49 / 71
春風小路二番町胡桃堂こぼれ話
旦那と童女 其の二
しおりを挟む「これなら夕刻には戻れるだろうねえ」
被っていた菅笠を手で押さえ、旦那様が空を見上げた。その顔が笑顔なのが嬉しい。
「ええ、天気がよくてようございました。思ったより早く戻れそうですね」
天気に恵まれ道行きは順調、旦那様は「お前さんのお陰だよ、ありがとう」と穏やかにひろ吉へ言う。木戸の開く早朝に合わせ、湊町を出てきたかいがあったというものである。
町の出入りは木戸が開いている間しかできない。木戸は日の出前に開き、日暮れと共に閉まる。
日の上がりきらぬ町中では、仕入れに向かう魚屋ぐらいしかひとが見当たらなかった。木戸の手前で待っていた駕籠は、ひろ吉が事前に手配したものだ。乗ればやたらに揺れて舌を噛みそうになったが、速さには代えられない。
徒歩はほとんどなし、速さ重視の道行きだ。
お客様の大事な品を預けるのだから、どんな職人か会っておきたい、というのは商人なら当然のことである。
妻が身重で、極力離れず側にいてやりたいという願いも、店主夫婦の仲睦まじさを目の当たりにしていれば納得できることだ。
足坊ちゃん―――いや、旦那様はどちらも自分の我が儘だと言っていたが、ひろ吉はそうは思わない。あれこれと回りに心をかけるのが旦那様のいいところなのだ。
その望みが両方叶えられるよう、自分が気を配ればいい。
「朝方の急な訪問で、あちらは驚かれていましたが。話を聞いていただけて、よろしゅうございました」
早朝の客に職人の家人は呆れていたが、手土産がわりに持っていった団子が功を奏した。「店の主が直々に来たのだし」と家へ上げてもらえたのだ。
くず米を粉にして作った餅で、きんぴらを包んだきんぴら団子は、奥様が手ずから作った逸品だった。朝食をとる間もなく出発したふたりが道々食べられるように、という心遣いである。小さくとも腹持ちがよく、訪ねた先にも「朝食にどうぞ」と出せるよう数も持たされていた。
酒や醤油、砂糖で味付けされたシャキシャキのきんぴらは辛さ控え目。餅は柔らかだが餅米ではないから伸びはなく、さっくりと歯切れがいい。
駕籠は揺れがひどく、道々食べるのは無理で、図々しくも訪問先での食事となった。
初めのうちは「変な奴が来た」と言わんばかりの警戒をしていた職人やその娘夫婦だったが「ささ、みなさんもどうぞ、自慢の嫁の作った団子を食べておくれなさい。牛蒡や人参なんかもね、妻が畑で作っているんですよ。働き者で健気でねえ」という旦那様ののろけを聞いているうちに、態度を柔らかくした。
どだい、この人を前にして警戒し続ける方が難しい。
「でも怒られたよ」
「怒られましたねえ。確かに、初対面で大金渡す店はそうないですからねえ」
支度金を渡そうとして『腕が立つかも判らねえ職人に、大金渡す馬鹿があるか!』と樺細工職人から怒られたのである。自分の腕一つで世間を渡り、頑固なまでに仕事にこだわりを見せる。ますますもって、旦那様が職人が好きな職人の質だった。
迎え入れられた家の、土間のかたわらには作り途中の盆景が転がっていた。木枠の中に石や砂、苔などで形作られていたそれは、ここらの地形をうつしたもので、治水のためこの地に呼び寄せられた娘婿へ試しに作ってやっているのだという。
ひろ吉もちょっと、面白いことをやっているな、と興味を持ったくらいだ。
旦那様は目をきらきらさせていたから、時間さえあれば長々と見入っていたはずである。
まずは腕を見るため樺細工を作らせる事になり、材料分の金だけを置いてきたが、何を作るか職人任せだというのだから、これはもう、職人を思い切り気に入ったとしか思えない。
それが証拠に「傷んでいるところを調べてもらわなきゃならないからね」と、お客様の大事な品まで預けてきたのだ。さすがに預かり証文は書かせたが、普通、初対面の相手をここまで信用しはしない。
「お前さんも止めなかったじゃないか」
「旦那様は旦那様のやり方でいいんです」
不満げな旦那様へさらりと返す。
あの、どこか悲しげだった昔の様子とは比べものにならないほど、生き生きしているこのひとに、小賢しく口を挟んで台無しになどしたくない。
無条件の信頼で相手の懐へ一気に飛び込んでいくのは、今のこのひとの魅力だ。
