霧開けて、明暗

小島秋人

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八月の彼

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  八月の彼

 詮無い事と知りつつ、今際の彼を思わずにいられない事が度々に有る。猛暑に当てられて朦朧とする夏は勿論、肌寒さに寂寥を楽しむ秋冬も。まぁ春夏秋冬を巡って思わない時が無いのだが、其れは置いといて。

 有り様を俯瞰的に見る様な情景を組み立てるのは存外に難しい。病室の造りと言う物はそうそう違いも無いだろうが、取り囲う顔の並び順が想像に難い。必然、思考は彼の視界と脳裏に写り浮かぶ物に収束していく。

 管に繋がれた今際の痛々しさを目にせず済んだと言うのは、私よりも彼にとって都合の良い最期だったと言って良いのだろうか。本心の知る由も無いが、終始病床に呼びつけることなく逝った意図を勘繰るとすればその辺りと踏んでいる。

 心身を苛む苦痛から放たれた事も肯定的に受け取るべきか。生き意地汚くとも際限無い辛苦で在り方を損ねたとしても愛せる自信は有ったけれども、押し付けに過ぎないか。抑命を繋ぐ手が有ったればの前提が既に空しいとも思える。其れが手繰れなかった、ないし叶わずに終わった今日だろうに。

 詮無いと繰り返し乍らも思考の傾倒が止まった試しはここ十年余りに思い当たる時が無い。形こそは多少の変化を経ている自覚は有っても大筋で方向性は同一のままに流されているように思う。

 自身の末期について好意的であることも変わらない傾向の一つと言えた。心情的には大きく解脱が有ったことは間違いないが。彼岸渡りの報を受けて暫くは全くの悲観に因って自死の選択を己に迫っていた。実現に至らない臆病は自己嫌悪を更に加速させたが、諸般の都合に責任を押し付けて今日までをまんまと逃げ仰せている。こうして文字に起こす度に再燃する熱の昂りを禁じ得ない。

 受動的な自死に切り替え其れを喜びをもって迎える心持ちで余生を締め括ろうと悟って漸く暫時の赦しを自身に与えている。日に三合干して一箱喫んでも毎年の健康診断で影の一つ浮かぶ気配が無いのが何とも皮肉である。

 自分語りで濁す書き出しとなった。最後の夏を回顧する事に抵抗有っての事ではない、無意識的にどうか迄は定かでないが。思い返して哀楽何れが湧くか、美しい思い出である事だけは間違いないだろうと言い聞かせている。
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