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第2章
62.泡神は煮え切らない
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『ほう、珍しく出迎えの姿勢がなっているではないか』
突如として乱入した邪霊が機嫌良く言う。床に平伏しているリーリアが、自分に対して礼を尽くしていると勘違いしているようだ。
『中央本府とやらは結界が強力でな、我が力をもってしてもお前を探すのに手こずった。レアナ、夕食の手配はどうした。さっさと我が御食を整えぬか!』
「ゲイル様、あなたの食事など用意するはずがありませんでしょう」
一瞬怯えたように肩を跳ね上げながらも、顔を上げたリーリアは震える声で返した。込み上がる恐怖を押しのけ、相手を迎え撃とうとしている。
『何? 主神に向かってその口の利き方はなんだ!?』
「主神ですって? 嘘ばっかり。あなたは邪霊なのでしょう。邪霊の王子なのですってね。もう全て分かっておりますのよ。我が力というのも、本当は神器の神威を借りているだけなのでしょう?」
緑の目に真っ直ぐ見据えられた邪霊――ゲイルは、一瞬言葉に詰まって押し黙った。だが、すぐに威勢を取り戻す。
『ふん……バレてしまったか。だがレアナ、お前はもう少し良い夢を見ていた方が良かったのだぞ』
整った顔が醜悪な笑みを刻んだ。
『私に指輪をもらって幾日が経過したか覚えているか? お前はもはや天には昇れぬ。我が妻となり、邪霊の住む地下世界で、永久に添い遂げる運命なのだ』
そして、老夫婦に憑いていた男女の邪霊に目をやり、誇らしげに胸を張って言う。
『少し手違いが重なり、父上がお膳立てして下さった婚姻を蹴ってしまってな。自分で代わりの妻を探せと命じられているのだ。レアナは人間だが、霊威も容姿も作法も申し分ない。父上も納得されるだろう。これで大手を振って地下に帰れる!』
代わりの嫁のアテが付いたので、堂々と姿を現したということらしい。父王と配下の邪霊たちがゲイルを追っているのは、連れ戻すためではなく神器を取り戻すためなのだが、今一つ理解できていないようだ。
「…………」
リーリアの眼差しが揺らぐ。ぎゅっと両の手を握りしめたまま、それでも弱さだけは見せまいとするように邪霊を睨み、次いでそっとフロースに視線を移した。
「大丈夫だよ、リーリア。私があなたを救ってみせる」
フロースが優しく微笑んだ。その瞳を見て、アマーリエはフレイムの推測が正しいことを直感する。これは間違いなく、愛しい者に向ける視線だ。
『は? 何だお前は?』
ここでようやく、ゲイルが神々の存在に気付いた。遅すぎである。滲み出る神威で素性を察したか、焦った様子で場を見渡している。次の瞬間、ゲイルを睨んでいた男女の邪霊が動き、彼を取り押さえた。
『な、何をするか!?』
『何をするはこちらの台詞です。神に向かってお前呼ばわりとは何事ですか!』
男の邪霊が厳しい口調で叱責し、女の邪霊も抑揚のない声を発する。
『殿下におかれましては、ご自身の状況がお分かりではないご様子。我らが王は、もはやあなたのことは息子とは思わぬと仰せです。至宝たる神器を持ち出すなど言語道断。手荒な手段を用いてでも連れ戻せ、最悪の場合、神器を取り戻せれば生死は問わぬとのご意向です』
『なっ……そ、そんな。父上が……』
言葉を失うゲイルに、フロースが静かに言った。
「曲がりなりにも邪霊の王子なら知っているだろう。地下行きには代価の他にもう一つ免除方法がある。神に選ばれた場合は天に昇ることができると。私はリーリアを選ぶ」
邪霊の末王子が目を剥いた。金髪碧眼の変化を解いたフロースが、神々しい御稜威を纏いながら宣言する。
『私はリーリアを――』
(良かった、これでリーリア様の件は落着だわ)
胸をなで下ろすアマーリエ。だが、
『……神使にしようかなと思っている』
いきなり自信なさげになった後半の台詞を聞いて、ズルッとこけた。
(えっ、し、神使? 愛し子ではなくて!?)