独り身の頃は優しいながらも、他人を信用しすぎぬよう、おのれで歯止めをかけていたらしい。商人としては正解だが、このひとの性格を考えれば、自分に無理を強いていたようにしか思えない。
このひとは、ひとがすきなのだ。
(……奥様の、おかげだろうなあ)
妻帯してから、その無理をしなくなった。胡桃堂に奉公し、共に働く者達の話を聞けばすぐわかる。困っていた彼らを、無条件の信頼ですくい上げていた。
旦那様の根っこが定まった理由、小柄でいつもにこにこしている奥様の姿を思い出す。言葉を持たないがそろばんは天下一品の働き者は、いつも旦那様と仲睦まじい。その様子はもはや胡桃堂の名物である。
旦那様の下で働きたいと、給金が落ちるのも構わず大世渡屋を辞め、胡桃堂へ移ってきたひろ吉だ。向こうで早々に手代へ出世した分、ひとというのをじっくり見て、なおさら、このひとの得がたさを思い知った。
「渡し守に早めに舟を出してもらえないか頼んでみます。旦那様は、先に舟へ乗ってらしてください」
「ああ、ありがとう、ひろ吉。頼むよ」
今はもうそれほど変わらない体格になった背を見送る。あの背におぶさった日はもう遠い。
この背を守り、このひとの優しさに障るものを防ぐのが、きっと、胡桃堂での自分の役目なのだ―――。
◇
「んなこと言われてもよぅ、ひとが乗らねぇと舟の重さが足りねぇのさ」
日に焼けた渡し守は、褌姿に半被のいでたちで腕を組む。その堂々とした体軀に昔なら気圧されていただろうが、ひろ吉は如才ない笑みを浮かべたままだ。
「では、重みがほどよくなったら、満員を待たずに出ていただくというのは? もちろん、その分の損はこちらで補わせていただきます」
やんわり断っても食いついてくる商人に、渡し守は肩眉を上げて見せた。
「お前さん、ほんとに急いでんだなあ」
「それはもう」
ひろ吉は大きく頷いてみせる。
急ぐも大急ぎ。旦那様を身重の恋女房の元へ、今日中に送り届けなければならないのだ。
多少の値段の交渉はあったが、ここは商人の腕で、ひろ吉はすんなり話をまとめてみせた。これで、渡った先で駕籠を使えば湊町はすぐだ。少々安堵をしながら、笑顔で旦那様が待つ渡し船のところへ戻ると。
「えっ」
舟の上で旦那様が、どこかの親父と号泣している。
「そうかい、親父さん、辛いねえ」
「何年もみなで辛抱してたが、もう、どうにもならねぇんだ……!」
「うん、うん、そうかい。お前さんは自分に厳しいおひとだね」
「そんなことねぇ。おらぁ、子どもを売りに行く屑さ」
「残されたお兄さんの子をきちんと育てると誓ったものを。誓いを破るだけでも辛かろうに、ひとの手を借りずに自分で売りに行く。誰かに役目を押しつけちまえば楽なのにさ」
「だってこんな、むごい役目、他の誰にもやらせられねえよ。それに一番苦しいのはこの子だ。これから、苦界で生きることになるんだ」
大の男がふたり向かい合って号泣している横で、幼い子どもが、旦那様の合羽を背中にかけられ膝を抱えている。
口元からころころと音をさせているから、どうやら飴を貰ったらしい。
「旦那、わかってくれるかい」
「ああ、ああ、むごいねえ」
盛り上がる男ふたりと、我関せずと飴をなめる子ども。
「ええと……?」
このまますんなり湊町に戻れるとは、どうにも思えない風向きだった。
0
あなたにおすすめの小説
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
溺愛彼氏は消防士!?
すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。
「別れよう。」
その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。
飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。
「男ならキスの先をは期待させないとな。」
「俺とこの先・・・してみない?」
「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」
私の身は持つの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。
※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる