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第7章
55.魂魄浄化の儀
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「アマーリエ大神官!」
ミンディが声を漏らし、皆が食い入るように空を見上げた。遠目であっても見間違えるはずがない。苦境から這い上がった自分たちを温かく労い、丁寧に導いてくれる優しい師。リーリアやランドルフたちと並び、この世で最も尊敬している先達たちの一人。
滞空したアマーリエは優雅に袖を一振りすると、右手を天高くに掲げる。掌中に収束した聖威が花火のように散開し、揺らめく花吹雪として顕現した。浄化の儀の開始となる言霊が厳かに響く。
『我が手は天の御手。我が心は天の神慮。我が焔は天よりの浄火。さ迷える魂魄よ知れ、我が光が示す先は汝らが行くべき道であることを』
自分の思慮言動は神のそれだと宣言する文言は、神格を持つ天威師か聖威師にしか紡げない。人間であれば、例え主任神官であろうが副主任神官であろうが、はたまた世界王であろうが、己を神と同列に並べることは許されない。
赤い花片を纏うアマーリエが、浮遊する無数のドス黒い鬼火と戯れるようにして舞い始めた。その周囲には、キラキラと瞬く火の粉が爆ぜている。
「……ねえ……魂の色が完全に濁った黒になっちゃったら……高位の霊威師でも浄化できなくなるんだよね」
「そしたら悪霊に捕まって、地下に連れて行かれるしかなくなるって教わった……」
アンディと美種が、呆然とした声で、独りごちるように話している。完全に悪霊化した魂は救われる道を閉ざされ、遅かれ早かれその気配を嗅ぎ付けて出て来る悪霊に捕獲され、地下行きとなる。
「お空の火の玉さん、みんな真っ黒になっちゃってる……のに……」
美種が呟いた。空に蠢く無数の鬼火は、インクを流したような黒色をしていた。神官としての経験が浅い自分たちでもはっきり分かる。これは間違いなく手遅れの段階だと。
そして、だからこそ有り得ないことが起きている光景に、目が釘付けになる。
「――真っ黒なはずなのに……火の玉さんたち、浄化されてる。もう間に合わないはずなのに」
アマーリエが軽やかに宙を滑り、艶麗に舞い踊るたびに、紅葉色の煌めきが走る。美しくも力強い生命の輝きを浴び、死滅しかかっていた人世が息を吹き返した。風が吹き、草花が蘇り、水が湧き上がる。再起を示す世界の鼓動。それらは互いに重なり調和し織り成され、一つの調べとして奏でられた。
自然がもたらす天然の楽の音に合わせ、赤い花弁の輝きを羽衣のように纏ったアマーリエが、黒の黙の中を壮麗に舞う。
鮮やかな紅葉色の火の粉が閃くたび、鬼火と完全に一体化していたドブのような穢れが自然に剥がれ落ち、塵も残さず宙に溶け消えていく。
浄火の禊を受けて漂白された魂がキラキラとした輝きを取り戻し、火の粉と同じ色に染め上げられて共に踊る。
「……ああ――」
それは余りにも美しすぎる眺望だった。吐息のように呟いたのは一体誰だったか。見開いた双眸からしとどに涙が溢れ出す。雄大な自然の絶景を前にした時よりも、果てなき宙に満ちる銀の川を見上げた時よりも、なお強く深い感銘。
幽玄の美の極致と言えるものがそこにあった。
いつしか黒い鬼火は消え去り、淡く美しい蛍火と化した無垢な魂だけが、焔に選ばれた愛し子と共に戯れていた。
アマーリエが優雅に繊手を回転させる。閃いた軌跡に沿って描かれた赤い輪が、浄化された魂を包み込んで廻り出した。星が瞬くような鱗粉を零す輪は、紅葉色の輝きと共にくるくると巡り、内に抱かれた魂たちは導かれるようにその流れの奥に消えていった。
「転生、した――」
大樹がポツリと声を漏らす。おおよそ信じられない光景に、感嘆の吐息すら出ない。もはや進むことも戻ることもできず、暗黒の地下に招かれるまで哀しく惑い続けるはずであった数多の魂は、一つ残らず救われたのだ。
まさに奇跡、ただ圧巻の一言であった。
黒が一掃された空には青が復活し、どこまでも晴れ渡る蒼穹が、赤き女神の浮かぶ高みに広がっていた。
一方、魂を導き終わった輪は輝く砂となって砕け始め、アマーリエはぱたりと動きを止めた。姿勢を正し、次の世に進んで行った魂たちに敬意を表するように目礼する。
その直後、ざぁと輪が崩れた。風が光の砂粒を舞い上げ、大気に散らす。赤い天河が虚空に満ち、星影が地上に落ちて来たような幻想的な風景の中で、アマーリエは自信と誇りに満ちた笑みを浮かべ、任務の完遂を告げるかのごとく頭上に腕を掲げた。
