596 / 601
第8章
36.本心は抹消される 後編
しおりを挟む
自分より先に神に気に入られそうになるからこうなるのだ、当然の罰を与えてやっただけだと、ウォーロックは考えた。心の奥の声が、それは違うと叫んでいても。ああそうだ、もう少し立場をわきまえて大人しくしていれば、こんなことにはならなかったものを。
(ミスティーナは思っていたより賢くないのかもしれない。だが、誰しも足りない部分はある。彼女に未熟な点があるならば、自分がこれからしっかり躾けてやれば良いだけの話だ。あの時はそう思った)
胸の奥で歪にとぐろを巻く、作り物の欲情。喜悦に歪んだ笑みを浮かべていたウォーロックだが、事はそう上手く運ばなかった。
(なのに……またも兄が邪魔をした。池の側を通りかかったアイツがミスティーナを手伝い、金剛神様に取りなしてしまった。それは全て、私が出て行ってしようと思っていたことだったのに)
疲労が溜まっていたアルシオが、気分転換をしようと朝ぼらけの神苑を散策していた折にミスティーナを見付け、事情を聞くなり共にブローチを探し始めたのだ。大精霊ともあろう者が、自ら池に入ってまで。そして、神威で探し物を見付け出した。
だが、ブローチは無残に破損しており、金剛神から指定された期日も迫っていたため、今から作り直すことは不可能だった。
神の力で生み出されたダイヤは無傷だったことから、時間を止めた部屋の中などで再作製すれば望みはあったかもしれないが、そもそも池に落とした物をあしらった品など神に献上できるはずはない。他の神の贈り物にする品であればなおさらだ。何かの拍子に過去視でもされてそのことが露見すれば、高確率で不興を買う。
ミスティーナは、神への不誠実はできぬと言い、主神に全てを報告した。自身の不用意な行動により、お預かりしていた宝石を池に落とし汚してしまった。綺麗に洗ったとしても、一度汚してしまった物を水晶神への贈り物に使うことはできない。それらを告げて陳謝した。
同行したアルシオも共に頭を下げた。ミスティーナが主神から大命を受けていたことは、大精霊として知っていた。奮起と重圧の狭間に置かれた彼女が、通常通りの精神力と判断力を維持することは難しいと予想できたのに、彼女へ気を回すことを怠った自分の責任でもある。そう言い、ミスティーナと共に跪いて謝罪した。
(金剛神様は叱責なさらず、罰も与えなかった。落としてしまったならば仕方ない、水晶神への贈り物は他の物を用意するとだけ返したらしい。だが、ミスティーナは自ら配置換えを望んで金剛神付きを辞し、共有領域の担当に回された)
ミスティーナから再度の詫びと辞去の挨拶を受けた金剛神は、自身から去るミスティーナを止めなかった。そしてポツリとこう漏らしたそうだ。此度の神命を果たせたならば、お前を我が愛し子に迎えることも考えていたのだが、こうなった以上それは白紙だ、と。
それを聞いたミスティーナは、金剛神の神域から出た後で涙を流した。主神の期待と信頼を裏切ってしまったことへの申し訳なさ、過失を犯した自分自身への失望、そして全使役が希求する至上の幸福――愛し子に迎え入れられて正式な神となる奇跡――を手に入れる千載一遇の好機を不意にしてしまったことへの悲嘆だった。
隣にどれだけ青い芝生が広がっていようとも、妬みや羨みを抱くことなく……深層心理では抱いたとしても決して表に出すことはなく、己の芝を精一杯育て、自己研鑽に励んで来たミスティーナ。そんな彼女にも、期待や希望、悔しさという感情はあった。嬉しいことがあれば喜び笑い、悲しいことがあれば悩み傷付く、等身大の存在だった。
(彼女が泣いている様を遠視で確認した私は安堵した。危うく先を越されるところだったのだからな。このような好機などもう永劫に巡って来ない。それは彼女自身も分かっていただろう。胸が空く思いだった。だが、忌々しいのはここからだった)
ウォーロックが完全に出鼻をくじかれてしまったこの時を境に、アルシオとミスティーナの距離が急接近した。
ミスティーナにもっと気を配ってやれば良かったと悔やむアルシオは、何くれとなく彼女の世話を焼くようになり、他の者には決して向けない蕩けるような甘い態度を取るようになった。一度は深く落胆したミスティーナも、また前を向いて職務に励み始めた。
そして、気が付けば彼らは結ばれ、ついには優秀な子どもまで授かった。
シルファール・アディ。ミスティーナが元人間の帝国人であり、秘め名を持っていたことに感化されたアルシオが、彼女の血を引く我が子にもアディという秘め名を与えた。
桁違いの霊威、卓越した知能、傑出した実務力、強靭な意思、並外れた聡明さ、清廉な精神。父母の長所を余すところなく受け継いだ、末恐ろしい麒麟児。それもまたウォーロックの嫉妬を掻き立てた。
ああ、自分とミスティーナが結ばれていれば、シルファールは私の子として生まれていたはずだったのに。いや、シルファールなどよりもっと優秀で出来の良い子が誕生していたはずなのに。
(アイツが私からミスティーナを取り上げた。アイツの立場には私がいるはずだったのに)
