辰巳 虚(うつろ)の”キョウセイ”捜査

秋津島 蜻蛉

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捜査行動05 「落日」

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 清水が緊張しながら時計を見る。
「30分も前に着いちゃった」
 警官姿ではなく私服を身にまとい、キレイに着飾っていた。
 肩出しの藍色ワンピースドレスに鶯色のストール。紫色の高いヒールを履いている。
 勤務中に付けないイヤリングやネックレスも所々に散りばめられている。
「あらまぁ、シミズちゃん。いつもの可愛いに、綺麗まで加わるなんて。アンビリーバボー!」
 そこに辰巳も到着する。いつものビジネススーツではなく、おしゃれ用のオーダーメイドと一目で分かるスーツを着込んでいる。
清水キヨミズです! まったく…。女性を誘っておいて、雰囲気も何もあったもんじゃありませんよ」
 手持ちのハンドバッグを胸元に抱えて、不機嫌をアピールする。
「これはこれは。でも、俺が急に厳かな紳士然としたら、気持ち悪くない?」
「それは普段の行ないが悪いからです。いつもちゃんとしてたら、違和感もなかったですよ」
 そんな清水の反応を楽しみながら、辰巳が今日の予定を進行する。
「とりあえず、軽く一杯どう? 行きつけの店が近くにあるから」
 勤務時のような辰巳への清水の態度が改まり、少し恥ずかしがる姿を見せる。
「鑑識課の、あの女性には、失礼になりませんか?」
「なっつん? あれは俺にとっての不良仲間みたいなもんだ。この前も昼から居酒屋で酔っぱらってたし、いい男も紹介してやったんだ。こちとら失礼と思われる謂れは無いねぇ」
 清水が顔を赤くしながら安堵の息を吐く。
 ちょっと歩いた場所の地下に店があった。先行した辰巳が階段に足を掛け、清水をエスコートしようと手を伸ばす。
 さらに真っ赤になった清水が辰巳の手を取る。
 ずっしりとした店の扉を開けて、手を取り合った二人が入店する。
 地下にある店はビルの1フロア分を充分に使い、洗練された静かさがあった。
 いくつかのテーブル席とカウンター。間接照明による暖色のほの暗さが落ち着きを演出する。
「今日はマスターに少し早めに店を開けてもらった。しばらくは他の客も来ないから、ゆっくりしていこう」
 辰巳の声が風景に吸い込まれる。店内の空気が雪の積もった日の外みたいに、静寂が周りを支配している。
「ここはあんまり周りの会話が響かないように作られてるの。少数でひっそりと話をするには最適な店なんだ」
 バーカウンターではこの店の主人が辰巳と清水に頭を下げ、目の前の席へ促す。
 マスターを正面に挟んで隣同士席に着く。
「俺はレッドアイ」
「あ、じゃあ私は、マティーニで」
 かしこまりました、と軽く頭を下げて、先にオリーブ漬けを出してくる。
 のちに両方の酒が出され、二人が盃を持つ。
「乾杯」
「か、乾杯」
 縁を軽く当てた音は驚くほど響かず、二人にしか聞こえない、秘密の共有を感じてしまう。
「…辰巳さん、ビール派なんですね」
