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第7章
23.黒花乱舞
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ぽっかりと広がった穴の中に揺蕩うは、崇高で醜悪なドス黒い闇。
《状況が変わりましたので一度切ります。後で連絡するのでフェルたちはこちらに来ず待機しなさい!》
瞠目したフルードが最低限の言葉だけを伝えて念話を切る。
『ユフィー!』
緊迫したフレイムの声が響き、次の刹那には広く大きな背が目の前にあった。
『下がってろ』
鈍黒の彼方から、蠢く巨大な塊が迫り、幕の境界を越えて狼神の領域へ押し入る。不気味に波打つ黒い巨塊は宙で爆散し、無数の細かな紙片と化して瞬く間に虚空全体を席巻した。
ヒラリと舞い落ちた小さな黒片がかすめた壁が、ジュゥと煙を噴き上げる。そして、不吉な音と焦げたような腐臭を発しながら溶解した。強大な御稜威が膨張し、押し潰されそうな威圧が伸し掛かる。
「これは――!」
アマーリエは瞠目した。予想外のことが起こったという意味で。
(これはどういうこと? どうして……いえ待って、この気配は――まさかっ)
這い上がる嫌な予感に背筋が粟立つ。これは神威だ。それも、おそらく有色の。だが、開いた穴の奥から感じるこの気は――。目元に険を滲ませたフレイムが、横目でジロリと狼神を睨んだ。山吹色の眼差しを巡らせ、中空を一瞥して呟く。
『――花か』
アマーリエも結界越しに目を凝らした。開けた幕の向こうから押し寄せ、宙で四散した黒い塊。その正体は、無数の花弁の集合体だった。渦巻く大気の中、狂ったように乱舞している。
「ええ、神威の花びらだわ。けれど……神ご自身が放たれている御力ではないわ。――神器の力よ」
同意を返した自身の声は、驚くほど弱々しかった。神が直々に放つ御稜威と神器の力は、同じ神威でも波動や気配が似て非なる。聖威師となってかれこれ6年、先達やランドルフたちにみっちり鍛えられたことで、その区別も付けられるようになった。
アマーリエが正しく状況を読み取っていることを察したのだろう、頼れる夫が気遣いの目を向けてくれる。視界の端で、フルードも同様の表情を浮かべているのが見えた。
(あの子たちは一体何をしているの。何ということをしてくれたの。何ということを……)
項垂れそうになり、急いで気を引き締めて顔を上げる。今は俯いている場合ではない。責任を取らなければならない。大神官である自分が。視線を場に一巡させたフレイムが肩を竦める。
『攻撃性のある毒を持ってやがるな。……あーあ、神域に損害を与えちまった。これで有罪確定だ』
花弁が触れた天井と床、壁や調度品は、ブスブスと煙を上げながら溶け落ち、無残に腐食している。もしも衣や肌に当たれば、それらももれなく同じ運命を辿るだろう。
『で、ここの主様はどうなさるおつもりなんですかね』
自領を荒らされているにも関わらず何故対処しないのか。暗にそう問いかけながら狼神を見る。美貌を強張らせたフルードは既に上半身を起こしていたが、灰銀の神は動かない。悠然と前脚を付けて横になったままだ。
フルードの斜め前には、うっすら笑みを纏うラミルファが佇んでいる。宝玉を背にしながらアマーリエも視野に入れられる位置だ。
『傍観しているのではありませんぞ。私なりの慈悲のつもりなのですがなぁ』
『どうだか。んじゃあ実害を出しちまう前に、さっさとぶっ飛ばして止めてやってれば良かったじゃないですか。そしたらギリギリ未遂扱いにできたかもしれないのに』
『ふふ。それはそれで、神の手を煩わせたという咎になるのではないかな。それ以前に、ここに押し入ろうという意図を持って空間をこじ開けた――その事実を発生させてしまった時点で、侵入罪成立だ。もう手遅れだったと思うがね』
『あーそうかよ、分かった分かった。別にそれを論じたいわけじゃねえから。いずれにしてももう起こっちまったんだから、今更だしな』
双眸を眇めて嘯く狼神と、笑いを堪え切れないように口元に袖を当てている末の邪神。二柱へ気の無い流し目を送ったフレイムが、面倒臭そうにパッパと手を振る。ラミルファが歌うように言った。
『アマーリエも分かっているようだが、これは神が直々に放っている力ではない。神器によるものだ。だが、おかしいなぁ。神が天界で神器を持ち出すことは少ない。わざわざ道具を用いずとも、自分の神威を使えば良いだけの話だ』
もちろん例外は多々ある。満足のいく神器が出来たので自慢したい時には、天界でも出して見せたり使ったりする。神威を抑制することが暗黙の了解となっている地上へ降臨している時なども、補助的に用いたりする。
だが基本的には、自らの力を使えば事足りるのに、あえて道具を掲げることはない。
『聖威師とてそうだろう。聖威師は原則、霊具を使わない。もちろん時と場合にもよるだろうが、聖威が使えるのに格下の霊具に頼る必要はないからね』
「仰せの通りです……」
断頭台を登らされているような心地で、アマーリエは頷いた。ラミルファが短く口笛を吹いてから続ける。