大精霊の地位も、神々の注目も、ミスティーナも、彼女との子も。アルシオは全てウォーロックから奪っていった。
(だから、私は誓ったんだ。私という者がありながら他の男によろめいたミスティーナには罰を与えなければならない。そしてアルシオ――お前が持つ幸福全てを、粉々に砕いてやるとな)
違う、そんなことをしてはいけないと叫ぶ心の声は、自身で知覚できる表層まで上がって来る前にかき消され、無かったことにされてしまった。
(ミスティーナは思っていたより賢くないのかもしれない。だが、誰しも足りない部分はある。彼女に未熟な点があるならば、自分がこれからしっかり躾けてやれば良いだけの話だ。あの時はそう思った)
胸の奥で歪にとぐろを巻く、作り物の欲情。喜悦に歪んだ笑みを浮かべていたウォーロックだが、事はそう上手く運ばなかった。
(なのに……またも兄が邪魔をした。池の側を通りかかったアイツがミスティーナを手伝い、金剛神様に取りなしてしまった。それは全て、私が出て行ってしようと思っていたことだったのに)
疲労が溜まっていたアルシオが、気分転換をしようと朝ぼらけの神苑を散策していた折にミスティーナを見付け、事情を聞くなり共にブローチを探し始めたのだ。大精霊ともあろう者が、自ら池に入ってまで。そして、神威で探し物を見付け出した。
だが、ブローチは無残に破損しており、金剛神から指定された期日も迫っていたため、今から作り直すことは不可能だった。
神の力で生み出されたダイヤは無傷だったことから、時間を止めた部屋の中などで再作製すれば望みはあったかもしれないが、そもそも池に落とした物をあしらった品など神に献上できるはずはない。他の神の贈り物にする品であればなおさらだ。何かの拍子に過去視でもされてそのことが露見すれば、高確率で不興を買う。
ミスティーナは、神への不誠実はできぬと言い、主神に全てを報告した。自身の不用意な行動により、お預かりしていた宝石を池に落とし汚してしまった。綺麗に洗ったとしても、一度汚してしまった物を水晶神への贈り物に使うことはできない。それらを告げて陳謝した。
同行したアルシオも共に頭を下げた。ミスティーナが主神から大命を受けていたことは、大精霊として知っていた。奮起と重圧の狭間に置かれた彼女が、通常通りの精神力と判断力を維持することは難しいと予想できたのに、彼女へ気を回すことを怠った自分の責任でもある。そう言い、ミスティーナと共に跪いて謝罪した。
(金剛神様は叱責なさらず、罰も与えなかった。落としてしまったならば仕方ない、水晶神への贈り物は他の物を用意するとだけ返したらしい。だが、ミスティーナは自ら配置換えを望んで金剛神付きを辞し、共有領域の担当に回された)
ミスティーナから再度の詫びと辞去の挨拶を受けた金剛神は、自身から去るミスティーナを止めなかった。そしてポツリとこう漏らしたそうだ。此度の神命を果たせたならば、お前を我が愛し子に迎えることも考えていたのだが、こうなった以上それは白紙だ、と。
それを聞いたミスティーナは、金剛神の神域から出た後で涙を流した。主神の期待と信頼を裏切ってしまったことへの申し訳なさ、過失を犯した自分自身への失望、そして全使役が希求する至上の幸福――愛し子に迎え入れられて正式な神となる奇跡――を手に入れる千載一遇の好機を不意にしてしまったことへの悲嘆だった。
隣にどれだけ青い芝生が広がっていようとも、妬みや羨みを抱くことなく……深層心理では抱いたとしても決して表に出すことはなく、己の芝を精一杯育て、自己研鑽に励んで来たミスティーナ。そんな彼女にも、期待や希望、悔しさという感情はあった。嬉しいことがあれば喜び笑い、悲しいことがあれば悩み傷付く、等身大の存在だった。
(彼女が泣いている様を遠視で確認した私は安堵した。危うく先を越されるところだったのだからな。このような好機などもう永劫に巡って来ない。それは彼女自身も分かっていただろう。胸が空く思いだった。だが、忌々しいのはここからだった)
ウォーロックが完全に出鼻をくじかれてしまったこの時を境に、アルシオとミスティーナの距離が急接近した。
ミスティーナにもっと気を配ってやれば良かったと悔やむアルシオは、何くれとなく彼女の世話を焼くようになり、他の者には決して向けない蕩けるような甘い態度を取るようになった。一度は深く落胆したミスティーナも、また前を向いて職務に励み始めた。
そして、気が付けば彼らは結ばれ、ついには優秀な子どもまで授かった。
シルファール・アディ。ミスティーナが元人間の帝国人であり、秘め名を持っていたことに感化されたアルシオが、彼女の血を引く我が子にもアディという秘め名を与えた。
桁違いの霊威、卓越した知能、傑出した実務力、強靭な意思、並外れた聡明さ、清廉な精神。父母の長所を余すところなく受け継いだ、末恐ろしい麒麟児。それもまたウォーロックの嫉妬を掻き立てた。
ああ、自分とミスティーナが結ばれていれば、シルファールは私の子として生まれていたはずだったのに。いや、シルファールなどよりもっと優秀で出来の良い子が誕生していたはずなのに。
(アイツが私からミスティーナを取り上げた。アイツの立場には私がいるはずだったのに)