「何でだよ……」
隣で固唾を呑んで見守っていたフレイムも、頭を抱えて呻く。
その瞬間、空間が波紋を描き、フルードとラミルファが現れた。
オーブリーがギョッと目を剥き、大神官兄弟を交互に見つめる。もしかしたら、アリステルをフルードだと思い込んでいたのかもしれない。だが、ウェイブが放つ圧に呑まれ、言葉を発せないでいる。
『セイ――』
狼神が一瞬表情を輝かせたが、すぐにハッとした様子になり、クルルッと尾を巻いて丸くなり直した。〝私はこんなにも拗ねている!〟という猛アピールである。
「焔神様、遅参してしまい申し訳ありません」
ラミルファがフロースとウェイブにヒラヒラ手を振り、二神がにこやかに応じている間に、フルードはフレイムに声をかけた。山吹色の目が驚きで丸くなり、灰銀の塊が硬直する。
「あ、あぁ。それよりセイン……」
生返事で頷いたフレイムが狼神を指すが、フルードはフロースとウェイブにも挨拶をした。
「波神様、泡神様。到着が遅れましたことを心よりお詫び申し上げます」
華麗にスルーされたフレイムの指が虚しく宙にぶら下がり、ウェイブが困ったように笑う。
『パパさん、来てしまったのだな。葬邪神様に遠ざけてくれるよう頼んでいたのだが』
『案じずとも、フルードはオーブリーを庇わない。僕が確認した』
ラミルファがさらりとフォローした。
『先ほど、葬邪神様からも同じ内容の念話が来た。フルードが取りなそうとする心配はないから行かせる、と。此奴を庇わぬならばいても構わない』
首肯したウェイブは、フロースと顔を見合わせてから、再び口を開いた。
『それよりもだ。パパさん、あちらが……』
そして、水神兄弟で狼神の方を指差す。ウェイブの横に立つランドルフも、口パクで『狼神様、狼神様!』と伝えている。だが、フルードは全て綺麗に受け流し、アマーリエに声をかけた。
「アマーリエ、お待たせしてすみません」
「フ、フルード様……」
(まず狼神様へ挨拶しなくては。主神が一番先でしょう!?)
軽くパニクるアマーリエを見かねたか、ラミルファへの礼を終えたアリステルが声をかけた。暗い海底に満ちる青と同じ色をした瞳が、静かに瞬く。
「フルード、何をしている。狼神様へのご挨拶はどうした」
「……狼神様?」
明るく煌めく海面の青が、兄の視線の先を見つめた。
「どこに狼神様がいるのです? 巨大な毛玉は落ちていますが」
(きょ、巨大な毛玉……)
アマーリエたちが絶句する中、ラミルファがくっくと双肩を震わせて言った。
『抜き打ち試験を課すような意地の悪い主神など知りません、とのことですよ。あーあ、嫌われたのではありませんかぁ?』
ぶわわわわ、と灰銀の塊が揺れた。こうなると毬藻か針鼠だ。
『狼神様、ここはあなたからお謝りになるべきです』
『セ、セ、セイン!』
続けて放たれた邪神の言葉に、毛玉が解けた。顔を見せた狼神が、大慌てで愛し子に駆け寄り、尾で包み込んで擦り寄る。
『セイン、すまなかった! この通りだ、機嫌を直しておくれ!』
「わー、焔神様見て下さい。毛玉が動いて喋ってますよ。すごいですねー」
「…………ぉ、ぉぅ…………」
『セインー!』
愛し子と主神の痴話喧嘩に巻き込まれたフレイムがタジタジとなっている。
『おや、リーリアの邪霊がいるじゃないか』
ラミルファが呟き、神威に圧されて言動を封じられていたゲイルが身を強張らせた。ウェイブが応じる。
『ああ。此奴はリーリアを地下に連れて行くと主張している。だが、フロースがリーリアを選び昇天させるつもりのようだ。とはいえ、神使にしようかと思っている、という半端な言い方をした』
『ほぅ、それはそれは。まだ自分の心を自覚し切れていないのか、勇気が出ないだけなのか』
邪神の灰緑の双眸が面白そうに弧を描き、ウェイブが促した。
