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中学編

中三の初秋②

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「具合悪い奴を送ってあげたいんだ。第二中にちゅう学区の女子なんだけど、家族が来られないらしくて」

 俺は職員室側の公衆電話で家へ連絡を取る。今の時間ならじいちゃんか母さんが動けるはずだ。

「どっちか頼める?」
『おじいちゃんの車の方がよさそうね。ちょっと待ってて』

 電話に出た母さんはすぐに反応してくれた。会話は必要最低限。『無駄な口は叩かない、すぐ動く』、家で家族がよく口にすることだ。こんなとき、とてもありがたい。
 ちょうど側に相手がいたのか、1分と経たずに保留が終わる。

『もしもし。おじいちゃん、もう車の方に行ったから。すぐ着くよ、出られるように準備しておきなさい』
「わかった、ありがとう」

 電話を切って振り向くと、開いたドアの向こう、職員室で仲良と伊井先生がこちらを見ていた。俺が電話している間、仲良に話を通しておいてくれと頼んでいたのだ。

「丈夫、どうだった?」
「じいちゃんがすぐ来る」

 仲良の問いに答えると、先生が頷いて受付を向く。

寺六院じむいんさん、世渡の家に電話お願い。家の前に出ていてくれるよう頼んで」
「わかりましたー」

 受付の女の人が座ったまま、流れるような動作で棚からファイルを引き抜き、開いてめくりながら空いた手を電話の受話器へ伸ばす。
 その間伊井先生は懐中電灯を手にし、足早に部屋を出た。仲良も続く。

「世渡の家知ってるか」
「俺が案内するから大丈夫だよ先生」
「そうか、大野が知ってるなら安心だ。岩並のじいちゃんはすぐだな? 通りにいないとだめか。くそっ、手が足りねぇ」

 そろそろ8時。
 郊外への基幹道路だ、帰宅の車がそれなりに多い。片側1車線の狭い道路は、塾の前に路上駐車しようものならすぐに渋滞してしまうだろう。
 スーツ姿の先生は格好に似合わぬ悪態をついてから、真剣な目でこちらを見る。

「本来生徒に頼んじゃだめなんだが、大野、岩並。世渡を外まで運べるか」
「大丈夫です」
「頼む。俺は外で車を待つ」

 頷いて、足早に出口に向かう先生に背を向け、仲良と急いで2階に向かう。
 家から車で来れば3分程度。早く帰り支度をさせないと、と教室へ戻れば、永井がイコの支度を終わらせていた。しゃがみ込んでイコに寄りそい様子を見ていた永井は、入って来た俺たちを見て立ち上がる。

「どうだった?」
「すぐ来る。世渡、動けるか?」
「ん……」

 座ったままイコが弱々しく反応した。俺は病人の脇から腕を回し抱えあげる。本当に小さくて軽くて、そんな場合ではないのにきゅっと胸が詰まる。

「永井も来るか?」

 俺とイコの鞄も一緒に抱えた仲良が訊ねる。言葉に詰まった永井の横を、俺はイコを抱えてすりぬけながら呼びかけた。

「心配なら来ればいい。永井が一緒なら世渡も安心するだろ」

 返事を待ってる時間がない。できるだけイコへ負担がないよう階段を降りる。玄関を見れば受付の人が、俺たちの靴を並べてくれていた。
 両開きのドアのうち、いつも締め切りになっていた側もロックを外され、通りやすいよう全開になっている。その向こうに、とっぷり暮れた夜の街と、自動スライドドアを開けた白いミニバン。じいちゃんの車だ。
 受付の人は顔をあげ俺たちに気づくと、すぐ邪魔にならないよう端に下がった。

「世渡さんの家に連絡ついてるよ」
「ありがとうございます」

 すり抜けざまの会話。急いで靴を履き、外に出る。
 伊井先生が車道に立って、走って来る車に向け懐中電灯を大きく回し、合図を出して誘導している。

「丈夫、早く乗れ。荷物は後ろに放り込んどけ!」

 運転席からじいちゃんが顔を見せる。俺は荷物を仲良に任せ先に乗り込んだ。
 体に負担がかからないよう、制服のプリーツスカートが乱れないよう座席へそっとイコを降ろす。暗がりの中でもわかる青白い顔が、苦しげに眉根を寄せている。痛々しい。

「じいちゃん。頼むね」
「おうよ。ああ、嬢ちゃん顔色悪いな、可哀想に。すぐ家に連れてってやるからな」
泰山たいざんじいちゃん、俺がナビする!」

 荷物を後ろにいれ終わった仲良が助手席に乗り込む。小さい頃からうちと交流のある仲良は、じいちゃんを名前で呼ぶのだ。
 次いでイコの靴を手に持った永井が乗り込んできた。やっぱり心配なのだろう。イコの横へ座り、イコが座席から落ちないよう体へ手を回す。

「ようし、全員乗ったな!?」

 じいちゃんは運転席側の窓を全開にして、顔を外へ出す。

「先生、車出すぞ!」
「すみません岩並さん、お願いします!」

 声を張り上げて応じた先生は、車が出やすいように誘導を変える。俺たちを乗せた車はウィンカーを出し、夜の町へ滑り出していく。
 バックミラーに、待ってくれた車へ深々と頭を下げる先生の姿が映っていた。
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