大精霊の地位も、神々の注目も、ミスティーナも、彼女との子も。アルシオは全てウォーロックから奪っていった。
(だから、私は誓ったんだ。私という者がありながら他の男によろめいたミスティーナには罰を与えなければならない。そしてアルシオ――お前が持つ幸福全てを、粉々に砕いてやるとな)
違う、そんなことをしてはいけないと叫ぶ心の声は、自身で知覚できる表層まで上がって来る前にかき消され、無かったことにされてしまった。
0
あなたにおすすめの小説
結婚十年目の夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。彼は「送り間違えた」というけれど、それはそれで問題なのでは?
ぽんた
恋愛
レミ・マカリスター侯爵夫人は、夫と政略結婚をして十周年。侯爵夫人として、義父母の介護や領地経営その他もろもろを完ぺきにこなしている。そんなある日、王都に住む夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。義弟を通じ、夫を追求するも夫は「送り間違えた。ほんとうは金を送れというメモを送りたかった」という。レミは、心から思った。「それはそれで問題なのでは?」、と。そして、彼女の夫にたいするざまぁがはじまる。
※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。
婚約破棄から50年後
あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで、王子が婚約者に婚約破棄を宣言した。王子は真に愛する女性と結ばれ、めでたしめでたし。
そして50年後、王子の孫の王子は、婚約破棄された女性の孫と婚約する事に。そこで明かされた婚約破棄の真実とは。
できない子に転生しましたが、家族と食卓があれば十分です ―人間不信だった私が、ゆっくり育つ異世界生活―
愛朱ひいろ
ファンタジー
人の顔色ばかり伺い、心を壊した26歳の会社員女性。
彼女は死後、異世界で「できない子」として転生する。
魔法は使えない。
体は不器用で、成長も人より遅い。
前世の記憶のせいで、人と関わることが少し怖い。
けれどこの世界には、
見守り支えてくれる両親と、
あたたかい食卓があった。
泣いて、つまずいて、できないことに落ち込みながら、
彼女は少しずつ「できないままでも、生きていていい」と知っていく。
これは、
最強でもチートでもない主人公が、
家族と食事に支えられながら、ゆっくり育ち直す
生活密着型・異世界転生×成長×グルメファンタジー。
……の、予定です。
毎日更新できるように執筆がんばります!
侯爵令嬢ソフィアの結婚
今野綾
恋愛
ソフィアは希少なグリーンアイを持つヴィンセントと結婚したが、これは金が欲しいソフィアの父の思惑と高い爵位が欲しいヴィンセントの思惑が一致したからに過ぎない
そもそもヴィンセントには美しい恋人がいる
美男美女と名高いヴィンセントとその恋人は身分に大きな差があるために結婚することは叶わないのだ
その事をソフィアも耳にしており、この結婚が形ばかりのものであることを知っていた
結婚して早々、ソフィアは実家から連れてきた侍女夫婦とあばら家に住むように言われて…
表紙はかなさんです✨
ありがとうございます😊
2024.07.05
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。
灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。
曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。
婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。
前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。
ローザリンデの第二の人生
梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。
彼には今はもういない想い人がいた。
私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。
けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。
あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。
吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。
※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)
1/10 HOTランキング3位、ありがとうございます。
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる