上 下
30 / 36
第六話「諦めは現実の妥協なのか?」

第六話「諦めは現実の妥協なのか?」1

しおりを挟む
 また長い通路があった。
 通路の終点は見えない。
 二人はゆっくりとその先を目指して歩いて行く。
 ゆっくりになっているのは、二人とも頭が割れそうな頭痛が続いているからだ。
「ち、くしょー」
 紗希が頭を大きく振る。
「紗希、大丈夫?」
「頭がぐわんぐわんする……」
「少し休む?」
「いいや、休んでどうにかなるものでもなさそうだ」
 左手で頭を押さえながら紗希は歩いている。
「……そもそも、なんで僕たちはこんなことをしているんだろう」
「……私も、わからなくなってきた」
「かなたを助けるためだったような。そのかなたはさっきの部屋で眠っていて、こなたがいて、僕がいて、安全に起こす方法が必要で、ダメだ、頭が上手く回らない」
 頭痛のあまり、紗希は思考が胡乱になっているようだ。
「あれ、ドアがある」
 唐突に突き当たりが生まれ、ドアが出現した。
 彩花が正面を見ていなかっただけかもしれないが、それにしても急に終わりが見えるのはおかしい。
 その前に人影が現れる。
 ずっと二人が探していた人物だ。
「ミチル?」
 二人の前に立っていたのはミチルだった。
 彼女は床につきそうなほどの、低身長の彼女にしては長い白衣を着ている。砂浜で見たときよりも長い裾だ。
「久しぶり、ですね」
「どうして」
 遠目には誰もいなかったはずなのに、突然出てきたように、ミチルは立ちはだかり、彩花と最初に会ったときのように腕組みをしていた。
「ミチル、説明してくれるんだろうな?」
「ええ、もういいでしょう」
 紗希の問いかけにミチルがうなずく。
「お前は何なんだ」
「私が何者か、それは哲学的な問題ですか?」
「冗談を言っているときじゃないだろ」
 茶化したようにも聞こえるミチルの言葉に、語気を強めて紗希が言った。
「冗談ではありません。とても重要な問題です」
 ミチルが、すうっと息を吸った。
「人は、どこまでが人なのでしょう。どんどん身体のパーツを取り替えていって、機械や他人のパーツに置き換えていって、自己を保てるのはどこまでなのでしょう。そうでなくても、日々細胞は入れ替わっています。昨日と今日の自分は本当に連続しているのでしょうか。朝目覚めたときに、別人になっていないという保証はどこにあるのでしょうか。人は、『自分』という存在は、どこにあるのでしょうか。『私』はどこにあるのでしょう。果たして、本当に脳でしょうか。脳だとして、脳のどこでしょうか。『私』という自我の小部屋はどこにあるのでしょうか」
「待ってくれ。なにを言っているんだ」
 捲し立てるように一気に話したミチルに、理解が追いつかない紗希が待ってくれと言う。
 だが、ミチルの話は止まらない。
「その答えのきっかけを、偶然にも『我々』は手にすることになります」
「我々?」
「私はKLSの研究員です」
「なっ」
「別に驚くことではないでしょう。能力さえあれば、この歳でも働くことはできます。そして私にはそれに値する特別な能力があった」
 ミチルの言っていることは間違いではない。今や年齢というものは生きていく上で不要になりつつあったし、就職の際に使われる履歴書でも年齢は性別と同じくらい隠されるべき事項だ。能力があることを示せばそれで十分なのだ。
 しかし、今聞きたいことはそれではない。
「そういうことを、言っているんじゃない」
 はぐらかしているように思えるミチルに、紗希は語気を強めて言う。
「そうですね、あなたたちにわかりやすく言えば、『ゲーティア』の開発者の一人、と言えばいいでしょうか」
「……そうだったのか。ミチルはKLSの人間で、ゲームを作ったのもお前なんだな」
 紗希が確認するように言った。
「私は、グリモアのクラス管理とスキル調整を担当していました」
 彩花には思い当たる節があった。
