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第一話「レンズは現実の拡張なのか?」
第一話「レンズは現実の拡張なのか?」1
しおりを挟む初夏。
今日は寒くもなく暑すぎもせず、久しぶりの外出には最適の気候だった。
一人の少女がコミュータと呼ばれる無人の自動運転バスに乗っていた。コミュータは規定の路線を周回し、乗客を乗せて移動する現代では見慣れた乗り物だ。
個人の所有する自動車は、一部を除き、いまでも安全確保のため人が中心となって運転している。一方、巡回先が決まっているトラックやコミュータはほぼ完全に無人化されている。
少女は数十年前に決められたとしか思えない、セーラー服と呼ばれる、白のブラウスに紺のタイで上半身を覆い、紺のスカートを穿いて、コミュータの後方に座っていた。
髪は後ろでまとめられて、三つ編みにされている。
別に少女はこの服装も髪型も気に入っているわけではない。
どうにか、外に出るためにやりくりできる格好がこれしかないのだ。
少女の他にもちらほら同じような制服を着た同年代の学生たちが前方に座っている。
もうすでに制服制度は廃れていて、服装は各人の自由となっているが、それでも制服で登校する生徒は多い。
服飾が趣味ならヴァーチャルの世界で安価な服が好きなだけ手に入るし、わざわざ外出用の服装などに凝る人は少ないのだ。
リアルのオシャレは、本当に趣味人の領域となった。
法を犯さない範囲で自由に物事を選んで良い。
あるいは、選ばないという選択でも良い。
個々人の選択の自由を最大限尊重する、というのが現代の基本的な考えになった。少女にとってはとてもありがたく、むしろそれ以前の世界というものが想像できなかった。自由だから制服を着ているのであって、強制されたら嫌な気分になるのではないだろうか。
乗っている生徒は誰もが他の乗客とは一定の距離を取って、会話はない。
いや、会話はしているのだろう、といってもそれはヴァーチャルの世界で。
ときどき、ぶつぶつと呟く声が微かに聞こえる。それを非難する者はおろか気にする者もいない。電動のコミュータが静かな音を立てて海岸沿いに走っては、ところどころの停留所で止まって乗客の乗り降りを待っていた。
ニュースでは最近の若者は従来に比べてメンタルスペースが広すぎると言われているし、少女も実際にそうだろうと思っている。むしろ、接触するほどに近づいてくる年寄りがおかしいだけなのだ。
数十年前にあった大規模な疫病のせいだとも言われているし、ヴァーチャルの発展によるものだとも言われている。
「レンズ、起動」
彼女もまた、他の生徒と同じく呟いた。
耳に装着された左右分離型のマイク兼スピーカーのイヤフォンを通してレンズに命令して起動させる。大多数の人々はこのレンズを寝るとき以外はつけている。睡眠時にも装着したままでいることはできるが、安全上推奨されていない。なにより省力化されてはいるが、レンズに内蔵された電池は無限ではないからだ。
レンズ、正式にはエンハンスドレンズと呼ばれているものは、ネットワークに接続しながら視界に情報を表示する小型の端末だ。旧式はメガネ型だったが、今ではコンタクトレンズ型が主流である。音声入出力は彼女と同じように耳に装着したイヤフォンと連携して行う。眼球に問題がある人や、すでに慣れ親しんでいる年配の人は、今でもメガネ型を愛用している。
彼女が装着しているレンズはKLSという多国籍企業が開発した、一般に普及しているものの若干特殊なモデルだ。とはいえ、このモデルはこの市内に住むほとんどの子どもたちが装着しているので、ここでは非常に一般的なものである。
なぜならここはKLSによる実験都市だからだ。
人口が減り続ける一方の北海道の一地方都市で企業による社会実験が行われている。
その企業の名前がKLSなのである。
KLSは都市のインフラである超高速無線ネットワークを無償提供し、街に莫大な資金援助をする代わりに、現行のネットワークよりも更に高速になったそれを試験的に運用しているのだ。特殊なレンズもそのために開発された特別製で、通常のものよりも性能が大幅に向上している。
この都市で社会実験が始まって、すでに二十年になる。
彼女が生まれたときにはすでに協定は締結されていて、KLSは彼女の成長とともにあった。なにせ、インフラを手中に収めているKLSの影響力は街中のいたるところにあり、彼女の生まれたこの都市唯一の総合病院も実質的な経営主はKLSである。
医療にも進出しているKLSは、広範囲に独自の高度な研究所を複数抱えている。たとえば、自己生体移植プログラムと呼ばれる培養した自身の健康な組織を移植する治療法を世界に先駆けて実用化したのもKLSであり、その独占的な技術をこの病院で資産家たちに高額で提供している。そのために一時的に街に滞在する富裕層も多く、過疎化した街の貴重な収入源となっていた。
その他、この都市にいくつか点在している学校も、システムから支給品の端末までKLSの影響下にある。ネットが欠かせなくなった水道、ガス、電気といったインフラもKLSが管理している。
つまり、この都市はなにから何まで、住民の生活からそれこそ生命まで、KLSの管理下にあるといっても間違いではない。
「カリキュラムを表示して」
彼女もコミュータに乗っている他の生徒と同じく、小さな声でレンズに音声認識をさせる。
彼女の目の前に今日のカリキュラム一覧が表示される。
レンズはかつてARやVRと呼ばれていたものの機能を備えている。もっとも、すでにそれらは当たり前となっていて、単に『ネット』といえば普通の人にとってはレンズを通したそれらの行為を含んでいることがほとんどだ。
『心拍数の上昇を感知しました』
イヤフォンから女性の声で音声が流れ、心拍数が視界の左端に表示される。
はあ、嫌だな。
誰にも聞こえない声で少女は呟いた。
外を見るとちょうど駅舎を通り過ぎたところだ。窓ガラスに反射した自分の顔が映る。目と耳が二つずつで鼻と口が一つずつ、どうやら他の動物ではないらしいというのがわかる程度には人間、地味を煮詰めたような顔立ち、そして制服から女子高校生、としか形容のしようがない自分の顔も、今日ばかりはかなり沈んでいた。
学校制度が残っているとはいえ、授業の大部分はネットを通してオンラインで家で受けられるようになった。
一方で、リアルでしか受けられないとされた科目やいまだに紙で行われる定期試験などだけが学校内で行われるようになっていた。
そして、今日メインで行われるカリキュラムを何度も何度も見返して、少女は目を閉じ、なんとか無事に済みますように、と祈るしかなかった。
今日のカリキュラムは『リアルコミュニケーション』だ。
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