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高校編
高一・端午の節句①
しおりを挟むイコのお父さんは俺たちとピクニックの道具を降ろし「1時間後に道具を取りに来るよ」と車に乗り込んで去っていった。
ここからしばらく車を走らせたところで開かれている市を見てくるそうだ。
河川敷の公園は広い。天気はよく明るいが空気が冷たく、川のそばでさえぎるものがないため風が始終吹いている。
そんな中、大小色とりどりの鯉のぼりが対岸まで、空色の鉄橋に沿って一列に並び悠然と宙になびく様は、近くで見るとなおさら壮観だった。
川の中央はさらに風が強く逆巻いているのだろう。大きめの鯉までも、のたうつように身をくねらせ、本当に泳いでるようだ。
目がそらせなくて、立ち尽くしたまま見上げる。
「すごいな……」
なんだかさっきから、すごいしか口にしていない。語彙力が死んでいる、というのはこういうことを言うのだろう。
「色使いが派手な古めのもあるし、金銀の箔がついてる豪華なのもあるね。あ、私あれ好き、小さめだけど、鱗が細かいやつ。職人技!」
楽しげな声に振り向くと、芝生の上に敷いたレジャーシートへちょこんと座ったイコが、赤い鯉を指差した。えらや鱗の描写が細かい、派手さはないがこった鯉だ。
その鯉を示すイコの指の細さが、白さが、愛おしい。
秋から冬にかけて「中にどれだけ厚着しても目立たないからね!」とスカート姿が多かったイコが、今日はデニムパンツだ。白い帆布のスニーカーから短めのソックスが少しだけ、赤い色を見せている。
その赤よりも、折れてしまいそうに華奢な白い足首が気に掛かって、でも照れてしまって長く見ていられない。
可愛い。
ふわふわの髪には、以前贈った革のパッチン留め。黒の長袖Tシャツに、白いバテンレースの―――キャミソールなのかビスチェなのか、女性の服は難しい―――を重ねて少し大人っぽい格好だ。
ただ、上から薄手のコートを羽織っているけれど、イコが着ると、どこからどう見てもベージュのスモックにしか見えない。美大生が絵を描くときに着るもののような、幼児が汚れないように着るもののような。
小柄なイコにはぴったり似合うのだけれど、これは服本来の似合い方ではないのでは……? という可愛さだ。
いや、可愛い。可愛いからいい。
カルガモの雛みたいだ。
「確かにあの鯉、手がかかってるな。奥の黒いやつは泳ぎが速そうだ」
「赤いヤツは3倍速いのですよ!」
「シャ〇か」
他愛もない会話さえ嬉しい。
ゴールデンウィークは天候に振り回され、せっかくの連休も始めと今日ぐらいしか会えなかった。
俺の予定で振り回してごめん、電話でそう謝ると、イコは『謝る必要ないよ、たぁくん』と言ってくれた。
『そりゃあ、たくさん一緒にいたいけど、たぁくんが勉強も空手もうちのお手伝いも、ぜーんぶ手を抜かないでがんばってるの、尊敬しておりますからね! そういうたぁくんが好きだからいいのですよ』
最近、寝る前にするイコとの会話は、俺にとって特別な時間になっている。たまに来る『眠たいから電話できないよー』というLINEも可愛くて仕方ないのだ。
今日は久しぶりに会えたイコが1日、俺の誕生日を祝ってくれるという。嬉しくて顔がゆるむ。
雲の切れ間から射す光に川面がきらめく。空がとても高くて広い。
駐車場の車を見ればたくさんの人が来ているだろうに、見かける人影はまばらで人ごみとは無縁だ。
「広いせいか、そんなに人出を感じないな」
「屋台とかステージとか、イベントやってるのは対岸の方なんだよ。だからじゃないかな。行きたい?」
「いや、しばらくこれを眺めたい。橋の全長は約1kmだろう? すごいな」