「あのとき、ギリギリ止められたのも」
「はい、私のレンズには相手のステータスがすべて表示されていますし、すべてのグリモアのスキルも把握しています。というより、スキルの大部分を作ったのは私なんですけどね」
 彩花と模擬戦をしたとき、サミジーナのライフをギリギリ残してゲームを終了させたのは偶然ではなく、サミジーナのステータスが見えていたからできたことだったのだ。
「そうか、わかったぞ」
「なにがですか?」
「スキル名のセンスのなさは、ミチルが考えていたからなんだな」
 この場に及んで紗希は軽口を叩く。
「そうですか」
 言われたミチルはあまり気に留めていないようだった。
「調べていたっていうのは、嘘だったんだな」
 ミチルは開発側の人間だった。
 ゲームについて調べる必要が元々ない。
「もちろん調べていましたよ。もっとも、調べていたのはゲーティアがあなたたちに与える影響ですが」
「じゃあ、このわけのわからない状況の意味も知っているってことだ」
「はい、おおよそは」
「あの部屋はなんだ? なんで僕がいる?」
「あれは紛れもなくあなたですよ」
 あっさりとミチルは言った。
「ふざけたことを」
「ふざけてはいません。あなたは数時間前にKLSによって保護されています」
「なんだって?」
「『融解』の話は聞きましたね。融解した人間は、どうなるのでしょう。そもそも融解とはなんなのでしょう」
 かなたは眠っていた。
 こなたや蘇我もそうなら、眠っているだけなのではないか。
「なにが融解するのか、それは肉体と精神を繋ぐヒモです。その強固なヒモが断ち切られるのです。そうして肉体は眠り、精神だけが起きるようになります。肉体とは関係なく、精神だけが生きるようになるのです」
 ミチルが続けた。
「KLSは人間の『精神』だけを抽出することに不完全ながら成功しました。そして、それを閉じ込めることにも成功したのです。素晴らしい研究成果でしょう?」
「それじゃあ、この僕は」
 ベッドで眠る紗希が本体だとすれば、ここに立っている紗希は本体以外の何か、ということになる。
 肩を震わせて、紗希が問いただした。
「言うなれば精神体、ですかね」
「……わけがわからん」
 紗希がそう言ったが、彩花も同じ気持ちだった。
「じゃ、じゃあ、ここは?」
「ここは、現実であり夢でもある場所。現実と夢の狭間、肉体と精神が結びつけられる場所。蝶が目を覚ます直前の場所です」
 彩花には意味のわからない抽象的なことを、ミチルが言う。
「まったくわからない」
 紗希が繰り返す。
「まあまあ、話を順に追って説明しましょう」
 教壇に立つ教師のように、ミチルはゆっくりと二人の前を往復しながら歩く。
「計画は二十年前に始まったといいます。私たちが生まれる前ですね。ある人物の周囲に特異な現象が起こることがわかりました」
 そして、ミチルの講義が始まった。
「その人物は植物人間であるにもかかわらず、たびたび他に誰もいないのに部屋の中のものが動いたというのです」
 ポルターガイスト、というやつだろうか。
 あるいは、超能力、という分野かもしれない。
「その噂を聞きつけて、KLSはその人物を自分たちの研究に使うことにしました。それから数年して、彼らはその被験者を用いた研究結果を踏まえてある予備実験を行いました。市内の病院で生まれた子どもたちの脳内にその人物の脳の一部を模倣したチップを埋め込むことにしたのです。それが十五年前です。KLS以外には決して見つけることができないほどの小さなチップです。予備実験は一年間に及びました。その数は、七十に及びました。精神の感受性が高く、現実としばしば乖離を起こすという理由で、対象は女性に限られました」
 十五年前から一年間、市内で生まれた子どもたち。
 七十人の女性。
 彩花が気づく。
「それって」
 ゲーティアのプレイヤーたちのことだ。
