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「たまたまだよ。気の向くままにいろんなとこで釣りをしてるんだ」

 公爵が馬車の窓から顔を出して、リカルドに声をかけた。

「その魚を半分ほど譲ってくれんかね。ディナーにちょうどいい」

「買っていただけるなら喜んで」

 公爵が懐から巾着を取り出そうとしたところを、トールが手で制した。

「ちょっとお待ちください、公爵。リカルドとやらと話があります」

 トールはリカルドの釣果を確認して、なかなかの腕前だと褒めた。

「いやあ、それほどでも」

「この川はポータリー公爵家の所領と国営地との境界となっている。水量も多く、水質も良さそうだ」

「ええ、おかげでたくさん釣れましたよ」

「この川の半分は公爵のものだ。リカルド君、魚の半分を公爵に返したまえ」

「ええ……そんな」

「ではきみは泥棒だ」

「……ち、違いますよ」

 リカルドは真っ赤な顔で否定したが、争うのが面倒になったのか、溜息を吐いて了承した。

「どうぞ、持ってってください」

 公爵とトールはバケツを受け取ると、ほくほく顔で出発した。
 サラはあきれた。なんてしみったれているのだろう。

「のちほどお金を支払いに行きますわ、リカルドさん。フラットに戻ったらね」

 サラがそういうと、リカルドは首を振った。

「いいですよ、勝手に釣っていた俺も悪いんだから」

「勝手にって言っても……」

 この川は境界を示しているが誰の所有物でもない。近くの住人たちも、灌漑はもちろんのこと、炊事や洗濯に自由に利用している。当然、漁労に勤しむ者もいるだろう。
 公爵家が文句を言ったことはかつて一度もない。許可など必要ないのである。
リカルドも当然わかっているのだろう。だが少額を惜しんで言いがかりをつけてくるような金持ちと争うのは愚かなことだと、彼は考えたのだ。

(公爵家の出費を抑えるためと考えれば、トールの言いがかりは賞賛すべきなのかもしれないけれど。でもそれとは別に)

「ピーちゃんが迷惑をかけたわ」

「ちょっと濡れただけですよ、気にしなさんな。同じ屋根の下の仲じゃあないですか。さあ、もう行った行った」

 リカルドは朗らかに笑って、手を振った。

(まあ、善い人だこと)

 ガイを乗せたダチョウは疲れたのか、走り飽きたのか、スピードを緩めてサラの馬車と並走した。
 馬車の窓からガイがこちらを覗いている。

「さっきの男……怪しくなかったか」

「リカルドが?」

「いや、気のせいかもしれない」

 ガイはそういったきり、屋敷に着くまで横を向いて黙り込んだままだった。
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