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中学編

不健康女子の中三の初秋①

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 9月に入って急に寒くなったと思ったら風邪を拾って寝込み、弱った体に今度は真夏日が襲いかかってきた。自然容赦ないです。死ねる。

 例によって数日発熱後に病人食生活で過ごし、もはや発熱する材料もないよ、脂肪はどこへ行った!? という体を引きずって、ぼちぼち通常生活に戻っている。もうね、床に座るととがったお尻の骨がゴリゴリ言うからね! 全校集会とかマジ勘弁。

 今日は久しぶりの塾、新学期になってからはじめての受講だ。
 講師の先生も慣れたもので、「ヤバいと思ったら、すぐ教室出ていいからな! 遠慮すんなよ」とのお言葉をくださった。まあ先生もいきなり私にゲロられたら授業どころじゃなくなるからな! もう切羽詰まってる時は、おうかがいなんてたてていられませぬ。「せんせーうぇっぷ」リバースである。
 汚くて申し訳ない。

 しかしなんでしょう。
 ふと気がつくと岩並君が戸惑うような、後ろめたいような顔をして、こっちをぼんやり見つめてから我に返って目をそらす、というのを断続的に繰り返しているのですが、一体どうしましたか。とうとう私に死相が出はじめましたか? 「お前はもう死んでいる……はずなんだけどなんで生きてるの? 怖い」みたいな?

「放っときな」

 隣の席で知世ちゃんが短く吐き捨てた。どこぞのアネゴのようだ。
 なんだか最近、知世ちゃんが岩並君へ向けるまなざしが汚物を見る目であることに気づいてしまったのだけれど、むきむきが嫌いなのだろうか。むきむきはいいぞ! いいんだぞ! 眼福モノな岩並君の前で、むきむきの良さを共有できないなんて……。
 ついため息をつくと、知世ちゃんが眉間にシワをよせた。

「またため息? あんたやっぱりしんどいんじゃないの? 今日ため息多いよ」
「んー、疲れやすいのは確かかなあ……」

 座っているだけでも案外消耗するものである。病み上がりの身には、普通なら気にも留めないようなことでもしんどく感じる。
 学校で過ごすだけで精一杯で前回まで塾はお休みしていたのを「もう大丈夫かな?」と試しに来てみたのだけど、予想以上の疲労である。

「大丈夫なのか、無理するなよ」

 自分の席へ戻ってくる途中で私たちの会話を耳にした岩並君が、こちらを気づかいながら座る。でかくてむきむきで紳士である。というか気になりますか、私やっぱり死相ですか?

「あんまり辛いなら、迎えに来てもらって早く帰れ」
「後ちょっとで終わりだから。それにうちのママ運転できないの」
「学校から早退の時、お迎えがタクシーだよね」
「学校から病院直行するからだよ」

 ママは電車やバスの便がいいところで生まれ、運転免許を取る選択肢すら思いつかずに暮らしていたらしい。
 結婚し、生まれた娘の手間がかかるひ弱っぷりに「あれ? 免許いるかな?」とようやく思ったものの、鈍くさいため周囲が止めて今に至る。ママがハンドル握ったらきっと血の雨が降るぞ。

「あ、そうだ。ずいぶん遅くなったけど、おはぎごちそうさまでした。みんなでおいしいって食べたよ」
「持って帰ったの2つだけだったろう」
「パパがひとつで、ママと私が半分ずつ。お夕飯のデザートにぴったりだったの。ありがとう」

 お礼が遅くなって大変申し訳ない。でも岩並君みたいに大きかったあのおはぎは、とってもおいしかったのだ。つい顔がほころぶ。

「ッ!」

 例によって背をかがめ、できるだけ目線を合わせようとしてくれる後ろの席の真面目紳士は、なぜだか感極まったという表情で息を詰めた。なんでやー! おはぎおいしかったありがとうって言っただけじゃないッスか。情緒不安定か!

 今私体調良くなくて、岩並君のフォローまでできる余裕がないの。ごめんよ。いつもお世話になっているのに何の役にも立てません。
 だからやめてそんな精悍な顔に、目元をほんのり赤らめ瞳を潤ませ、何か言いたげに唇を震わせたりしないで。誤解するから、勘違いしちゃうから、ときめいちゃうからだめだから。でかいむきむき男子を涙ぐませるとか私変な扉が開きそうだからやめて。
 ほら!

 知世ちゃんが岩並君へ氷点下の視線を送ってるからさあ!!


 ◇


 やばい。やせ我慢も底をつきそう。

 ようやく帰りの時間になったけれど、帰り支度をするどころではない。めまいがひどくてイスから落ちそうだ。急に悪くなった視界で、蛍光灯だけが目にチカチカする。

 世界がぐるぐる回って、たまらず机へ突っ伏す。

「ちょっと、イコ!?」

 知世ちゃんの声も遠くに聞こえる。
 ああ……これまずい。

「ひん……けつ、だ、から」

 疲れちゃって貧血起こしたんだ。こうなったらもう動けない。最近外出先でやらかさなくなったから油断していた。舌さえまともに動かないとか情けなすぎる。

 家に電話してもらうとして、ママがタクシー呼んで迎えに来るまで結構時間がかかるはずだ。ああ、いろんな人に迷惑をかけちゃう。
 嫌だ。

 悔しい、どうしてこうなんだろう。高望みせず無理もせず、ただ毎日を無事に過ごすことだけ考えても、無事に終わらない。今までだって、普通ならかけなくてもいい迷惑を回りにかけて、呆れられたり馬鹿にされたり嫌われたりしてきた。好きで体が弱いんじゃないよ、わざと迷惑かけているんじゃないんだ。思い通りにならない体に、1番いらだっているのは他ならぬ私自身なのに……ッ!

 鼻がつんとして、涙が出そうで顔を手で覆う。

「世渡、辛いか」

 静かな声。

「ちょっと待っていろ。何とかするから」

 優しくしないで、すがりたくなるから。
 1度すがってしまえばだんだん慣れて、迷惑かけてしまうことを、当たり前にしてしまうから。
 人の助けがないと生きていけないけれど、助けてくれるその心と優しい手を、当然と思いたくない。
 みんなから助けてもらえることが、どれだけ特別でありがたい事なのか、ちゃんと覚えておきたいから。
 ねえ、お願いだから。
 優しく、しないで。

「少しだけ我慢だ、多分10分もかからない」

 ―――ああ。
 岩並君の、馬鹿。
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