『フロース、半端な言い方ではなく断定せねば。神使にするのか、しないのか、どちらだ』
突如として乱入した邪霊が機嫌良く言う。床に平伏しているリーリアが、自分に対して礼を尽くしていると勘違いしているようだ。
『中央本府とやらは結界が強力でな、我が力をもってしてもお前を探すのに手こずった。レアナ、夕食の手配はどうした。さっさと我が御食を整えぬか!』
「ゲイル様、あなたの食事など用意するはずがありませんでしょう」
一瞬怯えたように肩を跳ね上げながらも、顔を上げたリーリアは震える声で返した。込み上がる恐怖を押しのけ、相手を迎え撃とうとしている。
『何? 主神に向かってその口の利き方はなんだ!?』
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緑の目に真っ直ぐ見据えられた邪霊――ゲイルは、一瞬言葉に詰まって押し黙った。だが、すぐに威勢を取り戻す。
『ふん……バレてしまったか。だがレアナ、お前はもう少し良い夢を見ていた方が良かったのだぞ』
整った顔が醜悪な笑みを刻んだ。
『私に指輪をもらって幾日が経過したか覚えているか? お前はもはや天には昇れぬ。我が妻となり、邪霊の住む地下世界で、永久に添い遂げる運命なのだ』
そして、老夫婦に憑いていた男女の邪霊に目をやり、誇らしげに胸を張って言う。
『少し手違いが重なり、父上がお膳立てして下さった婚姻を蹴ってしまってな。自分で代わりの妻を探せと命じられているのだ。レアナは人間だが、霊威も容姿も作法も申し分ない。父上も納得されるだろう。これで大手を振って地下に帰れる!』
代わりの嫁のアテが付いたので、堂々と姿を現したということらしい。父王と配下の邪霊たちがゲイルを追っているのは、連れ戻すためではなく神器を取り戻すためなのだが、今一つ理解できていないようだ。
「…………」
リーリアの眼差しが揺らぐ。ぎゅっと両の手を握りしめたまま、それでも弱さだけは見せまいとするように邪霊を睨み、次いでそっとフロースに視線を移した。
「大丈夫だよ、リーリア。私があなたを救ってみせる」
フロースが優しく微笑んだ。その瞳を見て、アマーリエはフレイムの推測が正しいことを直感する。これは間違いなく、愛しい者に向ける視線だ。
『は? 何だお前は?』
ここでようやく、ゲイルが神々の存在に気付いた。遅すぎである。滲み出る神威で素性を察したか、焦った様子で場を見渡している。次の瞬間、ゲイルを睨んでいた男女の邪霊が動き、彼を取り押さえた。
『な、何をするか!?』
『何をするはこちらの台詞です。神に向かってお前呼ばわりとは何事ですか!』
男の邪霊が厳しい口調で叱責し、女の邪霊も抑揚のない声を発する。
『殿下におかれましては、ご自身の状況がお分かりではないご様子。我らが王は、もはやあなたのことは息子とは思わぬと仰せです。至宝たる神器を持ち出すなど言語道断。手荒な手段を用いてでも連れ戻せ、最悪の場合、神器を取り戻せれば生死は問わぬとのご意向です』
『なっ……そ、そんな。父上が……』
言葉を失うゲイルに、フロースが静かに言った。
「曲がりなりにも邪霊の王子なら知っているだろう。地下行きには代価の他にもう一つ免除方法がある。神に選ばれた場合は天に昇ることができると。私はリーリアを選ぶ」
邪霊の末王子が目を剥いた。金髪碧眼の変化を解いたフロースが、神々しい御稜威を纏いながら宣言する。
『私はリーリアを――』
(良かった、これでリーリア様の件は落着だわ)
胸をなで下ろすアマーリエ。だが、
『……神使にしようかなと思っている』
いきなり自信なさげになった後半の台詞を聞いて、ズルッとこけた。
(えっ、し、神使? 愛し子ではなくて!?)