「シミズちゃんだって、別にもっといいお酒頼んでもいいんだよ?」
清水キヨミズです。お互い公務員なんですから、お財布の事情は分かってますよ」
「俺ってそんなに甲斐性なさそうに見える?」
「…軽薄そうに見えますから。貯金とかも無さそうですし」
「おぉ。なんて厳しい評価をするんだい。可愛い顔して」
 にんまりと満面の笑みを辰巳が浮かべる。
 店内の照明は暗めなのに、その笑顔は淡く光って見えた。
 そんな蠱惑的な笑みに、また清水が顔を火照らせる。
 熱を冷ますためにカクテルを一気に飲み干す。
 辰巳は手振りで、同じの?、と問い掛け、清水が無言でうなづく。自分の酒も飲み干し、マスターに目線で二人分のオーダーをする。
 トマトの果肉が残るグラスと口紅が少し付いたグラスが下げられ、新しい一杯が辰巳と清水に用意される。
「…何でいきなり、私とお酒を飲みたいと言い出したんですか。しかもあんな誰も居ない場所で」
 署内の文書管理室。清水が一人で書類を探しているところに辰巳が現れ、押し倒されかねない勢いで距離を詰めて来て、壁際に追いやられて、耳元で呟かれた。
《今度、二人で飲みに行かない?》
 今でもその時のことを思い出すと、心臓がバクバクしてしまう。
「――――聞きたいことがあって」
 辰巳がマスターに向けて首を軽く縦に振ると、了解したように店の奥の扉から下がっていく。
 閑散とした店内に、二人だけの空間が生まれる。
 静寂の音がする。
 耳の中に響くような、空間の音が周囲に溶けていくような感覚。
 辰巳の真っ直ぐな眼が、清水の瞳を釘付けにする。
 脈動の躍動が止まらない。
 切れ長の美しい視線が、目を離すのを拒んでいる。
 ふっ、と身体が弛緩しそうになる。
 その直前に辰巳が視線を切り、目の前の酒に目線を戻す。
「両親が泣いていた」
 マドラーで酒をかき混ぜる。
「先日、あの自殺した女の子の葬式に行ってきた。泣いていたよ。両親も、友達も」
 清水の熱る血が、瞬間で冷えていく。
「”そんなことする子じゃない””悩みがあったらちゃんと話してくれた””あんな優しい娘を追い詰めてしまってた。父親の僕が悪いんだ””アナタのせいじゃないわ。きっと誰にも言えないことを抱えてしまったのよ”」
 淡々と辰巳が葬儀場での状況を口にする。
「可哀そうにな。死人は喋れない。弁解も、真相も、話せない」
 マドラーでトマトを潰す手が、少しずつ強引になっていく。
「動機の捜査についてはミスは無かったと俺は思うよ」
 完全に攪拌された辰巳のレッドアイが、真っ赤に染まっている。
 トマト味のビールを口に流す。
「――――ありがとうございます」
 目を伏せながら清水が慰労への言葉を返す。
「ありがとう? 何か、勘違いしてないか」
 無機質な声が辰巳から発せれられる。
「俺は、【自殺の動機の捜査】に対して、ミスが無いと言ったんだ」
 声のトーンは変わらず、淡々と酒を呑み干していく。
「無いモノを探し出すなんて無理な話だ。その意味で今回の件はミスでは無い」
 空になったグラスをカウンターに置き、もう一度清水の方へ目線を向ける。
「身に覚えは無いか? シミズちゃん。いや、」