『この神器は特別に出来が良いものでもなさそうだから、見せびらかしたいわけでもないだろう。はてさて、では何故、今こんな事態になっているのかな? 神は滅多に神器を使うことがないはずなのに』
《状況が変わりましたので一度切ります。後で連絡するのでフェルたちはこちらに来ず待機しなさい!》
瞠目したフルードが最低限の言葉だけを伝えて念話を切る。
『ユフィー!』
緊迫したフレイムの声が響き、次の刹那には広く大きな背が目の前にあった。
『下がってろ』
鈍黒の彼方から、蠢く巨大な塊が迫り、幕の境界を越えて狼神の領域へ押し入る。不気味に波打つ黒い巨塊は宙で爆散し、無数の細かな紙片と化して瞬く間に虚空全体を席巻した。
ヒラリと舞い落ちた小さな黒片がかすめた壁が、ジュゥと煙を噴き上げる。そして、不吉な音と焦げたような腐臭を発しながら溶解した。強大な御稜威が膨張し、押し潰されそうな威圧が伸し掛かる。
「これは――!」
アマーリエは瞠目した。予想外のことが起こったという意味で。
(これはどういうこと? どうして……いえ待って、この気配は――まさかっ)
這い上がる嫌な予感に背筋が粟立つ。これは神威だ。それも、おそらく有色の。だが、開いた穴の奥から感じるこの気は――。目元に険を滲ませたフレイムが、横目でジロリと狼神を睨んだ。山吹色の眼差しを巡らせ、中空を一瞥して呟く。
『――花か』
アマーリエも結界越しに目を凝らした。開けた幕の向こうから押し寄せ、宙で四散した黒い塊。その正体は、無数の花弁の集合体だった。渦巻く大気の中、狂ったように乱舞している。
「ええ、神威の花びらだわ。けれど……神ご自身が放たれている御力ではないわ。――神器の力よ」
同意を返した自身の声は、驚くほど弱々しかった。神が直々に放つ御稜威と神器の力は、同じ神威でも波動や気配が似て非なる。聖威師となってかれこれ6年、先達やランドルフたちにみっちり鍛えられたことで、その区別も付けられるようになった。
アマーリエが正しく状況を読み取っていることを察したのだろう、頼れる夫が気遣いの目を向けてくれる。視界の端で、フルードも同様の表情を浮かべているのが見えた。
(あの子たちは一体何をしているの。何ということをしてくれたの。何ということを……)
項垂れそうになり、急いで気を引き締めて顔を上げる。今は俯いている場合ではない。責任を取らなければならない。大神官である自分が。視線を場に一巡させたフレイムが肩を竦める。
『攻撃性のある毒を持ってやがるな。……あーあ、神域に損害を与えちまった。これで有罪確定だ』
花弁が触れた天井と床、壁や調度品は、ブスブスと煙を上げながら溶け落ち、無残に腐食している。もしも衣や肌に当たれば、それらももれなく同じ運命を辿るだろう。
『で、ここの主様はどうなさるおつもりなんですかね』
自領を荒らされているにも関わらず何故対処しないのか。暗にそう問いかけながら狼神を見る。美貌を強張らせたフルードは既に上半身を起こしていたが、灰銀の神は動かない。悠然と前脚を付けて横になったままだ。
フルードの斜め前には、うっすら笑みを纏うラミルファが佇んでいる。宝玉を背にしながらアマーリエも視野に入れられる位置だ。
『傍観しているのではありませんぞ。私なりの慈悲のつもりなのですがなぁ』
『どうだか。んじゃあ実害を出しちまう前に、さっさとぶっ飛ばして止めてやってれば良かったじゃないですか。そしたらギリギリ未遂扱いにできたかもしれないのに』
『ふふ。それはそれで、神の手を煩わせたという咎になるのではないかな。それ以前に、ここに押し入ろうという意図を持って空間をこじ開けた――その事実を発生させてしまった時点で、侵入罪成立だ。もう手遅れだったと思うがね』
『あーそうかよ、分かった分かった。別にそれを論じたいわけじゃねえから。いずれにしてももう起こっちまったんだから、今更だしな』
双眸を眇めて嘯く狼神と、笑いを堪え切れないように口元に袖を当てている末の邪神。二柱へ気の無い流し目を送ったフレイムが、面倒臭そうにパッパと手を振る。ラミルファが歌うように言った。
『アマーリエも分かっているようだが、これは神が直々に放っている力ではない。神器によるものだ。だが、おかしいなぁ。神が天界で神器を持ち出すことは少ない。わざわざ道具を用いずとも、自分の神威を使えば良いだけの話だ』
もちろん例外は多々ある。満足のいく神器が出来たので自慢したい時には、天界でも出して見せたり使ったりする。神威を抑制することが暗黙の了解となっている地上へ降臨している時なども、補助的に用いたりする。
だが基本的には、自らの力を使えば事足りるのに、あえて道具を掲げることはない。
『聖威師とてそうだろう。聖威師は原則、霊具を使わない。もちろん時と場合にもよるだろうが、聖威が使えるのに格下の霊具に頼る必要はないからね』
「仰せの通りです……」
断頭台を登らされているような心地で、アマーリエは頷いた。ラミルファが短く口笛を吹いてから続ける。
『この神器は特別に出来が良いものでもなさそうだから、見せびらかしたいわけでもないだろう。はてさて、では何故、今こんな事態になっているのかな? 神は滅多に神器を使うことがないはずなのに』
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