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04-1. 最初で最後の謁見 1
――十二ヵ月後
スカーレットベルの球根を掘り返す時期がきた。キャスリンがガスディエン王国に来てもう少しで一年になる。
このままでは結婚はないだろうと、少し前から荷物を国に送り返したり処分したりと、身の回りを整理し始めた。政略が絡むから大手を振っての行動ではないものの、特に秘匿していない。
「ようやく帰れますね」
「そうね、もうガスディエン王国は充分堪能したかしら。二度と来たくないわ」
侍女の言葉にキャスリンも苦笑しながら同意する。
小国出身と侮るのはデラフェンテ公爵家だけではなかった。平民たちも同様で、買い物をすればガスティエン人の数倍の値段をふっかけられ、しかも嫌々売ってやるという態度を隠しもしない。
あまりに不愉快過ぎて、食料や日々使う消耗品などはダルトリー侯爵にお願いして、できる限り母国から届いたものを手に入れるようになった。以来この国で入手したのは、故郷にはない花を数株だけだった。
――ようやく帰れるわ。それにしても、この国は何をしたかったのかしらね。
良い思い出が一つも無いほど酷い国だった。
――もう二度と来たいなんて思わないわ、きっと。
小さな溜息をついた後、気持ちを切り替えて鏡を見る。映ったのは疲れているものの晴れ晴れとした顔をした自分だった。
「ではこの国ですべき最後の仕事をしてくるわ」
エルゼに伝えると同時に自然と笑みが零れた。
「――面を上げよ」
かなりたっぷりと時間を空けた後、頭上から声がかかる。
ガスディエン王国に来る前に母国で国王陛下に謁見したときは、もっとずっと早かった。「迷惑をかけるが、国のために頼む」とたかが伯爵令嬢に過ぎないキャスリンに頭を下げる器の大きさを見せられては、否と言えなくなってしまった。
――なのにこの国ときたら。
中腰だから腰も膝も負担が大きいけれど、レイエ王国を侮っているから、嫌がらせのような行いをチクチクとしてくるのだ。既に身をもって知っているから、こんなものかとしか思わないけれど、腹が立たない訳ではない。
むしろ国王がこんなだから、夫になる筈だったデラフェンテ公爵はキャスリンと顔を合わすこともなく、使用人を使って門前払いしたのだろう。
でも今日で終わると思えば、我慢はできる。
「して成果は?」
「こちらにございます」
ダルトリー侯爵が蓋の無い箱に入れた薬包を差し出す。魔力風邪の特効薬であり、キャスリンが嫁入り道具として持ち込んだ八株のスカーレットベルの球根から作ったものだ。一株当たり八十から百包ほど作られるとはいえ、熱が引くまでの七日から十日の間は一日三回服用する必要がある。ぎっしり詰まった薬は大量にあるように見えて、実のところ四十人分にも満たなかった。
魔力風邪は普通の風邪に似た症状の病気だ。高熱が数日続くため熱で命を落とすこともある。
しかし厄介なのは命を奪うほどの熱ではない。深刻なのは後遺症だ。感染するとほぼ確実に魔力量が減る。特に子供で傾向が著しく、女子で元の三割減ほど、男子では七から八割ほど。感染力が高く、罹患すると確実に魔力低下を起こす。大人も感染し魔力量の低下が見られるが、感染力は子供ほどではない上に高熱は出ることが稀なため、さほど怖い病気ではない。魔力量の低下も見られるが後遺症の頻度が低く、魔力量低下が起きても一割も減少しなかった。
魔力量の豊富さが貴族のステータスであり、同じような魔力量ではなければ子供ができづらいとあって、どこの国でも深刻な社会問題化したが、いち早く薬を開発して広めたレイエ王国では、既に危機から脱して数年が経過していた。
特効薬は罹患直後から服用すれば、微熱程度の発熱だけで回復する。症状が軽いせいなのか後遺症も滅多に出ない。魔力量の低下が起きないのだ。ただの風邪にも有効な薬だったから、症状が出たら取り敢えず服用させる。
一年前にキャスリンとデラフェンテ公爵との婚約が整ったのも、この魔力風邪対策が理由だった。薬を作るため必要な知識を持つ者と、薬の元となる植物を要求されたのだ。そのためスカーレットベルの一大生息地を領地に持つミスト伯爵家の令嬢であり、栽培と薬の製造スキルを持つキャスリンが選ばれた。犠牲者は一人で良いだろうという判断も働いて。
相手は王弟である公爵。高位貴族とはいえ田舎娘と王族という身分差を超えた国際結婚は、二国間の結びつきを強くする筈だった。