「県議会議長の娘、清水巡査」

「…辰巳さんは、そのことについて触れてくれないでいてくると思ってました…」
 目線を落としている清水に対して、辰巳は鼻で笑う。
「そうも言ってられない。同じ職場の人間だ。嫌でも耳に入る」
 顔を上げた清水の瞳は、氷のような冷たいものだった。
「辰巳さん。取引しましょう」
 氷結の視線を崩さず、声だけが優しかった。
「私はここ数年の公務員試験の結果を調べました」
 片眉を辰巳が上げる。
「【辰巳 虚(たつみ うつろ】…。近年で採用試験合格者にその名前はありませんでした。警察だけでなく、あらゆる官公庁から警察へ出向した形跡もありません」
「よく調べたね。褒めてあげよう」
「茶化さないでください。経歴不詳の人間を許すほど、警察は寛容じゃないですよ」
「そうかい。では俺は何をすればいい?」
「…もう少しだけ、おとなしくして

「――――断る」

 炸裂音が鳴る。3発連続で発され、余韻の音は店の壁に吸収される。

 辰巳はリボルバー拳銃の銃弾を腹に受け、カウンター席から転がり落ちる。
 ふぅ、と清水が息を吐きながら額に汗を浮かべて、構えた銃を下した。
 ハンドバッグに忍ばせていた警察支給の拳銃で、清水が辰巳を撃っていた。
「…辰巳さん。アナタが悪いんですよ。もうここから先からは戻れないんですから」
 床に転がる辰巳を暗い顔で見下ろしながら立ち上がる。
「しかも自分の銃が持ち出されたのにも気付かないなんて。殴る蹴るに慣れ過ぎたんですか…。 意外と平和的なんですね…」
 ピクリ、と辰巳が動く。
「”撃たれ”強いですね。苦しまないように終わらせようと思ったのに…」
 深く息を吐いて銃身を辰巳の頭に向けて、追加の銃弾を放つ。

 ――――が、辰巳の腕がそれを受け止める。

「えっ?」
 スーツを貫通出来ずに潰れた銃弾が、床に落ちる。
「抜いたな。キミが、先に、抜いた」
 ゆっくりと辰巳が上半身を起こす。
「…はっ!」
 辰巳から乾いた声が出る。 

「はっはっはっ! はははははははっ! あっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 絶叫に似た笑い声が、けたたましく張られる。
「抜いたな! いよいよ抜いた! キミが撃った! キミがだよ! シミズちゃん!」
 ぬるり、と立ち上がる。残りの潰れた弾も転がっていく。
「なんで!?」
 さらに大慌てで心臓に向けて発砲する。
 着弾。
 しかし同じように銃弾は身を裂かず、空しく零れ落ちる。
「38口径のスミス&ウェッソンじゃ、このオーダーメイドスーツは貫けねぇよ」
 撃たれた場所を笑いながら撫でる。
「けど弾を通さないだけで、かなり痛ぇ。バットのフルスイング受けたみたいだ」
 馬鹿にしたような笑みを浮かべる辰巳にもう一度頭へ銃を向ける。
 カチンッ!
 清水の銃は弾丸では無く、撃鉄の金属音を放つ。
「キミこそ平和ボケてるんじゃないか? 警察標準拳銃の装填数は、”5発”だ」
 一歩、辰巳が清水に踏み出す。合わせて清水が一歩退く。
「くくく…。くかかかかかかっ!!! 俺の経歴が知れないのも! 素行不良なのも! 当たり前なんだよ! 今更言われたところで省みる気にもならねぇ!」
 ケタケタと不快な笑い声は店内に吸われていく。

「【虚】なんて名前の奴が! 天下王道を胸張って歩いてるわけねぇだろ! 偽名だ、偽名! 一から調べる姿勢はたいしたもんだが、常識をもう少し大切にしなよ!」

 眼前にいる悪辣の塊のような男に、清水が心の底から恐怖を抱く。
「…さあ、シミズちゃん。今度はこっちの答え合わせだ…」
 一歩近づくと、合わせて一歩遠のく。
「今回の女子大生溺死の件。実行犯を捕らえたよ。自殺と処理されたと聞いて、油断で呆けてたんだろう。一足早く”すんなりと”自宅に上げてもらえたさ」
 懐からスマホを取り出して、動画を流す。
《やめてくれぇ! 何でも話す! オレが、やりましたぁ!!》
 真っ暗闇の中でライトに照らされた中年男性の顔面が画面に映し出され、懇願の自白が始まる。
《金が欲しかったんです! 借金があるんだ! 利子分だけでも稼がないと、オレが闇金に殺されちまう! 後生だ! 勘弁してくれ!》
 フフン、と鼻歌まじりに、また一歩近づく。
《え? やめろ!》
 映像の中から、”何か”の潰れる音がした。
《! ぐぎゃあぁぁぁ! オレの指がぁぁぁ!》
 凄惨な映像に、清水が態勢を崩してさらに数歩後ずさる。
《オ、オレは! 言われた、通りに、車を出して、用意された道具を、使ったんだ!》
 激痛で息を飲む声が聞こえる。
《後ろから押さえて、ガスを、吸わせたら、すぐに倒れたんだ! そのまま車の、トランクに入れて、指定された、ルートで!》
 骨の砕ける音が再生される。
《い、痛ぇぇぇぇぇぇ! やめろ! やめてください! 殺さないで! お願いします! 殺さないでください! やめてぇぇぇぇ! 殺さな》
 指で動画を止める。
「安心しなよ。一応こいつは”まだ”生きてる」
 スマホを懐にしまい、大きく両腕を広げる。
「凶器は”炭酸ガス”、二酸化炭素だ。俺がさっき呑んでた酒にも、この空気にも含まれてる、ありふれた物質さ。けど大気中にありえないほどの濃度だと、人間は一瞬で昏倒する。呼吸はしばらくは続くが、このまま溺死したら見分けはつかないからな」
 わざとらしく大きく息を吸い込む。
「こいつのスマホの連絡記録を見た。いわゆる闇バイト。殺人代行だ。借金や人生トラブルで首の回らなくなった奴にまた重い首輪をつける、暗い暗い、業の深い商売だ」
 ハァ、ハァ、と清水の呼吸が速くなる。
 それでも辰巳を睨みながら、震える手でリボルバー拳銃に弾を再び込める為に空薬莢を床にばら撒く。
「おや? 勇ましいね。けどね、まだお話しの途中だよ。」

