを明かすと顧客拡大の打診を受けた。其れこそ需要が有って堪るかと反言を返したが物は試しと早速方々に営業を掛け出す男。お呼びが無くとも私に責は無いぞと釘を刺したが、何処を如何探したのか物好きの当たりが何件か付くのに曜日の一回りは掛からなかった様な覚えが有る。

 そんな物好きの筆頭、顧客の平均年齢を四十其処そこに留めたのが嬢だった。加えて言うならば固定客の中で最て捻曲がった性癖の持ち主でも在る。今日の被虐嗜好に責任の大半を負って居られるとも付け加えておきたい。

 物理的な責めを伴う行為には相応に対価が求められていたが、どうも富祐な家庭の御令嬢と見えて毎度耳揃えて福沢を叩き付けて来た。床に散らばった其れ等を拾う私の頭を先ず足蹴にするのが嬢お気に入りの導入だった。紙幣の肖像と目が合う度人の上に人が在るぞと文句が浮かんでいた。

 私はぼつぼつ次の学種に上がる事が視野に入る頃合いに差し掛かっていた。嬢の歳の頃は知り得る機会が無かったが、どの角度から眺めても年上には見様が無かった。一体如何言った伝手で見繕って来たのかは今でも疑問だ。

 年上、或いはそう見える自身より肉体的に屈強な筈の男を物理的に下に敷き精神的に辱める事が愉しみだったのだろう。当時は未だ被虐の魅力に憑り憑かれて居なかった私が苦痛や恥辱に顔を歪めると邪気の無い、とはお世辞にも言い難い顔で悦んだ。何故自分の客はこんな手合い許りなのかと酷く自信を損なわされた。こと色恋事に際して自己評価が著しく低い事と此の頃の経験に深い因果関係を見ている。

 足蹴踏み敷かれるのは常の事、肛虐の経験が有ると知られてからは雑多な物品で責められ苦悶させられた。縛り上げられ鞭打たれ水を掛けられと散々に痛め付けられたが、真っ当な奉仕を求められる事も時々には有った。人語ではなく犬豚の様に鳴きながらしろと強要はされたが。

 中でも鮮烈に記憶に刷り込まれているのは、介護用品を着けて街歩きに付き合えと言われた事だ。傍目には微笑ましいデートを装いながら催した物をその場で出せと命じられた時には情けないが紅潮し落涙までしていた。

 バリエーションに富んだ波乱万丈の行為の数々に反し、終わりは呆気無く訪れた。仕事の都合での転居、良く有る話だと言うのに私にとっては此れ以上無い朗報だった。形許りにはしおらしげに別れを惜しむ態度で最後の指名に参上した私だったが、嬢は常の笑顔よりも幾許か柔和な其れで「今日は普通にしてよ」と告げた。事後の寝台には、赤黒い染みが残っていた。最後まで訳わかんねぇ人だった。
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