今度は、歓声も喝采も起こらなかった。針が落ちる音すら聞こえそうな静寂の中、誰もが呼吸すら忘れ、ただ忘我の境地で焔の女神の麗姿を眺めていた。
ミンディが声を漏らし、皆が食い入るように空を見上げた。遠目であっても見間違えるはずがない。苦境から這い上がった自分たちを温かく労い、丁寧に導いてくれる優しい師。リーリアやランドルフたちと並び、この世で最も尊敬している先達たちの一人。
滞空したアマーリエは優雅に袖を一振りすると、右手を天高くに掲げる。掌中に収束した聖威が花火のように散開し、揺らめく花吹雪として顕現した。浄化の儀の開始となる言霊が厳かに響く。
『我が手は天の御手。我が心は天の神慮。我が焔は天よりの浄火。さ迷える魂魄よ知れ、我が光が示す先は汝らが行くべき道であることを』
自分の思慮言動は神のそれだと宣言する文言は、神格を持つ天威師か聖威師にしか紡げない。人間であれば、例え主任神官であろうが副主任神官であろうが、はたまた世界王であろうが、己を神と同列に並べることは許されない。
赤い花片を纏うアマーリエが、浮遊する無数のドス黒い鬼火と戯れるようにして舞い始めた。その周囲には、キラキラと瞬く火の粉が爆ぜている。
「……ねえ……魂の色が完全に濁った黒になっちゃったら……高位の霊威師でも浄化できなくなるんだよね」
「そしたら悪霊に捕まって、地下に連れて行かれるしかなくなるって教わった……」
アンディと美種が、呆然とした声で、独りごちるように話している。完全に悪霊化した魂は救われる道を閉ざされ、遅かれ早かれその気配を嗅ぎ付けて出て来る悪霊に捕獲され、地下行きとなる。
「お空の火の玉さん、みんな真っ黒になっちゃってる……のに……」
美種が呟いた。空に蠢く無数の鬼火は、インクを流したような黒色をしていた。神官としての経験が浅い自分たちでもはっきり分かる。これは間違いなく手遅れの段階だと。
そして、だからこそ有り得ないことが起きている光景に、目が釘付けになる。
「――真っ黒なはずなのに……火の玉さんたち、浄化されてる。もう間に合わないはずなのに」
アマーリエが軽やかに宙を滑り、艶麗に舞い踊るたびに、紅葉色の煌めきが走る。美しくも力強い生命の輝きを浴び、死滅しかかっていた人世が息を吹き返した。風が吹き、草花が蘇り、水が湧き上がる。再起を示す世界の鼓動。それらは互いに重なり調和し織り成され、一つの調べとして奏でられた。
自然がもたらす天然の楽の音に合わせ、赤い花弁の輝きを羽衣のように纏ったアマーリエが、黒の黙の中を壮麗に舞う。
鮮やかな紅葉色の火の粉が閃くたび、鬼火と完全に一体化していたドブのような穢れが自然に剥がれ落ち、塵も残さず宙に溶け消えていく。
浄火の禊を受けて漂白された魂がキラキラとした輝きを取り戻し、火の粉と同じ色に染め上げられて共に踊る。
「……ああ――」
それは余りにも美しすぎる眺望だった。吐息のように呟いたのは一体誰だったか。見開いた双眸からしとどに涙が溢れ出す。雄大な自然の絶景を前にした時よりも、果てなき宙に満ちる銀の川を見上げた時よりも、なお強く深い感銘。
幽玄の美の極致と言えるものがそこにあった。
いつしか黒い鬼火は消え去り、淡く美しい蛍火と化した無垢な魂だけが、焔に選ばれた愛し子と共に戯れていた。
アマーリエが優雅に繊手を回転させる。閃いた軌跡に沿って描かれた赤い輪が、浄化された魂を包み込んで廻り出した。星が瞬くような鱗粉を零す輪は、紅葉色の輝きと共にくるくると巡り、内に抱かれた魂たちは導かれるようにその流れの奥に消えていった。
「転生、した――」
大樹がポツリと声を漏らす。おおよそ信じられない光景に、感嘆の吐息すら出ない。もはや進むことも戻ることもできず、暗黒の地下に招かれるまで哀しく惑い続けるはずであった数多の魂は、一つ残らず救われたのだ。
まさに奇跡、ただ圧巻の一言であった。
黒が一掃された空には青が復活し、どこまでも晴れ渡る蒼穹が、赤き女神の浮かぶ高みに広がっていた。
一方、魂を導き終わった輪は輝く砂となって砕け始め、アマーリエはぱたりと動きを止めた。姿勢を正し、次の世に進んで行った魂たちに敬意を表するように目礼する。
その直後、ざぁと輪が崩れた。風が光の砂粒を舞い上げ、大気に散らす。赤い天河が虚空に満ち、星影が地上に落ちて来たような幻想的な風景の中で、アマーリエは自信と誇りに満ちた笑みを浮かべ、任務の完遂を告げるかのごとく頭上に腕を掲げた。
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