「そう、つまり、私たちには全員チップが埋め込まれているのです」
 ミチルが自分の頭をとんとんと叩いた。
「じゃあ、ミチルの頭の中にも」
 ミチルもこの街の生まれのはずだ。
「ええ、入っていますよ」
 ミチルはこともなげに言う。
「怖くないの?」
「怖い? なぜですか?」
「その、チップが」
「いまさらどうしようもないですよ。赤子のときに埋め込まれたものですし、今となっては取り外すこともできないのですから、なるようにしかなりません。直接アラームが鳴ったことがあったでしょう?」
 かなたが融解して、それを助けようとしたときだ。
「あれはチップから発せられる信号のせいです。周囲に融解した人物がいると、信号が誤作動を起こして頭痛を引き起こすようですね。これは実験の副作用ですが、まあ、そんなことはどうでもいいでしょう」
「でも、あの人は」
 かなたを車に乗せたニーナには、あの立てないくらいの頭痛が起きているようには見えなかったが、彼女もゲーティアのプレイヤーとしてグリモアを召喚していた。
「ああ、ニーナにはチップが埋め込まれていません。特別なタイプのプレイヤーですね、ですから、『こちら』に来ることはできません。彼女は特に優秀な研究者でした。しかし、私情を挟み、被験者に特別な感情を持ってしまった。ですから今はあんな役回りをしています」
「そんなことをするなんて」
 まるで人体実験じゃないか。
「そんなことをするのがKLSです」
「待って、『こちら』って、ミチルは」
「ええ、私もすでに融けてしまっています。本体は別室にいます。正確には、片足を突っ込んでいるという状態ですね」
 何も問題ない、という感じであっさりとミチルが言う。
「わざと?」
「そうです、意図的にです。チップが埋め込まれているのはむしろ都合が良かったと思えますね」
「マッドサイエンティストかよ」
 吐き捨てるように紗希が言った。
「今の私には、それはもう褒め言葉ですよ」
「私は?」
「彩花さんも私とほぼ同じ状態にあります。現実の彩花さんは、こなたと一緒に戦ったあと意識を失い、ニーナによって病院に運ばれています」
「でも、私は」
 あのベッドの少女の群れの中にはいなかった。
 こなたと一緒に運ばれているのだとしたら、あの場に彩花もいないとおかしい。
「ここはまだ狭間の世界です。現実とはまた違うものが見えているのでしょう。あなたにももうすぐ、本格的な眠りが訪れます」
 ここは現実と夢が混合しているあやふやな世界だということなのだろう。
「ああ、そういえば、彩花さん、あなたは今Aクラスですね」
 ミチルが話を切り替えた。
「で、でもこれは」
 祈の戦闘データから導かれているクラスで、彩花の成績ではない。
「願いごとは例外なく、です」
「こなたに願いごとの話を言ったのもミチルか」
 こなたは情報提供元は明かせないと言っていた。
「そうです」
 ミチルが認める。
「僕もAクラスになったんだけど」
 紗希が口を挟む。
「……そうですか、ではどうぞ」
「ミチルをぶん殴って、そんでこなたとかなた、それに彩花も連れて家に帰る」
「……では、彩花さん、願いごとを言ってください。それが実現可能なら、我々は協力を惜しみません」
「おい、無視をするな」
 ミチルに言われたが、彩花に今思い浮かんだのはただ一つだけだった。
「……じゃあ、私も、みんなを、返して。みんなを現実に戻して」
 ミチルが首を前に曲げ、悩んでいる様子を見せる。
「あなたたちの願いを叶えること、いまさらそれはできかねる相談ですが、そうですね、この先にいる人物を倒せば、あるいは」
「倒す?」
「ええ、そうです」
 ミチルがうなずいた。
「この先に私より高位のゲームマスターがいます。というよりも、この世界の創造主ですね」
 創造主、とミチルが言う。
 そのゲームマスターこそが、ミチルが言っていた二十年前にKLSが確保したという最初の被験者のことに違いない。