「何でだよ……」
隣で固唾を呑んで見守っていたフレイムも、頭を抱えて呻く。
その瞬間、空間が波紋を描き、フルードとラミルファが現れた。
オーブリーがギョッと目を剥き、大神官兄弟を交互に見つめる。もしかしたら、アリステルをフルードだと思い込んでいたのかもしれない。だが、ウェイブが放つ圧に呑まれ、言葉を発せないでいる。
『セイ――』
狼神が一瞬表情を輝かせたが、すぐにハッとした様子になり、クルルッと尾を巻いて丸くなり直した。〝私はこんなにも拗ねている!〟という猛アピールである。
「焔神様、遅参してしまい申し訳ありません」
ラミルファがフロースとウェイブにヒラヒラ手を振り、二神がにこやかに応じている間に、フルードはフレイムに声をかけた。山吹色の目が驚きで丸くなり、灰銀の塊が硬直する。
「あ、あぁ。それよりセイン……」
生返事で頷いたフレイムが狼神を指すが、フルードはフロースとウェイブにも挨拶をした。
「波神様、泡神様。到着が遅れましたことを心よりお詫び申し上げます」
華麗にスルーされたフレイムの指が虚しく宙にぶら下がり、ウェイブが困ったように笑う。
『パパさん、来てしまったのだな。葬邪神様に遠ざけてくれるよう頼んでいたのだが』
『案じずとも、フルードはオーブリーを庇わない。僕が確認した』
ラミルファがさらりとフォローした。
『先ほど、葬邪神様からも同じ内容の念話が来た。フルードが取りなそうとする心配はないから行かせる、と。此奴を庇わぬならばいても構わない』
首肯したウェイブは、フロースと顔を見合わせてから、再び口を開いた。
『それよりもだ。パパさん、あちらが……』
そして、水神兄弟で狼神の方を指差す。ウェイブの横に立つランドルフも、口パクで『狼神様、狼神様!』と伝えている。だが、フルードは全て綺麗に受け流し、アマーリエに声をかけた。
「アマーリエ、お待たせしてすみません」
「フ、フルード様……」
(まず狼神様へ挨拶しなくては。主神が一番先でしょう!?)
軽くパニクるアマーリエを見かねたか、ラミルファへの礼を終えたアリステルが声をかけた。暗い海底に満ちる青と同じ色をした瞳が、静かに瞬く。
「フルード、何をしている。狼神様へのご挨拶はどうした」
「……狼神様?」
明るく煌めく海面の青が、兄の視線の先を見つめた。
「どこに狼神様がいるのです? 巨大な毛玉は落ちていますが」
(きょ、巨大な毛玉……)
アマーリエたちが絶句する中、ラミルファがくっくと双肩を震わせて言った。
『抜き打ち試験を課すような意地の悪い主神など知りません、とのことですよ。あーあ、嫌われたのではありませんかぁ?』
ぶわわわわ、と灰銀の塊が揺れた。こうなると毬藻か針鼠だ。
『狼神様、ここはあなたからお謝りになるべきです』
『セ、セ、セイン!』
続けて放たれた邪神の言葉に、毛玉が解けた。顔を見せた狼神が、大慌てで愛し子に駆け寄り、尾で包み込んで擦り寄る。
『セイン、すまなかった! この通りだ、機嫌を直しておくれ!』
「わー、焔神様見て下さい。毛玉が動いて喋ってますよ。すごいですねー」
「…………ぉ、ぉぅ…………」
『セインー!』
愛し子と主神の痴話喧嘩に巻き込まれたフレイムがタジタジとなっている。
『おや、リーリアの邪霊がいるじゃないか』
ラミルファが呟き、神威に圧されて言動を封じられていたゲイルが身を強張らせた。ウェイブが応じる。
『ああ。此奴はリーリアを地下に連れて行くと主張している。だが、フロースがリーリアを選び昇天させるつもりのようだ。とはいえ、神使にしようかと思っている、という半端な言い方をした』
『ほぅ、それはそれは。まだ自分の心を自覚し切れていないのか、勇気が出ないだけなのか』
邪神の灰緑の双眸が面白そうに弧を描き、ウェイブが促した。
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