公爵夫人(55歳)はタダでは死なない

あかいかかぽ

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「サラァ、戻ってこないかぁ」

 公爵の声は掠れていた。冬山に吹く風のように。

「わしが愚かだった。わしにはおまえだけだ。離婚したくない!」

 公爵はサラに抱きついて、わんわんと泣き出した。

「さみしいのね。でも甘えられても困るわ」

「さみしいからじゃない。やっと気づいたのだ」

「それは……本心ですの?」

 身を起こし、ごほんと咳ばらいをした公爵は、表情をひきしめて、片膝立ちの姿勢を取った。
 この姿勢が何を意味するかはサラにもよくわかっている。
 サラは目を瞠って公爵を見つめ返した。

「これは人生最後のプロポーズだ。残りの時間を、共に過ごしてくれ」

 まだ膝が痛むだろうに、とサラは少しハラハラしたが、その雄姿には心を動かされた。公爵はこういった気障なところがあるのだ。

 子供っぽくて気障で見栄っ張り。35年間、自分の一番近くにいた男性をサラはあらためて眺めやった。時間を遡るような不思議な感覚に包まれる。砂時計の砂のように感じていた時の流れは、唐突に彩りを増した。きらきらと輝いていた思い出が蘇ってくる。胸の中で小さなダチョウが暴れまわっているみたいだ。
 年齢を重ねても、新しい思い出は作れるのだ。これからでも、いくらでも、死ぬまで。
 サラはほうと息を吐いた。
 公爵の目をみつめて、はっきりと意思を示した。

「ごめんなさい」

「……」

「わたくしは都合の良い妻ではありませんわ」

「サラ……わしの余生を捧げると言っているのだが……」

 拒まれるとは思っていなかったのだろう。公爵は呆然とした目でサラを見上げる。

「お互いにいい刺激になりましたわね。これからたいへんだけどたまに会って紅茶でも飲みましょうね」

「サ、サラ……」

「お友達になりましょうか。わたくし、お友達がほしかったのよ。心細い道のりもお友達の家に遊びに行くときは足取りが軽くなるものだわ」

「サ……」

「住むところがなくなったらフラットを紹介するわ。屋根裏部屋が空いていたと思うの。大家さんがいい人なのよ」

「……」

「ほら、立って。また膝を痛めてしまいますわよ。階下にいって、さっさと離婚の書類に署名いたしましょうね」

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