「足りぬな」
スカーレットベルの球根を掘り返す時期がきた。キャスリンがガスディエン王国に来てもう少しで一年になる。
このままでは結婚はないだろうと、少し前から荷物を国に送り返したり処分したりと、身の回りを整理し始めた。政略が絡むから大手を振っての行動ではないものの、特に秘匿していない。
「ようやく帰れますね」
「そうね、もうガスディエン王国は充分堪能したかしら。二度と来たくないわ」
侍女の言葉にキャスリンも苦笑しながら同意する。
小国出身と侮るのはデラフェンテ公爵家だけではなかった。平民たちも同様で、買い物をすればガスティエン人の数倍の値段をふっかけられ、しかも嫌々売ってやるという態度を隠しもしない。
あまりに不愉快過ぎて、食料や日々使う消耗品などはダルトリー侯爵にお願いして、できる限り母国から届いたものを手に入れるようになった。以来この国で入手したのは、故郷にはない花を数株だけだった。
――ようやく帰れるわ。それにしても、この国は何をしたかったのかしらね。
良い思い出が一つも無いほど酷い国だった。
――もう二度と来たいなんて思わないわ、きっと。
小さな溜息をついた後、気持ちを切り替えて鏡を見る。映ったのは疲れているものの晴れ晴れとした顔をした自分だった。
「ではこの国ですべき最後の仕事をしてくるわ」
エルゼに伝えると同時に自然と笑みが零れた。
「――面を上げよ」
かなりたっぷりと時間を空けた後、頭上から声がかかる。
ガスディエン王国に来る前に母国で国王陛下に謁見したときは、もっとずっと早かった。「迷惑をかけるが、国のために頼む」とたかが伯爵令嬢に過ぎないキャスリンに頭を下げる器の大きさを見せられては、否と言えなくなってしまった。
――なのにこの国ときたら。
中腰だから腰も膝も負担が大きいけれど、レイエ王国を侮っているから、嫌がらせのような行いをチクチクとしてくるのだ。既に身をもって知っているから、こんなものかとしか思わないけれど、腹が立たない訳ではない。
むしろ国王がこんなだから、夫になる筈だったデラフェンテ公爵はキャスリンと顔を合わすこともなく、使用人を使って門前払いしたのだろう。
でも今日で終わると思えば、我慢はできる。
「して成果は?」
「こちらにございます」
ダルトリー侯爵が蓋の無い箱に入れた薬包を差し出す。魔力風邪の特効薬であり、キャスリンが嫁入り道具として持ち込んだ八株のスカーレットベルの球根から作ったものだ。一株当たり八十から百包ほど作られるとはいえ、熱が引くまでの七日から十日の間は一日三回服用する必要がある。ぎっしり詰まった薬は大量にあるように見えて、実のところ四十人分にも満たなかった。
魔力風邪は普通の風邪に似た症状の病気だ。高熱が数日続くため熱で命を落とすこともある。
しかし厄介なのは命を奪うほどの熱ではない。深刻なのは後遺症だ。感染するとほぼ確実に魔力量が減る。特に子供で傾向が著しく、女子で元の三割減ほど、男子では七から八割ほど。感染力が高く、罹患すると確実に魔力低下を起こす。大人も感染し魔力量の低下が見られるが、感染力は子供ほどではない上に高熱は出ることが稀なため、さほど怖い病気ではない。魔力量の低下も見られるが後遺症の頻度が低く、魔力量低下が起きても一割も減少しなかった。
魔力量の豊富さが貴族のステータスであり、同じような魔力量ではなければ子供ができづらいとあって、どこの国でも深刻な社会問題化したが、いち早く薬を開発して広めたレイエ王国では、既に危機から脱して数年が経過していた。
特効薬は罹患直後から服用すれば、微熱程度の発熱だけで回復する。症状が軽いせいなのか後遺症も滅多に出ない。魔力量の低下が起きないのだ。ただの風邪にも有効な薬だったから、症状が出たら取り敢えず服用させる。
一年前にキャスリンとデラフェンテ公爵との婚約が整ったのも、この魔力風邪対策が理由だった。薬を作るため必要な知識を持つ者と、薬の元となる植物を要求されたのだ。そのためスカーレットベルの一大生息地を領地に持つミスト伯爵家の令嬢であり、栽培と薬の製造スキルを持つキャスリンが選ばれた。犠牲者は一人で良いだろうという判断も働いて。
相手は王弟である公爵。高位貴族とはいえ田舎娘と王族という身分差を超えた国際結婚は、二国間の結びつきを強くする筈だった。
「足りぬな」
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