座敷童、嫁に行く。

法花鳥屋銭丸

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春風小路二番町胡桃堂こぼれ話

旦那と童女 其の二

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「これなら夕刻には戻れるだろうねえ」

 被っていた菅笠を手で押さえ、旦那様が空を見上げた。その顔が笑顔なのが嬉しい。

「ええ、天気がよくてようございました。思ったより早く戻れそうですね」

 天気に恵まれ道行きは順調、旦那様は「お前さんのお陰だよ、ありがとう」と穏やかにひろ吉へ言う。木戸の開く早朝に合わせ、湊町を出てきたかいがあったというものである。
 町の出入りは木戸が開いている間しかできない。木戸は日の出前に開き、日暮れと共に閉まる。
 日の上がりきらぬ町中では、仕入れに向かう魚屋ぐらいしかひとが見当たらなかった。木戸の手前で待っていた駕籠は、ひろ吉が事前に手配したものだ。乗ればやたらに揺れて舌を噛みそうになったが、速さには代えられない。
 徒歩かちはほとんどなし、速さ重視の道行きだ。

 お客様の大事な品を預けるのだから、どんな職人あいてか会っておきたい、というのは商人なら当然のことである。
 妻が身重で、極力離れず側にいてやりたいという願いも、店主夫婦の仲睦まじさを目の当たりにしていれば納得できることだ。

 足坊ちゃん―――いや、旦那様はどちらも自分の我が儘だと言っていたが、ひろ吉はそうは思わない。あれこれと回りに心をかけるのが旦那様のいいところなのだ。
 その望みが両方叶えられるよう、自分が気を配ればいい。

「朝方の急な訪問で、あちらは驚かれていましたが。話を聞いていただけて、よろしゅうございました」

 早朝の客に職人の家人は呆れていたが、手土産がわりに持っていった団子が功を奏した。「店の主が直々に来たのだし」と家へ上げてもらえたのだ。

 くず米を粉にして作った餅で、きんぴらを包んだきんぴら団子は、奥様が手ずから作った逸品だった。朝食をとる間もなく出発したふたりが道々食べられるように、という心遣いである。小さくとも腹持ちがよく、訪ねた先にも「朝食にどうぞ」と出せるよう数も持たされていた。

 酒や醤油、砂糖で味付けされたシャキシャキのきんぴらは辛さ控え目。餅は柔らかだが餅米ではないから伸びはなく、さっくりと歯切れがいい。
 駕籠は揺れがひどく、道々食べるのは無理で、図々しくも訪問先での食事となった。

 初めのうちは「変な奴が来た」と言わんばかりの警戒をしていた職人やその娘夫婦だったが「ささ、みなさんもどうぞ、自慢の嫁の作った団子を食べておくれなさい。牛蒡や人参なんかもね、妻が畑で作っているんですよ。働き者で健気でねえ」という旦那様ののろけを聞いているうちに、態度を柔らかくした。
 どだい、この人を前にして警戒し続ける方が難しい。

「でも怒られたよ」
「怒られましたねえ。確かに、初対面で大金渡す店はそうないですからねえ」

 支度金を渡そうとして『腕が立つかも判らねえ職人に、大金渡す馬鹿があるか!』と樺細工職人から怒られたのである。自分の腕一つで世間を渡り、頑固なまでに仕事にこだわりを見せる。ますますもって、旦那様が職人が好きな職人の質だった。

 迎え入れられた家の、土間のかたわらには作り途中の盆景が転がっていた。木枠の中に石や砂、苔などで形作られていたそれは、ここらの地形をうつしたもので、治水のためこの地に呼び寄せられた娘婿へ試しに作ってやっているのだという。
 ひろ吉もちょっと、面白いことをやっているな、と興味を持ったくらいだ。
 旦那様は目をきらきらさせていたから、時間さえあれば長々と見入っていたはずである。

 まずは腕を見るため樺細工を作らせる事になり、材料分の金だけを置いてきたが、何を作るか職人任せだというのだから、これはもう、職人を思い切り気に入ったとしか思えない。
 それが証拠に「傷んでいるところを調べてもらわなきゃならないからね」と、お客様の大事な品まで預けてきたのだ。さすがに預かり証文は書かせたが、普通、初対面の相手をここまで信用しはしない。