鯉のぼりは、豪快に対岸まで渡した金属のワイヤーに取り付けられてなびいている。ワイヤーは所々橋げたと繫いで固定してあるようだ。下流の橋からの光景もなかなかのものだろう。
「広々して気持ちいい。ありがとうイコ、こどもの日のイベントに来るなんてはじめてだ」
「たぁくんの誕生日、せっかく端午の節句なんだもん。それっぽいところへ行きたかったんだ。向かいの公園はもっとにぎやかだけど、こっちの方がのんびりできていいかなって思ったの。たぁくん、おうちのお手伝いでお休み中も忙しかったもんね」
「ああ、そうだな。たまにはこういうのもいい」
「だよね! 一緒にのんびりしようよ、まずはお昼だよ。大したものじゃないけど」
俺の返答に笑顔になったイコはうきうきと言うと、大きなトートバッグから手に余りそうな水筒を抱えて引っ張り出す。
生まれてこの方インドア派、あまり外に出ないイコが「最初はピクニックだよ!」と言ったときは驚いたが、こういうことだったのか。
どうにも嬉しくてくすぐったい。
俺はランチの準備をはじめたイコを手伝うためレジャーシートのそばまで行き、かがむ。
「手伝う。何をすればいい?」
「だめだめ、たぁくんは今日の主役でしょう。殿はのんびりしていてくだされ! あっ、本日の主役のタスキ忘れたぁ」
「えっ」
「クラッカー……は、芝生汚しちゃうからダメかー」
「えっ」
「パーティーサングラスあるよ、ハッピーバースデーのやつ!」
「ええと」
「三角帽子も」
「それ、パーティーに誰も来なかったとき星飛〇馬が被ってたやつだろう」
イコの言うものをフル装備したら、かなり痛い人間になりそうだ。慎んで辞退し、レジャーシートから離れ川べりに近づく。手伝いがいらないというのなら、お言葉に甘えてイコが俺に見せたかった川の光景を記録に残しておこう。
ひとくちに鯉のぼりと言っても、こんなにたくさんの種類があるのか。スマホを取り出してずらりと並んで泳ぐ鯉のぼりを撮り、ちゃんと撮れているか確かめる。
時間はそろそろ11時半になる。俺はふと思い立って地図アプリで場所を確認した。
市が管理する河川敷公園。近くのバス停およびコンビニまでは徒歩15分、駅までなら歩いて25分。回りを見渡せば日よけの東屋、少し離れたところに仮設トイレが並んでいる。
アウトドア気分を味わえ、なおかつ外の不便をあまり感じないところだ。おあつらえ向き、という言葉が脳裏に浮かぶ。
天気はここ数日、晴れときどき曇りと行楽日和。ただ、急な雷雨に注意と天気予報で言っていたので、折りたたみ傘を持ってきた。今ここで降ったら、とりあえず東屋に駆け込めばいい。
振り向いてイコを眺める。
水筒は2本、ランチボックスとお手拭きを出して、何やらトートバッグをごそごそしている。まだパーティーグッズでも出てくるんだろうか?
鞄をさぐる様子がアライグマみたいで可愛い。これも撮る。
うねりながらはためく、イコが気に入った鯉のぼり。川面と空色の鉄橋、白い雲に青い空。イベントの食べ物ねらいか、水鳥が対岸の公園を舞っている。
去年の誕生日には、1年後にこんな風に過ごしているなんて思いもしなかった。
15才になったばかりの、去年の自分に教えてやりたい。お前が心の底から好きで好きでたまらない女の子が、1年後の誕生日を祝ってくれるんだと。
イコ。
俺の大事なお姫様、大切なこいびと。
今日のこの日のため、どれだけ考えてくれたのだろう。どれだけ手間をかけてくれたのだろう。
どれだけ俺のことを想ってくれたのだろうか。
嬉しくて仕方ない。
イコとふたりでのんびり過ごす、16才最初のデート。
きっと今日は、最高の誕生日になる。
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