 轟音が響く。

 先程の発砲音とは比べ物にならない、大砲のような轟音。
 弾丸は清水の横を掠め、後ろにあった酒の置いてある棚を、一撃でバラバラに粉砕した。
「シミズちゃん。”火力差”って知ってるか?」
 銃身がボッテリとした大口径。マグナム弾を放つ巨大な自動装填拳銃。
「キミの可愛い顔も綺麗な身体も平等にミンチにする、ステキな”道具”。俺のスーツを貫きたきゃそんな豆鉄砲なんかじゃなく、これくらい持ってきな」
 軽々と片手でデザートイーグルを撃ち放った辰巳が、煙を上げる銃口をゆっくり下げた。
「い、一体どこでそんなものを…」
 腰から力が抜け、清水が床にへたり込む。
「くはははっ! コイツは中東でブラついてた時の土産モンさ。では、とりあえず答え合わせの続きをしようや」
 椅子を引っ張り出し、脚を組んで仰々しく座る。
「県議会の中ではこの前の対反社頂上作戦に反対する勢力がいた。立場上は表立ってイエスだが、利権の関係で裏ではノー。反社フロント企業からの献金は馬鹿に出来ず、どうしても阻止したかった。けれど本件は警察全体の威信を賭けた作戦。あの手この手を尽くしたところで地方議員の一存では決定は変えられない。出来ることは、最小限に被害を抑えること」
 細めた目から不気味な眼光が煌めく。
「だけど、本庁から来たと称する大馬鹿野郎は、問答無用で資金源である反社組織を締め上げてしまった」
 手に持つ大型拳銃を、自分に指差すように向ける。
「俺だ」
 口角も、いやらしく吊り上がる。
「下手に動いて俺に感づかれて暴れられたら、逆に飛び火して自分に燃え移るかもしれない。連中は静観するしかなかった。中でも一番被害を受けたのは」
 ビシリ、と清水を指差す。
「県議会議長。名字は違うが愛人との非嫡子であるキミの、父親だ」
 ギチリ、と清水が歯を食い縛る。
「議長は政治資金に困ってしまった。資金源のフロント企業。その胴元である地元の大規模暴力団は闇バイトや殺人代行、ネット特殊詐欺集団を複数抱えて運営していた。そこの親分、幹部が一斉に摘発されて今は塀の中だ。運営指揮者が居なくなった犯罪集団は誰の指示で動いていいのか分からなくなった。独自で動いて尻尾を掴まれると運営してた側の余罪が増えてしまう。そうなればシャバに出てきた連中に何をされるか分かったもんじゃない。埋めれられるか、沈められるか。いずれにしても事業のノウハウだけが浮いてしまい、混迷を極めていた」
 サラサラと状況説明が並べられる。
「それは…、辰巳さんの憶測じゃないですか…?」
 気丈にも震える声で反論を呟く。
 しかし、その言葉はどこ吹く風だ。差していた指を降ろし、両肩を竦める。
「まぁ確かに、状況証拠だけで物的証拠は乏しい。さっきの自供も無理矢理絞り上げて言わせたのかもしれない」
 再びデザートイーグルの銃口を清水に向ける。
「でも、キミには聞いてもらう。絶対に、聞いてもらう」
 清水の身体がすくみ上がる。
「ここでするのは話し合いの場ではなく、ある種の拷問だ。言葉の正当性の裏付けは必要なく、根拠となるのは暴力の強弱。強い者が、弱い者を従わせる”拷問”。キミが用いた力が、俺の持つ力より虚弱だった。今はそれがこの場の真理さ」
 元々対話で解決しようとする気は無い、と横暴な態度で示す。
 そのどっしりとした態度が、言葉に説得力を付与する。
「では議長はどうやって資金源を復活させたのか。そう。その犯罪集団の指揮者を挿げ替えた。巨大暴力団を相手に出来る大きなケツ持ちを準備して、事業管理者の頭を乗っ取りこっそりと運営を継続させて資金を巻き上げ始めた」
 今度は呆れたように胸元から警察手帳を取り出す。
「国内最大の暴力団。桜の代紋だ」
 心底めんどくさそうな声を出す。
「警察官が犯罪集団を指揮して県議会議員へ献金する。法治秩序もクソもあったんじゃない。バレれば県や国を挙げての大スキャンダルだ。警察機構そのものの信用も崩れかねない。だから今回は県警本部から圧力が掛かり”自殺”という形で、もみ消された。そりゃあもう、県議会議長は死にもの狂いだっただろう。もみ消しの圧力だけで政治生命が磨り減るぐらい」
 顔を細めるジェスチャーをして汚れ事業の指揮者の心労を察するポーズを取る。
 が、無慈悲にも断罪の刃を振り下ろす。

「事業を始めた時は上手く動いていたのに、敢えて何で見つかりやすい方法を取ったんだ? どういうことか説明してくれるか。シミズちゃん?」

 フフッ、と諦めたかのような笑みが清水から漏れる。
 氷柱で刺してくるような指摘に、一瞬だけ清水の頭が冴える。
「辰巳さんなんかに! あのクソッタレな屑親から生まれた気持ちは分からないんですよ!」
 訓練より素早い手付きで一発の弾丸を装填して、辰巳へ撃ち込む。

 血飛沫が上がる。

 辰巳が顔面を左手で守った為、その甲と手の平に風穴が開いた。 
「…痛いなぁ」
 まるで他人事のように自分の傷を眺め、舌で溢れ出る血を舐めとる。
「狂ってる…」
 更なる辰巳の奇行を目撃した清水は、身を走るおぞましさから吐き気を覚える。 
「狂ってる? だいぶ昔から言われて、すっかり慣れたよ。それにこちらから聞かせてもらうが、県民の代表たる政治家が警察権力を使って汚れた家業に手を染めるのも、存外にイカレてると思わないのかい?」
「それは、あの金と権力に妄執する、屑の父親が!」
「そう。警察権力の象徴としてキミが指揮るように強要したんだろ。立場としては上手くやれると思って。実際最近は世間にバレず回っていた。きっとキミの父親も、キミも、その手の才能があったんだろうよ」
「ふ、ふざけないでください! そんな、腐った才能なんて、いらなかったですよ!」
「そうかい? 人の道を容易く外れられるのも、大切な才能なんだけどね。でもまあ、お天道様の下で生きるには余りに後ろ暗く暴走しやすい、厄介な性質だ」
 辰巳は立ち上がり、右手に持つ大口径拳銃を構える。
「ほら。こんな風に」
 マグナム弾が清水の横を通り、また酒の棚が吹き飛ぶ。
 衝撃により清水の身体が浮き、バーカウンターの中に転がり落ちる。
「うっ! けほっ、けほっ!」
 割れた酒瓶が頭から降りかかり、息が咽る。
「どうだい? 文字通り酒を浴びるように呑む感想は?」
 その後、何度も何度も頭上の酒が炸薬音と共に粉砕されていく。
「うっく! ひ、ひぃぃ!」
 もはや清水の心にも身体にも、恐怖から抗う勇気は一滴も残っていなかった。
「ほら。生き残るために、存分にあがくんだ。もう動くことの無い、死者の分まで。それは生者に与えられた特権なんだから」
 足腰が弛緩し言うことを聞かない。視界が周囲の状況理解を拒絶する。
 ――――ガチリ! と残弾切れの合図が鳴る。
 ほんの少しの安堵から、辰巳を視認してしまう。

 瞳は満月のように開かれ銀色に輝き、口は大蛇のように朱色に裂けていた。

 名は体を表すというなら、それは現実に虚像が投影された【うつろ】じみた存在。
 身も心も、名も正気も、全てが偽物。全てが虚偽。
「キミの父親の生き汚さが、ここに凶悪を呼んだ」
 空の弾倉が排出される。
「キミの父親の他者への傲慢さが、より大きな恐怖を惹きつけた」
 新たな弾倉が穴の開いた手で押し込まれる。
「キミの父親の容赦の無さが、俺のような狂乱の徒を顕現させた」
 歯でスライドを引き、装填を完了させる。
「それに、銃を先に抜いて、暴力のテリトリーに踏み込んで来たのは、キミだ」
 恐慌が清水の身体を動かした。生存本能が彼女の手足を動かした。
 カウンター裏の扉まで手が届き、がむしゃらに中へ滑り込む。
 厨房との扉には鍵とチェーンがあり、急いで両方施錠する。
 店舗側からドアノブが動くが、鍵が間に合い空しく上げ下げされた。
「こ、んな、ことなら、もう全部話して、許し、て、もらう、しか…」
 凶々しく、恐ろしく、狂気をはらんだ辰巳の姿に、ガチガチと歯が鳴ってしまう。
「父親へ、の、復讐なんて、止めに、すれば、命だけは、」
 調理台に身体を預けて、弱々しく店の裏手に向かう。
 背後の扉から轟音が響く。
 ドアノブの残骸が転がり、続けざまに二つの蝶番が銃弾で破壊される。
 強引に扉が蹴り飛ばされ、厨房の床に無残に晒される。
「まだ逃げられると思っていたのかい? シミズちゃん?」
 首をかしげ、左手から血を滴らせた、人型の凶器が姿を現す。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 裏手の扉に飛びつき、全力で開け放った。

「何、これ?」

 厨房の奥にはもう一つの部屋があった。
 けれどそこは、
「ぜ、全部、ブルー、シート?」
 その部屋は、床も壁も天井も真っ青なブルーシートで覆われていた。
 部屋の真ん中には、大きめのバスタブ。
「おや、ご婦人。オーダーストップですか。通常開店時間にはまだ早いですが」
 先ほど酒を出してくれたマスターが、チェーンソーやノコギリの準備をしていた。
 青色の狂気に飲まれ、清水の意識が遠くなる。
「そうだよマスター。彼女は支払いが出来なくなった。伝票は俺に回してくれ」
 昏倒しそうな清水を、無慈悲に辰巳が手を差し伸べて支える。
「辰、巳さん…。許し、て」
「それは出来ない相談だ。こうなることを想定して、この店を選んだんだから」
 辰巳が穴の開いた流血の左手を清水に突き出す。
「キミは人の道のルールを守る前に、暴力の境界線を跨いでしまった。こっち側は常に死地を歩くことを、狂騒の中で生きることを”強制”される場所だ」
 清水の腰に手を回し身体を引き寄せる。
 ピクリと恐怖と緊張で全身が強張る。
「私の、狂った世界への道の踏み外しが、今の状況を招いてしまったんですか…?」
 清水の頬に涙が伝う。
「そうさ。キミは議長から提案をされた時に、脱兎のごとく逃げるべきだった。仕事も家族もプライドも捨てて、身の一つで遠くへ立ち去ることが最良だったのさ。そして次点として、この店に来てすぐに、キミは同じように許しを請うんだったね。道を外れた後悔を胸に、俺に助けを求める。それらが唯一の、人として助かる道だったんだよ」
 ハラハラと、止めどない落涙を続ける。
「――――事業の再開に絡むように言われた時、拒否出来ませんでした…。断れば、今後のお母さんとの生活が危うかったんです…。子供の頃から、言われた通りの人生しか許されなかった…。警察官になったのも、父親に強いられたから…」
 嗚咽は弱い。
「そんな私の人生は、こんな空っぽのまま、終わるんですか…?」
 気力の磨り減った手に力を込めて、辰巳の胸元にしがみついた。
「贖罪の機会はあったはずさ。でもキミが自分の罪悪感から目を背けるたびに、それは摩耗していった。本当は自分のしでかしたことになりふり構わず泣きじゃくり、自分の罪をぶちまけて、自分で終いにすればよかったんだ」
 ぐっ、と清水は唇を噛み、そこから血が流れる。
「…う、うぅ…! …この前の女の子を川に流すように指示したのは、より事件を目立たせたかったからなんです! 裏で動いていた父親が、四方八方で無理をするように…! 金と権力、自己顕示に固執した父親が、擦り潰される様子を見たいがために…!」
「親への反抗は、親本人にしろ。他人を巻き込んで、殺したり、殺させたりするのは、親子喧嘩の度を越してる」
 腰に回していた腕の力を強めて、清水の頭を寄せる。
「んっ…」
 そのまま強引に唇を奪い、唾液と吐息を貪る。
 血の気の引いた清水の身体は冷えていたが、確かな生気を持つ温かさがあった。
 口づけを終え溶ろけた視線を辰巳に向ける。必死に何かを懇願してる瞳だ。
 だが、無慈悲に辰巳は負傷した左手で清水の身体を突き放し、銃口を向ける。
「…悪いが、一度暴力と狂気の底無し沼に踏み込んだ者は、必ずそのまま腐敗していくんだ。だからキミには、腐り落ちる前に消えてもらう」
「――――もう終わってしまったことへの罰は、受け入れます。でもせめて、辰巳さん。いいえ。どこの誰かも分からない、【うつろさん】。貴方に、私の最後のお願いをしてもいいですか…?」
「…何だい?」

「――――どうか、父を、道連れにしてください――――」

「俺はそのために来たんだ。奴には、本物の”狂悪”というモノを、味合わせてやる」

 凶弾が清水を襲った。
 左胸に直撃し、肉も骨も心臓も肺も、まとめて背後に肉片として吹き飛ばす。
 左上半身の大部分を失った身体が一回転し、部屋の中央のバスタブの縁に倒れ込む。
 大きく吐血した清水が、コフッコフッと、切れ切れで無意味な呼吸音が上がる。
 瞳から光がどんどん消え失せていく。
 銃を背中のホルスターにしまい、辰巳が大量出血をする清水の身体を持ち上げ、
 バスタブの中に降ろす。
 返り血を全身に浴びながら、収めれられた清水を見下ろす。
 涙の跡を残す眼は瞳孔を広げて虚空を見つめ、薄かった呼吸も途絶えていた。
 やる必要が無いと分かっていながら、手で瞼を降ろしてあげる。
「ごめんな。そんな美しいままで、ここから出てもらうわけにはいかないんだ」
 涙の跡をなぞって、顔の上に自身のハンカチを被せる。
 そのまま清水に背を向け、ブルーシートの部屋の出口へ向かう。
 背後からエンジンの駆動音が響き、回転刃がうねりを上げる。

「――――さようなら、シミズちゃん。後のことは任せてくれ」

 完全防音の扉が閉まり、たった一人、耳鳴りのような静寂の中に包まれた。
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完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

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