「お前さんも止めなかったじゃないか」
「旦那様は旦那様のやり方でいいんです」

 不満げな旦那様へさらりと返す。 
 あの、どこか悲しげだった昔の様子とは比べものにならないほど、生き生きしているこのひとに、小賢しく口を挟んで台無しになどしたくない。

 無条件の信頼で相手の懐へ一気に飛び込んでいくのは、今の・・このひとの魅力だ。
 独り身の頃は優しいながらも、他人を信用しすぎぬよう、おのれで歯止めをかけていたらしい。商人としては正解だが、このひとの性格を考えれば、自分に無理を強いていたようにしか思えない。
 このひとは、ひとがすきなのだ。

(……奥様の、おかげだろうなあ)

 妻帯してから、その無理をしなくなった。胡桃堂に奉公し、共に働く者達の話を聞けばすぐわかる。困っていた彼らを、無条件の信頼ですくい上げていた。
 旦那様の根っこが定まった理由、小柄でいつもにこにこしている奥様の姿を思い出す。言葉を持たないがそろばんは天下一品の働き者は、いつも旦那様と仲睦まじい。その様子はもはや胡桃堂の名物である。

 旦那様の下で働きたいと、給金が落ちるのも構わず大世渡屋を辞め、胡桃堂へ移ってきたひろ吉だ。向こうで早々に手代へ出世した分、ひとというのをじっくり見て、なおさら、このひとの得がたさを思い知った。

「渡し守に早めに舟を出してもらえないか頼んでみます。旦那様は、先に舟へ乗ってらしてください」
「ああ、ありがとう、ひろ吉。頼むよ」

 今はもうそれほど変わらない体格になった背を見送る。あの背におぶさった日はもう遠い。
 この背を守り、このひとの優しさに障るものを防ぐのが、きっと、胡桃堂での自分の役目なのだ―――。


 ◇


「んなこと言われてもよぅ、ひとが乗らねぇと舟の重さが足りねぇのさ」

 日に焼けた渡し守は、褌姿に半被のいでたちで腕を組む。その堂々とした体軀に昔なら気圧されていただろうが、ひろ吉は如才ない笑みを浮かべたままだ。

「では、重みがほどよくなったら、満員を待たずに出ていただくというのは? もちろん、その分の損はこちらで補わせていただきます」

 やんわり断っても食いついてくる商人に、渡し守は肩眉を上げて見せた。

「お前さん、ほんとに急いでんだなあ」
「それはもう」

 ひろ吉は大きく頷いてみせる。
 急ぐも大急ぎ。旦那様を身重の恋女房の元へ、今日中に送り届けなければならないのだ。

 多少の値段の交渉はあったが、ここは商人の腕で、ひろ吉はすんなり話をまとめてみせた。これで、渡った先で駕籠を使えば湊町はすぐだ。少々安堵をしながら、笑顔で旦那様が待つ渡し船のところへ戻ると。

「えっ」

 舟の上で旦那様が、どこかの親父と号泣している。

「そうかい、親父さん、辛いねえ」
「何年もみなで辛抱してたが、もう、どうにもならねぇんだ……!」
「うん、うん、そうかい。お前さんは自分に厳しいおひとだね」
「そんなことねぇ。おらぁ、子どもを売りに行く屑さ」
「残されたお兄さんの子をきちんと育てると誓ったものを。誓いを破るだけでも辛かろうに、ひとの手を借りずに自分で売りに行く。誰かに役目を押しつけちまえば楽なのにさ」
「だってこんな、むごい役目、他の誰にもやらせられねえよ。それに一番苦しいのはこの子だ。これから、苦界で生きることになるんだ」

 大の男がふたり向かい合って号泣している横で、幼い子どもが、旦那様の合羽を背中にかけられ膝を抱えている。
 口元からころころと音をさせているから、どうやら飴を貰ったらしい。

「旦那、わかってくれるかい」
「ああ、ああ、むごいねえ」

 盛り上がる男ふたりと、我関せずと飴をなめる子ども。

「ええと……?」

 このまますんなり湊町に戻れるとは、どうにも思えない風向きだった。


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