「貴方たちが勝てる見込みはないでしょうが……。ただ、彼女を傷つけられでもしたらちょっと困りますね」
 首を捻りつつ、ミチルは思い悩んでいるようだった。
「そして、私は、あなたたちを行かせる気はありません。祈は彩花に会いたがっていたようですが、それもやはりちょっと困りますね」
「祈が?」
「ええ、そうです。いち早く融けた彼女は、この先の部屋にいます。まったく、願いごとは制限しておくべきでしたね」
 ミチルが何を言っているかはわからないが、蘇我が言っていたように祈はこの先で待っているらしい。
「では、いきましょう。ここはすでに狭間の世界です、二人同時でも構いませんよ」
 ミチルが指輪が嵌められている右手を前に出す。
「彩花、先に行ってくれ」
「え、でも」
「僕が壁になる」
「そうきますか」
「グリモワール! レラージュ!」
 紗希がレラージュを呼び出す。
 連戦の影響か、弓はとりあえず修復されているようだったが、そこかしこに傷がついていて、万全という感じはしない。
「僕は、すぐに追いつく、ミチルを伸(の)してから。ミチルにはちょっときつめの目覚ましが必要みたいだし。それに、正直、こういうシチュエーションは嫌いじゃない。友達のために、ラスボス前の中ボスを足止めするなんて、そうそうあることじゃない。燃えるじゃないか」
 楽しそうに、おどけて紗希が言った。
 それが本心なのか強がりなのかは彩花にはわからない。
「紗希、私の言ったことがわかっていますか?」
 呆れた顔でミチルが溜息をつく。
「なんだ?」
「私はゲームの製作メンバー、つまり、ゲームマスターの一員です」
「それが、どうした」
 それに答える代わりに、ミチルがグリモアを呼ぶ。
「グリモワール。フォカロル」
 双翼の犬が姿を見せる。
「あなたのステータスも随時把握できますし、あなたのスキルも攻撃方法も熟知しています。私が本気を出したら負けるはずがないんですよ」
「だから、なんだよ」
「あなたが勝てる道理など、万に一つもありません」
「言うじゃないかミチル。万に一つもあれば十分だよ」
「そうですか」
「裁定者、早くしろ!」
 紗希が催促をするが、やはり、蘇我の時と同じく裁定者は姿を見せない。
「彼女は現れません」
 ミチルが言った。
「ここは夢と現実の狭間です。グリモアもその狭間にいます。それに、危険ですよ」
「なんだって?」
「その傷、グリモアに傷つけられたのでしょう?」
 ミチルが紗希の左腕を指した。
「狭間の世界。精神だけの存在のあなたとグリモアは今は同じラインにいるのです。グリモアの攻撃は、あなたにも当たる。もちろん、グリモアは通常と同じように、相手のグリモアを攻撃しますが、とばっちりを食らう可能性はあります。当たらないように、十分気をつけてください」
「……なるほど。つまり、お前も同じってわけだな、ミチル」
 紗希もミチルも、たぶん彩花もここで傷を負うわけにはいかない。行動はより慎重にするべきだろう。
「ええ、まあ」
「それは面白くなってきた。おまけに裁定者もいない。接触ペナルティはないわけだな」
 紗希が右の拳を左手で受け止めて、バシンと音を鳴らした。
 ゲーム中はプレイヤー同士の接触行為は御法度だ。
「私は穏便に済ませようと言いたいのですが……。馬鹿なんですか、あなた。いや失礼、最初から思っていました。馬鹿ですねあなた」
「なあ、彩花」
 彩花とミチルの間に紗希が立つ。
「うん」
「元気でな」
「そんな、言い方」
「言いたいことは今のうちに言っておかないと」
「紗希……」
「さあ、彩花、走って」
「う、うんわかった」
 彩花はミチルの横を駆け抜ける。
 ミチルは何も言わず彩花を通した。
「さあて、悪い子をぶん殴るか」
 ドアを開ける直前、背後から紗希の声が聞こえた。
「しっかりやれよ、彩花」
しおりを挟む

処理中です...